針
いつもと変わらぬ一日だと思った。
いつもと変わらぬ一日だと思っていた。
僕は昼頃、朝から何やら騒がしいことに気付いた。
昨日からの余波なのか、はたまた新たな波紋なのかは分からなかったが、夏の暑さよりも鬱陶しく、何よりも肌に纏わり付くものだった。
「梶谷さんと浦辺君って〜〜〜」「まじかよ」「昨日クラスでみたって子が〜〜〜」「てか浦辺って誰」「ば、馬鹿!あそこで机に伏せてる〜〜〜」
ああ、何よりも僕の名前が出ることが気にかかる。だが余計な面倒や対応はしたくない。
……というか、クラスメイトに知られてなかったのか。ここで自分がいかに問題や面倒に巻き込まれなかったか分かってしまうのが余計に気にさわる。
僕は少し外に出ようと立ち上がり皆が視線を集める教室を出ようとした。立ち上がる瞬間にちらりと梶谷の方を見ると案の定下を向いて俯いたまま椅子に座っていた。
僕は急にしんとなった教室を出て少し溜め息を漏らすとそのまま裏庭に向かった。
そこには目につかないということがないほどの緑が生い茂っていて、教室にいることすら堪えられない自分の弱さを深く実感した。
僕は裏庭の木に寄りかかり暑さから逃げるようにそこの温度を感じ、目を閉じた。
少しの風に揺れる葉の音を聴いているとそこに誰かの足音が近づいて来るのが聞こえた。
僕はうっすらと目を開けその人物の方を見るとそこには梶谷がいた。
へ?
彼女は俯きながらこちらを向き立っている。
「か、梶谷。お前……」
僕は驚きで言葉が見つからなかった。
いや、見つからなかったと言うよりも言いたいことがありすぎて何から言えばいいか分からなかった。
僕が最終的に迷って出した言葉。
「お前……、アホなのか?」
彼女はびくっと顔をあげると紅潮した顔をこちらにむける。
その涙を浮かべた瞳はまるで、知ってたけど言われたくなかったと言わんばかりだった。
「だ、だってだって!あの空間に一人でいるなんて無理だよ!浦辺君が気にしてなかったかのように見えたからあの場にいられたけど!浦辺君が出てったらそれはもう気にしてるとしか思えなくて、そう思ったら凄く不安で恥ずかしくなってきちゃったんだもん!」
彼女は普段見られない駄々っ子のような様子で僕にそう言ってくる。
「あの場から僕の後に逃げるとかもう肯定しているようなものじゃないか!あそこで大人しくしていたから動かないと思っていたのに、これじゃあ間違いなく勘違いされるぞ君!そ、それになんで僕がここにいることが分かったんだ……」
僕も言いたいことを口から吐き出して彼女に問いを投げると、彼女はもじもじしながら俯いて葉が擦れ合うような声で言った。
「……浦辺君の足音を追っていったから」
足音を追っていったって……。
僕は恐ろしい事実を恐る恐る聞いてみた。
「もしかしてもしかすると、君は僕が出てすぐに出てきたのか?」
彼女がこくりと首を小さく縦に振り肯定した。
「終わった……。もうおしまいだ……」
僕の平穏な生活はガラガラと音を立てて崩れていき、先に見据えた橋が潰れていくのが見えた。
彼女は少し悲しそうな顔を僕に向けた。
その顔を見てこれ以上嘆くのは彼女に悪いと思い、前向きに考えることにする。
「まあ、しょうがない。僕にも非はある。だがな、一番困るのは君なんだぞ?」
平穏な生活はもうないが、これから火消しをすればまだ広がる前に食い止められるかもしれない。
だが、彼女は好きでもない人間と付き合っていたという嘘の事実を語られるかもしれない。
彼女の方をもう一度見ると今にも泣きそうなのか、それとももう泣いているのか分からない表情をしていた。
「とりあえず火消しだ。広がる前に止めるんだ。それから君は僕とそういう関係じゃないことを聞かれたら言うんだ」
「ご、ごめんなさい」
彼女はついに泣き出してしまった。
僕が強く言い過ぎたせいなので「言い過ぎた」と謝る。
「謝らないでくれ、僕はこれからどうとでもなる。問題は君だ、これから好きでもない人間と付き合っていたということを言われる可能性があるんだぞ」
彼女は大きく首を横に振る。
それはそうだろう。僕なんかと付き合っていることが知れたら堪ったもんじゃないだろうから。
「とりあえず教室に戻ろう」と僕は彼女の横を通りすぎる。
その時彼女が何か小声で言っていたが僕には聞こえなかった。
教室に戻ると僕一人で帰ってきたことが不満だったのかクラスメイト達は少し残念そうな顔をする。
やりにくい。
こんなにもやりにくいことが今まであっただろうか。
僕が席について少しすると梶谷も戻ってきて自分の席に少し急ぎ足で着いた。その際にちらりと僕の方をみる。
僕はこれはまずいと思い彼女から目を反らすように窓の方をみた。
