蠱惑 (前編)

 眼前には薄暗い教室程のスペース。

 正面は大きなプロジェクター式のモニター。中央の大きなモニターを挟んで、一回り小さなモニターが左右対称に配されている。

 床は三段になっていて、奥に行くほど低くくなっていた。

 モニターを見据える向きのデスクが三つ。

下から二段目の左右に一つずつと、最上段中央に一つ。デスクそれぞれに3モニターのPC一式。下段のデスクには女性と男性のオペレーターが付いて流れるデータをモニターしている。

 左手はスチールの壁で、最下段に接する面に手元を隠すカバー付きのロックが設置されたドアがある。

右手は上下に隙間のあるパーテーションで、最下段に接する面からウォークスルーになっていた。ロッカールームか給湯室のような雰囲気だ。或いはその両方かも知れない。


「ようこそ。備品管理部別室へ」

「お世話になります。内閣調査室、調査班長の堀川です」

「室長の加藤三尉です」

 無帽時の室内敬礼で出迎えた加藤と名乗った背の高い優男は微笑を浮かべていたが、眼は笑っておらず、どこか油断のならない空気を纏っていた。伸びた背筋で内勤の濃紺の制服を綺麗に着こなし、若き指揮官を絵に描いたような人物だった。

 着座していた部下の二人も手を止め、立ち上がって来客に対して室内敬礼する。

 対して堀川と名乗った男は中年のサラリーマンと言った様相で、中肉中背の身体をくたびれたスーツに押し込めるように包み、禿げ上がった頭は油でテカテカだった。しかしよく見ればその肉体は贅肉ではなくレスラーのような筋肉で、笑った形に細められた糸目の奥には、相手を値踏みするように海千山千の調査官の眼光が鈍く輝いていた。


「早速ですが堀川班長」

「はい」

「あなたは誰です? 」

 振り向くと入り口のドアの前には、加藤の部下の小柄な女が回り込み、堀川と名乗った男の退路を断っていた。加藤は続けた。

「内閣調査室に堀川という人物は存在しない」

 加藤の部下の若い男が補足する。

「内閣府で働く人間には堀川という人物は二人いました。一人は迎賓館勤務の女性で、一人は出入りの清掃業者の五十二歳の男性です」

「部署が部署だ。仲間にすら偽名を名乗ることもあるでしょう。しかしこちらにも、扱う情報を守秘する責任がある。種明かしをして頂けませんか」

 加藤が言い終わるか終わらないかの内に、男は電光のように動いた。ドアに立ち塞がっていた小柄な女自衛官の手を後ろ手に捻ると、その首から頭に向けて拳銃を突き付ける。女は苦痛に小さく息を漏らした。男は言った。

「動かないで頂こう」

 加藤は溜息を吐いて、短く命じた。

「殺すな」

「そちらの出方次第だ。加藤三……」

 尉、と言い終える前に、ぐわっ、と男の視界が回転した。背中が壁に激しく当たる。いや、それは一瞬前まで自分が立っていた床だった。何が起きたのか分からない。男は誰かに組み伏せられ、右腕は完全に極められ、肩の関節が軋みを上げている。持っていた拳銃はどこかにすっ飛んだ。

「二曹に言ったんです」

「そんな野蛮なことしませんよ」

 二曹と呼ばれた女は堀川を名乗った男の腕を極めながら器用に男の重心とアクションの出だしを完全に抑え込み、男は文字通り身動き一つ出来なかった。加藤の部下の男性自衛官が拳銃を拾い上げ、加藤の隣でその拳銃を組み敷かれた男に向けた。

「こちらの身元は調査済みでしょうが一応紹介しておきましょう。仲本二曹です」

「どうも」

 女自衛官は組み敷いた男に対してにっこりと微笑み掛けた。

「こっちは志村曹長」

「チィース」

 若い男の部下は慣れた手つきで銃のスライドを引いて装弾を確認すると、西部のガンマンがするようにクルクルと手元で銃を回し、堀川と名乗った男の額にピタリと照準した。

「曹長。挨拶はちゃんとしろ。それから銃で遊ぶな」

「以後、留意します」

「さて--こちらの紹介は終わりました。改めて訊きましょう」

 加藤は当初と変わらぬ調子で尋ねた。

「あなたは誰です? 」




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 彼女は、死にたいと思った、

 

 絶望と渇望の狭間で


 咽び泣き、蹲っていれば、身体がやがて死んでくれるのではないか。


 カーテンを閉め切った部屋。仄かに臭う腐敗したカレーの臭い。


 混濁し朦朧とした意識の中、眼を瞑ったままで彼女は光を知覚した。


 それは、死以外のなにかだった。

 

 

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 『どう? 何か見つかりそう? オクレ』

 「いえ。今のところ画像で見た以上のものは。これから個別の破損箇所の調査に入ります。オワリ」


 情報自衛隊の非公然調査部「備品管理部別室」所属の女性自衛官、仲本ハルミ二曹は同じ部隊の上官、志村ケンイチ曹長のインカムからの問い掛けにそう短く答えた。

 志村曹長は山あいを縫う高速道路と並列する一般道に白いライトバンを路上駐車していて、そこから状況をモニターしつつ、彼女のバックアップをしている。一般道と高速道路の路肩を隔てる防音壁にはメンテナンススタッフが出入りする為のドアがあり、予め得た許可と鍵とで開け放たれたそこから工事中の標識や三角コーンを持ち込んで、彼女らは実地調査を行っていた。

