第2話 サリーの過去と一通の手紙(下)

 空っぽの本棚がたくさん立ち並ぶ、屋根裏奥の小さな部屋。

 そこが、今のサリーの寝室だった。


「はい。これ」

「……ありがとう。姉さん」


 サリーは、姉から手渡されたそれを無言で受け取る。所々が欠けた茶色い土の皿。

 そこには、握りこぶしくらいの小さな芋が乗っていた。


「じゃ、私は行くから。食べ終わったらその辺に置いといて」

 

 そう言ってすぐに、サリーの姉、次女シンディは扉に向かってスタスタと歩いて行く。

 このままではまた一人になる。孤独は怖い。一人になりたくない。咄嗟にサリーは、その後ろ姿に声をかけた。


「待って……!」

「なによ」


 心底面倒臭そうに、こちらへ振り向くシンディ。

 思わず呼び止めたものの、別段話すことがあるでもないサリーは、もごもごと口ごもった。


「いえ。その……」


「……ちっ」


 シンディは舌打ちをつくと、バタンと乱暴に扉を閉めた。


 まだ夕暮れ時だというのに、物音ひとつしない静けさが辺りを支配する。

 訪れた孤独。

 何もない空間にただ一人取り残され、しかし何もすることができない。


 朝起き、ご飯を食べ、寝る。

 時折、ベッドの上で編み物をすることもある。

 それだけ。

 サリーのできることと言えば、それぐらいしかない。

 まるで植物のようだ。

 今となっては、かつてはあれほど嫌がっていた農作業でさえも恋しい。

 この状態が何年も、何十年も続くのかと思うと、とても怖かった。

 恐怖のあまり、どうにかしてしまいそうだった。


 いや。

 どうにかしてしまいそうだったというのは正しくない。

 とっくの昔に、サリーの心はどうにかしてしまっていた。

 心が折れてしまっていた。

 今の彼女を支配しているのは、諦念と無気力だ。

 サリーは、かつてはとても感情豊かな少女だったが、今ではほとんどその表情を変えることはない。

 笑うことも、怒ることもない。

 時折、とてつもなく悲しくなってしまうことはあったが、涙は出なかった。


 窓からうっすらと差し込む日の光が、かろうじて部屋の中を照らす。

 擦り切れたベッドと、埃っぽい本棚が置いてあるだけの小さな部屋。

 かつては手入れが行き届き、屋敷の書庫として使われていたこの部屋の本棚だが、今では一つの本もありはしない。

 全て、売り払ったのだ。


 グギュウゥーと、サリーの腹が鳴る。

 朝起きてから、まだ何も食べてはいない。

 すぐさま手に取り、サリーは夢中で芋をほおばった。

 一口、二口と噛むたびに、苦くてパサパサとした食感が口の中に広がる。

 飲み水がないため何度も喉につっかえそうになるが、それでもサリーの手は止まらない。

 

 しかしそれも束の間。

 すぐに芋は底をついた。


 グギュウゥーと、再びサリーの腹が鳴る。

 サリーは知っていた。

 彼女の兄や姉はサリーと違い、きちんと一日三食の食事を摂っている。


 しかし、それは仕方のないことであることも、サリーは知っていた。

 一日中ベッドの上にいるサリーと違い、彼らは汗水たらして働いているのだ。

 それにこの芋だって、用意してくれたのは彼らだ。

 彼らがいなければ、レッドライン家はとっくの昔に滅んでいる。


 そして、サリーは知っていた。

 レッドライン家が元の生活を取り戻すうえで、彼女は全く必要のない存在なのだと。

 それどころか、むしろ邪魔な存在でしかないことを。

 兄弟たちが、サリーのことを快く思っていないことを。


 サリーが寝静まった頃に、兄弟たちが、サリーのことを売り払おうかと話し合っていたことを。

 そしてそれが、今のレッドライン家にとってやむを得ない選択肢だということを。


 でも。

 だったらサリーにどうしろというのだろうか。


 歩くこともできず、かといって勉学ができるわけでもない。

 こんな体では冒険はおろか、農作業さえもできないのだ。

 

「うぇっ……ひっく」


 どうしようもなく悲しくなって、サリーは泣いた。

 泣いて泣いて、泣きじゃくった。

 しかしどれだけサリーが泣いても、彼女の頬は一向に乾いたままだった。

 彼女の心は、涙の流し方さえも忘れてしまっていた。


 ふと窓を見ると、外の景色が見えた。

 ここから飛び降りれば、少しは楽になれるだろうか。

 サリーがおぼろげにそんなことを考えた、その時。


 パサリと、背後で何かが落ちるような音がした。

 何者かの気配を感じ取ったサリーは、反射的に扉の方を振り返る。


 しかし、そこには誰もいなかった。

 代わりにあったのは、一通の手紙。

 今のサリーに手紙を出す者など、いるはずもない。

 もしいるとしたら、いまだ寝たきりの母親くらいのものだろう。

 

 好奇心に駆られたサリーはベッドから降りて、這いずるように手紙の元まで辿り着いた。

 手紙を手に取り、まじまじと見つめる。

 そこには、こんなことが書かれていた。



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『今宵。あなた様を、アミューズメントパーク《ASI》へご招待致します。私達はあなた様に夢と希望、そして感動をお届けするでしょう。ぜひとも、最高の夜をお楽しみください。


《ASI》職員一同』


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 まずはじめに思ったことは、「くだらない」だった。

 くだらない。

 誰がやったのかは知らないが、きっとただのイタズラか何かだろう、と。

 アミューズメントパークとやらが何なのかは知らない。

 が、きっとろくでもない物なのは間違いない。

 こんなことは、過去にも何度かあった。


 村の悪童達が、家から出てこなくなったサリーに向かって、牛女と書かれた手紙を窓の外から放り投げてきたのだ。

 それと似たようなものだろう。


 今のサリーに、「誰が?なぜ?どうやって?」と考えるだけの余裕はなかった。

 だからこそサリーは、すぐさま手紙から興味を失った。

 そして、襲ってきた睡魔に素直に身をゆだね、スゥースゥーと可愛い寝息を立てながら、深い眠りについたのだった。

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