第3話 アニバーサル・スタジオ・オブ・異世界(上)
「んぅ……」
軽快に鳴り響く心地いい音で、サリーは目を覚ました。
夜明けなのか、辺りはまだ暗い。
こんなに朝早くから、一体だれが音楽など奏でているのだろうか。
気にはなったが、しかしサリーは再び
「はぁ……」
サリーは、朝起きるこの瞬間が嫌いだ。
今までの事が全部夢だったらいいのにと、そう毎晩願ってはいても、朝起きる度にこうしてありのままの現実を突きつけられるのだ。
こころなしか、いつもよりベッドが硬い気がするが、それでもサリーは目を開けるのを拒んだ。
固いベッドに、擦り切れた毛布。
埃っぽい本棚に、かび臭い小さな部屋。
まるで檻のような世界。
目を開けなくったって、そこにある景色はわかる。
どれだけ願っても、どれだけ時間が経とうとも、そこにある世界が変わることはない。
「…………はぁ」
瞳を閉じたまま、本日二度目のため息をつく。
繰り返すが、サリーは朝起きるこの瞬間が大嫌いだ。
しかし、いつまでもこうしているわけにはいかないことも理解している。
体が不自由なことを盾に朝からゴロゴロしていては、本当に取り返しのつかなくなってしまうような気がする。それに、一生懸命働いている兄弟達にも顔向けできない。
観念したサリーは、うっすらと目を開けて辺りを見回した。
「……あれ?」
しかし、真っ先にサリーの視界に飛び込んできたのは、擦り切れた毛布でもなければ、埃っぽい本棚でもなかった。赤、青、黄色と、時折その色を変えながら、幻想的な輝きを放つ白亜の塔だった。薄暗い夜明けの空に、純白の建造物がチカチカと輝いている。
遠目には、あちらこちらに見たこともないような巨大建造物が立ち並んでいるのが見えた。
「……!?」
サリーは、辺りを取り囲む信じられない景色の数々に、思わず目を見開いた。
体を起こし、キョロキョロと辺りを見回す。
「なに、これ……どうなってるの……」
そこには、おとぎ話のような世界が広がっていた。
見慣れたサリーの部屋はどこにもなく、辺り一面には美しい石畳の広場が広がっている。
敷き詰められた石は雲のように真っ白で、ところどころに鮮やかな青色の床石が散りばめられていて、まるで絵画のようだった。
しかもその一つ一つが、到底人の手で作ったモノとは思えないほど精巧な正方形をしていて、全てが寸分の狂いもなく、等間隔で敷き詰められているのだ。
それだけじゃない。
広場の先には、王都の城門の5倍はあろうかという巨大な門がそびえ立っていた。
しかし、それほどまでに大きな建造物であるにもかかわらず、両の門にはびっしりと細かな装飾がなされている。
遠目に見える門の中の世界には、天にも届かんばかりの巨大な建築物が、所狭しとそびえ立っていた。
そして、それらはみな、薄暗い空を照らすように眩い輝きを放っている。
始め、サリーは自身の眼と頭を疑った。
あまりの不幸に、自分の頭はおかしくなってしまったのだろうか。
あるいは、これは何かの夢ではないのだろうか、と。
しかし、どれだけ深呼吸をしてみても、何度頬をつねってみても、目の前の景色が変わることはない。
それどころか、見れば見るほど、ますます目の前の景色に現実味が増してくるのだ。
サリーの頭の中では到底思い描くことすらできないほど、複雑で繊細な形をした建造物の数々。
門の奥から聞こえてくる、リズミカルな音楽が心を高揚させる。
鼻をくすぐる石畳の香り。
初冬にふさわしい、ひんやりと冷たい風。
到底、夢だとは思えなかった。
あらためて辺りを見渡して、サリーはゴクリとつばを飲み込んだ。
曲がりなりにもサリーは貴族だ。
今のレッドハット家は下級貴族であるが、かつては王都で名を馳せた名家だった。
幼い頃のこととはいえ、幾度となく王都の高価な芸術品を見る機会はあったし、この世の贅の限りを尽くした建造物も装飾も何度か目にしてきた。
もちろん、国王の住む城の中だとか大神殿のお偉いさんのすむ豪邸に比べれば、サリーの見てきたものは大したことのない物なのかもしれない。
しかし。
それでも。
サリーは断言できる。
今、サリーの目の前に広がっている世界は、王都の城だとか、大貴族の屋敷だとか、そういう次元を超越している。
比べ物にならないのだ。
言うならば、人智を超えている。
人の成せる業じゃない。
もしかしたら自分は、何かの拍子に神の世界にでも来てしまったのではないだろうかと、サリーは考えた。
あり得ない話ではない。
いつか聞いたことのあるおとぎ話には、そんな話もあった。
そして大抵の場合、別世界に飛ばされた主人公は数々の冒険を経て、幸せな最期を迎えるのだ。
自分が物語の主人公になったとは思わない。
しかし、一度は諦めた冒険の日々。サリーの夢。
