2. 調査開始

 七階建てのそのオフィスビルは、飾り気も洒落っ気もないやや古い建物で、周囲の他のビルと同じようにそこにあるのが当然という顔をしていた。

 やや奥まった入口には『関係者以外の立ち入りを禁ず』の表示が置かれ、やはり当たり前のように、入る人間を選別している。

 先導するルネ=レスピーギは慣れた足取りで入口に入り、壁際に控えていた警備員に軽く頭を下げると、階段を登って行った。男二人に女子高生、それから着物の少女、という奇妙な集団。

 時間通りに現れた「清掃局」に現場を任せ、土方はT市支部へと案内されていた。《ワーディング》の気配が消えたところを見ると、彼らの仕事もほとんど終わっているようだ。

 情報班、清掃局、などと呼ばれるチームを抱えている支部は多い。

 彼らの仕事は、UGNの中でも重要な部分を担っている。事件の隠蔽。情報操作。時に、周囲にいる人間に対しての記憶操作を行うこともある。ジャームが踏みしめてひび割れたアスファルトも、“罪業浄機カサルティリオ”の業火によって焼き尽くされたジャームの灰も、飛び散った血も、恐らく今頃は跡形もないはずだ。

 UGNはそうやって、日常があたかもつつがなく続いているかのように世界を取り繕っている。ウィルスに冒された者たちオーヴァードには、それだけの力があった。

 ……だが、世界はとっくに変貌している。決定的に。

 UGNが示してみせる日常の裏で、全く別の日常を送るものたちがいるのだ。

「物思いに耽っておるのか? “ありふれたブルーぶるぅ”」

 こっそりと声をかけてきたのは神々廻である。土方ははっとして、そちらに目を向けた。神々廻は艶然として、優雅に自らを扇であおいでいる。

 扇を広げ、密やかにこちらを見上げるその様は、彼女が十にも満たない少女であることを忘れさせる。もっとも、ルネや“罪業浄機カサルティリオ”の態度からしてもその振る舞いにしても、見た目通りの年齢ではないのだろう。

「……単なる緊張です。支部に赴任する時はいつもこんなものですよ」

 ルネに倣い、土方は首を竦めて敬語で答えた。

 でなければ、次に扇で打たれるのは自分かも知れない、と思ったからだ。

「とは、思えんがの。おぬしの目、我々を値踏みしておるようじゃったわ」

 口元を隠して笑う神々廻の言葉に、土方は一瞬ヒヤリとする。

 支部長の能力査定・増員、土方がこの支部に来た名目はこのふたつだが、その実は支部自体の内偵だ。当の支部員には知られるわけにはいかない仕事だが、まさか顔に出ていたのか、と、土方は唇を引き結ぶ。

「支部長はあの通りまだ不慣れじゃが、支部員の方は熟練揃いじゃ。先程のなれの果てじゃぁむも、掃除屋の連中が綺麗さっぱり片づけておる頃。心配御無用」

 が、神々廻の続く言葉は、土方の危惧していた方向とは少し違っていた。…どうもこの少女は、新任の支部長に思うところがあるようだ。

「なら、安心ですね……」

 内心安堵しつつ、まさかその「綺麗さっぱり片付けてくれる」ことを憂いているとは言えず、土方は小声でそう返すしかなかった。

(……まるで俺が不穏分子みたいだな)

 こっそりと自嘲して、土方は前を歩く支部長――ルネの背に目を向ける。先導するルネはルネで、横を歩く“罪業浄機カサルティリオ”と何かを話しているようで、こちらに意識は向けていない。

 胸の痛みは先程よりはましになっていたが、それでも時折鋭い痛みを覚えていた。

 ……広がる血だまり、深い青い瞳、頭に当てられた銃口。

 昔の夢を見たのもそうだが、ルネに出会った方が恐らくいる。

 彼は記憶の中よりも十年分年を取り、そしてこちらのことを覚えてはいない。あるべきものが、あるべき場所に収められている。今もなお。

 土方はぼんやりと背を見つめながら、我知らず胸に手を置いた。

「――」

 不意にルネが立ち止まり、こちらを振り返る。目の合うのにびくついて、土方は思わず立ち止まった。

 が、ルネは、こちらの動揺には気が付かなかったらしい。笑みを浮かべて、背後の扉を手で示す。

「ここが支部長室です。とりあえずの説明はこの中で」

「……ああ、よろしく頼む」

 土方は、低い声で返すと、何とか頷いた。



 ◇ ◆ ◇



 支部長室は恐らく、会議室を改装したものと思われた。

 窓が広くとられており、ブラインドもすべて開いている。大通りを挟んだディスカウントショップからは、見ようと思ってみれば中が覗けそうだ。窓の傍にデスクがあり、その手前に応接用の黒いソファが向かい合って置いてあった。

