第8話
相変わらず、ピンクのネコミミフード付きパーカーに太股の半分程を晒した短丈のパンツという着る頻度としては制服に近い私服姿の少女、真琴が背後からの重々しい摩擦音に反応し振り返ると、そこにはお目当ての人物がいた。
「やっと来たか……待ちわびたよ。
「ああ、ここはいっちょ、それっぽく言ってみるか。……待たせたな、真琴」
付き合いは長いが、仲良くなったと言えるのはかなり最近である友人且つ親戚の少年、
「《弥生》……か。いつもの文月はどうしたんだ?
《弥生》とは、陰暦の三月を示す名前で、その名もつこの細身のデバイスは、スピード重視の刀剣型デバイスだ。
そうして軽口を叩く余裕を見せた真琴だが、昴の使用デバイスを突然に変更するという行為の真意を図りかね、今になってようやく、既に戦いが始まっている事を内心で悟った。
「なに、単にお前相手には、こっちの方が合ってるってだけのことだよ」
「そうかい、じゃあ、僕の事はそれなりに警戒してくれてるって事か。嬉しいじゃないか」
「何言ってんだ、単純な実力なら、俺より遥かに上のお前を警戒しないわけがないだろ?」
そうして会話を続けながらも、互いは開始地点にて戦闘スイッチを既に切り替えていた。
そして、頭上約五メートルに位置するモニターに付属するスピーカーから、丁寧な口調で女性によるアナウンスが周囲に集まった野次馬含めその場の全員の耳に届いた。
『これより、
そして、皆が静して見守るなか、アナウンスは一拍置くと、続いた。
『それでは、スリーカウントで開始します。スリー』
そして、あちこちから囁きが漏れ出すなか、三十メートルの距離から互いに見つめ合った両者は、『ツー』のアナウンスでようやく動き出した。
そして『ワン』の時点で、構え再び静止する。
緊張の糸がはちきれんばかりに張り詰め、数分間にも等しい濃密な一瞬の
『スタート!』
瞬間、真琴の後方にいた前列の観客は、揃って悲鳴を上げた。
真琴のダッシュによって巻き上がった砂埃にやられたのだ。三十五メートルもの距離まで砂埃を舞上がらせた真琴のスタートダッシュは、それに頷けるスピードを出し、猛烈な勢いで昴へと迫っていた。
そして、残り五メートルの位置になった所で、真琴は引きずるようにして右手に持っていたハルバードを両手に持ちながら強引に前へと振った。
計算された完璧なタイミングで昴の首元へと迫ったハルバードの刃は、しかし本体に掠める事もできず空を切った。
だが、これだけで昴を捉えられるとは真琴は微塵も思っていなかった。むしろ、この一撃は開戦への布石にして、避けさせる為の
「……っらあ!!」
掛け声と共に、左へ行ったハルバードを持ったまま腕をぐるりと背に回し、遠心力を使いさらにスピードを増して真琴の背へと移る。そして先の一撃よりもました威力とスピードを持った上方からの振り下ろしは、視認して避けるのは困難なものだった。
さらに、先程の攻撃において。初撃の横振りを避けようとすると、大抵の人間は上か下もしくは後ろに避けようとする。真琴の場合は、弥生で受け止めるという選択肢をなくすために(元々スピード重視である弥生にできるとは思えないが)受け止め難い上方を狙ったので、昴は今重心を深く落とした状態だろう。
そこを狙い済まそうと真琴が目を向けた先に、昴の姿はなかった。
(いない……なら一体どこに?)
冷静に状況を分析した真琴は、そのまま一旦ハルバードを地面に振り下ろすと、刃は軽々と地面を裂いた。そして突き刺さった状態のハルバードを支えにし、なんと棒高跳びの要領で高く飛び上がった真琴は、空中にいる間に昴の姿を捉えるべく視線を全方向に張り巡らせた。しかし、なおも昴の姿を見る事は叶わなかった。
(地上にはいない……普通なら跳んだか潜ったかの二択になるけど、見た所地面に潜ったような形跡は無し……という事は!)
