◇第4章 ルイス編◇   チャラい彼はヒミツを抱えています

第8話    「何のために、鍛えているんですか?」

「……ん」


 目が覚めるときって、自分がいまどこにいるのかわからなくなる。

 しっかりと意識が浮き上がってくると、悲しくなる。


 異世界にいるってことは、もう、わかっているはずなのに。

 その事実を改めて確認して、泣きたくなる。


 でも、そんな感情にずっと引きずられてばかりだと、働けないから。


 感情にふたをして、私はまばたきを一つした。  


「今日も早く起きちゃった……」


 勤務時間までまだ時間があるし……せっかくだから、前みたいにハーヴェイさんのところに行ってみようかな。



 ◇◇◇



 前と同じ場所で、ハーヴェイさんは今日も一人で朝練をしてた。


 ハーヴェイさんの鍛錬たんれんって、習慣なのかな。


 ……そう、なんだよね? だって、そうじゃなかったら、今日だってやってるはずがないし……。私が「また見に来てもいいですか?」って聞いたときに、断るはず。


 この習慣を、他の人達は知ってるのかな?


 知らないんだとしたら……少しだけ、得したような気分。

 だって、知られてるんだとしたら、人が集まっちゃうよね? そうなったら、ゆっくり見ることができないんだから。


「……っは!」


 気合の入った掛け声とともに、剣を振り下ろしたかと思えば、そのまま次の剣技に移る。滑らかな動きで、攻撃の手を休めることなく続ける。


 声をかけるのは、鍛錬が終わった後でもいいよね?


 立っているのもどうかなって思うから、私はその場に座ることにした。芝生しばふの上だから、そこまでお尻も汚れないはず。

 

 息をつくほど綺麗な動きを眺めていれば、アッという間に時間は過ぎていく。

 やがて、鍛錬を止めたハーヴェイさんと視線が合った。


 ……もう、今日の分はおしまいなのかな?

 

「ホントに来たのか、あんた」

「……おはようございます。はい、来ちゃダメでしたか?」

「おう、おはよう。いや、べつにいいけどよ。前も言ったけど物好きだな、あんた」

「そんなこと、ないです」


 ただ単に綺麗きれいだったから、もう一回見たかったっていうのもあるけど。

 それだけじゃなくって、剣を持ってる時のハーヴェイさん、今にも壊れちゃいそうな危うさがあったから。なんだかほっておけなくって。


 あの時の気のせいとかも考えたけど、そうじゃなかった。

 さっきの鍛錬の時も、同じだったから。


 肌にはり付いた汗を首を振って飛ばすハーヴェイさんには、その時の様子なんて見えないけど。


「ハーヴェイさんは……何のために、きたえているんですか?」


 とっさだった。


 私の口からスルリと出てしまった疑問は、彼の動作を全て停止させた。

 一瞬止めた息を吐き出しながら、ハーヴェイさんは笑い声を上げる。


「変なことを聞くな? 何のためって決まってるだろ。強くなるためだ」

「……」


 笑顔は、普段と変わらないように見えるのに。でも、私にはそれがいびつなものに見えてしまった。まるで、仮面でもつけてるみたいな、張りぼてめいたものを見ているような感覚。


 当たり前のことを、ハーヴェイさんは答えてくれたはずなのに。


「なんだか……言い聞かせてるみたい…………」

「……」

「…………あ。ご、ごめんなさい……!」


 無意識につぶやいちゃったけど、こんなの失礼だよね。


 そっと彼の顔色をうかがうと、微笑みは全く影も見せないで、感情をそぎ落としたみたいに無表情だった。


「……っ!?」


 な……に……? 怖い……。


 背筋を走る悪寒が、私の身を強ばらせた。彼の心底冷たい空色の瞳に、ゾクッとする。

 べつに睨まれてるわけじゃなくて、ただ、見られているだけなのに。縫い止められたみたいに、身動きができなくなるよ。


「どうして、そう思ったんだ?」

「……っ」

「な、どうしてだよ」


 優しく尋ねる声色は明るいのに、表情は笑ってない。


 黙って、なにもなかったことにしてしまいたい。でも、彼のまとう空気がそれは許さないって、私に圧力をかけてくる。


 今以上に怒られるのかもしれない。だけど、沈黙よりも少しはマシだよね……?