 部屋の中に棚の類はなく、書類や書籍もデスクの上には見られず、代わりに小さなノートパソコンが載っている。殺風景な部屋は恐らく、支部長のシンドローム由来だろう。紙の資料を必要としない、という類の。

「お茶も出せずにすみませんが、まずは支部の状況から説明します」

 土方たちをソファに座らせて、デスクにもたれて立ったまま、ルネは早速とばかりに話し始めた。

「T市は電車の乗り入れも多く、人の出入りも激しい土地柄です。隣接する市も多いことから、支部の管轄区域もやはり隣接、あるいは少しだけ重複している。――ただ、当支部はほかの支部よりも人員が多く配置され、担当できる業務も多いことから、専門スタッフがほかの市に助っ人に入ることもある。

 だから実際の管轄、という点で見ると、かなり広い区域を担当していることになります」

「新米支部長には多少重荷というわけじゃ」

「そう思います。現在は支部員の手を借りて、何とかやっている状態です」

 ちくりと刺された神々廻の言葉にさらりと答えると、ルネは腕を広げてみせる。神々廻は鼻を鳴らして、扇で顔を隠した。

 T市やその周辺を拠点とするFHセルは複数確認されているが、目立った活動は今のところ確認されていない。だから、もっぱら突発的なジャーム事件やオーヴァードの保護がUGNの主な業務となっている――ということらしい。

「さっきのジャームも、そのひとつ。神々廻さんが迅速に駆けつけてくれて助かりました」

「当然じゃ」

「突発的な発症、ジャームの発生は、T市内でもほかの支部でも警戒すべき件数を越えてはおらず、被害者も以外には出ていない状態でした」

?」

 聞きとがめ、土方は声を上げた。神々廻の機嫌がまた悪くなり、ぱちりと扇が閉じられる。

「ここ一週間で、この支部の正式な管轄内でだけジャームの発生数が増えている……と、思われます」

「……はっきりしない言い方だな。思われるってのはどういうことだ?」

「防衛隊です」

 土方の問いに答えたのは、それまで黙っていた“罪業浄機カサルティリオ”だった。揃えた膝の上に手を組んで、土方の方へ目を向ける。

「T市内には以前から防衛隊の駐屯地があって、そこにはオーヴァードの実働部隊がいる、という話が出ています」

「……ストレンジャーズ?」

 銃刀法の改正と前後して、国防の名目で再編された防衛隊。

 その本来の目的は、増え続けているオーヴァード事件への対応のためだ。防衛隊内で訓練を受け、オーヴァードのみで構成された部隊がストレンジャーズ。数の限られた精鋭部隊である彼らは、表向き存在してという事情も相俟って、大規模な事件にしか投入されることがない。

 特にこうしたジャーム事件には、姿を見せることのない連中のはずだ。

「ストレンジャーズの準隊員などが訓練中である可能性はあります。少なくとも、FHでもUGNでもないオーヴァードがジャームへの対応と隠滅を行っている、という情報は確かなものです」

 “罪業浄機カサルティリオ”の口調はあくまで淡々としていた。切れ長の目にも、何の感情も込められていないように見える。……落ち着いている、という点で見れば、彼女がこの場では一番かも知れない。そういう風に訓練されているのだ。UGNには、しばしばこういう子供がいる。

「防衛隊にはかけ合っていますが、彼らが握っている情報はもらえていない」

 ルネが話を引き継ぎ、デスクに手を置いた。

「彼らが処理しているジャームの件数がどれぐらいかは分かりません。だけど、UGNと防衛隊が縄張りを分け合うこのT市で、こちらの処理件数が増えているのは、警戒すべき事態です」

「……とは言え、FHに目立った動きはなく、確認されているのは暴走ジャームばかり。人語を解すものさえいない」

 再び、神々廻が挟んでくる。扇を広げると、じろりとルネの方を横目で見やり、

「時期的な変化か、偶然か。大したことがないとわしは思っておるがの。気張り過ぎじゃわい」

 あからさまな。優雅に扇で自らをあおぐ神々廻に、土方はため息を噛み殺す。……気張っているのはどちらなのやら、慎重な新任支部長の姿勢が、彼女にはどうも気に食わないらしい。

(……あるいは、『大したこと』なのに、目を向けさせたくないと思っているからか?)

