第75話 プロポーズ
彼女の背中が見えた。
ナイフが深々と刺さっている。
あの子は……くそ、頭が、痛い。あの子はは、何処かで見たはず。頭がズキズキする。
長い黒髪、ちょっとぼんやりとした瞳。
ほっそりとした体つき。
その背中から、ナイフが落ちる。
からん、と高い音が響く。
「嘘?」
浅上さんが言う。
……いや、いや、いや……いや違う!
僕の浅上さんは、彼女だ!
倒れていた彼女が浅上さん、浅上夜子さんだ。
じゃあ、僕の側にいたあのワンピース姿の女性は誰だ?
「どうして死なないのかしら、秋葉原さん手加減でもした?」
ワンピース姿の女性が言う。
「はははは、それがね。してないのよ」
「え……してない?」
「そうよ、ねぇ怖いでしょ?」
夜子さんが光っている。
うっすらとした光り。
月明かりのような朧な光り。
____きゅううん、クゥン。
黒い犬が怯えたように鳴いて後ずさる。
犬はそのまま、暗闇に溶け込むようにして消えた。
「嘘、どうして死なないの?」
見知らぬ女が言う。
「ああ、浅上さん! 大丈夫ですか!?」
僕は浅上さんに声をかけた。そうだ、思い出した。彼女はさっきナイフが背中に刺さって倒れたんだ。
「……えーと、どちらさまですか?」
浅上さんが言う。
「は?」
刺されたショックで記憶が曖昧なのか、彼女はぼんやりとした表情だ。
「えーと、今はいつかな……また繰り返してるの、いのり?」
浅上さんはワンピース姿の女性に言う。
「……ど、どうして? 一年も準備したのに」
いのり、と呼ばれた女性が呟く。そして、愛さんから後退りながら離れた。
「まあ、13年も待ってた夜子ちゃんには勝てなかった訳ね」
愛さんが言った。
「……そんな、私はそれも考えて計画してたわ……でも足りなかった? くす、くすくすくす……」
いのりは俯きながら独り言を言っている。
「ねーねーいのり? 教えてほしいんだけど」
浅上さんは相変わらず可愛い。
「素晴らしい、素晴らしいわ夜子! その力やっぱり素晴らしい! さあエリさん、夜子を殺して! 食べていいわよぉ」
「ハァイ」
エリが走る。
浅上さんの前に来ると、口を大きく開けて噛みついた。
「ギャーいだぁいィイ!!」
浅上さんが悲鳴をあげる。
エリは浅上さんの肩にガッチリ噛みついている。血がダラダラと流れ落ちた。
「ちょちょちょっとぉ! 痛い痛い!!」
地面に血が溜まっていく。
僕が信じられない思いでそれを見ていると、もっと信じられないことが起こった。
「ぁああ、あ?」
エリが呻きながら浅上さんから離れる。
地面に溜まっていた血が浅上さんの肩に流れていく……血が戻っていく。
「ガバッがあ」
エリは喉をかきむしり苦しんでいるようだ。
チッ、と舌打ちの大きな音。
見るといのりが爪を噛んでいた。
「手強いわねぇ」
「いい加減あきらめなさいよ」
愛さんが言う。
「はぁ? 何故かしら、何故私が諦めなくいなくちゃいけないの。私は自分の好きなようにするわ。その力もある」
「いのり……あんたは自分の為なら他の人がどうなってもいいと思ってるでしょ?」
「そうよ、秋葉原さん。それが人と言うものよ。貴方だってそうでしょう?」
「まぁね、そりゃそうだけど。でも結局ある程度妥協して生きていくのよ」
「はぁ? 妥協ですってぇ、それは敗者の言い訳でしょう。やるなら徹底的に、どんな手段を使ってでも願いを叶える、これこそが人という生き物よ」
「一度も負けない、そしてまわりの迷惑も考えない、そんなのは化け物よ」
「そう。貴方がどう思おうと別にいい、私は私だもの……エリさんッ!」
いのりが叫ぶ。
「なに逃げてるのかしら、貴方がどうなってもいいわ、夜子を殺しなさい。命令よ」
「げほぉ、げぼ。は、ハイぃ」
フラフラと、エリが浅上さんに近づく。
「ちょっといのり、なにいってるのぉー! うぁ、なんか来たー!!」
浅上さんがダッシュで逃げた。
なかなか速い。
「今、ここで夜子を殺さないと……」
いのりが呟く。
「別に良いじゃない、もう放っておけば?」
愛さんが言う。
「ダメね、言ったでしょう。私はこのままだと、ただの人になるのよ? この私が」
「……やっぱりあんたと夜子ちゃんなら、勝負にならないわ」
「なんだか、腹が立つ言い方ね。私があそこで逃げまわってるアホに負けるとでも?」
浅上さんが必死の形相で逃げている、逃げ回っている。
エリが追いかけるが、捕まらない。
そもそもエリは捕まえる気がないのかもしれない。浅上さんに触るのを嫌がっている。
