三十体の偽非概念 (後編)
「ん……」
本物川は薄く目を開けた。
薄暗い空間。見知らぬ天井。
照明の色はオレンジに近いピンクだった。
「気が付いた? 」
すぐ近くで男の声がした。
本物川は身を固くしてそちらを見た。
何かに腰掛けてこちらを伺う人影。
銭谷ケンジだ。
本物川は自分が清潔なベットに寝かされていることに改めて気が付いた。
「ここは……? 」
「四号線沿いのラブホテル。おっと大丈夫。君に手出しはしてない」
「あの場所からどれくらいの距離だ? あれから何時間経った? 」
「ちょっと待って……」
ケンジはスマートフォンを取り出すとひとしきりぽんぽんとその画面を叩き、出た画面を本物川に示した。
「地図アプリによると直線距離で五十二キロ、時間は……午前二時十四分。あれから四時間くらいかな。あのまま一時間半ほど国道を北上してこのホテルに転がり込んだ。君は二時間ちょっと眠ってたんだ」
「すぐここから離れないと……奴らの中に『追跡』の能力の奴がいる。そいつのコンディションにもよるが、遅くとも半日以内にここに……」
起き上がろうとした本物川は小さく呻いて再びベットに体を預けた。
「その体じゃ無理だよ。少し休まないと」
「どうやら……そのようだ」
ケンジは本物川が身を起こすのを手伝い、二人分の枕をその背中と腰に挟んで彼女をそれに寄りかからせた。
そして傍らに置いてあったビニール袋をガサゴソと漁ると、ミネラルウォーターのペットボトルの蓋を一度開け、緩く締めてから本物川に渡した。
「水で良かった? つまり君は……少し変わってるから、飲み物の好みが分からなくて」
「ああ、充分だ。ありがとう」
本物川はその応答が真であることを示すようにペットボトルの水を一口呷って見せた。
それを飲み下すと、彼女はケンジに向き直ってきっぱりと言った。
「さて……まずは助けて貰ったことについて改めてお礼を言いたい。いや、危機を救ってくれたことだけじゃない。休める場所を手配し、飲み物まで用意してくれた。本当にありがとう」
本物川はぺこり、と頭を下げるとそのまま続けた。
「本来なら、かかった代金は返すべきなのだろうが、生憎と私はこの世界の通貨の持ち合わせが……」
「いや! いいよ。頭上げてよ。僕がもっと金持ちなら、替えの服や何か食べ物も買って来たんだけど、最初のコンビニで一万円札投げてお釣り貰わずに出ちゃって……ここのホテル代とこれ買ったら、買えるのは二人分の飲み物くらいで」
ガサゴソとビニール袋を再度漁ったケンジは新品の黄色い柄のカッターナイフを三本取り出した。
「二軒回ったけど、三本しか……余り君を一人のままにもできないし……」
「助かる。力の媒体があるかないかでその威力は大きく変わるから」
本物川はカッターを包みから出すとベットのサイドボードに綺麗に並べた。
「君の名前をまだ聞いていなかったな」
本物川は嘯いた。彼女の中でまだ意識を失っているミノルの知識として、彼が銭谷ケンジであること自体は知っていたからだ。
「ああ、僕は銭谷ケンジ」
「ケンジ。私は休みたい。私の見積もりでは五時間休めば再び奴らと戦えるくらいには回復する。現状、これは最優先事項だ」
「あ、ああ。だろうね。ごめん。どうぞ」
「だが、君は私の命の恩人だ。可能な範囲でその恩に報いたい」
「え?あ……うん。いや! 気にしないでいいよ。僕が好きでやったことだし」
「そこでだ。三つだけ、君の質問に答えようと思う。とんでもない事態に巻き込んだ君への、せめてもの罪滅ぼしに」
「え? 」
「そしてその答えを聴いたら、この部屋を出て、バイクに乗り、来た道とは違う道を通って家に帰るんだ」
「君は……どうするんだ? 」
「その質問が、一つ目、ということでいいのか?」
「ちょっと待って」
「ケンジ。私を見ろ。この腐りかけて爛れた顔を」
本物川は「腐敗」の力にやられてどろどろに爛れた自分の左頬を示した。
暗めの照明に浮かび上がるその生々しさにケンジは改めて息を呑む。
「奴らは危険だ。それぞれが様々な破壊的な能力を自由に行使できる。私はそれにある程度対抗する能力があるからこれで済んでいるが、もしこれを受けたのが君だったら、君は一瞬で腐汁の水溜りになっている。そんな人生の幕切れは君も望んではいないだろう」
「……」
「それに私は醜くなった。この顔の傷は、回復した後も恐らく完全には消えない。服もぼろぼろで皺だらけだ。君から見て私の価値はかなり落ちているはず」
「そんな! そんなことはない‼︎ 」
ケンジは立ち上がって叫んだ。
そのケンジの剣幕に本物川は驚いた。
「確かに一目見た時に君を、君のことを可愛い、美しいと思った。だけどそれはほんのきっかけだ。君の戦う姿や、僕への接し方にこうして間近で改めて触れて、ますますその……この気持ちは、君の顔形や身なり多少変わっても消えたりするものじゃない。そうだ。僕は……僕は君のことが」