 高速道路損壊事件の不可解な犯人について、である。

 道路公団の作業着に身を包み、作業帽を目深に被った彼女は道路に穿たれた異様な凹みの隣に一メートルのスケールを置くとスマートフォンで写真を撮った。

(熱による変成もなければカーボンや他の化合物の付着もない……やはり重量物による圧砕ね)

 顔を上げた彼女は視線の先に真っ直ぐ伸びた道路にいくつも穿たれた同じような凹みを見やった。

 姿勢を変えると作業着の下に着込んだ装甲服のアンダースーツが僅かにごわついた。

 女性の彼女が実地調査で現場に降りて、男性である志村曹長がバックアップなのはその階級の上下の為ではない。単純に近接戦闘能力に於いて彼女が曹長に勝っているからだ。

 夜天光明流という古流武術の直系の家に生まれた彼女は跡目こそ弟に譲ったがその奥義を極め、自衛官となった今でも毎朝鍛錬を欠かさず、その技に磨きを掛けている。

 一足の間合いにあれば、相手が武器を持っていようといまいと、遅れを取らない自信が彼女にはあった。加えて室長の加藤は、彼女に試作品の装甲服のアンダースーツの着用を命じていた。

 タクティカル・モバイル・アーマメント・モジュール--TAMAMOと呼称される次世代歩兵装甲システムの基幹となるのが衝撃反応性繊維と呼ばれる電気紡績技術とナノテクノロジーとが生み出した新素材なのだが、これは衝撃を与えた事物の運動エネルギーで反発硬化現象を起こし、衝撃の強さに応じて強固に硬質化するという性質を与えられていた。

 普段は薄手のウェットスーツのような着心地の服が、銃弾や爆圧を受けると鎧のように硬化して着用者を守るのだ。

 バックアップの志村曹長も拳銃の携帯を許可されていた。

 ノリの軽さと今風の軟派な風体から誤解されがちだが、曹長はIT技術と銃の扱いに於いては相当な実力者である。これまで何度か経験した「実戦」の中で、彼女はその事を良く知っており、このチャラい見た目の先輩自衛官に一目置くと共に信頼もしていた。

 八ヶ所の道路損壊跡を調べ、写真に収めた二曹は、現場から微細なガラスの破片やプラスチック片なども採取はしたが、採取した彼女自身もそれが犯人に結びつくとは到底考えていなかった。

 一通り作業を終えて振り向けば、入って来たメンテナンス用の出入り口は一キロ近く後方に小さく見えており、二曹は小さく溜息をついた。

「こちらフォックス2。フォックスネスト。オクレ」

『感度良好だフォックス2。状況は? オクレ』

「……このコールサイン必要ですか? 私と曹長だけなんだから要らないんじゃ。オクレ」

『どこで傍受されてるか分からん。階級も名前も呼ぶなフォックス2。オクレ』

 そう芝居掛かった言い方で返信する志村曹長は明らかに、軍隊っぽい通信の遣り取りを趣味の領域で楽しんでいた。

「ごっこ遊びみたいで恥ずかしいです。オクレ」

『自衛隊は事実上軍隊だ。軍人たる矜持を持てフォックス2。オクレ』

「……了解。フォックスネスト。戻ります。次の場所に移動しましょう。展開した備品の片付け手伝ってくだ」

 さい、と言う言葉を継ぐ直前、二曹は至近の背後に異様な気配を感じて振り返った。三メートルの距離に若い白人の男性が立っていた。

 嘘。いつの間に。

 仲本二曹に緊張が走る。身体は自然に基立ちと呼ばれる戦闘態勢を取っていた。

「ここは歩行者の立ち入りは禁止ですよ。退去してください」

 二曹は努めて穏やかにそう呼びかけた。

「ユーは警察ですカ? 」

 金髪に碧眼。白いデニムのジャンパーに白いジーンズ。Tシャツにはアメリカ国旗の星条旗の柄が一杯に染め抜かれていた。

「いいえ。公団の下請け業者ですよ」

「……ナルホド」

 総毛立った。声はすぐ後ろから聞こえた。と、同時に、彼女はうなじに何かが触れているのを知覚した。その男の指先だった。

「セルフ・ディフェンス・フォース、ネ」


 全身の血が逆流した。


 瞬間、武道家としての闘争本能が彼女を支配した。体捌き。呼吸と体重移動。筋肉のうねりと引きしぼり。骨と関節が描くテコの三角形。

 両手で男の手首を取り、捻り上げるように振り、相手の足の運びを遮る位置に自分の踏み込み足を差し入れ、そのまま振り子の要領で投げ倒しのモーションに入る。

 取った。

 重ねた研鑽の賜物の鋭い序動だった。

 受け身を取れない角度で倒れるか、無理に堪えれば肩関節の脱臼或いは腕そのものの骨折。一呼吸しない内に、この男は無力化できる。それは修行の年月への自信であり、勝利の確信でもあった。


 ひゅひっ。突然彼女の腕が空を切る。


 怪しい外人の腕をがっちり掴んでいた彼女の指と掌が、唐突にその把握の対象を失って頼りなく宙を泳いだ。


 彼女の内面は驚き動揺したが、鍛え抜かれた彼女の身体はそんな彼女を置き去りにしながら、的確な戦闘行動を継続した。

 僅かな空気の揺動から敵の現在地を察知すると身を翻して相手の懐に飛び込む。身体の重量を全て預けるように突っ込みながら彼女は自分の両手が吸い付くように敵の鳩尾に勝手に動いた感じた。左の掌底。寸暇を置かずに右の拳打。鎧通しの重ね打ち。夜天光明流奥義、夫婦明星めおとみょうじょう。彼女自身、生身の人間に使うのは初めてだった。近接戦闘マシンと化した彼女の身体は目前の脅威に対し最も効果が期待できる攻撃を反射的に繰り出していた。

