第18話 「あなた、誰……?」
夕食後に部屋でくつろぐ時間になって、やっと私は肩の力を抜いた。
「散々な日だった……」
拭いきってない滴をタオルでふき取り、ため息を吐いた。
シャワーを浴びても、すっきりした気分にならないのは、たぶん昼間の件のせいかな。
「全然息抜きじゃないよ……」
本来ジョシュアさんはゆっくり休めって意味で今日、使用人の仕事をさせようとしなかったんだろうけど。
なんだか、逆に疲れちゃった。
原因は間違いなく、彼のせい。
「……『またね』って、言ってたってことは……また会う気なの?」
綺麗すぎて緊張してっていうのもあるけど……それより、なんていうか。
「怖い、んだよね」
そう、怖いの。
会話しないなら、いいんだけど。ううん、会話しなくても、ちょっと怖いけど。
話したらその分、何だか彼独特の雰囲気にのみ込まれそうで。
それとも慣れたら、そんなこともなくなるのかな?
……って、慣れるまで会う気は私、ないよ!?
「でも、なんかたぶん、会っちゃうような気がする……」
嫌だな……なんて、思っちゃうのは失礼だけど、どうしても、ね。
なんか、異世界に来てあんまり好感触の人と会ってない?
良い人って思ったのは……ジョシュアさん、アンジェさん、アンナさんに……あと、ドミニクさん?
よくわからないのは、セオドールさんだよね。フードをしてて顔が見えない分、どうしても不審者って感じはするけど、助けてくれたうえに道案内までしてくれたから。
レイモンドさんは……アルとは違って怖い人というか……いつも怒ってる人? でも、怒ってる理由は道理が通ってるし……。
もっと話してみたら、違うのかな? ジョシュアさんとアンジェさんの息子さんだから、悪い人じゃない、よね?
ハーヴェイさんは……思い出したくない。人違いしたことは申し訳なかったなって思うけど、先輩そっくりなのに違う人っていうのは悲しくなるから。
きっと、もう会わないよね? ……会わないようにしなきゃ。
今日で異世界3日目なのに……どうしてこんな色んな人と知り合ってるのかな? 正直、皆性格が濃いよね。
……それとも、ここではこれが普通なの?
「だとしたら、すっごく大変……」
主に私の精神的に。
すっかり乾いた髪からタオルを下して、肩にかけた。
そのとき。
カタン、と小さな音が聞こえた。
「? なに?」
バルコニー辺り?
夜でカーテンを閉めてるから、ここからだとバルコニーがどうなってるかわからない。
雨が降ってる……とか?
でも、昼は晴天って言葉がピッタリだったのに?
天候が急変した、とか?
でも、降るとしたら雨じゃなくて、みぞれとかヒョウとか、雪かな? 私が初めてこの世界に来たときも、雪が積もってたから。
「どうなのかな?」
ちょっと気になる。
カーテン、開けてみようかな?
窓辺に近づいて、カーテンの端をつかんだ。シャッっとレールの音が鳴る。
「え……」
誰か、いる?
完全にカーテンを開けるとそこに人影があるなんて、予想外だよ。
その人と、目が合った。
「!」
そして、私はバルコニーにつながる窓を開けた。
カーテンを閉める行動とは、真逆のことをしたのは衝動で。特に、考えて行動したわけじゃない。
でも私は、彼の瞳にひきつけられて動いてしまった。
「あなたは……?」
暗闇の中で手すりに腰掛ける彼は、黒い瞳をこっちに向けてきた。
この世界で初めて見る黒は、この外に広がってる闇みたいに、深くて、底が見えそうになかった。
部屋からの明かりで、彼の黒髪が鈍く光る。黒のマントは肩で金具で留められてて、その下には黒づくめの服装。
黒いシャツに、黒いズボン、黒い編み上げブーツ、黒い柄の小型の剣……。
肌の色以外は、全部漆黒。
まるで、葬式のときの服装みたい……。
「あなた、誰……?」
顔立ちは、優しいそうなのに。服装と彼の無表情と相まって、無機質に見える。
私と同じくらいの年頃の彼は、わずかに眉を上げてみせた。
「俺の名前なんてどうでもいい」
「……でも、名前を呼ぶとき、困ります……」
教えたくない、とかなの?