「ケンジ」
本物川はケンジの言葉を遮った。
「私と日常的に連れ添うには、君は脆弱すぎる。普段私の身の回りで起きる事柄に鑑みるとな。例えばだ。常日頃ポケットに生玉子を入れて暮らしたいとは思わないだろう。それはポケットにとっても生玉子にとっても不幸なアイデアだ」
「……命がけで身体を鍛えるよ。ゆで玉子くらいには。ゆで玉子なら持って回る人もいる。割れて壊れたら捨ててくれていい。それでも玉子は満足だし、決してポケットを恨んだりしない」
「……見かけによらずハードボイルドだな」
『固ゆでが好みなんだろ……』
本物川の内側でミノルの声が響く。
本物川は内なる声でミノルだけに語り掛ける。
「気がついたかミノル」
『どうやら生きてるみたいだけど、どういう状況? 』
「ここは戦闘があった場所からある程度離れたラブホテル。私への銭谷ケンジの告白を遮って、私が玉子の話をしていた所だ」
『……いや訳わからんわ』
「後で順を追って説明する。ここは私に任せろ」
『頼む……だけど変なことはすんなよ』
「ああ」
「分かった」
本物川はケンジに向き直る。
「この話は機会を改めよう。こうしてる間にも奴らは我々を血眼で探している。申し訳ないが私は一刻も早く休息に入りたい。三つ質問してくれ。なるべく手短に。質問がないなら、私は休む」
「……ごめん」
「謝ることはない」
ケンジは視線を一旦上に向けて考えを纏めると、本物川に質問した。
「奴らは……何者? 」
「端的に言えば異次元人だ。こちらの世界で言う超能力を持った危険な犯罪者」
「君は? 」
「私は奴らを追って来た。同じ異次元から。君たちの世界でいう警察官のような立場の者だ」
「例の連続放火犯も……いや、今のなし」
ケンジは少し俯いて躊躇したような素振りを見せたが、結局、心を決めて最後の質問をした。
「君はたった五時間休んで戦って……奴らに勝てるのか? 」
本物川は即答しなかった。
「……分からない」
「だったら逃げよう。逃げてもっとしっかり休んで、万全の体制で戦えば……」
「ケンジ。それは向こうも同じなんだ」
「は? 」
「こちらの世界に逃亡した重隔離偽非概念……いや、異次元犯罪者は四十二体。私は今迄にその内の十八体を無意味化した。残る二十四体の内の、まだ恐らく十体以上が今回の戦いに加わっている。確かに多対一の状況や私のコンディションが万全でない今はピンチではある。だが、だからこそ奴らは散り散りに逃げ出さずに纏まって私を追っている。つまり同時にこれらを纏めて無意味化するチャンスでもあるんだ」
本物川は一度言葉を切って一つ大きく息を吐いた。
「戦いは今日のこの一戦で終わりではない。事態が長期化すれば、奴らの私に対する情報の収集も進み、より高度な対抗策を練られ、その分私は戦い辛くなる。それぞれが私を狙いながらも、ばらばらにこちらの社会に潜伏されたりすれば圧倒的に不利になる。長い目でみれば、単に数を頼んで襲って来ている今に私にとっての勝機があるのだ」
「僕に何か……できることは? 」
「その質問は四つ目だ。銭谷ケンジ」
本物川は微笑んだ。
「君はいい奴だ、ケンジ。私はこれから五時間眠る。五時間後、君と一緒にこのラブホテルを出て更に北上して街から遠ざかる。他の人間がいれば私は力を削がれるが、奴らはそんなことを気にしないからだ。君も眠っておけ。命懸けの場面があるかもしれない」
それだけを言うと本物川はベッドに横たわって目を閉じた。
途端に彼女全体を白い光の繭が包んだ。
ケンジは一旦その輝く繭に手を伸ばしたが、その指先が光の領域に触れるか触れないかの手前で、ふ、と息を吐いてその手を引っ込めた。
「それにしても」
一人ラブホテルの部屋に残されたケンジは今夜の自分の寝床になる固そうなスツールを振り返った。
「なんて夢のない寝姿だ」
ケンジは改めて深く溜息を吐いた。
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「ケンジ……ケンジ! 」
自分を呼ぶ声に目を覚ましたケンジはすぐ目の前に自分を揺するツインテールの美しい少女を認めた。
その顔の傷は塞がってはいたが、腐敗の影響を受けていた部分は他の肌より青白く模様を成していた。
「ん、おはよう」
「身支度しろ。奴らが来る」
「え⁉︎ マジ⁉︎ 今何時⁉︎ 」
「六時前だ」
「力は? 」
「予定通りではないがそうも言っていられない。すぐ出るぞ。バイクを貸してくれ」
言いながら本物川は既に部屋を出ようとしている。ケンジはベッドのサイドボードに視線を走らせたが、そこに並んでいたカッターは無かった。
「ちょ、待って! 免許あんの? 」
「免許はない。だが運転は可能だ。急げ」
まだ暗い明け方の冷たい空気。一階の薄暗い駐車場の片隅に停められていたケンジの原付に彼が駆け寄りキーを挿そうとする。
「待て、その必要はない」