 この攻撃は完全に決まった。こおーん、という鹿威しのような澄んだ音と共に、彼女の全体重を載せた一撃が骨格を抜けて敵の臓器を直接打った手ごたえを、彼女は感じていた。殺してしまったかも知れない。彼女の冷静な部分は社会規範を侵してしまったかも知れないことを恐れた。


「インタレスティン! 面白いカンセプトデース」


 突き飛ばされるように退いた男は、ニッコリと笑いながらそう言った。

 彼女は凝固した。目の前の敵に対する恐怖に。これも初めての経験だった。


『伏せろ』


 耳のイヤホンから短く命じる志村曹長の声が、彼女の呪縛を解いた。その意図を理解する前に彼女の身体は伏せていた。


 たんっ!たんっ!たんっ!


 銃声は三発。意外に近くから聞こえた。

 信じられないことに謎の外国人はその連弾を全て躱した。

 戦闘単位として無力となった仲本二曹は、せめて少しでも多く敵の情報を得ようと両の目を見開いて正体不明の外国人を凝視していた。彼女は見た。男が攻撃を躱す瞬間、その体が滲むように消失し、攻撃の間隙にまたぼやけたピントを合わせるように実体化するのを。

 駈寄ってくる足音。それに重なって今度はたたたんっ、と連射の銃声が更に三発分響く。志村曹長はこちらに駆けつけながら攻撃しているようだった。

 外国人はその度に消失と実体化を繰り返し音速で飛翔する9mmパラベラム弾を全て避けた。

 ざうっ。

 地に伏せる仲本二曹の直ぐ近くで地面を削る音がした。志村曹長が滑り込むように彼女の前に屈み、彼女を庇うように片膝立ちの射撃姿勢を取った。

 たんっ!たんっ!

 志村曹長はその姿勢のまま更に二発を撃った。敵とは十メートルと離れておらず、風はほぼ無風。顔面の中央を狙った必殺の連弾だった。

 だがその弾丸は不敵に笑う外国人の顔の手前で弾かれ、火花を散らして明後日の方向に飛び去った。どこから取り出したものか敵の手の中に手品のように大鎌が現れ、それに遮られたのだ。

 仲本二曹は敵の異常さに呆気に取られながら、志村曹長の正確な射撃技術とその躊躇の無さに感嘆していた。その目の前に弾倉が落ちて来た。志村曹長は銃の薬室に弾丸を一発残し銃口を敵に指向したまま素早く弾倉を交換して一度動きを止めた。仲本二曹は無言のままに志村曹長の意図を理解して、彼の後ろでくるりと体を起こした。撤退だ。準備よしの合図に彼女が曹長の左肩をぱんぱん、と叩く。

 その時だ。

 死神が持つような大鎌を携えた謎の外国人は二人に向かって跳躍した。志村曹長が敵のシルエットの中にわざと弾着がばらけるように照準しながらありったけの弾丸を叩き込む。

 細かく鎌の刃を動かしてそれらを器用に避けながら、怪人は二人を飛び越える。その影が驚愕する二人の上をさっと舐めた。

 怪人は二人の遥か後方に着地するともう一度高く跳躍し、高速道路の防音壁を軽々と飛び越えて、その向こう側へ姿を消した。

「小石、モニターしてるな? 逃走した対象の音源から位置を追跡できるか? 」

 志村曹長は撃ち切ってスライドが下がった銃の弾倉を更に新しいものに交換し、初弾を装填しながら、ライトバンの留守を任せた擬似人格OSの人工知能「小石」にそう尋ねた。

『モニターはしています。ですが対象はロスト。追跡できません』

 少女の声のAIが抑揚の少ない淡々とした調子で答える。

「秘匿回線で三尉に繋げ」

『繋ぎます』

『加藤だ』

「志村です。正体不明の人物と二曹が接触。偶発的に戦闘になりました。二曹は近接の格闘戦、自分は9ミリの総力射で制圧を試みるも失敗。自分も二曹も健在ですが対象人物はロスト。追跡不能。一キロ程度の距離からの望遠映像は押さえましたが、対象に不確定要素が多く一時撤退を提言します」

『不確定要素とは? 』

「対象人物の特異な能力についてです。簡潔に言えば、少なくとも普通の人間では……」

「人間ではありません」

 仲本二曹がきっぱりと言い切った。


「アレは、人間ではありません」


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 志村曹長は、内閣調査室の班長、偽名・堀川、本名・木村から提供されたラブホテルの駐車場の映像をチェックしていた。

 結局、仲本二曹が組み敷いた堀川と名乗ったあの男は本物の内閣調査室の人間だったのだ。

 偽名がばれてその場を逃れようとしたのは彼がそう訓練されているからで、彼に取っても初めてのことであるらしかった。

 備品管理部別室室長、加藤三尉は偽名・堀川を入念に拘束し麻酔で意識を奪った上で、基地司令石野一佐に事情を報告。石野一佐は防衛省を通して内閣府へ正式に問合せを掛けた。内閣調査室責任者は全面的に非を認めエージェントの偽名・堀川の情報を開示、身柄の解放と調査協力を改めて依頼した。

