2000文字のエトセトラ

真野絡繰

第1話 高性能掃除機はいかが?

「掃除機、壊れちゃったの」


 日曜日の午後、ソファに寝そべってテレビを見ていたおれに、妻が言った。動かなくなったという掃除機のホースを持って、ソファの前に立ちつくしている。


「どうした、吸引が弱くなったのか?」

 上体を起こしながらおれが聞くと、妻は首を横に振る。


「じゃなくて、元からダメになったのかも。スイッチを入れても、ウンともスンともいわないの。この間から調子悪いと思ってたんだけど……」


 妻は、困り果てたような様子だった。家事を苦にしないというか、どちらかといえば趣味にしているような人だから、そのための“武器”を失うことは大打撃なのだ。


「どれ、見せてみなよ」

 おれは手先が器用だし、機械にも強いほうだ。掃除機の構造なんて単純だから、簡単な修理ぐらいならできる自信もあった。家にはもあるし、音が出なくなった妻のミニコンポを直してやったこともあった。


「……たぶん、あなたでも直せないと思う」

「そう?」


 妻はやけに自信たっぷりだった。なぜそんなに自信があるのかと問いかけそうになったが、それをするのはやめておいた。毎日使っている人が「壊れた」と言うのだから、その感覚を信用したほうがよさそうだし、ここで論理的な説明を求めても話をこじらせるだけだ。おれは家庭の和を重んじる選択をし、話題の方向性を変えた。


「その掃除機、何年前から使ってたっけ?」

「えっと……ちょっと待って。いつ買ったんだったっけかな?」


 妻は真剣な顔つきになり、指折り数え始めた。結婚して5年、初めて見せる真剣な表情だった。

「確か、私が社会人になって何年か経った頃よ。年でいうと25ぐらいのときだから、もう8年は使ってると思う」


 妻は33歳だから、計算は合っていた。25歳という記憶も、おそらく間違ってはいないだろう。


「8年だったら、もう寿命と考えていいだろうな……。それなら、新しいのを買えばいいじゃないか」

「じゃあ、今日これから買いに行かない? いいのがあるんだけど……」

 と言って、妻はスマホの画面を見せてくる。それはメーカーのウェブサイトで、掃除機の性能を紹介する動画だった。


「これが欲しいのよ。ほかのメーカーのと比べて、段違いに性能がいいでしょ?」


 なるほど、妻の狙いはこれだったのか……と思いつつ、おれは動画を覗き込む。外国人の女性が英語で喋っているナレーションに、日本語の字幕がついていた。


≪当社の掃除機最大の特徴は、タンクにゴミが溜まっても吸引力が衰えないこと。絨毯やカーペットの毛羽立ちはもちろんのこと、先端のアタッチメントをつけ替えれば和室にも対応します。ほら、畳の隙間に入った細かいゴミも、ご覧のとおり――≫


「うん、いいね。買いに行こうよ」

「ホント? ありがとね!」


 さきほどまでの困り顔とは打って変わって、妻は満面の笑みを見せた。期待していた額には届かなかったもののボーナスが出たことだし、これぐらいのをしてもいいだろうと、おれはほんの少しだけ鼻を高くしていた。


          *


「すごいよ、やっぱりすごい!」


 念願の高性能掃除機を購入して帰宅し、さっそくリビングルームのカーペットで試してみた妻は、驚嘆の声を上げた。その言葉どおり、年を経て薄汚れていたグレーのカーペットは、見る見るうちに綺麗になっていった。


「おお、確かに綺麗になるな。音も静かなのに、すごい吸引力だ」

 おれも、妻と一緒になって驚いた。


「CMでも言ってたもんね。カーペットの毛羽立ちも簡単に取れるって」

 こんなプレゼントで妻の機嫌がよくなるなら、7万円の掃除機も高くない。おれはそのとき、本気でそう思っていた。


          *


 翌日、仕事から帰ると、部屋の様子がどこか変だった。特に目立ったのは、リビングのカーペットがグレーからグリーンに変わっていたことだ。


「カーペット、どうしたの?」

 妻に聞くと、なにやら上機嫌の返事が返ってくる。


「あんまり綺麗になるから気持ちよくて掃除機をかけてたら、カーペットそのものがなくなっちゃったのよ。だから、新しいのを買ってきたの」

「そりゃまた、すごい掃除機だな」


 おれは、妻が冗談を言っていると思っていた。いくら高性能とはいえ、カーペットを丸ごと吸い込む掃除機なんて、あり得るはずもない。


「今日は、ずっと掃除をしてたの。床も壁も、ピッカピカになったよ」

 自慢げに話す妻を見て、おれもうれしくなった。


          *


 さらに翌朝、会社に出かけるおれは妻に聞いた。


「今日も、新兵器を使って大掃除?」

「うん、もちろん」


 そしておれは愛妻弁当を受け取り、会社に向かった。年度末で忙しい業務を切り抜ける1日を終えて帰宅すると、自宅周辺の風景が変わっていた。


 おれの家が、ない――。


 3980万円の35年ローンで買った家があった場所には、掃除機を握りしめた妻がポツンと立っていた。声をかけると、妻はおれに振り向いて言った。


「この掃除機、やっぱり高性能よ。だって、家ごと全部吸い込んじゃったんだから」

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