第11話    「あんたは誰だ?」

 荒れた息を混ぜて呼んだ声に、彼はニッコリと笑ってくれた。


「……!」


 やっぱり先輩?

 だけど、私の期待を一瞬で彼は黒く塗りつぶした。


「あんたは誰だ? どっかで会ったか?」

「!?」


 え……。


 呆然として見上げると、彼は首を傾げていた。

 先輩のものとしか思えない、爽やかな笑顔なのに。大好きなはずだった表情だったそれは、ついさっきの彼の言葉で、得体のしれないものになる。


 紺碧こんぺきの髪は、上に広がる青空より深い色。トパーズのような瞳は、吸い込まれそうなほど透き通った水色。

 両方ともとっても綺麗な色、だけど。


「『トリィクル』のリリー? あ、それとも『エフェレル』のエミリーだったか?」

「……」


 複数の女の人の名前が、スラスラと彼の口から出る。

 どれも、私の名前じゃない。それとも先輩は、一日会わないだけで私のことを忘れちゃったの?


「……久我くが、です。あなたの後輩の、久我くが璃桜りおん

「クガ?」


 うなずいてみせると、彼はマジマジと私の顔をのぞきこんできた。

 至近距離の先輩の顔。ドキドキしてる場合じゃないのに、やっぱり勝手に心臓がドキドキしちゃう。

 彼が首を傾けると、深い海のような色の髪がサラリと音を立て、私の顔にかかりそうになった。


「あんた、女だよな?」

「……はい」

「だよな。じゃあ無理だ、うちの騎士団は女子禁制なんでね」

「え……?」


 騎士団? 騎士って……あの絵本とかに出てくるような?

 先輩って、いつの間に高校生から騎士になんて変わったんだろう。それに時間は? 一日でなったの?


「……あの。あなたは、騎士、なんですか?」

「は? あったりまえだろ。あんた、騎士団の制服すら知らないのか?」

「……」


 そういえば、服装も見たことがない恰好。


 金色の大柄の布製のボタンが2列でついた、深い紺色のベスト。正面側は腰までなのに、後ろ側は膝まで伸びてて先が二つに分かれてる。下に着てる白いブラウスは、ベストの濃い色合いを際立たせてる。

 白地のズボンは伸縮性がよさそうで、裾を黒のロングブーツに入れている。


 カッコいい服だけど、それより目についたのは腰にあったもの。


 そこには、日本にはなかった、そして以前、ドミニクさんが持っていたもの。


 ……剣。

 刃の部分が長いから、たぶんだけどロングソード、と呼ばれる種類、だと思う。


 それは、彼にしっくりと馴染んでいて。

 そして、きっとそんな雰囲気は一日二日でなるものじゃなくて。


 だから、理解した。


 この人は。先輩じゃ、ない。


「……っ!」


 すぅっと、血が引いていく音が聞こえた。


 どうして、すぐに気づかなかったのかな。

 ここは、日本じゃない。先輩が、いるわけがないのに。


 普通に考えれば、わかったことだったはず。


 でも、本当にそっくりだったから。双子じゃないかなってくらい、背も顔も声も似てて。


「あなたは……?」

「あ? 俺か? 俺はルイス・ハーヴェイ」

「……っ」


 同じ顔で、同じ声で。彼は違う名前を名乗った。

 動揺する私を、彼は……ハーヴェイさんは困りつつもはにかんで微笑んだ。そして、水色のタレ目が細められ、意地悪そうな光を放った。


「もしかして、新手のナンパ?」

「!?」

「うわ、このやり方は初だな。インパクトはあったよ。ああ、悪くない。ただなぁ、ちょっとあんたには食種が向かないんでね。他、あたってくれよ」

「……ちが、違います!」


 そんなことできないよ。するはずもない。

 先輩と同じ顔で、そんなことを言わないで。


 私の憧れの人に言われてるみたいで、胸が痛い。


「……っごめん、なさ……人違いだった、みたいです。ごめん、なさい」


 そっと、ずっとつかんだままだった、彼の服を手放した。彼のベストは幸いなことに硬めの生地だったから、しわにもなってないはず。



 ――早く、手を放しておけばよかった。

 そうすれば、こんなに傷つかなくてもよかったのに。



 そのまま、後ろに下がって、彼から距離をとった。

 頭を下げて、間違いをもう一度謝った。


「……ごめん、なさい。もう、気にしないでください」


 顔を見上げると、彼がこっちを不思議そうに、そして、わずかに心配そうに見ていた。



 ――そんな目を、しないでください。



 まるで、先輩と初めて会ったときみたいな目なんて。

 違う色の瞳をしてるあなたは、私が知ってるあの人じゃないのに。


 そうだよね、そんなはずがなかったのに。

 ここは、違う世界。私が好きな、須江先輩がいない世界なんだから。


「お時間、奪ってすみませんでした……」


 お辞儀をして、私は背中を向けて走り出した。この場に、残ってなんていたくない。


 全部、私の勘違いだった。それだけで、もう充分。


 きっとこの先。街で見かけたとしても、彼に話しかけることはない。

 先輩との違いを見つけるたびに、きっともっと悲しくなるから。


「あ! なぁ、あんた……!?」


 背後で上がった声が聞こえたのは、私の気のせい。




 ――須江先輩。

 先輩先輩先輩……っ!


 先輩に会いたいのに、どうして。なんで、ここにいないんですか。

 ……会いたい、です。会いたいんです、先輩。

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