第63話 今はもうない過去 始まりの夜に


「願い事……願い事なら、ある」

 里美が言う。

 鏡の光が、ゆっくりと揺らぐ。それはまるで、願いの先を……促すように。



 __夜子! そいつの願いを叶えさせちゃあダメ!


 動けない、この体が恨めしい。

 

「え? でも、いのり……」

 __ああ、もう! 早く! 早く殺すのよ! いえ、気絶さてもいいから! とにかく早くして!!


 私の声を聴いても、夜子はどうしていいか分からない様子で、キョロキョロしている。なんて……バカな子!


 私が焦っていると……

「……私は、水野君と……結婚したい」

 里美が鏡に、言った。願い事をしてしまった。


 鏡から光が溢れる。

  

 __ああ。


 終わった。恐れていたことが、起きた。


 この鏡の定理に従って、願いは……叶えられる。

 きっと、将来。

 水野君は里美と結婚することになるだろう。

 それが当たり前のコトとして、世の中は回っていく。


「はあ? おい、里美。あんた何やってんのよ?」

 静子が、里美に詰め寄る。


 此処にいる者は、実感として分かるはずだ。この願いがという事が。


「……え、静子。何ってお願い事だよ? あれ? 私……水野君と結婚できる、の? 嘘。え、ウソ。あれ、あれあれ、あ、あはははははははは。やったぁああ!!!!」

「何やってんだよお前ええええええ! 何勝手に、ああ!?」

「えちょっと、待って、しず、ぐうぅううえええ!?」

 

 静子が里美の首を締め上げる。

  

「ぐ、ぐるじい……」

「何やってんの何やってんの何やってんの何やってんの、ねえええ!!?」

 

 静子が首を絞め続けていると、  

「や、やめてよ!」 

 里美が静子の腕を振り払った。

 

「げほげほげほッ。げほっ。はーはぁー。は、はは。あははははは! ごめーん、静子。でも、こういうのって早い者勝ちだよね? あは。あははははははは! ちょーラッキー! え、こんなことってありえるの?」

「あ、あんた」

「ふふ。まぁ、静子も他に良い人見つければ良いじゃん。あーよかった。私は水野君と結婚するから。あ、結婚式には必ず呼んであげるから、それは心配しないでね。じゃあそろそろ私、帰るわ。ここ何か不気味だし、さよーなら静子。あ、水野君もバイバーイ。またねー」


 それだけ言うと、里美は走り去った。


 残されたのは、呆然としている様子の静子と、夜子、まだお腹の傷が回復しきってない水野くん。そして、地面に転がっている私。


「は、ははははは。何あれ? あり得ないでしょ? ええ、何。アイツと水野君が結婚する? え、あり得ないあり得ない」

 静子がブツブツと独り言を言っている。

  

 でも、もう運命は決まってしまった。


 いえ、諦めるのは早いかもしれないわ、まだ何か方法があるはず。夜子のお母さんに解決策を教えてもらえるかもしれない。


「あり得ない、あり得ない。いや、絶対ダメよ。そんなこと……そうよ、許さないわ」

 私がなんとか方法を考えていると、静子がフラフラと歩き出す。

 その姿に不吉なモノを感じた。


 静子が立ち止まった先には……里美が捨てた包丁がある。


 __危ない、夜子! 水野君と逃げて!

 

「……え?」

 まだ呆然としている夜子。

 静子の様子には気づいていない。

 水野くんは傷のショックが残っているのか、地面に倒れたまま。


「アイツのモノになるなら、いや私以外の人と結婚するなんて……許さない。許さないよ、水野君」

 

 静子が倒れている水野くんの側まで行って、包丁を振り上げる。


「だめ、やめて!」

 静子に気づいた夜子が、水野くんを庇う。


「邪魔するなぁぁあああああ!」

 

 静子の手にある包丁が、横に、走る。夜子の顔の上を、横に。


「きゃああああぁあ!?」

「あ。ひ、ひひひひひひぃ。邪魔するからだ、バーカ! ああ、いい気味。お前の顔ってずううぅうううと気に入らなかったのよね!」

 

 ひどい。包丁の傷は夜子の両目を潰している。

 きっと、夜子は今何も見えていない。


「あ、あぁああ!?」

「おら! 邪魔だ、どけよ! おらおらおらぁあ!」

 静子は夜子のお腹を蹴って、蹴って、蹴って、水野君から引き離す。


「あ、あああ? どこ、水野くん?」

「ぐう、うぅうう。ああ、夜子?」


「もう黙ってろお前ら! 水野君も、いらないんだよ、里美に取られるくらいならなぁあ!」


 静子が倒れている水野君にまたがり、水野君を包丁で刺す。


「あはははは! 死ね、死ね、死ね、死ねええええ!」

「がぁ! ああが、やめ、があぁあああが、やめ。あ」

 包丁は、水野君の首、肩、お腹、いろんな場所に刺さる。刺さる、刺さる。


「いやぁああああ、水野君!」

 夜子が叫んだ。


「あ、は。こんだけ刺せば死ぬでしょ? あははははは! あーあ。いい気味。あ、でも、ホントに死んだら……もしかして私って殺人罪? 人殺し? ああーあーあーあーあー、あ? そうだ! イイコト思いついた! 私もお願い事しよう。叶えてくれるかしら、鏡さん?」


 鏡が淡く光る。


「あは! じゃあ、ね。私たちの記憶を消して」

 静子がおぞましい願い事を口にする。


「私たちっていうのは里美と夜子と水野君よ? あ、当然私も含めてね? 人を殺したとか、好きな人が他のやつに取られたとか、そんなクソみたいな思い出は要らないから。ふふふふ、それにもし水野君が死ななかったとしても……これで、里美と結婚できないでしょ? ホント、私って天才?」

