第2話


「はあ……」


 教員としての職務のみならず、家庭的事情から来る周囲からの重圧により、琴葉ことはは最近、よりストレスを感じるようになってきていた。


(まあ、社会人としてまだ二年目の若輩だし、そんな私に、今年は優秀な生徒が集まったという一年二組の担任を任せてもらえたのも、正直に嬉しい。……だけど、今はまだ、プレッシャーや重圧の方が遥かに大きい)


 幸い副担任は、教師歴二十年のベテラン教師である詩島しじま先生だからまだいいものの、もし副担任が琴葉と同じくらいの新米教師だったら、今頃琴葉は何をすればいいか途方に暮れてしまっていたであろう。


(まあ、その可能性を見越して学校側は、副担任に詩島さんを選んでくれたのだろうけど)


 今琴葉は、自宅で担当する数学のプリントを作っていた。

 この「プリントを作る」作業というのは、慣れないと案外難しい。これも、琴葉自身が教師になってから知った事だ。

 最初は、教科書の範囲にある問題を参考にし似たような問題をいくつか作ればいいだけの事かと思っていたが、いざ制作に取り掛かってみると、自分の思っていた通りにはいかず、なかなかにイラつく作業だということを、琴葉は前の一年間で知った。


 部屋の電気もテレビの電源も着けず、真っ暗な部屋の中「カタカタ……」というキーボードの叩く音だけが耳に届く。

 この状態は、琴葉にとって集中しやすくなる為に意図して作った体勢だ。

 ブルーライトカット機能の付いた眼鏡のおかげである程度は目に気をつかってはいるが、それでも毎日酷使してしまっているせいか、今日は一段と目が疲れている。琴葉は、作業の手を一旦止め、部屋の電気を着けた。

 パッと明るくなった室内は、基本的に白黒茶いずれかの家具やオブジェで彩られ、良く言えば地味、悪く言えば無個性と言えるような部屋となっていた。

 だが、琴葉はこれを結構気に入っていた。

 地味や質素なのは良い事だ。無駄が無いというのはなんと素晴らしい事なのだろうか。琴葉は、その考えを曲げずに生きてきた。常に、その場において適当、適切な行動を取るようにしてきた。元来、人間というのは、無駄な事をするせいで、間違いや失敗をおかしてきた。自分にとって、本当に必要な事以外は、無駄な事だと割り切ってしまえば。それ以上の欲をかかなければ、そのような過失をすることもない。それは、琴葉が「大人」になる前から掲げていた信念だった。


「……寒い」


 もう春とはいえ、まだ夜は冷える。ヒーターも着けず仕事着のまま作業に取り掛かっていた琴葉は、気分転換も兼ねて浴室へと向かった。

 せっせと服を脱ぎ、そのまま洗濯機に入れると、浴室に入る。

 入念に身体の隅々まで洗う。


「……お肉。ついてきたかな」


 お腹を触ると、ぷにぷにという感触が伝わってくる。それほどまでに柔軟な筋肉は、紛れもない鍛錬の賜物だろうが、それでもやはり、気になってしまう。

 一度ダイエットを試みた事もあったが、なかなか琴葉の思うようにはいかなかったそうだ。


「…………ふう」


 一般的に見ても、決して太っているわけではない、むしろ年齢と身長からすると琴葉は平均よりずっとスリムな部類に入るのだが、普段は生真面目な彼女は、体型を他人ひとと比べる事などはしたないと考えているため、確認のしようがなかった。

 しかも、その生真面目さや警戒心の強さなどが災いして、いくら同年代でも群を抜く美女といえど、そう簡単に琴葉に寄り付くような男はついぞ現れていない。

 そしてそれがさらに琴葉の自信をなくす原因となり、その鬱憤うっぷんを晴らすためにさらに仕事に打ち込むようになっていく、という悪循環ができあがっていた。

 そして、なにより琴葉のストレスの原因となっているのが、琴葉の担当しているクラスの生徒の一人で、琴葉の従兄弟でもある二宮 昴にのみや すばるだ。


「あいつめ……!」


 思い出すだけで腹が立ち、琴葉は無意識にそう声に出していた。


(授業は聞かず、黒板には見向きもせずにひたすら居眠り。そのくせ成績は常に学年トップクラスで、実技に至ってはプロとしての経験を持つ教師陣相手にも全く引けを取らない程。正直、今の私が奴に全力で挑んでも、良くて勝率八割といった所。まったく、教師どころか私相手に勝率二割とか……あいつ本当に十五歳かっての)


