第73話 悪い夢

 浅上さんが倒れる。倒れている。

 背中にはナイフ。

 血が、血が出ている。

 彼女を刺したのは? ああ、何でこんなことに?

 愛さんは、浅上さんの友達じゃあなかったのか? 

 訳が分からない。そこに、くすくすくす、と笑い声を掛けられた。


「ああ、山田さん。もうソレのことは気にしないで」

 顔を上げると、不気味な女がいる。

 黒髪で、ワンピース姿。それが、笑いながら僕を見ている。

 なんでだ? どうしてこの状況で笑える?


「あら? どうかしたのかしら?」

「き、君は? いや、いや! そうじゃない、はやく救急車を呼ばないと!」

 そうだ! 話をしている場合じゃない。救急に電話しよう。今ならまだ間に合うかもしれない。

 連絡しようとスマホを取り出して、そこで手を取られた。


「あら? だめよぉ。まだ死んでないんだから」

「うわ!?」

 ひんやりとした手、さっきまで椅子に座っていたはずの女が僕の手を取っている。

 

「い、何時の間に……ああ、違う! なんで、なんで邪魔をするんですか? このままじゃあ浅上さんが!」

「死んでしまう? くすくすくす、それを待っているのよ」

 この女は頭がおかしい。

 人が死にそうなのに! 浅上さんが死にそうなのに!


 手を振りほどこうとするが……だめだ。力が強すぎる。

 

「ああ、こうして手を取っているとドキドキするわね。いい感じ」

 そのまま壁に押し付けられた。


「ぐぅ!?」

「あら失礼。ちょっと痛かった? ごめんなさいね、壁ドンって意外と難しいのね」 

 

 僕はドア付近の壁に押し付けられた。抵抗しても、体が動かない。

 

「ちょっとお話をしたいのよ。山田さん、いいかしら?」

「な、なにを……良いも何もっぐ、ぐもおおぉ?」

 文句を言おうとするが、口をふさがれる。

 異様な力だ。

 女は左手で僕の口を、右手で僕の胸倉をつかんで壁に押し付けている。ちなみに、僕の足は少し浮いている。ヤバい。


「さぁて。山田さんは、愛さんを探していたのよねぇ。愛さんはあそこにいる、つまりは依頼達成ね。おめでとう、さすが優秀な探偵さん。さあ、帰りましょうか」


 この女は一体何を言っているんだ。確かに、僕は依頼を達成したかもしれない。でもそれを依頼した浅上さんは。


「ああ、私はいのりよ。はじめまして、じゃあないのだけどね。くすくすくす。の依頼通り、愛さんを見つけてくれてありがとう。さあ、さあ帰りましょうか」


 あれ? 僕は確かに、いや浅上さんの依頼を。浅上さんからの依頼を受けた。それは間違いない。ああでも。何か、いや、オカシイ。変だ、そうだ……そうだ! 思い出す、思い出した。


「ふぅぐううう!!」

 あそこで倒れている浅上さんを! 


「うーん、なかなか強情。でもそんなところも素敵。じゃあ……ねえ。アレは夢よ。いや、コレは夢と言った方がいいかしら。ねえねえ考えて。こんなことが現実じゃああり得ないでしょう?」

 

 こ、これが夢?

 疑問に思っていると、は僕に顔を。彼女の顔が近づいてくる。ねっとりとした吐息が。暗い目が、僕を見る。目が、目が僕を見ている。

 

「そうよ。こんな場所が、現実にあるのかしら? マンションのドアを開けると、こんなヘンテコな場所だなんて、そんなの山田さん見たことあるかしら? ないわよねえ、じゃあこれはきっと夢よ、そう悪い夢」


 わるい、夢?


「そうそう。世の中に不思議な事なんて、無い。そうでしょう? 今まで生きてきてどうだったかしら? 幽霊に出会ったことがあるかしら、不思議な場所へ行ったことはある?」 


 なんだ、この目を見ていると。なんだか、頭が、、。


「世の中には不思議な事なんて無いわ。そうでしょう。そうやってみんな生きていくのよねえ。あったとしても、忘れてしまう。そうゆうものよ。それがこの世の中なの。つまりは、夢よ」


 ゆ、め。夢? なんだ、この声を聴いていると……。くらくらする。


「さあ。悪い夢は忘れて、帰りましょう。出口まではキチンと案内してあげる。また、明日からよろしくね。そうそう、依頼の報酬のお話もしなくちゃねえ。くすくすくすくす。楽しみねえ、明日になれば、ゆっくりと貴方のお話を聞いてあげるわ」


 ああ、……なんだか。あれ? なんで、僕はこんな。場所に……?

