第142話 吾輩エッセイの定義を考え込む
吾輩は目を覚ました。こうもりが話しかけてくる。
「旦那、お目覚めですか?」
「・・・」
「返事がない・・・死んだ屍の様だ。」
「生きてるよ!!」
吾輩はエッセイの定義について、考える。
自由な形式で、通常はある1つのテーマをめぐって書かれた散文。
語源は「試み」の意であるフランス語のessaiより。
この語を初めて近代的な意味で用いて書名とした、フランスの思想家ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(Essais,1588年)は、幅広い知識と教養に裏付けられた、批判的、複眼的な視野で、深い人間観察、人間探求を実践、この分野の古典となった。話の筋道が整合的な体系に回収されてしまうことを何より忌避して、複数の論理や断片的な思考に積極的に身を任せ、脱線や逸脱や逡巡をいとわない。
安直な全体化に執拗に抵抗する、そんな自由な思考の「試み」にこそ、エッセイというジャンルの本質がある(P.グロード、J‐F・ルエット『エッセイとは何か』、1999年)。このジャンルは、イギリスの哲学者・政治家フランシス・ベーコンの『エッセイ』(Essays,1597年)によって、イギリスにもたらされ、ジョセフ・アディスン、チャールズ・ラム、ウィリアム・ハズリットなどのエッセイの名手を次々に生み出した。新大陸アメリカにも、19世紀に入ると、ラルフ・ウォルド・エマソン、ヘンリー・デイヴィッド・ソローなど、特筆すべき書き手が登場してくる。
この用語が厄介なのは、これを「エッセイ」と訳すか、「随筆」「随想」と翻訳するかで、日本語ではそれぞれ異なる書きものを指してしまうからであろう。
「随筆」「随想」には、名のある文学者や知識人が気軽に書いた、だが味のある散文の小品、といった趣がある。ところが欧文では、ジョン・ロック『人間悟性論』(1690年)もジャン=ジャック・ルソー『言語起源論』(1781年)もチャールズ・ラム『エリア随筆』(1823年)も、その原題はすべてessayないしessaiなのである。
吾輩上の文より、考える。コトバンクありがとう。
さて、まず一文目。
【自由な形式で、通常はある1つのテーマをめぐって書かれた散文。】
これは・・・世界平和ですね。きっと。
バンパイアと名付けたやつに物申したいこともありますが、話数的に世界平和です。
【「試み」の意味。】
これは・・・世界初の試み。世界平和エッセイのことですね。
適当は当たります。やはり。
【幅広い知識と教養に裏付けられた、批判的、複眼的な視野で、深い人間観察、人間探求を実践、この分野の古典となった】
えぇ、幅広い題材を使って、批判はしてません。
複眼的な・・・こうもりが見守っています。
深い人間観察・・・これは、自分を観察しています。
人間探求・・・えぇ、カクヨムの人々を探求しています。
全部当たっているな。
「旦那、一個・・・抜けてますよ」
「見えない・・・聞こえない・・・言わないお約束」
「・・・」
続ける吾輩。1000文字超えた。コトバンクありがとう。楽勝ですね。
「旦那・・・だめですよ」
「ハイ・・・控えます。」
【安直な全体化に執拗に抵抗する、そんな自由な思考の「試み」にこそ、エッセイというジャンルの本質がある】
はは!!そうですね!!世界平和に特化して考えてますから。今の世の中に疑問を抵抗しています。自由な思考!!まさに自由奔放!!縦横無尽!!尽きることはない。
思考ですからね♪
【これを「エッセイ」と訳すか、「随筆」「随想」と翻訳するかで、日本語ではそれぞれ異なる書きものを指してしまうからであろう。「随筆」「随想」には、名のある文学者や知識人が気軽に書いた、だが味のある散文の小品、といった趣がある。】
趣だと・・・。何だ?それは?趣があるかは・・・読者に任せよう。
散文ではある。散らかしまくりです。
【原題はすべてessayないしessaiなのである。】
うん?何を言ってるの?どっちでもいいか・・・。言葉ですね。
「旦那、どうでしたか?」
「いや、エッセイで間違いないでしょこれ。間違いなくエッセイ」
「ほぼ、エッセイですね」
「そう!!」
「エッセイです!!」
「決定!!ドンドンワシかつ丼♪」
吾輩は眠りにつく。
≪つづく?≫
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