授業のチャイムが鳴り皆がガタガタと自分の席についても視線が肌に纏わり付く感覚は無くならなかった。
放課後。
帰り道をいつものように辿り帰ろうとしていると誰かの視線を感じた。
僕は溜め息をつくといつも曲がらない道を左に曲がりその場で180°回転した。
曲がり角に待機していると梶谷がこちらを覗き目の前にいる僕にびくりと身体を震わせてその場に尻餅をついた。
「わっ!ひゃあ!」
「何してるの」
僕は訝しげな視線を彼女に投げかけた。
彼女は尻を痛そうにさすりながらとぼえるように僕の顔を見て。
「あ、あれれー?道に迷っちゃったー。あはは……」
と言って逃げ出そうとする。
僕は咄嗟に手を掴んで逃げようとする彼女を捕まえた。
「はぁ……部活は」
「今日は休みデス……」
諦めたように肩を落とし僕の方を向く。
彼女が何をしに来たのか咎める必要があるのでとりあえず近くの公園に彼女を連れてベンチに座った。
彼女はまだ痛そうにしているので「脅かしたのは悪かった」と謝ると彼女は苦笑いしながら僕は悪くないと言った。
それから何故僕の後をつけたのかを訊くと黙ってしまった。
「今日の事は、なんだ。僕達が何かしない限りすぐに消えていくんだから気にすることもない」
そう言いながら今の自分の状況を確認した。
「こ、ここはうちの学校の生徒は通らないし、知っているのは多分学校内でも僕だけだから。妙な噂を立てられたりしないから安心してくれ」
それでも彼女が黙ったままなので僕は参ったように頭を掻いた。
「相談しに来たんだよな?でも僕にそれをするのは的外れだし、僕にあまり近寄らない方がいいと思……」
「あ、あの!」
「は、はい!」
急に顔を上げてこちらに大きな声で呼ぶのでつい丁寧に返してしまった。
それから彼女は少し逡巡したあと僕をみて不安そうな顔をした。
「こんなこと訊くのは間違ってるんだけど……浦辺君って私のこと、やっぱり嫌い、なの……かな」
確かに今訊くことではないが、今の僕にその言葉は効いた。
急にあらぬ疑いをかけられた挙句、何故か上目遣いでこちらを見てくるのだ。
心臓がドクンと大きく跳ねる音が聞こえ、自分の彼女に対する好意を再確認した。
「私のこと嫌いだから避けるのかなって……被害妄想強すぎなのかもしれないけど……でも、気になって。嫌なら、いいの。応えなくても」
僕は溜め息をつく。
「ご、ごめん。面倒臭い女だよね、私帰るね……」
「嫌いじゃないよ」
立ち去ろうとする彼女に一言かけると彼女はピタリと止まってこちらを振り向いた。
「え?」
「嫌いじゃないって言ったんだ。三度は言わないぞ」
なにか気恥ずかしい感じがするが僕は彼女を一暼してそう言った。
彼女はストンと腰を落とすと安心したような表情をしたあとじわりと涙を滲ませた。
「お、おい。泣かないでくれ」
「よか、良かった。私てっきり浦辺君に嫌われてるのかと思った」
それにしても自分を嫌っているのか訊くためにここまで来たのかと思うとなかなか
「変わってるな」
と思った。
思わず口に出してしまった言葉に彼女はびくっと反応する。
「僕が嫌いだって言ったらどうするつもりだったんだ」
「そ、その時はきちんと謝ろうと思って……」
彼女は恥ずかしそうに小さな声でそう呟いた。
「でも、本当に良かった。私のこと嫌いだったらきっと噂のせいで凄く傷ついてると思ったから。で、でもやっぱり私となんて嫌なことには変わりないか……」
しょげて肩を落とす。なんでこうマイナス思考なんだろうともう何回目か分からない溜め息をつく。
「僕は嫌じゃないし、君のようななんだ、その、愛らしい女性が相手だと周りの男共も羨むだろう。僕が気にかかるのは逆だ」
「ふぇっ!?あい、あいらし!?」
みるみる内に顔を赤らめる彼女を見て、恥ずかしいのはこっちだと言いたいがぐっと堪える。
「とにかく、君は自分がもっと多くの人に良い方向で認知されていることに気付いたほうがいい。僕なんかと付き合っていると嘘でも知れたら嫌な思いをするのは君だぞ?だからあまり近寄らない方がいいのは君だ、変な噂を広められたくは……」
「別にっ!」
僕の説教を遮るように彼女は大きな声をだす。
それから少し恥ずかしそうに、怒ったように僕の顔をじっと見た。
「私は嫌じゃないよ。あと図々しいかもしれないけど、自分のこと卑下するのはやめて。もっと自分を大切にして欲しいな」
「それ、自分にも言ってやれ」
そう言われて僕は全身がむずむずする感覚を覚えたので紛らすのに少し強めに返した。
むぅ、とぐうの音も出ないというような顔をする彼女に「気を付けて帰れよ」と言って公園を後にした。
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