 高速道路損壊事件に先立って、不可解な破壊のされ方をしたラブホテルの情報と、押収された動画データコピーの譲渡を条件に。

 該当のラブホテルは大きな幹線道路沿いにあり、損壊のあった高速道路の入り口もそう遠くない。一階部分の駐車場の北側の壁が軽自動車が通れる程に破壊されているのだがその壊れ方が問題だった。壁は外側から内側に向け強い力で破砕されていたが、その方法が特定できなかったのだ。壁の向こうは細い道で、重機を持ち込んだり、そういう角度で車が突っ込んだりはできない。

 ホテルの壁を破壊したのは、道路を損壊させたのと同一の犯人ではないか。だとすれば、破損が起きた日の駐車場出入り口の映像に何か一連の不可思議な事件の手掛かりが写っている確率はかなり高そうだった。

「……ビンゴ」

 志村曹長は一度使って見たかった台詞をニヤリとしながら呟いた。

 ホテルの駐車場の入り口の白黒の画像には、飛び出して行く二人乗りの浮遊バイクがはっきりと映っていた。


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「間違いないな」

「ですね」

 室長の加藤三尉の問いに、志村曹長は自信を持って答えた。備品管理部別室--通称「備管別」の薄暗いオフィスである。もう一人のメンバー、紅一点の女武道家、仲本二曹は不審外国人との戦闘後、報告を終えた直後から48時間の休暇を与えられ、今、この部屋にいるのは加藤と志村の二名だけである。

「二人乗り。運転してるのは少女のようだ。髪型はツインテール。後ろに乗っているのは……若い男か? 」

「これが八日のマルゴーゴーロクの映像。こっちが二分前のホテルのエレベーターの映像です」

 中央のメインモニターに、魚眼レンズで撮られたエレベーター内の画像が大映しになる。おお、と加藤は感嘆の声を漏らした。

「ツインテールに、これは……メイド服か? 」

「いえ、これはゴスロリ、ゴシックロリータ、ですね。あれ……? 」

「どうした? 」

「いや、この娘……どっかで見たような……」

「最近か? 」

「……」

「会って話したか? 遠くから見かけたのか? 誰かと一緒だったか? 」

「すみません。思い出せません」

「いい。思い出せたら深夜でも構わない。直ぐに連絡しろ」

「了解」

「この二人のチェックインは何時だ? 宿泊簿の名義は? 」

「ラブホに宿泊簿なんてありませんよ。お使いになったことないんですか? 」

 加藤は答えず、苦笑いした。

「代わりにトラブルがあった時の為に受け付けはカメラで抜かれてるんです、よ、ねっと」

 たん、と志村曹長がエンターキーを叩くと、今度はモニターに自動販売機式の受け付けから部屋のキーを取り出す若い男の姿が映し出された。男は力なく項垂れる少女を抱えるようにして支えている。

「前日七日。フタサンゴーロクの映像です」

「少女は意識がないように見えるな」

「ですね。普通に考えれば薬か何かを使った昏睡強姦ですが……」

「ホテルを出るバイクのハンドルを握っていたのは少女だった」

「アレをバイクと呼ぶなら、ですけどね」

「そこだ。この二人はアレでこのホテルに来たのか? 」

「それがですねぇ……」

 かちゃ、たん。志村が操作すると、今度は再びモニターに駐車場入り口の画像が出た。二人乗りの原付きバイクがホテルに入る所だ。後ろ側、運転者の若い男にもたれかかるように乗っているのは、間違いなくツインテールの少女だった。

「同日フタサンゴーサン。駐車場入り口カメラの映像です。ホテルに入る時は普通の原付きなんですよ」

「この原付きはホテルには? 」

「さっき問い合わせました。乗り捨てられてはいません。もっとも、エアバイクで走り去ってから改めて取りに来た可能性はありますが」

「ナンバーが写ってるな」

「バッチリです」

「良くやった曹長。陸運局と警察庁に問い合わせる。今日はもう帰っていいぞ。明日はヒトサンに出勤しろ。それ迄には持ち主を特定しといてやる」

「Nシステムですか? 」

「そういうシステムは無いことになっている。軽々しく話題に上げるな」

「了解。所で三尉」

「なんだ」

「『スサノオ』の使用許可は出ませんか? 」

「スサノオは機密性の高い試作兵装だ。それに市街地で運用するには火力があり過ぎる。難しいな」

「あの白い外国人……自分と二曹、二人掛かりで遊ばれました。努力はしますが、このままでは次回も確実に負けます」

「まだ敵と決まった訳じゃない。現在の我々の任務は高速道路損壊犯の特定だ。あれを敵としてその殲滅が任務になった時には手段を選ばず徹底的にやるさ。その時は、その任に当たるのは我々だけではないだろう」

「ですが」

「気持ちは分かる。確かにそうなる前に、我々三人……いや、小石も含めてこの備管別の四人で一当てして、捕縛できたら痛快だな。だが今は情報が足りない」

「それは……確かに」

「そろそろ呼び名がないと不便だな。関係人物の呼称を決めよう。ツインテールの少女をフォリナ1。少女の連れの男をフォリナ2。高速道路に現れた白い着衣の外国人をフォリナ3と呼称する」