「え? なんで? 」
本物川はケンジを後ろに下がらせると黄色の柄のカッターを取り出し原付の上にかざした。
本物川が手を離すとそれは少しの間空中にとどまり、その後ゆっくりと下降して原付の座席に吸い込まれた。
次の瞬間、原付の周囲が ふ、と暗くなった。
途端に原付はぐにゃぐにゃとその姿を変えハンドルとシフトペダルの付いた巨大なカッターのような何かになった。よく見ると、それは少しだけ宙に浮いていた。
啞然とする彼を尻目に本物川はそれに跨ってハンドルを握った。
「乗れ。急げ! 」
「え! あ、はい! 」
どかん、と駐車場の壁に大きな穴が開いた。
その穴から機械仕掛けのハンマー状の腕のロボットのような怪人がのそり、と姿を現す。
「なんだあれ⁉︎ 」
「『破砕』だ。あれに捕まるわけにはいかない。出すぞ。落ちても拾いには戻らない。死ぬ気で掴まれ、固ゆで玉子」
「わ、分かった! 」
ぷん、と糸が切れるような音を立ててカッター型の飛行バイクは発進した。
四車線の暗い道路には他に車の通りはない。
広い道に出た本物川はアクセルを吹かして加速する。
形は巨大なカッターだが、どうやらその運転の仕方は元になった原付バイクに準拠しているらしかった。
「まるで道を切るカッターだな」
本物川のしまったウエストに必死でしがみ付きなが、ケンジはぼそり、と感想を漏らした。前を向いて運転しながら、本物川が応えた。
「ロードカッターか。そのネーミングは採用だ。スピードを出す。高速に乗るぞ。しっかり掴まれ」
山あいの高速道路を北に向かって疾駆する二人を乗せた黄色い浮揚バイク。
その後ろから、たたたたたた、と何かの足音が高速で接近してくる。
ケンジが何事かと振り返って確認すれば、それは軽自動車ほどもある巨大な狼だった。いや、よく見ればその眼に当たる部分は三つの大きさの違う機械的なレンズ状のパーツで構成されていて、ケンジが見ている前で、かしゃり、と回転して一番大きいレンズが一番上に来た。そしてケンジにピントを合わせるように、ちー、と焦点距離を変えた。
「『追跡』だ。ここで倒す。マシンを振るぞ。落ちるなよ」
本物川の言葉にケンジは前に向き直りしっかりと彼女の体に掴まり直す。
本物川は高速で「追跡」と併走しつつ、すー、とロードカッターを「追跡」に寄せた。「追跡」もそれに気付き、走りながらその口を大きく開け首を振り立て、その牙に本物川を捉えようと噛みついて来た。
その瞬間、ロードカッターが、ばうん、と跳ねた。
「くうんっっ!!! 」
叫ぶのを堪えたケンジの鼻から妙な息が漏れる。
世界がぐるり、と回転した。
「追跡」の牙撃を躱しつつ空中で八の字を描いた浮揚バイクは「追跡」の真後ろを取った。本物川がアクセルを全開にする。ぐん、とスピードを増したロードカッターはそのまま前を走る「追跡」の尾の付け根にテーブルの天板ほどの大きさに巨大に具現化されたカッターの刃を突き立てた。
ぎゃうん、と犬のような鳴き声が「追跡」から上がった。
受けたダメージとその痛みからか走行速度を保てなくなった「追跡」は、ロードカッターの刃と高速で後方に流れ去るアスファルトとの間に引き摺りこまれるように切り裂かれながら通り過ぎて行った。
「……十六」
本物川がそう倒した敵をカウントした直後。
ずむん、と地響きを立ててロードカッターの直後の道路がドーム型に凹んだ。
煽りをくったロードカッターはバランスを崩しかけて蛇行する。
その右に、左に、マシンを丸々叩き潰すほどの大きさの見えない力が、道路に次々と凹みを穿つ。
「上だ! 本物川! 」
ケンジが叫ぶ。
肩越しにちらりと振り返る本物川。
「『飛翔』と『重圧』……」
東から明るくなり始めた瑠璃色の空を黒々と遮る巨大な翼。その翼からぶら下がる巨漢のシルエットの口元が赤々と亀裂のような笑みを浮かべた。
朝もやを切り裂くように疾走する本物川たちの乗るロードカッターの上の空間が次々とレンズのように歪む。
寸暇も置かずにそれらは巨大な質量を持った空気の槌となって彼女たちを叩き潰さんと振り下ろされる。
加速や急減速、フェイントを織り交ぜた細かい進路変更を駆使してぎりぎりの所でそれらを回避する本物川。幾つもの地響きと砕けたアスファルトとが、彼女が走り去る後に残される。
そして明け方の道路を滑るように走るその浮揚バイクは、一直線に山の尾根を貫くトンネルに進入した。
「重圧」をその足で捉えて吊り下げたまま空を舞う「飛翔」はその羽ばたきを一層せわしくし、トンネルの出口に先回りしようと試みた。それを察した「重圧」が、力を蓄えて重力レンズによる攻撃に備える。
待ち伏せを警戒してか、入った時よりも高速でトンネルを飛び出すロードカッター。はためくツインテールが、少女の背中にしがみついて振り向く青年の恐怖に見開かれた目が、はっきり見て取れる距離まで「飛翔」は距離を詰めた。
ズシン!