 ふわふわと、まるで夢の中にいるみたいだ。


「本当は、私。貴方のお話大好きなの。ごめんなさいね、今日はきちんと聞いてあげられなくて。でもそういう日もあるのよ」

 くすくすくす、とは笑う。

 不思議だ。

 彼女が僕の話を好き?

 そんなことはあり得ないと思っていたけど。

 彼女はいつも、迷惑そうに僕の話を聞いていたはずで。


「ああ、山田さん。それはね、照れていたのよ」


 照れていた?


「そうよぉ」

 __くすくすくす、と彼女は聞いたことのない笑い声をあげる。


 いや、なんだか。なにか、可笑しい様な?

 

「あら。山田さんも可笑しいの? 私もなの。今日はとっても良いことがあったからねえ」


 彼女は、良いことがあったのか。それは良い。

 でも、僕は。僕は何か胸が、もやもやと。


「それも、明日になればよくなるわ。。保証するわよ」


 そうか。それは、よかった。あれ、よかったのかな?

 わからない。頭がぼんやりする。

 でも、帰ろう。

 浅上さんの言うように、帰らなくては。


 口から手が離れる。

 足が地面に着いた。

 さあ、さあ帰らなくては。仕事も終わったし、夜も遅い。早く帰って明日に備えよう。

 

 僕は歩き出す。

「くすくす、山田さんこっちよ。手をとって?」

 浅川さんの手をとる。

 不思議と嬉しくない。おかしいな? 浅川さんの手を握っているのに。まあこんな日もあるのかも知れない。


 手を引っ張られながら歩く。

 ……僕は一体何をしているんだろうか?

 

「……ねえ、ちょっと」 

 声を掛けられる。声の方を見ると、愛さんが俯いている。

 

「アンタ、そんなのでいいの?」

 愛さんはこちらに顔を向けた。

  

「え? そんなのって……」

 ボクが答えると、「違うわ。わたしはアンタに言ってんのよ、いのり」

愛さんが言う。

 いのり? いのりって誰のことだったか?


「あら? なにか文句でもあるのかしら」

「あるわ。そんなので……うれしいの?」

「はぁ?」

 さんの顔は歪んでいる。彼女は低い声で、愛さんに言う。

「ねえ、どうゆうつもりなのかしらぁ、自分の立場忘れちゃった? あなたはね、腐った死体なの。ちょっとは自覚して、口を噤んでいなさい」 


 愛さんは喋った。

「好きな人なら、正々堂々と勝負して勝ち取りなさいよ。それとも、夜子ちゃんに勝つ自信がない?」

「はぁ、何を言ってるのかしら。ねえねえ、秋葉原さん。そもそもねえ、正々堂々となんて言うけどね。どうでもいいわよ、そんなの。だってそうでしょう? 私はもう勝っているもの。水野君は私のもので、夜子は死ぬの。勝負する必要なんてない、おわかり?」


「やっぱり、あんたは気に入らないわ」 

 愛さんが走る。ものすごい勢いでこちらに来て、さんのお腹を


 __ドゴッ!?


と、重い音がした。

 

「ゲほォ!?」

 愛さんの右手の拳は、お腹を突き破って背中の後ろまでいっている。


「ちょ、どぉおおお。え? 正気なの? ごぼごぼぼ」

 さんの口からは血が。大量の血が流れ落ちる。愛さんが拳を抜くと、開いた穴から、赤黒いナニかがデロデロと零れ落ちる。


 そんな状態で、彼女は、話す。

「ごぼぼ。ごぼ。げほげほ、げほ…………ねえ? 何するのかしら、いきなり」

 

「やっぱり、夜子ちゃんの味方をしようと思ってね」

 右手についてる血を振り払いながら、愛さんが言う。その表情はとても晴れ晴れとしてた。

 

「今、で、夜子の味方をする? 本気で言ってるの?」

「ええ」

「……やっぱり、腐ってるのねその頭。わざわざ負けるようなものよ?」

「わざわざ負けるつもりはないわ」

 愛さんが応える。

 

 その僅かな間に、浅上さんのお腹が、お腹が治っていく。

 血が、どろどろとした血が、お腹の穴に戻っていく。いや、血だけじゃあなくて零れ落ちた内臓も。


「ココは、この場所は、私の結界よ? つまり、私がルールでカミサマなの」

 浅上さんは、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 なんだこれは? まるで、まるで……悪い夢だ。

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