「了解しました」

「曹長。命令だ。帰って休め。後は私と小石でやる」

「了解。では明日。ヒトサンに」

「ああ、頼む」

 志村はPCのシャットダウンを済ませると、お疲れ様でした、と部屋を出た。

「小石。起きてるか」

『はい。私は眠る、ということができません。三尉』

「スリープモードがあったろう」

『それは機能制限した低水準活動状態を便宜上スリープと呼んでいるだけで、人間の睡眠とは異なります』

「悪かった。言葉の綾だ。フォリナーズの原付きの経路は問い合わせを掛けるとしてだ」

『回答待ちの時間に何か別のアプローチで調査を試みるのですね? 』

「良く分かったな」

『三尉の行動傾向からの推測です』

「器物破損。事故。火災や傷害事件。特に原因不明なもの。このラブホテルを中心に半径200km、前後三日で調べてマッピングするんだ。なんとなくだが、フォリナーズは何かを追いかけてる……或いは何かから逃げているような気がする」

『所轄警察と市役所の通報、相談案件をピックアップすれば? 』

「web上の各SNSと掲示板の地域ページもだ。まず一時間。」

 言いながら加藤は、どこかに電話をかけ始めた。

「奴らはどうやら何かを破壊するのが好きらしい。特に建物や道路などへの比較的大きな破壊を伴う事案は漏らさずチェックするんだ。」

『了解しました』

 電話は繋がった。

「司令。加藤です。追跡対象のバイクのナンバーが判明しました。はい。送ります。ええ。所持者と当日の走行経路を。……司令、そのようなシステムは無いことになっています。ご自重を。はい。お願い致します。失礼します」

 加藤は相手が切るのを待って電話を切った。

『検索をスタートしても? 』

「やってくれ」

 正面のメインモニターにラブホテルを中心とした半径200kmを収める縮小でマップが表示される。そこにポッ、ポッと赤い点が灯る。

 与えられた条件に該当する事案を人工知能がピックアップして、その発生地点を可視化しているのだ。


「面白いと言ったら不謹慎なんだろうが--」

 マップに灯るドットが増えて行くのを眺めながら、加藤は言った。

「面白くないと言えば嘘になるな」


 備品管理部別室--自衛隊の影の情報部隊。その若き室長は一人、薄暗いオペレーションルームの中で、口元だけで笑った。



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「こちらフォックス1。フォックスネスト聞こえるか? ホルスは瞼を開けた。繰り返す。ホルスは瞼を開けた」

『了解。少し下向き過ぎますね。仰角足せ20。水平足せ左5』

 安全帯装備の作業着姿で電信柱に登る志村曹長の符丁に、白いワンボックスカーの中でモニターする仲本二曹は淡々とした調子で答えた。

「えーと、砲兵ミルだと360度が6400ミルだから……」

『普通に角度ですよ曹長。レンジに被写体が収まればいいんですから、そんな微細過ぎる調整いらないです』

「俺を曹長と呼ぶなフォックスネスト」

『はいはいフォックス1。早く線繋いで次に行きましょ。あと八十台近くあるんですから』

 曹長は支持ジョイントにボルト留めしたグレーの金属の箱からアンテナを伸ばした。続けて何かのコードを引き出すと、電線の出力コネクターに差し込んで稼働ランプの点灯を確認する。

『ナンバー402。稼働確認』

「よし。撤収しよう」

 曹長は電柱から水平に突き出た差し込み式の金属棒のステップを降り、立て掛けていた梯子を降りた。降りた梯子を手際よく畳んだ曹長はそれをワンボックスのバックドアから積み込み、自分は助手席に乗り込む。ハンドルを握ってる二曹が車をスタートさせる。

「に、しても。カメラの設置まで自分達でやるなんて。予算を渋り過ぎじゃないですか? 」

 カーナビにしたスマートフォンの画面に表示される次のポイントを目指して車を走らせながら、二曹は疑問を口にした。

「優秀な自衛官が信じるものはなんだ? 」

 志村は腕組みして殊更に低い声でそう質問を返した。

「服務規定とリアルタイムの雨雲レーダーですか? 」

「違うっ! 自分の目と耳だ。極秘の情報収集機器の設置に第三者が介入すれば有事トラブルによる情報ロスのリスクが高まるばかりか、活動情報だけでなく、ターゲットインフォメーションまでその介在した第三者に漏洩する恐れがある」

「まあ、そうですけど。着きました。あの電柱ですね。左の通りと右の通り、両側に向けて一台ずつ設置です」

「了解。何分掛かる? 」

「え? 今迄の感じだと込み込みで十五分くらいじゃないです? 」

「十分でやれ! 」

「いえ、上がるの曹長ですよね? 」

「了解! 」

「なんなんですか……全く」

 志村曹長は車を降り、また手際よく梯子を掛けると迷いない動作でそれを登りながら、今朝の基地でのやり取りを思い出していた。


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 時間は三時間程遡る。

 

「北星ヶ谷? 」

「そうだ。メインモニターを見てくれ」

 室長、加藤の言葉に、志村曹長は仲本二曹とと共に情報自衛隊 備品管理部別室正面の中央。メインモニターに注目する。

 プロジェクター投影式のスクリーンに沢山の赤い点がマッピングされた地図が表示された。

「件のホテルから半径200km。前後三日で原因不明の事故事件をピックアップしてマッピングした。これが東北自動車道でここが破壊現場。ここがホテル。で、ここが北星ヶ谷」

「点が六つ……」

 仲本が呟く。

「集団のケンカの警察通報が一件。爆発、火災の消防通報が二件。コンビニエンスストアの看板の破壊。飲み屋の看板と駐輪してあった自転車の破壊。雑居ビル屋上と天井の破損。どの事案も高速道路損壊事件の前日夜、二十二時前後の出来事だ。所轄が到着した時にはケンカの集団はおらず、道路の一部が融解して地面に穴が開いていた。火災通報、飲み屋の看板と自転車の破壊も同じく看板を破壊されたコンビニエンスストアの半径100m以内で、どうやらこのコンビニエンスストアの前でまず何かが起きたようだな」