必殺のタイミングで「重圧」が重力レンズを叩きつける。
そしてそれは、躱そうと斜めに移動しかけた黄色い浮揚バイクを丸ごと効力圏内に収め、問答無用の圧力で一気に押しつぶした。
飛び散る機械の破片。水っぽい音を立てて弾ける二人分の人肉の飛沫。
勝利を確信した「重圧」の視界を、舞い踊る黒い羽毛が埋めた。
次の瞬間、「飛翔」はそのバランスを完全に失い、錐揉みに回転しながら真っ逆さまに落下し始めた。「重圧」の視野を、鋭角に切断されたその片方の翼が回転しながら通り過ぎていく。
怪鳥の背中に突き立つ刃が、昇り始めた朝日を反射してぎらりと輝く。
攻撃を受けたのだ、と「重圧」が理解した瞬間、カッターの意匠を色濃く残す巨大な刀が、何者かの意思に操られて下方に飛んだ。
それを目で追った「重圧」は見た。
下方から誰かが自分目掛けて跳躍し急速に接近しつつあるのを。
その誰かが、ツインテールの美しい少女であるのを。
その少女の細く白い手が、不釣り合いな巨大な刀の柄をしっかりと捉えるのを。
やったのは「複製」か……!
「重圧」が重力レンズを形成する為に焦点を定めようとしたその時、その体は空中で縦に二つに割れた。
もう一閃、輝きの直線が割れた体を横薙ぎに絶つ。
一瞬前まで「重圧」だった四つの破片は、回転しながら羽毛を撒き散らす黒い塊と共に、道路とその脇の森林な落下して行った。
「……十八」
山の稜線から顔を覗かせた太陽の眩しい光に目を細めながら、本物川は倒した敵の数を数えた。
---------------
「良かった。無事だったか」
トンネルの中で黄色い浮揚バイクに跨って本物川を待っていたケンジは、大きな剣を担いで戻ってきた彼女を見てそう呟いた。
「奴らは? 」
「飛んでいた二体は倒した。君はここまででいい」
本物川がバイクに手をかざすと、浮揚バイクはまたぐにゃりと形を歪めて、見る間に元の原付バイクに戻った。
ハンドルの辺りから飛び出したカッターが、彼女の手に収まる。
「ここから離れろ。引き返すんだ」
「ここまで来たんだ。最後まで付き合うよ」
本物川は目を伏せて首を横に振る。
「君のお陰で私が今回最も倒したかった『追跡』と『飛翔』を倒す事が出来た。これでここから先は、危なくなれば逃げ出すことも可能だ」
「でも……」
「君が人質に取られたら私の負けだ。その後に確実に君も殺される」
「……」
「認めるよ。銭谷ケンジ。私は君を過小評価していたようだ。生玉子だなんて言って悪かった。君は充分にハードボイルド。男の中の男だ」
「……約束してくれ。無茶はしない。危なくなったら必ず逃げる、と」
「約束しよう。私はその辺りは合理主義者だからな」
「また会えるか? 」
「奴らは君の街……星ヶ谷を侵略の橋頭堡に選んだ。私の活動圏は君の生活圏と重なるだろう。どこかでまた会える可能性は高い。だが君が死んだら二度と再び絶対に会えない。君も約束しろ。私に会いたいが為に、危険に自分から近づいたりしない、と」
「分かった。約束する。指切りだ」
「指切り……? 」
本物川はミノルの記憶を検索する。
「ああ。約束を印象付けて忘れないようにする為の手遊びか。いいだろう」
二人は朝日の差し込み始めたトンネルの中で小指を絡めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます。指切った」
「無事でな、本物川」
「君も。銭谷ケンジ」
本物川はケンジに微笑むと、くるりと踵を返し、トンネルの口から差し込む朝の眩しい日差しの中に駆け出して行った。
ケンジはバイクをUターンさせる。
トンネルの逆の出口側はまだ暗い。
彼はきっかり二秒の間、完全に動きを止め、そして何かを振り切るように、まだ夜の空気を漂わせる出口へと、原付バイクのアクセルを吹かした。
---------------
『あと何体だ? 』
朝焼けを跳ね返して輝くアスファルト。国道をひた走る本物川の中で、事の成り行きを見守っていたミノルはそう本物川に問い掛けた。
「探査範囲では十二だな。今回は恐らくそれで全部だ」
『本物川』
「なんだ? 」
『ありがとうな、その……銭谷を上手く帰らせてくれて』
「優しいな、ミノル」
『なんだよ急に』
「何故そんなにも他者の危険やストレスが気になるのか。君は奴ら……偽非概念すら、なんとか無意味化せずに対処できないか、と考えている」
『そんなことねえよ』
「じゃあ無意識なんだな。心の底でそう思っているんだ。実はその君の優しさは、私が力を振るう枷になっているんだが、不思議と君に、それをやめろと言う気にはなれない。君や、あの銭谷ケンジ。よくもまあ……こんな利他的な精神構造が醸成されたものだ」
『お人好し過ぎる、って言いたいのか? 』
「純粋に感動しているんだ。そんな君だから、私は引き寄せられたのかも知れない」