そして、着地と同時に上を見上げると、猛烈な光を放つ照明に思わず視界が一瞬歪んだ。
そして、視界がわずかに回復したことで真琴が見えたのは、もうすぐそばまで迫り来る昴の刀剣型デバイスだった。
もう、脳が信号を送りそれを行動に移しても間に合う距離じゃない。それを本能的に自覚した真琴は、本能で、もう一つ行動を並行して起こしていた。
右足に重い感触。真琴は気がつくと地面に着けたままのハルバードを蹴り上げていた。
生身でやれば足先の骨折は免れないだろう鈍重な手応えを感じながらも、真琴の意識は、自らに迫る刃とそれに迫るハルバードに向いていた。
キィンッ!という音の後に、真琴は体勢を後ろに下げ過ぎていたのだろう軽く尻餅をついていた。
間一髪弥生を弾いたハルバードは、真琴が右手に握りしめていたことにより弧を描き、勢いのまま真琴の後ろの地面に突き刺さった。
弥生を弾かれ軽くよろめいた様子の昴は、痺れた手を何度か握ると再び弥生の柄にあてがった。
やるしかない……か。
やはり、コレなくして昴に勝てるわけがないんだ。
真琴は観念し、ゆっくり立ち上がった。昴も何かを察したのか追撃はせず、弥生を正面に構えたまま静止した。
「ぐっ!……うぅぅ……」
真琴は、突如襲い来る心臓の痛みに、胸元を抑えながら呻いた。そしてそのままうずくまった真琴に、観客のほとんどが心配そうな視線や「大丈夫なのか?」「何かの発作か?」などと口々に呟いていたが、その後、瞬時に凍りつく事となった。
「あはは……あははははハハハハハハハハッッ!!」
突如声を上げて笑い出した真琴の瞳は、恐ろしくも毒々しい赤色に染まっていた。
真琴の突然の異変に声を上げる者はいなかった。否、声を上げる余裕のある者はこの場には存在しなかった。
そして会場全体に広がった真琴の「殺意」は、やがて集束し、真琴の身体の中に再び戻ると、赤黒いオーラとなって真琴を纏う形となった。
「やっぱり、やるしかないか……」
心底厄介そうに吐き捨てると、昴は弥生を構え直した。
昴は、以前にも、こうなった真琴と何度か対戦している。だから、今回もなんとなくこうなる予感はしていた。
だが、改めてその姿を見た昴は、やはり本能的に肌が粟立つのを止められなかった。
「アハッ!」
ノーモーションで胸元から身体を無理やり引っ張るようにして真琴が昴に飛び込んで行く。溜めもなしに片手で力任せに振られたハルバードでの一撃は、しかし、先刻の一撃とは比較にならない程のスピードと威力を秘めていた。
ただでさえスピード重視の弥生に止められるわけがない。昴は弥生を使い攻撃を上手くいなし軌道をずらすことだけを考えた。
……既に、その場に居合わせた観客のほとんどは、真琴の殺意に当てられ意識を失った状態にあった。
幸い、狂気に至る程に影響を受けた者はいないものの、戦う度にこの調子では、観客の安否を危惧した学校側が真琴を表舞台に立たせる事がなくなってしまう恐れもあった。
だが、そんな事はどうでもいいと告げるかのように真琴の攻撃は苛烈を極めていった。
そして、真琴の攻撃を昴がいなし躱し続けて三分が経過しようとしていたその時であった。
「……!?」
「はあっ!」
昴はようやく反撃に出た。
真琴の繰り出した大振りと見せかけてからの柄頭での突き。ハルバードでの攻撃方法としては意外すぎるそれを、昴は紙一重で躱すとカウンターで左回し蹴りを側頭部に撃ち込んだ。
そのまま遠心力で正面に向き直った昴は、人体において最も重い部位である頭部の衝撃によりよろめいた真琴に向けて走り出した。
(今がチャンスだ!)