「つまり……フォリナ1、フォリナ2のどちらかの移動のスタート地点がここ……?」

「或いはその両者のスタート地点かも知れませんね」

 志村の推測を仲本が補足する。

「次はこの写真」

 手入れのされていないコンクリートの地面。何かのアンテナと柵が写り込んでいる。屋上だ。だがその地面に丸いひび割れと凹みがある。

「似てる……と、いうか同じですね」

「高速道路と同じ破壊痕。けど、これ屋上ですよね? 重機も持ち込めない場所にどうやってこんな破壊痕を……」

「それは一度置いておこう。今から重ねるラインが、警察筋から得た該当ナンバーの原付きバイクの当日の移動経路」

「わ、ドンピシャっすね」

「ちょっと待ってください。ここ、線が途切れてますよね」

 仲本二曹が同期した自分のモニター上のカーソルでホテルの周辺を示す。

「ああ。次に……ここで再出現して、次に探知されたのが、ここ。この区間を移動するのに一時間近く掛かっている。その後はまっすぐ東北自動車道を南下して浦和の出口で降りている。これが出口料金所の該当車両の映像」

「男一人……」

「少女を、高速に降ろした? 」

「該当車両の所持者。銭谷マサヒコ五十一歳。千葉市在住の会社員だ。彼には大学生の息子がいて、該当車両は今その息子が使っている。その大学があるのが……」

「北星ヶ谷。東西大学、星ヶ谷キャンパス」

「その通り。銭谷ケンイチ十九歳。北星ヶ谷二丁目在住。東西大学人間科学部所属。そっちには内調の木村班長が張り付いてる」

「手っ取り早く確保しては? 」

「下準備が終わればな」

「下準備? 」

「調べを進めたところ、六月からこの四ヶ月で、北星ヶ谷では不可解な破壊事件が幾つも起きている」

「あ! 北星ヶ谷ってあの、全国ニュースにもなった連続放火の! 」

「それだけじゃない。六月二十五日未明の神社の倒壊と宮司の行方不明事件。連続放火が七月の十二日。九月に入ってすぐ、立て直し中の駅ビルの工事現場が破壊される事件が起きている。切断され落下した鉄骨の切断方法は未だ不明のままだ」

「そして十月七日。ケンカと爆発。翌八日にはホテルと高速道路の破壊」

「因みに爆発の通報場所に手掛かりは……」

「周辺のガラス二十四枚が割れていた。何かは爆発したようではあるんだが」

「何が爆発したかは不明? 」

「焦げ跡も残留化合物もない。ガラスの破損状況から想定される爆心地点からも、全く何の痕跡も見つからなかった。純粋水素を使った爆発物の可能性が指摘されてはいるんだが……」

「水素は破壊活動という用途には高価で扱いも難しい。運用コストが高すぎる。誰が、何の為に、ですね? 」

「ああ。これは当該コンビニエンスストアのレジカウンターの映像。十月七日。二十二時十九分」

 慌てた様子の男が駆け込んで来て売り場から何かをひっ掴み、レジに札らしきものを投げるように払ってまた駆け出して行った。

「あ! この客! 」

「原付きバイクの、銭谷ケンイチ! 」

「にしか見えないな。因みに店員によると、銭谷が買ったのはカッターナイフだそうだ。同じカッターナイフを二つ。彼は一万円札を払い、釣りを受け取らずに出て行った。銭谷は常連で店員に顔を覚えられていた。店員は次回来店時に返せばいいと判断したらしい」

「カッターナイフを二つ……」

「そういえばあのエアバイク。どこかカッターナイフに形が似ていましたね」

「原付きバイクが消えて、バイクの持ち主が直前に購入したカッターナイフに似たエアバイクが現れる。エアバイクが消えて原付きバイクが現れ……帰って来る……北星ヶ谷に」

「まるでオカルトのペーパーバックですね」

「我々の認識の目線を合わせよう」

 加藤はモニターのすぐ傍に立つ。

「十月七日。二十二時頃。北星ヶ谷二丁目のコンビニエンスストア前で何かが起きた。銭谷ケンイチがそれに介入する。彼はカッターナイフを購入。その後原付きバイクで現場を走りさる。向かったのは東北自動車道。該当時間の浦和料金所の映像では高速に乗る時に既に例の少女、フォリナ1とタンデムだから、恐らく彼女を乗せて現場を去ったんだ」

 仲本がごくり、と喉を鳴らした。加藤は続ける。

「翌日零時頃。意識を失ったフォリナ1と銭谷ケンイチが普通の原付きバイクでホテル・ネバーランドを訪れチェックイン。同日早朝五時過ぎ。二人はチェックアウト。直後にホテルの駐車場の壁が破壊され、二人はエアバイクで走り出す。五時半頃、岩岡ジャンクション付近の自動速度取り締まり機に映った。その後、一時間余りを経て銭谷ケンイチは再び普通の原付きバイクで浦和方面へ走行。同日九時前に浦和料金所を一人で降りた」

「なんかこう……あれですね」

「フォリナ1と銭谷ケンイチは、何かを追い掛けていたか、何かから逃げていた? 」

 加藤も部下二人と、考えていることは一緒だった。

「憶測でものを言うのは好きじゃないんだが。コンビニエンスストアの前でフォリナ1は何かと戦っていたんじゃないだろうか。彼女は戦闘不能に陥り、銭谷はそれを助けた。遠くに逃げて、ホテルで彼女を休ませた。そこへ追っ手が来た。二人は更に逃げ、高速道路で再び戦闘になった。決着は付き、銭谷は一人で帰宅した」