ミノルは何故かやたらに気恥ずかしくなって、違う話題を振った。
『作戦はあるのか? まだ十二対一だぞ』
「相手次第だ。さっきから何かの作用で、十一体それぞれがなんの概念か分からないんだ」
『それも敵の能力? 』
「恐らく。『撹乱』かも知れない」
『こっちは十八体分の新しい概念能力を得てるんだ。楽勝、じゃないのか? 』
「今回改めて分かったんだが、複数の概念の並列励起は消耗が極めて激しい。今の私は休息が不充分で物理干渉力のストックが乏しいから、使用するのはなるべく単一の概念にする。最悪でも同時に使う概念は二つまでに抑えたい。そうでもしないと、残り十二体とはとてもじゃないが戦いきれない」
『逃げる力は残しといてくれよ』
「君の体だ。大事にするさ」
『よく言うぜ』
「……来たぞ。十九体目。こいつは--」
本物川は山あいの国道を斜めに横切るように駆け、崖淵のガードレールを飛び越えると虚空に身を踊らせる。それを追うように地を這う影が宙に舞った。空中で本物川は身を翻し、その敵を迎え撃とうと斬概念刀を構えた。
敵の手刀を受け止める斬概念刀。
だがそれは敵に触れた箇所からみるみる赤く錆び、強度を失ってボロボロと崩れ始めた。浸食は本物川の握るグリップの近くまで及び、彼女はそれを投棄した。カッター意匠の巨大な刀は眼下の森林に吸い込まれるように落ちてゆく。
「--『腐敗』だ」
二本目のカッターを取り出しながら、本物川はやたらと乾く唇を少しだけ舐めた。
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ぶくぶくと泡だつ地面の泥濘は、「撹乱」だったもののなれの果てだ。
「これで……二十一」
国道から外れた森の中。本物川はまた倒した敵の数をカウントし、新たな敵を求めて駆け出した。
『力のストックは?』
ミノルは本物川の戦いの為の余力を尋ねた。
「残りはあと九体。斬撃と移動系の概念に絞って戦えば、充分戦える」
『残ってる奴の概念の種類は? 』
「遭遇した中で倒していないのは『凍結』と『粘着』。あとの七体は……」
『虚弱とか減塩とか、なんか情けない奴だといいんだけど』
森を駆けながら本物川は概念を探知する知覚の波紋を周囲に拡げる。
「どうやら一体は『再生』、だ。あと六体は纏まって近くにいるらしく、反応が干渉してよく分からないな」
『再生? 』
「奴らの回復役だろう。どうりで追っ手の足が速い筈だ。去り際に与えたダメージも『再生』に回復させられてしまっていたんだ」
『じゃあそいつから倒さないと』
「いや。恐らく『再生』の概念行使には一定の時間が掛かる。でなければ前の戦闘中に傷付いた仲間を次々再生させながら私を追い詰めた筈。『再生』は後回しにして実効戦闘力の高い奴を優先する。そして一体一体を確実に倒す」
『無理するなよ』
「その概念は身につけていない」
森が開けた。
現れた登山道に沿って、本物川は風のように駆ける。
折からの強い風に乗って来た雲が空を覆い、昇った筈の朝日は隠されてまだ周囲は薄暗い。
ぽつ、と本物川の顔に水滴が当たる。
「雨、か……」
彼女は斬概念刀を握る手に、少し力を込めた。
---------------
目の前に大きな橋が見えて来た。
雲は更にその厚さを増し、ぱらぱらと小雨が降り始めている。
本物川はその橋の手前の広場のようになった場所の真ん中で立ち止まった。
周囲を油断なく伺う彼女。
その眼前に、タキシードを着てシルクハットを被った場違いな男が現れた。
「お見事。いやーお見事」
手入れの行き届いた髭を何かの油で撫でつけた口元をわざとらしいくらいに動かして、その男は朗らかに話し掛けて来る。
「おっと。それはお待ちになられた方がいい」
本物川が一足飛びに斬り捨てようと、じりっ、と足元を踏み締めた瞬間、男がそう言って彼女の動きを制した。
「本日のゲストをご紹介しましょう」
芝居がかった仕草で男が差し伸べた手の先から人の身の丈ほどもある巨大な拳が姿を現す。
その拳は、何かを握っていた。
本物川は目を見開いた。
「銭谷ケンジ……! 」
「すまない、本物川。ううっ……」
拳はケンジを捕らえたままゆらゆらと空中を移動すると、タキシードの男の傍らに控えた。
「彼は『捕縛』。その中の彼は、もうご存知ですね」
タキシードの男はどこからともなく取り出したステッキを手元でくるくると回すと、楽しそうに言った。
「自己紹介が遅れました。私は此度のゲームを取り仕切らせて頂いております」
ぱし、とステッキの回転を止め、シルクハットの鍔を少し持ち上げながらその男は名乗った。
「『統率』、と申します。さてでは早速--」
「統率」の背後にわらわらと不気味な異形の影が浮かび上がる。
「ゲームを始めましょうか」
雨はやがて本降りに変わり、激しく朝の森を叩いて、辺り一面に白い水煙を立てた。