 

 静子の願いの後、鏡から光が溢れた。


「あははは! やた! やった! やった! やったぁああああ! ふふふ、もうこ此処には用はないわ。さよらなら、夜子。もう会うことはないでしょうけど、もし会ったら今度は仲良くしてあげてもいいわよ。ふふふふ、まあ……覚えてたらだけど!」


 願い事を終えると、静子は去っていった。



「……いや、イヤ。ねぇ、水野君、ねえ?」

「……あ。ああ? 夜子か? 何だかもう、眠い。すっげえ……ねむい」

「ダメだよ! 寝ないで、水野君」

「……なんだか、頭もぼんやりする。なあ、確か俺たち約束してたよな? なあ?」

「うん! 覚えてる、覚えてるよ!」

「…………ああ、俺も覚えてる。覚えてる、覚えてるはずなんだ。でも、なんだか、眠いし、頭が……ぼうっとする。大切な約束だった、覚えてるんだ、それは。でも、……どんな約束だった?」

「ほら、私たち結婚するんでしょう? 私が結婚できる年になったら、高校二年生くらいになったら結婚してくれってアナタ言ったじゃない……覚えてない?」

「……ああ、覚えてる、覚えてるよ。なあ、夜子。俺と結婚してくれるか? 俺が迎えに行くまで……待っていてくれるか?」

「うん! 私ずっと待ってるよ!」

「……ホントに?」

「うん! 心変わりなんかしないから! 私ずっと待ってる! 私も、そうお願いするから!」

「……そうかぁ、ありがとう。………………、ああでも、なんだか、ねむたいなぁ。夜子、俺は……あれ? 夜子って誰だっけ? 何か、大切な約束をしてたんだけどなぁ」

「イヤ! 水野君! ねえ、しっかりしてぇえええ!」


 夜子は顔をから血を流しながら、水野君の体を揺すっている。

 

 __夜子。


 私は夜子に声を掛けた。

「いのり!? 何処? 水野君が!」


 __残念ね、夜子。水野君は放っておけば死ぬ、助からないわ。


「そんな!」


 __ねえ、夜子。何で、私の願いを叶えてくれようとしたの? 私なんて敵じゃないと思ってたのかしら?


「いのり! 何とかして、ねえ! 水野君を助けてあげてよ!」

 

 __私としては、貴方に負ける気は全然なかったのよ、人間になれたね。まあ、でもこうなったらしょうがないわ。……さようなら、夜子。


「いのり、何言ってるの?」

 

 夜子は不思議そうに言う。


 心配しないでも助けるわ……水野君を。水野君を助けるには、二つ方法がある。


 一つは、私が鏡に願い事をすること。でも、この場合鏡にどれだけが残っているかが問題になる。もうすでに、鏡は里美、静子、……夜子の願いを叶えた。世界に歪みを出した。鏡を見ると、光が弱弱しくなっている。中身は、もうほとんど残ってないはず。不確定な願いに水野君の命は任せらないし、もし上手くいったとしても、私は願いを使い切ってしまって、人間には成れない。


 二つ目の方法。単純に、私が治せば良い。自分の容量を振り切って……自分の命と引き換えに。

  

 どちらを選ぶかと言ったら、それは……。


 __ねえ、夜子。あなたのことは、そうね。好きとは言えないかもね、でも、嫌いじゃあなかった。


「え? いのり? え? 何言ってるの、ねえ! 何しようとしているの? いのりが、お願いしてくれたら水野君は助かるよ!」


 __ああ、心配しないで。大サービスよ。あなたの顔の傷も持っていくわ。そもそもそれが私の生まれてきた理由だったし。


「……え? いのり! ダメだよいのり! それ以上、身代わりをしたら……」

 

 ……死んじゃう!


 と、夜子の叫びが聞こえる。

 夜子の顔を見る。両目から流れ出る血、血、血。それはまるで、泣いているようだ。


 死ぬ、か。でもねぇ、夜子。私はそもそも生きてないのかもしれないわ。そう、このまま人形でいるなんて、イヤよ。

 だって恋を知ってしまったのだから。

 人間になりたいなんて思ってしまったのだから。

 このまま人形でいるくらいなら、好きな人と……親友を助けて、死ぬ方が良いわ。


 __まあ、気にしないで、私は私の好きなようにやるわ。それが私が……唯の身代わり人形だった私が、生きてたって証明よ。……じゃあね、夜子。今までありがとう。


「ダメ! いのり、やめてぇえ!」 


 

 さあ、貴方たちに、呪いを。

 呪いを、呪いを、呪いを。

 幸せになるように……呪いを、あげる。

 

 身代わりの呪いが発動する。


 体が痛い、痛い、痛い。目も見えなくなった。

 あら? 目が見えなくなるって、真っ暗で恐ろしいモノね。こんな状態でも、水野君と私の心配をするなんて……なかなか厄介よね。まあ、勝負したら……負けないけど。


 自分の体が壊れている。壊れていく。

 ……ああ、よかった。

 これで、貴方たちは大丈夫。

 もう、夜子の声が聞こえない。

 でもいいわ。私は自分の役目を果たした。自分の好きな人も助けることが出来た。

 だったらいいわ。




 __でも、出来ることなら……夜子みたいに人間として生まれたかったなあ。


 自分が消える、完全に消滅していくとき、薄れゆく意識の中で、私はそう願ってしまった。


 ああ、でも。

 それはあまりにも…………未練がましくて、不可能な願いで。

 

 きっとよくないを残してしまう、不出来な願いごとだった。


 

  

 


 

  

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