「フォリナ1は、どうなったんでしょう? 」

「分からない。だが、一つ確かなことがある」

「なんです? 」

「北星ヶ谷には何かある……いや、何かいる。得体の知れない、危険な何かが」

「何か、とは……? 」

 加藤はその質問には答えずに、仲本に向き直った。

「二曹」

「はい」

「フォリナ3と交戦した直後。君はフォリナ3を人間ではない、と断言していたな」

「はい」

「何故そう判断した? 」

「……これは、流派の秘密にまつわる部分を含むので、なるべく他言無用をお願いしたい話です。少し長くなりますが、いいですか? 」

「構わない」

「我が家の武道の流派、夜天光明流のそもそもの成り立ちは農兵が合戦を生き残る為に仲間内で研鑽した生存術です。体格に優る相手とも戦えるよう、様々な工夫が伝えられています。例えば体の捌き方。例えば体重移動の方法。そして例えば、呼吸の有効利用です」

「呼吸の有効利用……と言うと? 」

「我々人間はその活動に肺呼吸が欠かせず、当然格闘戦中も例外ではありません。そして呼吸する為の肺や胸腔の構造上、僅かながら全身の筋肉も呼吸に伴って緊張と弛緩を繰り返しています」

「ふむ」

「ざっくり言ってしまうと、胸腔周辺は吸気と供に緩み、呼気と供に締まります。それ以外の筋肉は概ね逆で、吸気とともに締まり、呼気とともに緩む。これはお二人にも経験的に理解できると思います」

 加藤と志村は頷いた。仲本は続ける。

「そこで、我々の流派の修得者は全体的な気配から相手の呼吸のリズムをある程度把握し、相手の部位が緩む、力の抜けるタイミングを狙って攻撃します」

「その方が、同じ力で同じ部位を攻撃してもダメージが大きくなる訳か」

 仲本は頷く。

「はい。これは打撃の時もそうですが、刃物による斬撃、投げ技や絞め技については、より大きな効果があります」

「当然、フォリナ3との交戦の時もそれを試みた? 」

 二曹は頷いたまま、少し俯いた。

「はい。戦いになってしまうと、それは体が自然にやるような感覚なので、敢えて試みた、という感じではないのですが……」

「できなかった」

「呼吸自体はしているようなのですが……こちらが呼吸を合わせられないんです。普通呼吸は自発的なもので個々に独特の周期やリズムがあるものなんですが……なんというか、ずっと不自然な……人為的な呼吸の感じがする、というか」

「そういう技術……向こうが二曹の呼吸合わせを外す技を使っている可能性は? 」

「それは勿論あります。ですがそれだけではなく。フォリナ3に私は技を当てているんですが、その後に元気に立っていられる筈がないんです」

「その技とは? 」

「夫婦明星。重ね打ち、と呼ばれる種類の技です。詳しい理屈は省きますが、例えば鎧や防弾ベストを着用したような相手にも、体内に直接ダメージを与える技で。咄嗟に思い切り使ってしまって、技は完全に決まったんです。憶えておいでですか? 高木三佐の事件の時、甲種TAMAMOを装備した名倉曹長を倒した技です」

「名倉曹長は集中治療室送りだった」

「はい。鎧を着ていてさえ、胸骨を粉砕して臓器にダメージを与える威力の技を、私は生身のフォリナ3に使った」

「だが相手はぴんぴんしていた」

「その通りです」

「……主観や印象でいいんだが、アレをなんだと思う? 」

「一当て二当てしかしていないので、文字通り印象の域を出ませんが」

「ああ。それでいい」

「身体自体は人間だと思うんです。触れられた指。掴んだ腕。打った身体は確かに人間のものでした。けれど、例えばそれを動かしてる精神……内面みたいなものが、我々人間とは違う何かじゃないかと。ただそれが、何かまでかは……」

「分かった。フォリナ3の瞬間移動能力に付いて、どんな様子だったか知りたい。曹長」

「はい。二曹とフォリナ3が格闘戦に入ってすぐ、指揮車を降りて援護に向かいました。一キロほどを走り、距離50mで二曹に伏せるように伝え、移動しながら射撃を開始。照準はマンターゲットシルエット中央。三発撃ちました。走りながらだったので弾着はバラけていましたが、フォリナ3は一発ずつに付いて消失と出現を繰り返していました」

