第74話 むくり
「わざわざ、負けるつもりはない」
愛さんが言う。
いったい何が?
僕は二人がこんなに剣呑な雰囲気なのを見たことがない。
「そう? でも私はこれから山田さんを送っていかなくてはいけないの。ごめんなさいね、あなたの相手は……エリさん! 何時までも食べてないで、こっち来て」
浅上さんは奥にいる女性に声を掛ける。
呼ばれた女性がゆっくりと立ち上がった。
女性はしゃがんでナニかを食べていたのか? 口からナニかが垂れている。
立ち上がると腹が膨らんでいるのに気づく、妊娠してるのかもしれない。でも、なんと言うか異様な体のバランスだ。全体的にはモデルのような体型なのに、腹だけ大きいのがとても……おかしい。ナニかを無理やり詰め込んでいるようにも見える。
「はい、カミサマ」
エリさんとやらが、ゆらゆらと歩いてくる。
「さあ、山田さんこっちへ」
また浅上さんが僕に手を伸ばしてきた。
その白い手が、とても不吉なものに感じて……僕が手をとるか迷っていると。
「あら照れてるのかしら?」
ひんやりとした感触。
いつの間にか手を握られていた。そして、ゆっくりと引かれる。
「ねえ、山田さん! そいつは夜子ちゃんじゃないわよ、ついていかないで!」
愛さんが言う。
夜子ちゃんじゃない?
え、でも浅上さんは夜子さんで、でも……違う?
「秋葉原さん。邪魔しないでくれる? 私は山田さんをここから連れ出そうとしてるだけよ。この場所は普通の人には毒だからね」
「どうだか。無事に連れ出すつもり、あるの? また変な洗脳でもするんじゃない?」
「はあ、言っても無駄ね。エリさん、さっさと片付けて」
浅上さんが言うと、エリが愛さんに向かって殴りかかる。
殴りかかるエリの拳が見えない。速すぎる。
その拳を愛さんは身を逸らしてかわす、かわしたようだ。そして体勢を立て直すのと同時に愛さんの
「おらぁ!!」
という勇ましい声と、ボゴッという鈍い音。
愛さんの拳が、エリのお腹にめり込んでいる。
今度は背中までいってはいない。
……たが、
「ごぼぉおぁああ!??」
殴られた相手の口から出るモノがハンパなかった。
赤黒いモノがびちゃびちゃびちゃあ、と飛び散る。
「げぼぉおおお。ぉおおお……げぼぉ……ああ、もったいないィィイ」
エリはそう言いながら身を屈めて、口から出たモノをまた……嘘だろ?
また口に運んだ。運んで……食っている。
ぴちゃぴちゃと湿った音と、このなんとも言えない臭い。血の鉄臭い、腐った卵のような刺激臭も混じったこの臭い。
気分が悪い。吐きそうだ、自分が吐かないのが不思議だ。
「あー、もう。エリさんは本当に食いしん坊なんだから」
目の前の光景を、浅上さんは何とも思わないのか?
頬に手を当てて平然としている。
「はぁ、気が進まないけど。私が相手をしてあげるわ」
浅上さんが愛さんに向かって歩いていく。
それを見た愛さんは走り出す、そして突然……転んだ。
「ぐぅ!?」
____グルルルル!
え? 突然暗がりから犬が出てきた。
黒い犬だったので、わからなかったのか?
黒い犬が愛さんの足に噛みついている。
あれはひどい傷だ、骨までいってるかもしれない。
「ちょっと! こいつ、くそぉ。いのり! あんたが相手してくれるんでしょう!!」
噛まれた愛さんが文句を言う。
「私も、の間違いだったわ。ごめんなさいね。ああ、エリさんも。残飯処理はもういいわ。愛さんを始末するまで、食べることはやめなさい。命令よ」
「アァ。はい、カミサマ、わかり、マシタァ」
エリが来る……口から食べていたモノを口から垂らしながら。
愛さんは足に犬が食らい付いて動けない。
「はなせぇ!」
叫びながら愛さんは犬の頭を殴り付ける。
くぢゃ! と言う音と共に犬の頭が砕ける。
犬はそれでも愛さんの太股に食らい付いたままだ。
ぐちゃぐちゃと犬の頭が動く。
あり得ないが、もしかして犬の頭は治っている?
「その子なかなか優秀でしょう? お気に入りのペットなの。使い勝手も良いしね」
浅上さんが言う。
「気色悪いわ! あんた趣味悪いわよ」
愛さんが返事をする。
彼女は相変わらず動けないようだ。そこへ浅上さんとエリが近づく。
「あああアぁアぁぁ!」
先に着いたエリが愛さんに掴み掛かる。
愛さんはそれを防ごうとしたのか、両手を挙げた。ちょうど二人の手が組合わさる。
あり得ないことが起こった。
二人の腕が軋み、血が吹き出る。
「さぁて。そろそろ契約はおしまいね? さようなら愛さん」
身動きがとれない愛さんに、手を伸ばす浅上さん。
「あああぁ!!?」
「くすくす、死体が動くなんて可笑しいわよね。さあ死体は死体に、帰りましょう」
浅上さんが愛さんを右手で掴んだ。
捕まれた愛さんが崩れる、いや……腐っていく。腐っていくように見える。
「ああ、さよならする前に教えてほしいんだけど。あなた、どうして裏切ったのかしら? 私は一応あなたとの約束は守るつもりだったのよ」
浅上さんが言う。
「あああ! あぁ、そ、そんなの……」
愛さんの体が、歪んでいく。歪みながら彼女は言う。
「……そんなの?」
浅上さんが答を促す。
「あんたより、夜子ちゃんのほうが……好きだからよ!」
「そう、わざわざ勝ちを捨てたのだから、どんな理由があるかと思えば……下らない理由ね」
「はは! そう思う?」
「ええ思うわよ。せっかく私がお世話をしてあげたのに。じゃあ、ね。さよならバカな愛さん」
浅上さんが左手をあげる。左手には黒い光りが集まっている。
「ああ、いのり。一つ言っていい?」
「何かしら? 命乞いなら聞かないわよ」
「違う違う、あんたね。さっき夜子ちゃんに勝ってるって言ったわよね?」
「ええ、そうよ」
「ははは、バカね。夜子ちゃんの勝ちよ」
「はぁ? いったい何を言ってるの、秋葉原さん。考えることも出来なくなった?」
浅上さんが呆れたように聞いた。
「まあ、私はね、やっぱり気が進まなかったのよ。夜子ちゃんを殺すなんて。でもやるなら勝てるほうに付きたいじゃない? でも失敗しちゃったなぁ」
「だから、何を……」
「あんたは勝てないわ、夜子ちゃんに。恋愛でも、殺し合いでもね。まるで勝負になってない」
愛さんが、そう言い終わると。
ゆっくりと。
むくり、と。
それまで、倒れていた女の子が起き上がった。
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