 琴葉は、昴を見くびっている訳でもなければ自信過剰なわけでもない。

 あくまで理論的に、自分なりに自分と昴の戦闘力を頭中で数値化し、それに基づく計算をした結果の数値がそれであったのだ。

 それに、琴葉自身が文句無しに強い。


 高校入学時に測った神器適正値は、常人のそれを遥かに上回る物であったし、現に今年の神器所持者を決める武闘大会では、この歳でなんと世界ランク二十位台までに登りつめたのだ。


 現存する神器全百八種のうち、毎年武闘大会で持ち主を決めるのは、八十三種だ。

 そしてさらに、その中から刀剣、片手剣、大剣、短剣、斧、槍、弓矢、そして呪符の実に八種に分けられる。

 そして、それぞれの部門で現存する数に応じた順位の者に託されるという仕組みになっている。


 琴葉が得意とするのは槍を用いた戦闘だ。

 そして槍型の神器は総勢九種。その内、大会で上位入賞することで得られる槍の種類は七種。

 残りの二種のうち片方は、とある事情により今は厳重に保管され誰にも使用できないようになっている。

 そしてもう片方は、既に持ち主が決まっており、さらにその人物以外にこの神器が扱えると判断された者が存在しない。というのが現段階での状況だ。


 そして、他の種類の神器にもそれぞれにそのような「特殊な神器」が存在している。

 それらはどれも使用者を選ぶ物ばかりで毎年管理が大変なのだそうだ。


 それと、神器の中にはいくつか、その七種の枠に収まらない特異な物がある。

 琴葉自身、それらは噂を小耳に挟んだ程度だったが、それは実に奇妙な物ばかりだった。


 例えばそれは、機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナにこの世界が統治される前に、とある《国》で開発されていた《銃器》と呼ばれる物とそっくりな見た目をしている物であったり。

 はたまた、それはただの眼鏡にしか見えないような物であったりと実に奇妙な物ばかりだという。


 それらは実に、琴葉の興味や好奇心を煽ったが、しかし、それらの《神器》を、恐らく琴葉が使う事はないだろう。

 それは、武闘大会での上位入賞が琴葉には難しいとか、そういった問題ではなく、家柄的な問題があるのだ。


 機械仕掛けの神様デウス・エクス・マキナによって統一されたこの世界で、数々のテロリスト集団や宗教団体が、支配の手を逃れようと、または、いっそこの世界の転覆を謀ったりもした。

 そしてその中で、唯一、この世界に本物の危機を招いた男。それが昴の父であり琴葉の叔父である二宮 和馬にのみや かずまだ。

 和馬の創りだした反政府組織、通称《エゴイスタ》は、独自の技術により神器をも圧倒する新たな「兵器」を開発した。

 その名も、《血流式》。特殊な構造の部品により、使用者の血液を吸収しそれを放出すると同時に特定の形に凝固させる。

 それらは未だ開発途上にあるが、その性能は既に和馬率いる数人の精鋭が結果で証明している。

 ただし、非常に強力な分、欠点となる物も大きい。

 《血流式》は、基本的に必要となるのは小さなとある「部品」と「使用者」のみだが、未だ「部品」の方は大量生産に至っておらず、また、現段階で《血流式》を十分に扱える者が極端に少ない。

 つまりは、単純に兵の数が少ないのだ。

 敵は使われていない神器を抜いたとしても現時点で確認した限りは九十二。

 対してこちらはその十分の一ほどしかいないのだ。

 いくら血流式が神器を圧倒する程とはいえ、さすがに神器の十倍近くの力が出せるわけがない。

 そこで、エゴイスタの意志を継ぐ家系(本家は一宮家、二宮家は分家に当たり、他にも八つの家系が協力関係にある)が考えたのが、

「優秀な若者達にスパイとして潜入してもらい、あわよくば神器の使用者になってきてもらおう。そして、持って来た神器をウチで研究して有効利用してしまおう」なんていう小学生でも思いつきそうな案で、それが意外にも採用されたのである。