無機質な顔を
「呼ぶ必要はない」
「え、でも……必要はないって」
私は、必要があるんだけど……。
でも、強制はできないし……。
「それに、何の意味がある?」
「意味、はないです。……けど、名前を知ることで、ちょっと安心するというか……」
この状況だって、考えみればおかしいよね。
部屋のバルコニーに急に来た、知らない男の人と会話するなんて。それも夜中なんて。
あれ? 私、もしかして女の子として致命的なくらい、ズレてる行動をしてるような……?
今更『出ていってください!』って叫ぶのもおかしいよね?
……悲鳴の一つでも、上げておいた方がよかったのかな?
「え、ええっと……あの、その…………きゃ、キャー」
「……なんで急に鳴き声を上げている?」
「……な、なんでも、ない、です」
すっごく
もっと間抜けっぽくなってるような!?
「まぁ、いい……それで? お前は名前がわからないと困るのか?」
「……っ? ……そう、ですね。教えてもらったら、助かります」
「……そうか」
彼はため息を一つこぼすと、面倒そうに乱暴に髪をかきあげた。
「俺はクロウ」
「……クロウ君、ですね」
「それはやめろ」
「……それ?」
嫌そうに表情を歪ませて、クロウ君は首を振った。
「その『クロウ君』という呼び方だ」
「え……なんで、ですか? ……あ、クロウさんって、呼んだ方が……」
「違う。『君』だの『さん』だのつけるな。気味が悪い」
「……気味が悪いって……」
ひどい。そんなに名前を呼ばれるの嫌ってこと?
お願いして名前を教えてもらったけど、クロウ君にとっては本当に嫌だったってこと?
「クロウでいい」
「え……」
「なんだ」
「う、ううん。なんでも、ないです」
そういう意味だったんだ。そっか。
名前では呼んでもいいって、ことだよね?
「あ、あの、クロウ。私の名前は――」
「言わなくていい、聞くつもりもない。俺は、お前の名前に興味はない」
「そう、ですか……」
バッサリ切り捨てられた!
本当に興味なさそうに、クロウってば退屈そうにあくびをしてる。そんな拒絶するなんて、クロウって他人に興味がないのかな?
たしかに出会ってばかりだから、私としてもあんまり気軽に名前を教えない方がいい、のかな?
……でも、クロウには名前を教えてもらったし……かといって、本人が必要ないっていうし……うーん?
また聞かれたら、答えればいいよね?
「あの、それで……どうして、ここに来たんです、か? ……もしかして、迷子ですか?」
「いや、迷子じゃない。お前じゃあるまいし」
「え……?」
即座に否定されたことより、切り返された言葉にドキッとした。
「それって、どういう……」
「どうもこうもない。言葉通りだ」
「……」
聞いても深くは答えてくれなさそう。クロウは、退屈そうにしていた表情をなくして、スッとその黒目を細めた。
「……役者はそろった。後は、
「……? 役者? 終焉って……」
一体、何のこと?
クロウは
「俺から話すことは何もない。お前が選び、終焉へと向かわせる。ただ、それだけだ」
「私が……?」
私が、選ぶ? でも、選ぶって何を?
それに終焉なんて……不吉な言葉。
「あの……どういうこと、ですか?」
「……また来る」
「え!?」
手すりからグラッと体勢を後ろへと
そ、それよりここ、1階じゃないんだけど!?
「っ!」
慌ててバルコニーに出て、手すりから身を乗り出して下を確認してみる。
階下には木が生い茂ってるだけ。ちょっと離れたところに、昼間見て回った庭園が見えるけど……そこまでは届かないはず。
「……いない」
姿なんて、全然ない。音だってしなかった。
それとも、黒い服装だったから、この夜の風景に馴染んで消えちゃっただけ?
「……なんだったの?」
よくわからない、謎かけのような言葉ばっかり残して。
不思議な少年、クロウは私から姿を消した。
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