第9話 「それは、ちょっと……」
レイモンドさんはジョシュアさんに丸め込まれるかたちで、私の宿泊を認めてくれた。
「夕飯までご馳走になって……よかったのかな?」
あてがわれた部屋で、思わず独り言を呟いちゃった。
一部屋を丸々使ってくれと明け渡されたときは、『か、金持ちって……わかんない!』なんて青ざめちゃったけど。
だって、部屋にシャワーとかまで備え付けられてるんだよ?
素直に甘えちゃったけど、お金を稼いだらちゃんとお礼しないとね。
でも、これで良かったのかも。少しくらい、一人で考える時間がほしかったから。
部屋には大きな窓があったから近寄ってみる。繊細な模様のレースのカーテンが引かれていたから、ちょっとめくってのぞいてみた。
……え。
「バルコニー!?」
客部屋にバルコニーまであるなんて、本当にジョシュアさん達って、単なる一商人じゃないよね!?
外は真っ暗だし、お風呂もいただいちゃった後だけど……外に出てみたくなった。
寒いかもしれないけど、少しの間なら平気、かな?
カーテンを開けて、施錠を開けた。バルコニーに出て、窓をすぐに閉める。
「やっぱり寒い……」
思わず腕を擦りつつ、辺りを見回した。
バルコニーからは、この敷地内の様子が部屋からの明かりでぼんやりと見えた。庭園とか、噴水があるってことしかわかんないけど。
とにかく、夜の今わかることは、すっごく広そうってくらい?
また、明日の朝にでも、見てみようかな。
「……」
ふと、空を見上げた。
「異世界でも、月はあるんだね……」
一つ大きな月が、黒く染まった空にあった。
星も、あんまり見えないけどあるみたい。異世界でも、星座って同じなのかな?
丸くやわらかな光を放つ月は、色だけが違っていた。
「……淡い水色」
まるで、綺麗な湖から水をすくい上げて一滴だけこぼしたような。そんな月。
青みがかった白、とかじゃない。完全な、水色。
やっぱり、ここは異世界なんだ。
「どうなっちゃうのかな、私」
考えてもなるようにしかならないのに、不安にはなるよ。
全く知らない土地で、お金も持ってないなんて、正直生きていけるかわかんない。
「それに、帰る方法も探さないと」
そのためには、まず本とかで情報を仕入れないといけないよね。
昔に、私みたいにこの世界に来ることになった人間って存在してないのかな? もしいたら、話を聞いてみたいな。
やることはたくさんある。でも、何から手をつけたらいいのか、迷ってしまうほど。
「大丈夫なのかな……」
心配は尽きなくて、私はため息を吐き出した。
……考えても仕方ない。もう寝ちゃおうかな。
明日からきっと、悩む時間もなくなるくらい、忙しくなるはずだから。
……でも、きっと。
「――」
浮かんだ想いを、私は首を振ってかき消した。
◇◇◇
「おはよう、リオン。よく眠れたかい?」
「おはよう、リオンちゃん!」
「おはよう、ございます。……おかげさまで」
「そうかい、それはよかった」
食堂へ向かうと、ジョシュアさんとアンジェさんはすでに食後の紅茶をたしなんでいた。
そして当たり前ですが、レイモンドさんはあいさつなし。
で、ですよね。私、怪しい人ってカテゴリーに分類されていますからね。
昨日案内された席につくと、すかさず使用人さんが私の前のテーブルに朝食を置いた。
「……ありがとう、ございます」
ペコリと頭を下げてお礼を言う。
昨夜夕食を食べる食べないで、ジョシュアさんとアンジェさんと長時間話し合いになってしまった経緯から、ありがたく食べさせてもらっちゃおう。
皿の上には二つのエッグベネディクト。ライ麦製っぽいマフィンの上にはカリカリに焼いた薄切りのお肉、トロトロな卵がのってる。
昨日の夕飯でも思ったけど、出来上がったご飯は向こうの世界でも見たことがあるものなんだけど。
でもジョシュアさんは、ジャガイモとかニンジンとか『見たことがない』って言ってた。それはもしかしたら、食材が違うからなのかも。
「……」
そう考えたら、ちょっと怖い。
な、なにでできてるのかな、これ?
……深く考えちゃ、駄目な気がする。これ以上はやめておこう。
でもそのうち、市場に行ってみるのもいいかも。元の世界では料理もしてたし、こっちの世界でも自炊しないといけないよね?
ナイフとフォークを使って食事を進めていると、ジョシュアさんがカップをソーサーに置く音が聞こえた。
「さて。リオン、君の職場についてなのだけれどね」
「!」
手を止めて、たたずまいを正した。姿勢をしっかり直して、真剣に話を聞くために顔を上げた。
「このマクファーソン商会の従業員として働けばいい。もしくは、この屋敷は働き手が今足りない状況でね、使用人として働いてくれても助かる」
「……え?」
「!? ……父様? 何をお考えですか!」
レイモンドさんの叫びが聞こえた。
あの、え? 職場の紹介って、そういうこと?
「それは、ちょっと……」
「気に
そこまでお世話になるのは、どうなの?
本当に、なんか、何から何までしてもらってばっかりになるよ。
だってほら、レイモンドさんも『信じられない、ありえない』って顔してる。
この場で表情を変えていないのは、ジョシュアさんとアンジェさんだけ。二人はすでに、昨日のうちにそういう結論にしてたのかな?