「間違いありません。私は伏せた状態でフォリナ3を観察していました。銃声の度に滲むように姿が消えて、少しズレた場所に再び出現していました」

 志村曹長の証言を仲本二曹が裏付ける。 

 その時、ドアをノックするものがあった。

 右のサブモニターにドア前を撮るカメラの魚眼に歪んだ映像が表示される。

 コートとブリーフケースを携えた眼鏡の初老の男だ。

「見かけない人だな」

「あ、この人は……!」

 志村曹長は未知の人物を訝しんだが、仲本二曹は、見覚えがあるようだった。

「曹長。開けていい。私が来て貰った専門家だ」

「専門家? 」

 開いたドアから入って来た男はぺこりとお辞儀をした。

「遅くなり申し訳ありません」

「二曹は会ったことがあるな。紹介しよう。技研本……防衛省技術研究本部の上田主事だ」

 加藤は上田をスクリーン前に誘いながら、部下に対してそう紹介した。

「その説は失礼を」

「こちらこそ。あの時は本当に申し訳あひませんでした。ご快気、お喜び申し上げます」

 上田の短い詫びの言葉に、仲本は立ち上がり深く礼をして応じた。

「頭を上げてください。私の身から出た錆です。新しいTAMAMOの調子はどうです? 」

「まだ実戦では丙種のインナーしか……でも動きやすくて、今のところなんの支障もありません」

「あー! 技研の上田主事って、試作TAMAMOの実験の時に二曹に実弾装備の部隊をけしかけた……! よくもいけしゃあしゃあと! 」

「やめてください曹長。結果的に私は無事で、逆に上田さんに大怪我を負わせてますし。そうして出来たTAMAMOのお陰で私が何度も命拾いしてるのは事実ですから」

「……」

「挨拶は済んだな。主事。例の件の説明を」

 加藤が仕切り直す。上田は頷いて、取り出したノートパソコンをモニタープロジェクターの映像端子に繋いだ。


「瞬間移動で攻撃を躱す敵の件なのですが、まずはその映像を振り返りたいと思います」

 モニターに望遠で撮影された白い着衣の外国人と仲本二曹の姿が映る。

「ここで戦闘開始。仲本二曹は相手の腕を取り、投げ技の体勢に入ります。そして目標は……ここで、一度消えて、こっちに再び出現しています」

「だから……技を解かれたのね」

 仲本が感想を漏らす。

 画面の右端に「01」、と数字が表示された。

「続いて二曹は驚異の反応で再出現した目標に対して打撃技を敢行。これは完全に入りますが、何故か目標にダメージがありません。そこに志村曹長が駆け付ける。二曹は伏せ、曹長が短銃を三連射します。目標は一発ずつについて消失と再出現を繰り返してこの攻撃を回避しています。ちょっと画が荒いですね。最大望遠で、イメージも補正してまして、これが現状最もクリアな画像です。でもこの画像を見ても目標が消えて、違う位置に現れているのは明らかです」

 消失・出現の度画面の右下の数字は増え、「05」になった。

「曹長は近づきながら更に三連射して二曹の前に回り込み、片膝姿勢でもう二連射。これを目標は鎌状の武器で防御します。曹長は弾倉を交換。その間に二曹は撤退準備。ここで--」

 上田は言葉を切って、立ち位置を変えた。

「--目標が大きく跳躍。跳躍中の目標に対し曹長は薬室一発と弾倉九発、計十発を全弾射撃。目標はその全てを鎌で防御し、徒歩と跳躍で逃走」

 上田は教師のように、場の面々に向き直った。

「……ここまでで、何か気付いたことは? 」

「戦闘後半では、瞬間移動していない? 」

「そうです」

 志村の指摘に、上田はにっこりと微笑む。

「では、そこから導かれる仮説はありますか? 」

「……回数制限」

「飽くまで仮説なのですが」

 二曹の答えに上田は頷きながら、画像を戦闘の前まで巻き戻す。

「実は今回の目標は出現から唐突に出現しています。仲本二曹の背後に」

「本当だわ」

「怖っ」

「戦闘中と合わせ、計六回。私が今回皆さんにお伝えしたいことの一つ目は、少なくともこの目標の瞬間移動は、短時間の内には六回前後しか連続してできないのではないか、という仮説です」

「一つ目、ということは、更に何か分かったことが? 」

 黙って聞いていた加藤が尋ねる。

「次の映像をご覧ください」

 上田がパソコンを操作すると、今度はのっぺりとした地平線のCGの映像が表示された。そこに赤と青のマネキンのような模式の人物像が立っている。マネキン達はさっきの戦闘の様子を正確になぞる動きを始めた。

「録画映像から位置関係と弾着地点、目標の消失、出現を取り込んでデータ化したものです。これを多方面から解析したところ、目標の消失後の再出現地点には法則性……一種の癖のようなものがある可能性があります」

「法則性……」

「再出現地点を予測できる、ということですか? 」

「プログラムと必要なサブルーチンを組む作業には入っていますが、何分にもサンプル数が少なく、現段階での信頼性はとても実用の域とは言えません。ですが戦いながら実測データが増えて行けば、その頻度に比例して、誤差は段階的にゼロに近づいて行くかと」

「今回、上田主事にわざわざ来て頂いたのは--」

 加藤は上田の隣に立ち、部下二名に対して言った。

「君たちに分かっておいて欲しかったからだ。今回の調査対象は、確かに今迄の相手とは様子が違う。初戦は大敗だったと言っていいだろう。だが、このままでは済まさない。我々に足りないのは奴の、奴らの情報だ。それが集まれば今迄と同じように戦える。その為の準備は進めている」

 志村と仲本は、黙って頷く。

 加藤は続けた。

「その更に下準備が、今日の仕事だ」



---------------



「よーし。次のポイントだ」

 助手席に戻った志村の言葉に車をスタートさせながら、仲本二曹は溜息をつく。

「あと七十六台。夜まで掛かりますね」

「一度メシにする? 」

「そうじゃなくて」

「この作業を僕らがする理由なら、さっき確認したろ? 」

「まあそうですけど。三人プラス一台の人工知能しかないスタッフリソースの内の二名が八時間拘束されるのは非効率な気が……」

「分からないかなぁ……三尉がわざわざ僕らにこんな所まで来させた意味が」

「情報精度と保護以外に何かあるんですか? 」

「見ておけ、ってことだろう」

「何をです? 」

 志村曹長は流れる景色を眺めながら、さらりと言った。

「戦場を、だよ」

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