「ああ、もう! 役に立たないわねぇ……結局私がやるしかないのね」
いのりが浅上さんに向かって歩き出す。二、三歩進んだところで、いのりの姿が消えた。
いつ見失ったのかと、瞬きをしながら探すと……いのりは浅上さんの直ぐ側に立っていた。
「てい」
いのりは足払いをかけた。逃げ回っていた浅上さんは、
「あいたー!?」
それは綺麗に転んだ。
「今よ、エリさん! 食らい付きなさい」
「は、ハイぃ」
エリが浅上さんに馬乗りになり、細い首筋に噛み付く。
「ぎゃーー!?」
動脈をやられたのか、浅上さんの首からは大量の血が出る。
「よし、よし! そのまま、そのまま」
いのりが浅上さんの胸に手を当てる。
「此処で、今。私は貴方、貴女は私。貴方の奇蹟は私のもの、貴女の呪いは彼女のもの。写し見の光はうつろい、うつろいゆく。約束は果たされず。契約は続き……」
いのりが、なにか呟いている。とても不吉な予感がする。
「山田さん!」
愛さんが僕を呼ぶ。
「は、はい! 何でしょうか愛さん」
「夜子ちゃん好き!?」
愛さんは衝撃的な質問を飛ばしてきた。
「ええ!? なんですってぇ、いやいやいや、いきなり何をおっしゃるんですかぁ!?」
「さっさと答える」
「それはもう、そのなんと言いますか。いやでもですねぇ、いきなり言われても困るわけでして! いや、けして嫌いではないんですが、ほらこの頃はねぇ、やっぱり僕みたいなオジサンが高校生に手を出すというのはよろしくないと……」
なんだか、とても早口になってしまっている。自分でも何が言いたいかわからない。
「さっさと答える!」
「すすす、好きなんじゃあないかと!?」
「結婚したいと思う?」
「どちらかと言えばそりゃあもう! でも僕なんかが……」
「じゃあさっさとプロポーズしろぉ!!」
「プロポーズ!? いや、無理じゃあないでしょうかそれは! もしかして犯罪になりませんか、それ。ストーカー規制法とかに掛かりそうな気が!」
「あんたが犯罪者になろうがどうでもいいのよ!」
「そんなご無体なぁ」
何でプロポーズ?
訳がわからない。目の前で浅上さんが噛みつかれて、愛さんは何か腐ってて、それでプロポーズ?
ここは地獄か、夢の中か。
「さっさとしろぉー」
愛さんがズリズリと這い寄ってくる。
「ひぃいい」
とても情けない声が出た。
「わかりました、わかりましたよ! しますします!」
愛さんの迫力に負けてしまった。
でもそれだけじゃあない。本当は、その通りにするのがいいと、誰かが囁いたから。
僕は浅上さんに歩いていった。
少し手前で止まる。
浅上さんに噛みついているエリといのりが怖いから警戒したのだ。
「あ、あのぉー浅上さん?」
僕は頑張って声をかけた。
「あら、何かしら山田さん今ちょっと忙しいからもう少しあとにしていただける?」
「はい? 何でしょうかって……それよりなにすんのぉーいのり! この人どけて、あだアタタ、痛ったい!! なんかまた痛くなってきたぁ!!!」
「あ、すみませんすみません。お取り込み中みたいなのでまた後で……」
「やーまーだぁーー?」
日を改めようとしたが、愛さんが許してくれない。
プロポーズとは、こんな雰囲気でするものだろうか?
僕は疑問に思う。
それと急に不安になってきた、プロポーズしてオッケーを頂けるのか。ダメなら心が死にそうだ。
もし頂けたとして、僕はきちんと浅上さんを守っていけるのだろうか。いや、結婚したら山田さん、山田夜子さんか……。ふむ、お互いに苗字は呼びあわなくなるな。じゃあ……夜子、聡一、よるこぉー、なにアナタ。んんん……ア、アナタ!? アナタってぇ、アナタって呼んでくれるのか夜子は! ああ、最高だなぁ……ぐふふ。
「うわ、何この人ぐふふって言ってる。やばい人だぁ」
「ああ、そんなチャーミングな所も素敵ね」
ん、何か言われた。
おっと、いけないいけない。
つい妄想にふけりすぎた。
二人の話をよく聞いていなかった。だか、なにか素敵という単語があった。この場合女性が素敵という対象は男の僕しかいないだろう。そして、そしてだ。僕の目の前の女性は二人……いや三人か?
夜子、いのり……エリ。
この中で僕を素敵と言う女性は夜子しかいない! だって他の二人は初対面だし。
つまり、つまり、つまりこれはもう両思いではないか、ないでしょうか!?
これは、行くしかない!!
「浅上さん、浅上夜子さん、好きです結婚してください!」
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