 内偵の仕事を思い出して、唇を曲げる。……だが、もしも神々廻の目的がそうだとしたら、いかにも

「いずれにせよ、調査はすべきです」

 断定的な口調で言う“罪業浄機カサルティリオ”は、どうやら支部長派のようだ。

 あるいは土方と同じように、神々廻に何らかの疑念を抱いているのかも知れない。眉根を寄せて、神々廻を睨みつける。

「偶然でも時期的な変化でも、原因があるのであれば調査し、解消すべきでしょう。

 ジャーム化しているのは潜在的なキャリアで、未覚醒であった一般人ばかりです。放っておけば、行方不明者が増え続けることになります。

 神々廻さんにとっては、寿命の短い人間が死んでいても、『時期的な変化』で済むでしょうが」

「な、何もそこまでは言うておらんぞ」

 淡々とした、しかし辛辣な“罪業浄機カサルティリオ”とは対照的に、神々廻は慌てふためいた様子で手に持った扇を閉じた。

「わしはただ、いつも通りに仕事をして、いつも通りに問題を片づければよいと思っているだけじゃ。調査をせずともよいとは言っておらんし、人が死んで大事ないとしているわけでもない。

 増員として、“ありふれたブルーぶるぅ”も来たのだし……」

 神々廻の助けを求めるような視線がこちらに向く。

 ……まあ、そういう流れになるだろう。支部長を自ら敵に回して、“罪業浄機カサルティリオ”に睨まれれば、頼る相手は土方しかいない。

「のう? おぬしは、調査や交渉を得意とするエージェントと聞いておる」

「……そうですね。評価としては、そうです」

 頷く土方に、神々廻は我が意を得たりとばかりに深く頷いた。

「そうじゃろう? こやつが土地勘のあるわしと組んで調査に当たれば、ジャーム化の増加に何らか、原因が見つけられるかも知れん。

 そうじゃ、そういう提案をするつもりであった。ほら、じゃし、気も合うじゃろうし」

 小首を傾げて、神々廻は“罪業浄機カサルティリオ”と土方を順繰りに見た。

 “罪業浄機カサルティリオ”の言い口からして、神々廻はやはり古代種……レネゲイドの中でも特に古いウィルスに感染し身体の成長の一切を止めた、半ば不老不死とも呼べる存在……の、ようなのだが、どうも思ったより打たれ弱いようだ。もしかしたら、“罪業浄機カサルティリオ”のことが特別苦手なのかもしれない。

 弱々しい視線を向けてくる神々廻に、“罪業浄機カサルティリオ”はさらに何か言い募ろうとしたようだった。が、ルネがそれを手で制す。

「神々廻さんの案は、いいと思います。もともと、この件の調査はにお願いするつもりでした。今日は調査を進めてもらいつつ、神々廻さんからT市の状況についてもう少し補足してもらう、ということで」

「……ああ。問題ない」

 土方は頷いて見せた。神々廻は自分の提案が受け入られたことに、ほっとした顔で息を吐く。

「よかった。じゃ、調査に行く前に、ここにいる人だけでも自己紹介を済ませてしまいましょう」

 ルネはへらりと笑うと、デスクにもたれるのをやめて立ち上がった。…自己紹介。悠長な話に思えるが、土方にとってはありがたい話だ。土方の能力は三人とも把握しているようだが、土方はまだ断片的にしか、三人の情報を得ていない。

「そうじゃなあ、わしもそれがよいと思う」

 “罪業浄機カサルティリオ”にこれ以上刺されるのを避けたいとあってか、頷く神々廻の声は裏返り、若干間が抜けていた。

ほりちゃんも、それで構わない?」

「――了解しました」

 “罪業浄機カサルティリオ”は頷くと、すっと佇まいを直した。矛先は収めたようだが、神々廻をひと睨みするのを忘れてはいない。神々廻は先程からずっと扇で顔を隠したままだったが、“罪業浄機カサルティリオ”の「了解」の一言を聞いて、パッと顔を上げた。