 そして今現在、琴葉、昴を含めた五人の優秀な能力を持った若者達が神器使用の権利を貰うために国立士官学校へと通っているのである。


「まあ、私以外にはガキしかいないんだけどね……」


(そして私以外はみんな化け物だし)


 悲しい話ではあるが、選ばれた五人の中で最年長である琴葉は、この中で最も「才能の無い者」であった。


 だからといって、琴葉が他の四人に実力で劣るわけではない。それどころか、現段階では琴葉が恐らくだが一番の実力者といえる。


「まあ、抜かれるのは時間の問題だけどね」


 そう呟いた琴葉は、一度ぐーっと伸びをすると浴槽から立ち上がった。途端、長風呂によりのぼせたのか軽い立ちくらみに襲われるが、琴葉にとっては慣れっこなので気にせず浴室から出た。

 身体を拭き、着替えを済ませた琴葉はせっせとPCに向かい、作業を再開した。




 ――――――――――――――――――――




 とある日の朝。


 俺は、いつも通り一人で廊下を歩いていた。

 次の授業は実技、つまり「実戦を想定した訓練」である。そのため、今は制服ではなく動き易さを追求し最新の科学技術により特注で作られたこの学校専用の体操着を着ている。

 もっとも、体操着と言ってもその実見た目はただの首から下を包む紺色のウェットスーツのような物だ。

 正直言って身体のラインが如実に表れるので目のやり場に困るし自分も恥ずかしい。


 と、それは置いといて。


「おい、二宮」


 声をかけてきたのは、確か同じクラスの奴だ。名前は知らん。


「なんだ?」


 すると、男は俺を指さすと、周りに聞こえる事を意識してか急に声のボリュームを


「いいか!今日の試合こそは俺が勝つ!余裕ぶったその澄ました顔を驚愕に染めてやるからな!」


 ああ、こいつか。

 この男は、確か前の模擬戦闘試合の時にもこうして俺に宣戦布告を申し出て来た奴だ。

 その時は鬱陶しいから再び戦う気の失せるよう叩きのめしたはずだったんだが、どうにも懲りていないようだ。


「いいよ。前よりも容赦なく叩き潰してやるから、全力で来てみろ」


 最後に鼻で笑ってやると、男は見事なまでにあっさりと怒りをあらわにした。


「この野郎……調子に乗りやがって、絶対に目にもの見せてやる!」


 そう吐き捨てると男は、早足で先に模擬戦用闘技場へと向かった。


 そして授業が始まり、皆が準備運動やらストレッチを済ませ、いよいよ練習試合に移ろうとしていた。

 対戦場は、直径約百メートルの円形で、地面は土、壁はコンクリートの上に衝撃緩和材が敷かれている。

 尚、この会場は練習試合以外にも使われる事があり、観戦等のためにに席が設けられていて壁も約三メートルとあまり高くない。

 基本的にオブジェクト等はなく、身を隠す物や盾として使える物は一切無い。(オブジェクト等を起用した実戦向きの会場もあるにはあるが、そちらはあまり使われない)


 対戦相手は授業一回毎にルーティンで変わって行くのだが、あの男は事前に調べておいたのだろう、俺は男の宣言をいやがおうにも受ける事になったようだ。


「これより、二宮 昴 対 近藤 義宗こんどう よしむねの練習試合を開始する。互いに礼!」


 目の前の男、近藤は腰に取り付けてあったポーチから縦長の和紙を二枚取り出した。


 どうやら近藤は呪符じゅふ使い、俗に呪術者と呼ばれるタイプのようだ。


「焼き払え、イグニス!」


 そう叫ぶと同時に近藤が前へ飛ばした二枚の紙は一定の距離を置いて横に並ぶと、そこからたちまち火を吹いた。


(この通り、呪術者は呪符を媒介とし、その呪符に身体を流れるエネルギーを送り込むことで、様々な人智を超えた能力を行使できる。

 ちなみに、そのエネルギーの名は《魔力》と言う。その名の理由は、昔、最初に魔力の存在を人々に知らしめたのが、世間から「悪魔に魂を売った」とされていた者達であったからだ。

 だから、悪魔から授かりし力という意味で、人々からは《魔力》と呼ばれていたが、そうではない、悪魔に魂を売っていない者達にも《魔力》が備わっているという事が証明された今も、人々の間では《魔力》という名称が流用されている。)