空いていたわずか三メートル程の距離は数歩で埋まり、昴が攻撃のモーションを完了させる頃には真琴はまだ重心が後ろに偏っており、とても回避できる状態にはなかった。
「いっ……けええ!」
右上腕の丁度中間部分から左肘を抜けるようにして振られた弥生は、しかし、その目的を果たせず動きを止めた。
「くそっ……お前も使えんのか!」
「アハハ……ッ!」
肘を折り、手を肩の高さまで上げて防御の姿勢を取った真琴の腕には、途中で止められた葉月の姿があった。理由、方法はいたって単純。昴が先程やった事を真似ただけのことだ。体内を巡る魔力を右腕に集め防御力を高める。その方法で彼女は昴の渾身の一撃を止めたのだ。もちろん、代償はあった。真琴の右腕は、半ばを過ぎほとんどが切られ動かす事もできず、プラプラとぶら下がっていた。
利き手を失った少女と、全体力を注ぎ込み作った絶好のチャンスに勝負をつけられず疲労困憊した少年。
数少ない平常な観客達は、他の気を失っている観客達の安否を心配しつつも、年内稀に見るハイレベルな戦いに感嘆の声をもらさずにはいられなかった。
無論、周りでバタバタと倒れた他の生徒を運んでいる者の方が多かったが、それでもふと、運ぶ途中につい見蕩れてしまう者も少なくなかった。
「せあっ!」
「ハハハハッ!!」
方や、構えや受け身など知ったことではないとでも言いたげな力押しで戦う真琴。
力の真琴と技の昴。全くスタイルの違う二人の戦いは、しばらく拮抗した。
だが、そんな戦いは、もう五分ほど続いたところで、再び動き出した。そしてそれは、来る事がほぼ決まっていた決着だった。
「はぁ、はぁ……ア、ア゛ハハハッ……」
「…………」
先に体力の限界が見えてきたのは、言うまでもなく真琴の方だ。おそらく残った左腕も、既にまともに動かせる状態ではないだろう。
効率などドブに投げ捨てたような、あんな乱暴な戦いが、いつまでも続くはずがなかったのだ。
真琴は、未だ赤黒く灯る瞳を細くし不気味な笑い声を上げているが、腕や肩は力なく垂れ、足元もおぼつかないようだ。
これを予期していた昴は、「やっとか……」と一人当然とも言える結果に安堵しつつも、額からは少なくない量の汗が流れ出ていた。原因は、身体的な面よりも、こちらも真琴とは反対に、精神面においてかなりの疲労が色濃く現れていた。
呼吸の乱れも見えない昴は、(額の汗はともかく)この戦いを観客席から観ていた者達としては余裕があるように見えただろう。しかし、観客席よりももっと近い位置で観ていた者。生徒会長
木下 宗次郎には、昴が真琴相手にどれだけ苦戦を強いられたのかが分かった。
だが宗次郎は、決着が着くのも見届ける事なく、フィールドに背を向けた。
「今年の一年生には、何かと面白そうな奴が多そうだな……」
独り薄暗い廊下でニヤリと笑みを浮かべた宗次郎は、道の先に人の影を見つけると、すぐさまその人物の正体を見抜いた。
「千堂さん。どうしたんだい、こんな所で?」
影の正体、生徒会副会長の千堂 藍歌は、一つため息をつくと、ジトーっと宗次郎を睨みつけた。
「どうしたもこうしたも、大事な業務を部下に押し付けて格下同士の拙い戦いを観戦しに来たダメ生徒会長を連れ戻しに来たのです」
「君の言葉は時々物凄く辛辣になるね。誰に対しても」
苦笑いと共にそう告げた宗次郎に、藍歌はそっぽを向きながら言った。
「私は、あくまでも事実を述べているだけですから」
まるで照れ隠ししているようにも見える藍歌の仕草が、本当は、つい言い過ぎてしまったと罪悪感を感じ、それを悟られるのが恥ずかしいから極力バレないようにした結果の行動なのだが、長いつきあいである宗次郎には簡単に分かった。
「……僕が生徒会長として不足なのは自覚しているけど……あの子達の試合が拙いものかどうかは、アレを観てから言うべきじゃないかい?」
「観なくても分かります。なんせ、会長がそれを観て試合と言ったのですから、その程度なのでしょう?」
「あはは……これはまた、見事に図星を突かれてしまったよ」
「さあ、戻りましょう。仕事はまだ残っているのですから」
身を翻し歩き出した藍歌は、しかし、宗次郎の言葉に再び歩みを止めた。
「……いや、本当の戦いは、実はこれからなんだよね」
「……それは、どういう意味でしょう?」