「では、まずはわしから挨拶をしよう。この支部では一番の古株であるゆえな!」

 立ち上がり、胸を張って見せる。“罪業浄機カサルティリオ”がルネに視線を向けたが、ルネは笑って首を振るだけだった。

「わしは“吉里吉里舞きりきりまい”神々廻あゆか。エンジェルハイロゥとソラリスのクロスブリードじゃ。……わしの力の一端は、おぬしもすでに見たであろう?」

 言いながら、神々廻は手を広げ、その上に緋色の光を灯して見せる。

 オーヴァードの能力はそのかたちによって、十二種類の病態シンドロームに分類されている。光を操るエンジェルハイロゥシンドローム、体内で薬品を精製するソラリスシンドローム。

「この支部が設立された時からおるゆえ、支部のことであれば何でもわしに聞いてよい。この市のこともじゃ。わしはおぬしが生まれる前から、ここに住んでおるゆえな。うむ、以上じゃ」

 自負という言葉を絵に描いたような顔で言い切ると、神々廻は再びソファに沈み込んだ。

 ルネに目線で促され、次いで立ち上がったのは“罪業浄機カサルティリオ”だ。

「――“罪業浄機カサルティリオ岸庭きしばほり。……サラマンダー、レネゲイドコントロールタイプです。支部では神々廻さんと連携して、接近戦を担当しています」

 超高熱と超低温。温度を操るサラマンダー・シンドローム。ジャームを焼き尽くしたのは、まさにその力だろう。

「志ほりちゃんは俺より少し前に、戦力増強のために日本支部から派遣されたチルドレンです」

 簡潔に自分の能力だけを述べて座りなおした“罪業浄機カサルティリオ”――志ほりに代わって、ルネが彼女の経歴プロフィールを補足する。UGNの子供たちチルドレン。記憶もないころ幼いころにオーヴァードに目覚め、UGNの中で育ってきた少年少女。

「――だから、この中では俺が一番新米です。

 “甘い雷フルミネ・ドルコ”ルネ=レスピーギです。ここではもっぱら、支部長と呼ばれてばかりだけど」

 ルネは言うと、頬をかいて見せた。

「ええと、シンドロームはブラックドッグのピュアブリードで、志ほりちゃんと同じRCタイプ。……あ、これでも日本生まれ日本育ちなので、コミュニケーションは問題ありません」

 

「……新米、と言うのは?」

「オーヴァードになって、まだ二年も経っていないので」

 土方の問いに答え、ルネは困ったように笑う。……ブラックドッグ・シンドローム。雷を操り、機械手術に適性を持つ。支部長室に書類がなかったのは、やはり彼のシンドロームゆえだろう。

(しかし、二年か)

 確かにこの規模の支部を任せるには、経験が浅すぎるように思われる。よほど評価が高いか、それとも彼を赴任させたことに何か意図があるのか。

「……ああ、」

 三人の視線が集中しているのに気が付いて、土方は立ち上がった。こちらの資料は共有されているはずだが、一応、ということだろう。

「“ありふれたブルー”土方治だ。ソラリス、ハヌマーン。知っているだろうが、得意なのは情報収集、交渉、……

 自分で言いながら首の後ろが冷えるのを感じて、土方は身を竦めた。

「……戦闘も一応はできるが、基本的には裏方だ」

「そっち方面は期待はしておらぬから、安心してよい。わしと“罪業浄機かさるてぃりお”がおれば、だいたいの敵は何とかなるからのう」

 扇を開き、神々廻は呵々と笑った。こっそり戦力から支部長を外している。……だが確かに、小規模な支部であれば否応なしに前線に出る支部長も、この規模の支部ならば指揮能力の方が重要視される。戦うことは求められないのかも知れない。まさか最前線に出て行って、戦闘員を庇うなどとは。

「ああ、戦闘は安心して任せるが、調査では成果を出す」

「お願いします。やり方は、土方さんにお任せしますので。こっちで用意できるものがあったら言ってください」

「では、早速出発するとするかの。案内するぞ、“ありふれたブルーぶるぅ”」

「待った」

 勢いよく立ち上がり出ていこうとする神々廻を止め、土方はルネに向き直った。

。俺のやり方に任せると言ったな」

「? はい」

 目を瞬かせながらも、ルネは頷いてみせる。土方は胸の痛みが不意に強くなったのを感じて、知らず、胸元に手を置いた。

「用意してもらいたいものがある。

 ……任せておけ。こういうことにかけては、俺はプロフェッショナルだ」

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