 それらの能力は呪符の種類によって異なる。例えば先程、近藤が使った《イグニス》は汎用性に長けた炎属性の術式で、単純に呪符から球体(大きさは野球ボールほどだ)の炎を放出するだけの能力だ。

 呪符というものは基本的に消耗品で、そのためこのような練習試合ともなると比較的安価な呪符のみを使う者が大半だ。

だが、やはり遠距離攻撃だけでなく多種多様な「強み」を併せ持つ呪術は、たとえ汎用型であろうと、他のデバイス達とも互角に渡り合えるだけのポテンシャルを持ちあわせていた。


「もう一度、イグニス!」


 俺はもう一発やってきた火の玉を難なく避けると、今度はこちらの番とばかりに前へ出た。

 俺が使っているのは、学校側から支給される刀剣型デバイスだ。勿論普通に武器としても使えるが、この刀剣型デバイス 通称文月《ふみづき》は、自身の魔力を注入することで、注入した魔力の量、そのデバイスの種類に応じた効果を発揮する。

 俺の使っている文月は、その名から察せられる通り七番目に作られた刀剣型デバイスで、それを合わせてぴったり十二種類……とまでは行かず、現在は九種類の旧暦の月に合わせた名前の付いた刀剣型デバイスがある。

 そして七番目の刀、文月の能力は──────「分断」。


 込める魔力の量によっては、この世の全ての物を分子レベルを超えて「切断」できるという。

 だが、あくまで武器同士で打ち合う事のない呪術者との戦いは、どちらかというと苦手だ。

 だが、このレベルの相手に敗れるような事はまずない。

 というか、あってはならない事なのだ。


「っ!吹き飛べ、バレット・ガスト!」


 すると今度は、呪符を飛ばさず手に持ったまま正面をこちらに向けた。どうやらそれで照準を合わせているようだ。

 バレット・ガストは、その名の通りBullet(弾丸)のようにGust(突風)を巻き起こすもので、魔力の力によって球体に凝縮された突風を発射し、物に当たるとその場で爆発のように突風が巻き起こるという、一般的な安物よりかは一つランクが上の代物だ。恐らく一発まともに当たっただけでも良くて気を失い戦闘不能となるくらいだ。


「いいよ、かかってこい」


 俺は立ち止まると、文月を正面に構えた。


「くらいやがれ!」


 突風の弾丸がこちらに向けて放出された。速さは、先程のイグニスよりも段違いに速く、一々いちいち目で追っている余裕もない。

 そして、文月が弾丸に触れて突風が起こる直前。

 俺は、文月の刀身を少しだけ前に押し出した。

 すると、凝縮された空気は、綺麗に二つに分かれた。

 そして、俺の横を素通りした二つの弾丸は、四十メートル後ろの壁に激突すると、たちまち風を吹き上げた。だが、それらは俺にダメージを与える事なくただ髪を強くなびかせる程度に終わった。

 そして、呆けた顔をした相手に一歩二歩と近づき、そいつに向けて俺は刀を振り下ろす……事は無く、ただ、横に構えてそっと押し出した。

 近藤の首は綺麗に切り落とされ、地面に落ちた。


「ふぅっ……」


 集中を解き、少しすると「おおお……!」と周囲のどよめきが聴こえてくるようになった。

 ちなみに言っておくと、首を切り落としたが別に、近藤は死んでいない。試合をしている間は俺達の意識は身体から切り離され仮想体(仮想体は、元の体の身体能力をそのまま引き継ぐ魔力によって生成された仮の体)と入れ替わるため、ここでどれだけ相手をめった刺しにして殺そうとも相手が死ぬ事はない。

 確か、この仮想体を作っているのも神器の一つだったか。

 まあ、何はともあれいつも通りの圧勝である。


「試合終了!勝者、二宮 昴。お互いに礼!」


 仮想体から元の身体に戻り、お互いに礼をすると正式に模擬戦闘試合の終了だ。そして次の試合へと移る。

 俺の試合は、全二十五試合中三試合目だったから、時間にかなりの余裕が出来てしまった。

 さて、どうしたものかと考えていると、隣の会場から、先程の俺の試合の時よりも一層大きなどよめきというか歓声が聞こえてきた。


「どうせ、あいつだろうな……」


 俺は少し嫌な顔をしつつ、他に対して観る価値のある試合も無さそうなので、仕方なく隣の会場へと歩を進めた。



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