 素直にそう感じた理由を話そうと、ゆっくりと本音を口にした。


「ハーヴェイさんが……苦しそうにしてたから」

「……俺が?」


 聞き返す声に、コクンと一度うなずく。


「表情はないのに、目は……追い詰められてるような、感じがしました」


 雰囲気もやわらかい普段とは違う、凛々しいものだったけど。

 瞳だけは、違った。


 そして、そんな瞳を私は以前に一度、見たことがあった。


 彼と同じ顔をしてる、憧れてるあの人がしていたことがあったから。


「へぇ。『追い詰められてる』な……」

「……」


 うつむいてハーヴェイさんは、クツクツと小声で笑った。

 笑い声なのに、楽しそうじゃない。ただ、笑うしかないって様子で、彼は笑ってるみたい。


 ひときしり笑った後に、顔を上げたハーヴェイさんはニヤリと意地悪そうに微笑んだ。


「じゃあ、な……もし、追い詰められていたとして。あんたはどうすんだ?」

「……え?」


 どうするって……。


なぐさめてくれんの? キスの一つでもしてくれんのか? あ、それとも俺と一夜を過ごして、一晩中甘やかしてくれんの?」

「……」


 ……どっちもできないよ。それに、したくない。

 先輩と同じ顔で、そんなひどいことを言わないでほしい。


 …………でも。


 私を傷つけようとして言葉を重ねるハーヴェイさんの方が、泣きそうな顔をしてたから。


 彼が求めてる言葉じゃないとはわかってる。だけど、私は伝えたいのはそうじゃないから。ハーヴェイさんの希望を無視して、私なりの答えを返さなきゃ。


「できません」

「……そうだよな。結局のところ、あんたはただ、同情したいだけだろ?」


 鼻で笑うハーヴェイさんは、表情をゆがませた。いつもは陽気な彼が、言葉の刃を投げ続ける。


 私には、キスも、夜も一緒に過ごすなんてこともできない。

 ……だけど。


「でも」

「っ?」


 さらに私を精神的に痛めようとしたハーヴェイさんの唇が、言葉をさえぎられて止まった。


「でも……そばに、います」


 私なんかじゃ、役に立てないと思う。気のいたはげましの言葉だって、かけることはできないよ。

 女慣れしたハーヴェイさんの満足いくようなことだって、できない。


 だけど、傍にくらいはできるから。


「私が、ここに居る限りは。ハーヴェイさんのそばにずっといます」


 いつ帰ることになるかはわからない。もし、元の世界に戻る方法を見つけたら、すぐにでも帰らなきゃいけないとは思うよ。


 でも。その時が訪れるまでは、ハーヴェイさんの近くにいたいな。


「なんだ、それ……」


 クシャリと顔を今にも泣いてしまいそうなほど歪ませながら、ハーヴェイさんは笑った。

 水色の瞳はうるんでて、涙がこぼれ落ちてしまいそう。


 自暴自棄になってたさっきの表情じゃなくなって、よかった。


 ホッとして息を小さく吐き出すと、ハーヴェイさんは


「……仕方ないから、そばにいてもいいぞ」


 不遜ふそんな言葉を、ふてぶてしく吐き出して。

 ハーヴェイさんはニッコリと明るく笑った。


「! はい……!」


 元気よく返事をした私に、彼は満足そうに笑みを深くする。

 そして、「あ、そうそう」とわざとらしく手を打った。


「キスも一晩独占すんのも、気が変わったらいつでも言えよ? 俺は大歓迎だからな」

「っな!? きっ、ききっ気なんて変わりません、から!」

「そうか? 残念だなー」


 もう! 何てこと言うんですか、ハーヴェイさんったら。

 イタズラだってわかってるけど、茶目っ気たっぷりにウインクしてみせてダメですからね。


 そんなビックリしちゃうような冗談、言わないでほしいよ。


 私の焦りが前回の反応に、明るく笑うハーヴェイさんには、さっきの陰りのある表情は全く見えない。


 こんなからかい方は困っちゃうけど。……いつものハーヴェイさんに戻ってよかった。



 

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