第147話 吾輩ガンジータイムにより悟りを開く

吾輩は目を覚ました。こうもりが話しかけてくる。

「旦那、お目覚めですか?」

「リビドーを感じる・・・悟ってきた」

「・・・」(危ない状態だ・・しかも、リビドーの使い方間違ってる・・・)



吾輩は悟りを開き始めた。

釈迦はいった。悟りとは、もう己の中にあるのです。

みな、悟っているのですよ。

「悟りました!!」

「いいえ、そういう、うちは悟ってないのですよ♪」

お、お釈迦さま・・・それは・・・一体。

なぞなぞという名の、禅問答。

これが仏教の真髄である。わかるようで、わからない。


吾輩は考える。

どうも、小説家という人たちは・・・自己意識が高い。

オリジナリティ、一文字・一文字。魂を。

わかる。わかるよ。その気持ちは。

だが、ことエッセイに関しては、その魂を感じない・・・。まぁ、駄文と書いてあるけど。

ここが今、境目なのだろう。

文章表現が気に食わない・・・。まぁ、好き嫌いはあるわかります。

パクリだろう、それは?まぁ、オマージュなのか難しいところです。

けど、違うよ。

あまりその境界線を敷きすぎるのは良くない。人の作品を読めなくなるから。

確かにオリジナリティというのは大事だ。

大体、小説家の売れっ子はその特性がある。個性というか、文に味がある。わかる。

ただ、時代がそれを認めるかは別問題なのだ。

だからこそ、何が秀逸というのは、一般人含め行われる。

芸術と一緒だ。ムンクのムンクの叫び・・・あれは、死後有名になった。

文章表現が行き過ぎると多分そうなる。死後・・・認められるかもしれない。

何を書きたいんだっけか?迷走してるな。

とりあえず、仲良くやろうと言いたい。文章というのは誰しもが理解できるものではない。

書き方の綺麗さなどは色んな種類がある。

売れ筋が気に食わないというのは・・・偏見だ。

斜に構えすぎると、線になるぞ。

人の作品を馬鹿にするより、褒められる作品を探すべきである。

それが、感性につながると思う。

あるエッセイを見て、暴挙に出そうだったが、そこを吾輩は抑えた。

これぞ、ガンジータイムの効果。


吾輩は考える。

ある人の企画に参加しようかと。

プロットをくれるから書いてみて♪ってやつだった。

少し、プロットをのぞいた。

思いついてしまった。

まぁ、おもしろいかは別物だが・・・。プロットも若干改変してしまうが・・・。

まぁ、いいか。

参加表明はやめておこう。必ず書くかはわからない。

気が向いたらやろう。

さほど、時間はかからなさそうだし。


吾輩は眠りにつく。


≪つづく?≫

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