第8話
「いらっしゃい」
そう言って僕とアイを出迎えてくれたのは、大学からの友人である池永 智昭(ながいけ ともあき)だ。今日は訳あって、彼の家を尋ねたのだ。
智昭の家は二階建ての平屋で、バーベキューが出来そうな庭には、錦鯉が泳ぐ池がある。駐車場には車が二台並んでおり、そのいずれもが高級車だ。
「お邪魔します」
アイとともにそう言って、僕らは家に通される。智昭の両親は父親が大学教授、母親が薬剤師と裕福な家庭で、大学当時から新車を度々乗り換えるなど、かなり羽振りがよかった。今は両親のコネで広告代理店に勤めており、智昭自身も、かなり稼いでいる。
「いらっしゃいませ」
そう言ってリビングで僕らを出迎えてくれたのは、智昭の妻である池永 幸子(いけなが さちこ)。智昭の結婚式以来顔を合わせていなかったのだが、相変わらずスラっとした美人さんだった。幸子さんは四人分の紅茶とお茶請のクッキーを、なれた手つきでテーブルに並べていく。
四人でリビングのソファーに座ると挨拶もそこそこに、智昭がこう切り出した。
「へぇ、これが大介が買ったアンドロイドかぁ」
かなり不躾な物言いだったが、アイは気にした様子もなく笑顔でそれに答える。
「初めまして。アイといいます。いつもご主人様がお世話になっております」
「しかしこうして見ると、本物の人間にしか見えんなぁ。なぁ大介、ちょっと触ってもいいか?」
「ちょっとあなた! いくらなんでもそれは失礼ですよっ!」
幸子さんにたしなめられ、智昭は渋い顔をして引き下がる。
それを見て、僕はすかさず口を開いた。
「しかし、智昭は大学の頃に比べて、随分膨よかになったなぁ。幸子さんは美人さんだから、幸せ太りか?」
アイが流し目で僕を意味ありげに見つめる中、気を良くしたのか智昭は大きな腹を叩いて、盛大に笑った。
「それはあるかもしれんなぁ。健康診断でも、メタボ気味って言われてしまった。幸子の飯が旨すぎるから、ついつい食べ過ぎてしまってなぁ」
「料理の腕なら、うちのアイも負けてないぞ」
「大介は大学の頃から、カップ麺とコンビニ弁当しか食ってなかったからなぁ。アンドロイドが来て、随分助かってるんじゃないか?」
「まぁ! そうなんですか? ご主人様」
「……昔のことなんだから、そんなに怖い顔するなよアイ」
それからは紅茶で喉を潤しながら、和気藹々と話が進んでいった。
あっという間に時間が過ぎ、時計を見た幸子さんが驚きの声を上げる。
「いけない、もうこんな時間。ご夕食の準備をしないと」
「大介。今日は、うちで晩飯食ってくんだろ?」
「ああ、そのつもりだ。アイ、幸子さんのお手伝いをして差し上げろ」
「かしこまりました」
それを聞いた幸子さんは、驚きの表情を浮かべる。
「そんな! お客様に手伝っていただくなんて、申し訳ないわ」
「お気になさらないでください。それに、せっかくご用意頂いた紅茶とお茶請けを、ワタシのせいで無駄にしてしまいましたし」
幸子さんはアイの分まで紅茶とお茶請けを用意してくれたのだが、アンドロイドであるアイはバッテリーで動くため、食事を取る必要はない。
無駄にしてしまった分だけ働いて返したいと言うアイの申し出に、とうとう幸子さんが折れた。
「それじゃあ、お願いしようかしら」
「はい。任せて下さい!」
そう言って台所へ立ち上がる二人を見送ると、僕は智昭に視線を送る。
「それじゃあ、俺たちは晩飯が出来るまで男同士で話すとするかなぁ」
僕の言わんとしたことを理解した智昭が、わざとらしそうにそう言って立ち上がる。僕は頷くと、智昭と一緒にリビングを後にした。
「お前、まだ蜂は苦手なのか?」
リビングを出て二階へ向かうために階段を登る智昭の背中へ、僕はそう問いかける。
「……大学の時から言ってるだろ? 俺はもう二回も刺されてるんだぜ? 次刺されたらアナフィラキシーショックで死んじまうよぉ」