「住み込みでとなると、中々ないのだよ。しかし私達の屋敷に住んでもらえれば、それも解消される。そのためにはやはり
「あ……」
そっか、宿はお金がないと泊まれない。だけど、住み込みの仕事だったらそんな心配は必要ない。
「何故、そこまでこいつに心を砕かなければならないのですか」
低く冷静に、呟いた声がした。
レイモンドさんが、ジョシュアさんを般若のような顔で睨んでいた。
「私は反対です。同じ屋敷内で生活など……想像するだけでおぞましい」
「!」
「女性に対してその言い様はなんだい、全く。社交マナーの教師をもう一度付けたほうがいいようだね?」
「至極当然の意見を述べただけのことです。社交マナーなど、必要性は皆無です」
おぞましいって……レイモンドさんには、とことん嫌われてるみたい。
まるで、台所にいる虫に対するような毛嫌いっぷり。
「レイモンド。彼女のことに関しては、アンジェも私も意見を曲げないよ」
「……っどうしても、ですか」
「そうだね」
「……っ悪趣味極まりません! 私がこれほどまでに拒絶をしめしているのを、何故強行になさるのです!?」
レイモンドさんは、初対面に感じてた空気とは全く反対の激情をあらわにしてた。
私が原因で親子喧嘩なんて……どうしよう。
「悪趣味なのは否定はしないよ。だが、そうだね。良い機会だと思っただけさ」
「……そんなわけ……!」
「レイちゃん、見苦しいわ。ジョシュアが決めたことです。あなたはこの件に口出すことはまかりならないわ」
「母様まで……!」
……悔しそうに唇を噛むレイモンドさんを見ていられないよ。
彼は、正論を言ってるだけなのに。むしろアンジェさんとジョシュアさんの意見の方が、一般とは変わってる。どうして、庇ってくれるんだろう?
元々、部外者は私だから。きっと、私が出ていけば、全てが丸く収まるよね?
「あ、あの。私……いいです。出て、行きますから」
私のせいで、三人が仲たがいするのは良くないよ。
一晩泊めてもらったのに、争いの火種になってしまうなんて。恩を仇で返すにもいいところ。
これで全部、うまくいくはず。
だけど、ジョシュアさんは不思議そうな表情で首を傾げてきた。その瞳の奥には冷たい光があって、私は身をすくめてしまった。
「金も、伝手もないというのに? リオン、一体どうやって生きていくつもりなのかな?」
「それは……」
「気遣いができるのと、無謀はまた違うものだよ」
「……はい。わかり、ました」
ジョシュアさんの言う通りだった。反論なんて、ちっともできない。
私は今、綱渡りの状態で生きている。
たしなめられて、コクンと頷くしかない。
「だが、知らなかった。おとなしい性格かと思いきや、向こう見ずな面がリオンにはあるようだ」
「……そう、でしょうか?」
「そうだろうとも。でなければ、『出て行く』なんて発言が出るはずがあるまい」
そうなのかな?
わからない。だけど、そうしたほうがいいって思っただけ。
静かに
「……まぁ、でもそうだね。私達の意見が先行してしまったのは事実だ」
「そうね。それもそうだわ」
ジョシュアさんの言葉に、アンジェさんが
レイモンドさんの眉が、わずかにピクッと動いてた。
「リオン自身も、王都に来たばかりで何もわからないだろう? だから、こうしよう」
ジョシュアさんを、ひとさし指と中指を立ててみせた。
「二週間。リオンは二週間のうちに、どの職がいいのか考えてくれないかい? もしもその間に、他の仕事が見つかればそこに勤めればいい。ただし出て行く場合、屋敷内で耳に入った事柄は口外しないという誓約書を書いてもらうよ」
「……いいんですか?」
それって、私に破格すぎる条件じゃないのかな?
口外しないって誓約書だって、私にとってはべつに言うつもりはないから、全然問題なんてないよ?
「もちろん。ただ、できればこのまま屋敷にいてもらったほうが、私としては喜ばしいけれどね」
「そうよ! ぜひ、残って頂戴な!」
「……」
言ってもらえるのは嬉しいんですけど、あの。レイモンドさんとの兼ね合いがあるから、厳しいかもしれないです。
「レイモンドはその間、彼女の人となりと能力を判断すればいい。マクファーソンに勤めるのにふさわしいのかを、ね。話はそれからでも遅くはないだろう? 期間が限られていると思えば、先程よりも納得はいくはずだ」
「……ハァ、わかりました。これ以上は、お二人は折れないでしょう。やむを得ません、私はそれで妥協をします」
レイモンドさんは渋々っていった様子で、首肯した。
それから、それを満足そうに見たジョシュアさんと目が合った。
「リオンもそれでいいね?」
「……はい」
文句なんてあるはずがないよ。
生きるための選択肢として、私に残された選択肢を選ぶだけ。
――二週間。きっと長くて、でも短く感じちゃうような時間。
その間に、どうするのか決めなきゃ。
せっかくのチャンスをもらったからには、生かさないと。
じゃないと、ジョシュアさんとアンジェさんに申し訳ない、よね。
「二週間、よろしくお願いします」
私は感謝の気持ちが少しでも伝わるように、深々と頭を下げた。
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