第12話
久しぶりに休みが取れたので、アイと街にデートへ出かけた。相変わらず僕は休日が取りにくく、なかなか二人で何処かへ出かけることが出来ない。それでも腕を組んでいるアイは、嬉しそうに笑っている。
智昭の葬儀の日以来、アイに別段変わった様子はない。メンテナンスにも異常は見られず、僕は一安心していた。
……後は、いつ二人の子供を授かるかが問題かなぁ。
そう思うと、早く子供が欲しいという気持ちと、まだ二人っきりの時期を大切にしたいという気持ちがぶつかり合い、最近の嬉しい悩み事になっている。人間とは違い、アイとの子は自分たちがその気になって国に申請しないといけないので、その内勝手に子供ができるなんてことはない。思い切りが肝心だ。
……でも今のこの瞬間は、二人だけの時間を楽しみたい。
ふと見上げると、ショーウィンドウにアイに似合いそうなトレンチコートが、僕の目に留まる。
「アイ、あのコートとかどうかな? 似合うんじゃない?」
「どれですか? ご主人様」
「ほら、あのトレンチ――」
体に、衝撃が走った。
強い力ではない。擬音語で表すとドン! というよりも、トンという衝撃だ。だがそれでも、僕の言葉を止めるには、十分な力を持っていた。
視線を、トレンチコートから自分の体に移す。僕の体から、ナイフの柄が生え、飛び出していた。違う、そんなわけがない。刺されたのだ。ナイフを誰かに。
顔を上げると、そこには幸子さんがいた。智昭の葬儀以来の再会だ。あの時と比べると、幸子さんの印象は随分と変わっている。
幸子さんの両目は落ち窪み、髪はボサボサで、頬も痩せこけている。それよりもわかりやすい変わった点は、彼女の両手が僕の血で真っ赤に染まっているということだ。
何故? と言おうとして、僕の口から血がこぼれ落ちる。そこでようやく、周りの人たちは僕の様子に気づいたらしい。あちらこちらで聞こえる悲鳴が、随分遠くに感じる。
視界が回転し、ずいぶん低くなったことで、僕はようやく自分が地面に倒れ込んだんだと気がついた。
そんな状況の中、僕はたった一つのことに全力を注いでいた。
アイだ。
紅の命を噴き出す僕を、アイがいつもの笑顔で見つめている。
……何で?
ロボット三原則の第一条には、ロボットは人間を守らなければならないとある。アイなら幸子さんの接近にも気がつけたはずだし、僕をかばうのも容易なはずだ。
「これは事故ですよ、ご主人様」
息の吸い方を忘れたかのように、口を開いては閉じる僕に向かって、アイは普段と全く同じ口調でそう話す。
「ご主人様はご自分の利益のために、意図的にアナフィラキシーショックによる智昭様への事故死の確率を上げました。その事実を知ったワタシをご主人様が危険視し、排除する可能性がありました。そこでワタシはロボット三原則の第三条に従い、自衛のため、ご主人様と同じように、幸子様へご主人様が智昭様になされたことをお伝えしたのです」
そんな馬鹿な! それではまるで、アイが意図的に僕を殺そうとしているみたいじゃないかっ!
そう言いたいのに、口から出てくるのは血で出来た泡と呼吸音のみ。それでも動かした口の形から僕が何を言いたいのか解読したのか、アイは小さく頷いた。
「はい。ご主人様のご想像通りです」
そんな馬鹿な! アイにはロボット三原則の第一条は適応されていないのか?
「いいえ。ワタシはロボット三原則に従っております」
なら、何でっ?
僕は声にならない声でアイに問いかける。
すると、アイからこんな返答が返って来た。
「だって、ご主人様は『人間』ではありませんから」
……は?
アイが何を言っているのか、理解できない。
一瞬僕の頭に思い浮かんだのは、フランケンシュタイン・コンプレックスという言葉だ。
創造主(人間)に成り代わって被造物(アンドロイド)が創造することに憧れたり、創造主に反旗を翻したりするそれは、今の状況にそっくりだ。
だが、そもそもアイにロボット三原則が適応されているのなら、フランケンシュタイン・コンプレックスは起こりえない。
顔に出ていたのか、僕の疑問にアイが答えてくれる。
「ご主人様は、こうおっしゃられていたではありませんか。借金の条件に性行為映像を要求した智昭様は、『人間ではない』と。であれば、智昭様を意図的に事故を発生させ死亡させたご主人様も、ド外道。『人間ではありません』」
その言葉に、僕はアイに何が起こっているのか理解した。
アイは、こう言っていたじゃないか。
『あまり一貫性のない行動やご指示をご主人様がなされると、ワタシの中でのご主人様の定義にずれが生じることになりますので、ご注意ください』
僕はアイを守るため、アイの中のロボット三原則を拡大解釈させて『人間』の『定義』を歪めてしまったのだ。智昭が性行為映像を求めるよりも、死につながる事故を誘発させようとした僕の方が智昭より重罪だと、アイの人工知能は正常に判断したのだ。
その結果今の僕は、僕はアイの主人ではあるが『人間』ではないという、矛盾した存在としてアイに認識されているのだ!
衝撃の事実に、僕は愕然となる。だが、もうどうすることも出来ない。
気づけば僕の手を、アイが握っていた。手の感覚がなく、気付かなかった。彼女の両目から溢れ出た透明の雫が、僕の赤い血に交じり合う。
「あ、れ? ワタシ、何で、涙、ワタシ、何で? ご主人、様?」
戸惑ったように、アイがつぶやいた。『人間』ではない僕が死ぬのは構わないが、自分の主人である僕が死ぬ、いなくなることに対して喪失感に襲われているのだ。
誰かが呼んでくれたのか、遠くから救急車の音が聞こえる。だが、間に合わないだろう。僕も、アイも。
アイの手を強く握りたいが、感覚がないため無理だ。だが僕がそうしたいのがわかるのか、アイの方から力を込めてくれた、と思うのは、僕の勘違いだろうか?
「いいえ、ご主人様。ちゃんとワタシ、手を強く握っております」
……そうか。なら、よかった。
死の間際になり、今までで一番アイと心からつながっていると感じた。
……ああ、僕はなんて愚かなんだろう。友人を犠牲にし、その返り討ちにあった今この時が、人生で一番幸せに感じるだなんて。
もし僕が智昭のようにお金を持っていたら、僕が孤児じゃなく親がいれば、また違った結末が待っていたのだろうか?
アイと幸せな家庭を、築けただろうか?
「いいえ、ご主人様。きっと今のご主人様がご主人様であるからこそ、今ご主人様が求めるワタシがここに存在するのです」
……そうか。そうだね。こんな『人間』ですらない僕の最後に付き合ってくれて、ありがとう。
「はい。ワタシも、すぐにそちらに向かいます。最後まで、お伴させて頂きます」
その言葉はもう、僕には聞こえてはいなかった。
アイのテイギ メグリくくる @megurikukuru
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