こちらを振り向きもせず、不機嫌そうに智昭はそう吐き捨てた。
階段を登り終えると、僕と智昭は二階の一室、智昭の書斎へと入っていく。
僕が扉を閉めるのを見計らって、智昭は下卑た笑いを浮かべてこちらに方に振り返った。
「しかし、あんな機械のために借金しにここまで来るとは、お前もよっぽど物好きだなぁ」
その言葉に、僕は歯ぎしりするしかない。
「……それは個人の勝手だろ。それに、金は毎回きちんと返している」
「そうだなぁ。だからこそ、俺もお前にこんな金額を、ポンと貸せるんだけどなぁ」
そう言って智昭は、予め用意してあった小切手を僕に差し出した。小切手には、数字の五とゼロが六個ならんでいる。
僕は孤児だ。両親の顔も知らない。だから施設を出てからは奨学金を借り、貧乏学生として大学まで通っていた。その僕が、どうしてもお金が必要なときに頼ったのが、智昭だった。
僕は大学時代から度々智昭にお金を借り、そしてきちんと返済してきた。
借りたものは必ず返すという、ある意味当たり前の行為を積み重ねた結果。その信頼の値が、小切手の金額に表れている。
僕は智昭から小切手を受け取ると、小さくつぶやいた。
「いつもすまない」
「なぁに、気にするなぁ。俺とお前の仲だろ?」
懐に小切手をしまう僕に、智昭はそう言いながら僕の肩を叩いた。
これで話が終われば、美談として、あるいは僕の甲斐性のなさを酒の肴にして、数年後に語り合うことが出来たかもしれない。
だが、話はそれで終わらない。終わるのであれば、わざわざリビングから二階の書斎まで移動してきて、二人っきりの状況で話し合う必要なんて何処にもないのだ。
だから、智昭は話の続きを急かした。
「アレ、ちゃんと持ってきたんだろうな?」
「……ああ」
そう言って僕は、懐からケースを取り出した。中身が見えないように、光を全て吸収する黒色のケースだ。
それを智昭は、ひったくるように僕の手から奪い去る。透けないとわかっているのに、智昭はケースを空にかざすように持ち、唇を嫌らしく歪めた。
「この中に、あの映像が記録されたメディアが入ってるんだなぁ?」
「……そうだ。でも、見るなら必ず一人っきりの時にしろよ」
「わかってるよぉ。これを見てる所を幸子に見られたら、俺は離婚されちまう」
僕が今回智昭に借りた五百万円という金額は、今まで借りてきた借金の中でも額が多すぎた。
そこで智昭が僕に金を貸す交換条件として出したのが、僕とアイの性行為(ポルノ)映像だった。
もちろんこのことは、アイは知らない。
「……本当に頼むぞ。それがネットにでも流れたら――」
「だぁからぁ、わかってるって言ってんだろ? それに、これは俺にも見る権利があるはずだ。あのアンドロイドの頭金、誰が貸したと思ってるんだぁ?」
僕は智昭の言葉を、自分の爪が皮膚に食い込むほど拳を握りしめながら聞いていた。
智昭は僕の境遇を、孤児だったことを知っている。貧乏なのも知っている。だからこそ、僕が幸せな家庭に、目が眩んで失明してしまいそうなほど憧れていることも、知っている。
だから僕がアンドロイドの頭金を借りに来た時、智昭は悽絶で壮絶で凄絶な醜悪で醜怪で醜業な笑みを浮かべていた。僕が智昭に逆らえず、こうしてまた金を借りに来ることが、彼には容易に想像出来ていたのだろう。
暫くの間、悔しそうな表情で怒りに震える僕を、智昭は嬉しそうに眺めていた。
「あなたー! ご飯出来たわよー!」
「ご主人様! 早くいらしてくださいっ!」
やがて、何も知らない幸子さんとアイが、僕たちのことを呼んだ。
僕は自分の右手で顔を覆い隠し、無理やり今の激昂を押さえ込む。
「ほら、行くぞ」
智昭に言われ、僕は引きずるように書斎を後にする。智昭の背中を見ないように、僕は階段を一段一段、ゆっくりと気持ちを沈めるように降りていった。
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