「観れば分かるさ。さあ、丁度いい所みたいだし、行こう!」
宗次郎の言葉とともに、謎の爆発音がステージの方から聞こえ、藍歌は不安そうな表情で宗次郎の後を追った。
「そんな……お前……」
「まだまだ……これからだよ……昴!」
俺の目の前では、度重なり予想外の出来事が起こった。
まず一つに、暴走状態だった真琴が途中で正気に戻ったこと。いつもなら、一度暴走し始めれば気を失うまで暴れ続けるはずだった。だが、今日の真琴は、なんと自力で正気を取り戻したのだ。
そして、それに及ぶ程のもう一つの衝撃。
それは、疲労困憊した真琴に、俺がトドメを刺そうとしていた時だった。恐らくその時に正気を取り戻したのだろう真琴は、ズボンのポケットから一つの小さな箱を取り出すと、その中身を摘み俺の前にばらまいた。
「『小爆』!」
瞬間、俺の前で突然に爆竹のような細かい爆発が連続して起こった。
「なにっ!?」
俺が驚きの声を上げたのは、突然の不意打ちに驚いたからでもあったが、もう一つ、真琴が投げた物の正体の、恐らく全てが、とても小さな呪符であったからだった。
俺が怯んだ隙に距離を開けた真琴は、俺の足元に、ハルバードを置いたままだった。
「さあッ……仕切り直しと、行こうか……!」
「な、なに言って……!」
そして真琴がどこかから取り出したのは、三枚の呪符だった。
そうして、俺はようやく悟った。
(仕切り直しって、そういうことかよ……!)
スタイルを戦斧使いから、呪符使いに変えた真琴は、このまま戦闘を続行するつもりだ。
対して俺は、既に視界もぼやけ、思考速度がみるみる低下していくのが分かる。精神的にはもうかなり限界が近い。
……だが。
「受けて立ってやろうじゃねえか!」
奥歯を噛み締め、俺はそう叫んだ。瞬間、真琴も輝きの増した笑顔を放つと、手に持った三枚の呪符を俺の丁度真上めがけて放った。
「湧き上がれ、フロウ・ウォーター!」
真琴の詠唱と共に一枚の呪符から大量の水が流れ出した。すると、真琴はもう一枚の呪符をその水に放った。
「霧散しろ、ミスティング・ウォーター!」
途端、流れ出た水は全て気化し、辺り一帯が高密度の霧で覆われた。
「くそっ!目くらましか!」
俺は霧の範囲外へと出るため中心部を離れようと走る。だが、そこに真琴が言った。
「もう、遅い……とっておきをくらえ!」
真琴が、目の前に三枚目の呪符を掲げる。目を瞑り、詠唱を始めた瞬間、霧の間に雷鳴が走った。────いや、これは霧じゃない、雲だ!
俺は直前で気づいたが、しかし、もう遅かった。
「……雷雲よ……
巨大な雷の柱が、周囲の雷雲によってさらに増強される。
視界を、巨大な光が覆うと同時に、俺の仮想体は一瞬にして破裂、四散した。……直後、耳を劈くような雷鳴が轟いた。
……今回の勝負、二つの武器を使いこなし、終いには超高ランクの呪符まで使ったコンボを放った真琴の見事な勝利……とは残念ながらいかなかった。
「矢敷真琴!ルール違反により、失格とする!よって、勝者、二宮昴!」
「────────は!?な……なんで!?」
「当然だ!二種以上のデバイスを使うのはまだしも、A級指定の呪符をこんな観客席が剥き出しの場所で使うとは……死人が出てもおかしくなかったぞ!」
審判からの叱責が真琴めがけて飛んだ。そして、それに直撃した真琴はがっくりと項垂れてしまった。
そう。ルール上、一つの試合で二種以上のデバイスを使うのは禁止されている(具体的には、剣型デバイスの場合は、二つまでなら同時使用が認められているが、それと弓矢、そして呪符以外のデバイスは、単一での使用が義務付けられている。────ちなみに呪符の場合は種類問わず最大で二十枚までと決められている)。
それだけならまだしも、A級指定(呪符は、上から順にAA、A、B、C、D、Eまで階級が付けられていて、階級が高い程、強力かつ高級な物となってくる)以上の階級の呪符は、許可された試合、ステージ以外では基本的な使用を禁止されているため、失格の対象となったのだった。
まあ、犯罪とならずに済んだだけいくらかマシだろう。
「……や、やっちまったぁ〜〜〜〜〜〜!!」
真琴の悲痛な叫びは、闘技場を越えて本校舎まで届いたそうだ。
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