それが現実の物となるかもしれないのだ。
心が高鳴らずにはいられなかった。
それにもう、あの地獄のような毎日を送らなくてすむ。
大好きだった家族から切り捨てられる恐怖に、苛まれなくてもすむのだ。
最後にもう一度だけ、サリーは辺りをキョロキョロと見回した。
遠くから聞こえてくる軽快な音楽。
ため息が出るほど美しい建築物の数々。
サリーの五感を通して入ってくる情報のすべてが、この場所が夢の世界ではないこと告げている。
「……ふふっ。ふふふふ。えへへへへ」
頬から自然と笑みがこぼれる。
自分の身に何が起こったのかはわからない。
が、あの地獄の日々から抜け出せたことは、どうやら間違いないようだ。
年柄にもなく精神は高揚し、これから起こるであろう数々の出来事に、サリーの胸は躍った。
「…………ぃやったあぁ!」
喜びのあまり、サリーは大声を上げて石畳の平原を駆けていく。
いや、駆けて行こうとした。
その場から立ち上がり、走り出したはずのサリーの視界に飛び込んできたのは、上下が反転した世界だった。
足元には暗い空が見える。
気が付けばサリーの体は、無様に石畳の上へ横たわっていた。
「あれ……?」
サリーの瞳に自身の足が映る。
だらんと力なくぶら下がった足。
事故に遭ったあの日以来、ピクリとも動かない足。
サリーの頬を涙が伝った。
「うっ……ぅう……ひっく。こんなのって……あんまりじゃない……」
別世界に、いや。神の世界に来てさえも、サリーの体は治らなかった。
それはまるで、決して逃れることのできない鎖のようだと、サリーは感じた。
サリーを捕え、地獄の底から永久に逃すまいとする運命の鎖。
その鎖がある限り、サリーは決して幸せになることは出来ない。
あぁそうかと、サリーは今更ながらに気が付く。
(これから先何が起きても、私はきっと幸せになれないんだ……)
同時に、楽しかった頃の記憶が頭の中をかすめる。
いつも笑顔を絶やさない優しい母。
いつも遅くまで仕事をしていて、時々サリーを撫でてくれる手が温かい、頑張り屋の父。
末っ子だったサリーをよく可愛がってくれた、仲の良い兄さん姉さん。
こんなところで何をしようと、楽しかったあの頃は二度と戻ってこない。
サリーは、高揚していた心が急速にしぼんでいくのを感じた。
代わりに空白となった心の中を支配したのは、諦念と無気力だ。
あれほどまでに興味をそそられていた周りの景色が、瞬く間にどうでもよくなってくる。
途端に、辺りの景色が色あせて見えた。
夜空を照らす塔の数々が、焼け焦げた廃屋に見える。カラフルだった世界が、一面を覆い尽くす灰色になって見えた。
耳をくすぐる心地よい音も、ただの雑音にしか聞こえない。そこにはもう、欠片ほどの現実味も残っていなかった。
まるで悪い夢を見ているかのようだ。
今起きている出来事はサリーにとって、朝上がりにぼうっと窓の外を見るのと何も変わらない。
どうでもよくなったのだ。一度枯れた蕾は、二度と花開くことはないのだから。
(あぁ、そっか……。ここは悪い夢の世界なんだ……)
先程、この世界を神様の世界か何かだと感じたのは、きっと自分がそう願ったからだろうと、サリーはそう結論付ける。
これは夢だ。悪い夢だ。
サリーに残酷な期待を抱かせ、朝起きたときに絶望へと突き落す、無慈悲な夢なのだ。
「うっ……」
胸の奥から嗚咽が漏れる。
どうして自分は期待なんてしてしまったのだろうか。悔やまずにはいられない。期待すればするほど、後になって惨めになる。そんなことは、この一年間で嫌というほど痛感しただろうに。
(もう二度と、夢なんて持たないって決めたのに……)
ひと時でも期待してしまった自分が愚かだった。叶いもしない夢を追いかけて、恋焦がれて、一体何が残るというのだろうか。
何も戻ってこないのだ。
冒険者になるべく、こっそり鍛えていた足も。
憧れの夢も。大好きだったお母さんも、お父さんも。
騒がしくも楽しかったあの日々も。
何も戻っては来ない。
変な期待を持ってはいけない。夢なんて持ってはいけない。
今サリーがすべきことは、黙ってこの悪夢が醒めるの待つことだ。
と、サリーがちょうどそんなことを考えていた、その時。
「やっべぇ……遅刻した。またエレナに怒られる……って、なんやお嬢ちゃん。死んだ魚みたいな目して」
背後から声をかけられて、サリーは振り返った。
「おっす! はじめまして! ワイの名はベリー!!」
どこから現れたのか、そこには動いてしゃべる真っ白なクマがいた。
「ようこそお嬢ちゃん。アミューズメントパーク『ASI』へ!!」
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