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「とは言っても、あなたにして頂くことは殆どないんですよ。これは我々の為のゲームでね」
降りしきる雨の中、どの怪人も一様にニヤニヤと笑っていた。
「まずはあなたには動かないで頂きたい」
「とうにそうしている。銭谷ケンジを離せ」
「武器も、捨てて頂きましょう」
どちゃ、と重い音を立てて水溜りの水を跳ね飛ばしながら巨大な斬概念刀が地面を叩く。途端にそれは泥水の中で小さな元のカッターに戻った。
「次は? 服でも脱ぐか? 」
「ご安心を。それはこちらで取り計います」
本物川の足元がびしり、と音を立てて凍りつく。
氷は降る雨を次々に取り込みながらその膝上までを覆い、白い冷気を放ちながら凍結させた。
「くっ……」
「ダメだ! 本物川! 僕に構うな! 畜生、離せ!!! 」
ケンジの悲痛な叫びが辺りに響く。
「統率」はより愉快そうに言った。
「ゲェェムのルールを、説明しましょう! 」
透明な粘液質の体の怪人「粘着」が、捻れるように細く長く伸びる。そいつはびしょ濡れで立ち尽くす本物川の右手に、ひゅる、と巻きつくと反対の端を数本の立木を経由して、彼女の左手に幾重にも巻き付けた。そしてそのまま長さを縮め、ツインテールのゴスロリ少女を広場の真ん中に磔にした。
本物川は一瞬それに抗おうとした。
しかしその様子を察した「捕縛」が橋の上に移動し、ケンジを掴んだままの拳を空中に差し出すと、彼女はその力を抜いた。
「ルールは簡単です。誰が初めにあなたに苦痛の悲鳴を……」
「統率」は豪雨を全く意に介さない様子で愉快そうに本物川に近づくと、いきなりその頬を張った。
彼女は、きっ、と「統率」を睨んだ。その口元から、一筋血が滲んだが、それはすぐに彼女の顔を洗い続ける雨に溶けて消えた。
「……上げさせるか? 」
「統率」は満足気に頷いた。
「そして誰が初めにあなたに快楽の嬌声を……」
言いながら「統率」は、わし、と本物川の左の乳房を掴んだ。
「……上げさせるかァ? 」
紳士の風体だからこそ余計に、その笑みの品の無さは際立った。
本物川は何も言わず、そんな「統率」を侮蔑を込めた眼で睨んだだけだった。
「やめろォォォ!!! 」
叫んだのはケンジだった。
「本物川! すまない、頼む! 戦ってくれ! こいつらと! 僕は! ……僕は! 」
「いけない! やめろケンジ! 」
ケンジが何をする気か察した本物川はそれを制止しようと叫んだ。
ケンジは食いちぎるような勢いで「捕縛」の指に噛み付いた。びくり、となって一瞬緩む「捕縛」の拳。ケンジはその一瞬で飛び出すように逃れ、
「お前が好きだ。本物川」
それだけ言うと、雨の峡谷に身を踊らせた。
「ケンジーーーーッッッ!!! 」
本物川の絶叫が木霊する。
「ひゃははははははははははははははっっっっ……」
その木霊に、「統率」の下卑た笑いが重なった。
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「これは面白い。『彼』が逃走先にこの世界を選んだのは本当に英断でした。この具象世界! そしてここに生きる人間! それが演じる喜劇! それが生み出す笑いはまさに……」
言い掛けた「統率」の顔が、くの字にひしゃげた。
そのまま「統率」は凄い勢いで回転しながら左の茂みに飛ばされて行った。
ぎゃぁぁぁ、と叫んだのは体を千切られたロープ状の粘液怪人「粘着」だ。「粘着」はバネのように螺旋に縮れながら水浸しの地面を飛沫を立てながらのたうった。
本物川が「統率」の台詞を遮って、「粘着」による拘束を引き千切りながらエセ紳士を殴ったのだ。降りしきる雨に張り付いた彼女の髪の毛でその表情は伺いしれないが、唇は真一文字に結ばれていた。
その彼女の周囲に異変が起きた。
ちゅんちゅん、と細かな音が幾つも立つと、本物川が白い蒸気を纏ったのだ。
見ると彼女にかかる雨粒が、白い蒸気を上げながら彼女やその服の表面を雨滴の形を保ったまま滑り落ちてゆく。彼女の体の温度が急速に、異常に、ライデンフロスト効果を起こす程に上昇しているのだ。
きゅう、という音の後に、ばきん、と音を立てて本物川の膝上までを覆っていた氷にヒビが入った。
ぎやあ、と今度は「凍結」が悲鳴を上げた。人の形を取り戻そうとした「凍結」の首を無造作に掴んだ本物川はそのまま「凍結」を吊り上げる。
本物川が力を込めると、その体は瞬く間に燃え上がる。
「凍結」は体を痙攣させたが、やがて跡形もなく溶け去り、もうもうと立ち込める蒸気に変わって、降りしきる雨に消えた。
「やってくれましたねェ! 本物川! 」
左の頬を押さえながら「統率」が戻って来た。
「捕縛!破砕!踏破!跳躍!そして合体!……行きますよ!!!」
残った偽非概念の内の六体が集まる。
奴らは「合体」を中心に文字どおり合体すると、身の丈十メートルを超える巨人と化した。
「統率」を頭とする「合体」の体には「破砕」と「捕縛」の腕が生え、それらを「踏破」と「跳躍」の足が支えていた。
「けけけけけ! おののくがいい本物川!これぞ究極の合体概念!コンセプテ・ラ・シス!!! 」
異様な体躯の巨大な人型は、両手を雨の空に掲げてそう宣言すると、高らかに笑った。
『本物川……俺は……俺は奴を許せない。初めてだ。誰かをこんなに……憎むのは』
本物川の中でミノルは、友人を連救えなかった無力感に打ちのめされていた。
「分かっている。ミノル。私も同じ気持ちだ」
『だが奴は……勝てるか? 』
「君の心のリミッターは今、全て外れた。奴を倒す。その一点で、我々二人は今までになく完璧に同期している。私の概念の行使の妨げとなるものはもはや何もない。今の我々は言わば--」
雨滴は既に、本物川の体や髪に到達さえできなくなっていた。彼女が纏う熱が、空中で無数の雨滴を片っ端から蒸気へと変え、辺りには濃い霧が立ち込め初めていた。
その中心で本物川は黄色く輝いた。
そして彼女の体は、ぼっ、と音を立てて真っ赤な炎を吹き上げた。
「--スーパー本物川だ」
---------------
「ゲェェムオォォバァァァです本物川ァァァァ! 」
右腕になった「破砕」の力が唸りを上げて本物川に迫る。
本物川はその拳の側面を平手で、ぱん、と叩いた。
それた破砕の拳は地面を撃ち、地響きとともに、水と泥の巨大なミルククラウンを創出する。
地面に刺さった「破砕」の腕はしかし黒ずんでプリンのように崩れ去った。
「腐敗」の力だ。
苦痛の呻きを上げながら、概念の巨人は左腕で本物川を「捕縛」しようとする。
その迫る腕に手を付いて、それを支点にとんぼを切った本物川は巨人の左肩に着地する。
その時には既に、巨人の左手は氷河のように凍て付いて微動だにしなくなっていた。
「凍結」の力だ。
本物川が軽く握った拳の甲で、こん、と叩くとその腕型の氷河は粉々に砕けて辺り一帯に散らばった。
「なっ……なにィィィィ!?!? 」
狼狽した「統率」は本物川を見失った。キョロキョロと見回す内、自らの両脚に違和感を感じた。小さな柔らかい何かが両足同時に、つ、と触れたのだ。途端に両脚は黒い粘液となって、どろりと溶けて広がった。
「溶解」の力だ。
胴体の「合体」と頭の「統率」は四肢を失い、なす術なく地に伏した。
いつの間にか、雨は小降りになっている。
「バ……馬鹿な……! この私が……! この……私が……! 」
泥溜まりに顔を伏せる「統率」のすぐ側に、ヒールの付いた赤いメリージェーンシューズが水を跳ねた。
「ま、待て! あの人質のことは悪かった! まさか飛び降りるとは思わなかったんだ! 下は川だ! 今行けばまだ助かるかも知れないぞ! 」
「統率」の言葉を無視した本物川は少し腰を落とす。
そして右の拳を、すう、と引いた。
「許してくれ! もう人間に悪さはしない! 頼む! 残りの概念の連中の情報も教える! だから……なっ? 許すよなっ? 許しテェェェェッッ!!! 」
本物川の拳が、きぃぃん、と澄んだ音を立てる。彼女は今まで得た攻撃的な概念の全てを、その拳に並列励起させていた。
「答えはこれだ」
本物川の拳が何色もの色彩で強く、複雑に煌めく。
「ヒィィィィィィッッ!? 」
周囲から一切の音が消える。
煌めく拳は光の矢となって四肢を失った巨人の頭部から末端までを綺麗に貫いた。
巨人は燃え、凍り、振動し、潰れ、溶け、捻れ、裂け、砕け、散り散りに
爆発して、欠片すら微塵も残らなかった。
世界に、音が戻った。
「……重積概念パンチ」
本物川はそう呟くと、左手で顔に張り付く前髪を払った。
雨はすっかり上がり、辺りには朝の爽やかな陽射しが降り注いでいた。
---------------
本物川は橋から身を乗り出すと、ケンジが落ちた先を覗き込んだ。
五階建てのビルほどの高さを経て、さっき「統率」が言った通り、確かに谷底には川が流れていた。ケンジの姿はどこにも見えない。
「ケンジを探す。下に行くぞ」
『ああ』
「そのネセサリはありまセーン」
橋の向こう側に現れたのは、デニムの上下の背の高い白人青年だった。
「お探しなのはこのボーイでショウ? 」
その白人青年の腕に、気を失った銭谷ケンジが抱かれている。
「ケンジ! 」
本物川は駆け寄ると、その無事を確かめた。
白人青年は舗装された橋の上に、ゆっくりとケンジを横たえた。
『様子は? 』
「無事だ。どうやら無傷みたいだな」
本物川は白人青年に向き直った。
「ありがとう。君が助けてくれたのか?」
「助けた? 落ちてきたものを受けとめただけデース」
答えた青年はヒラヒラと手を振ると立ち去ろうとする。
「待て」
青年は立ち止まる。だが、振り返りはしなかった。
「君。名は? 」
「……名。ネームですか。そう言えば、まだ決めてまセーン」
青年は再び歩き出すと、橋の向こうに去って行った。
『……変な外人だな』
「……」
『どうした? 本物川』
「……いや。なんでもない」
「う……」
「ケンジ。気が付いたか」
「うわぁっ! ああっ! 」
「大丈夫! 大丈夫だケンジ」
「ああっ……本物川。無事……無事だったのか」
「ああ、お陰で全て片が付いた。どうやら一体だけは逃げられてしまったようだが。バイクをどこに置いて来た? そこまで送る」
「良かった。君が無事で。すまない本物川。迷惑を掛けて」
「全く君は。私がやめろと言うことばかり実行に移す。困った奴だ」
「悪かったよ。ただ……もう場面場面で必死で。本当に、すまない」
「罪には罰が必要だ。目を瞑れ」
ケンジは固く目を閉じた。
本物川はその襟首を雑に掴むと、ケンジを引き起こし、そのまま強引にキスをした。
---------------
真っ暗な室内に、大きな三枚のモニターだけが煌々と輝いていた。
正面のモニターは一回り大きく、その左右に、少し小さなモニターが一枚ずつ並ぶ。
中央のモニターにはかなり乱れた画像が映っている。黄色いボディーの細長い乗り物に、二人の人物が乗っているようだが、判然としない。
「今で何倍だ? 」
男の声が尋ねる。
「二十四倍ですね。更に拡大しますか? 」
若い男の声が答える。
「いや。逆だ。二十倍にしてコントラストを強くしてみてくれ」
中央モニターの画像に変化があり、陰影が強調されて形が少しだけ分かりやすくなった。しかし、走行中を固定カメラで捉えた画像のようで、そもそもの被写体がブレているらしく、そこまで鮮明な像にはならなかった。
「……何だと思う? 」
問う男の声。今度は若い女の声が答えた。
「乗り物、ですよね。ほら、ここ、人が二人乗りしてるように見えます。でも、バイクではない」
「タイヤがないように見えるんですよねー。つまり、宙に浮いてる」
若い男の声が続けた。
どうやら男が上司で若い男女はその部下であるらしかった。
男の声が更に質問する。
「そんな乗り物に心当たりはあるか? 」
「映画やPVではありますが。スターウォーズのスピーダーバイクとか」
映画を引き合いに出したのは若い男だ。
「冷戦時代に米軍が『エアジープ』という一人乗りの飛行偵察機を開発していた、と聞いたことがあります。騒音と舞い立つ粉塵が凄くて隠密性に欠け、横風や地形効果で機体制御が不能になる問題点を解決できずに開発は中止になったそうですが」
「飛行はローターで? 」
「はい。画像を出します」
向かって右のモニターに、前後に巨大なローターを配した全長十メーターくらいの乗り物の白黒画像が映る。
「似てないな」
「ですね。一応スピーダーバイクの画像も出します」
向かって左の画面にSF映画の登場ガジェットである反重力バイクの画像が映る。
「どちらかと言うとこちらの方が似てるが、別物だな。ま、当然と言えば当然だが。曹長、二枚目の画像を」
中央モニターの画像が変わる。
歪んで凹んだヒビだらけのアスファルト路面の映像だ。
「こりゃあ……」
「爆発物による損傷じゃなさそうですね。燃焼痕がない。何かこう……重たいものを叩き付けたような」
「……ふむ。公安からの事前資料は以上か?」
「はい」
「二曹、公安の担当官に追加資料を請求だ。連中、こっちの足元を見て出し惜しみしてる」
「了解」
「曹長、二曹を伴って実地調査を命ずる。可能な限り早急に。計画を立て、必要な装備を見積もってこちらに送れ。ベタ打ちでいい。ヒトナナまでに」
「そんなに掛かりませんよ。一次案はヒトサンまでに。『小石』は連れだしても? 」
「許可する。出払ってる間のこちらのことは心配するな。必要な対外手続きはこちらでやる」
「お願いします。今回『スサノオ』は? 」
「現段階では公道に出す許可が下りないな。何より目立ち過ぎる。まずは民間を偽装する形で装備や車両を見積もれ。多少予算が掛かってもいい。九ミリの携行は許可する。二曹も『タマモ』のアンダースーツは装備してゆけ。事態がそれ以上になりそうなら、迷わず撤退していい。こちらの命令を待たずにな」
「了解」
「了解」
そう命じた男は自分の端末を短く操作する。
中央モニターの画像が黄色い未確認物体の動画に戻った。
主幹道路に設置されたNシステムと呼ばれる自動撮影装置から抜粋した2秒に満たない動画。
それがリピートで流れ始める。
「さて諸君……情報自衛隊の非公然調査班、我々『備品管理部別室』の能力が試される時だ」
たん、とキーを叩く音。
バイクに乗る二人組みのブレた画像で画面が止まる。
「……こいつらを丸裸にするぞ」
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