第61話 今はもうない過去 願い事

 願い事……私の願い事は……、もちろん人間になること。

 でも、成れるのかしら。もし本当に成れるなら……。


 好きな人に話し掛けたい。話し掛けられたい。


 ずっと見てるだけだった……どうしても届かなかった。触ってもらっても、私からはどうすることも出来ず、どうしても水野くんの心に届かなかった……。


 もし、人形じゃあなくて、人間に変われば……。


 私、変われるのかしら?


「さあ、いのり。お願いしてみて?」


 ああ、夜子が私を促す。本当に……本当に馬鹿な子。お母さんの言い付けを破って、私に名前をくれて、こんな場所まで連れてくるなんて……。


 私が人間に成ったら恋敵が出来るだけなのに……。それとも、私なんか相手にならないと思ってるのかしら?

 確かに水野くんは夜子を愛してる。でも人間の心なんて曖昧なもの。私にはよくわかる、ずっと人間について考えていた私には。


 今は好きな人でも……将来はわからない。

 もっと好きな人ができるかもしれないし、好きが嫌いになるかもしれないわ。

 変わらないものなんて無い。


 残酷かもしれないけど当たり前の真実。

 だから人間に成れば、私にも可能性はある。


 夜子と、正々堂々と勝負できる!


 夜子の腕に抱かれている私は、前を見た。正面の鏡を見た。

 不気味な鏡。暗闇の中で、円状にぼんやりと光る鏡。

 それはまるで、世界に穴が開いているようで。

 覗き込むとココではない別の場所に墜ちていくような、そんな穴。あまりの現実味の無さに……わかる。これは、この鏡は本物だと。

 

 きっと願い事は叶う。

 

 もし、神様のような存在がいるなら、私は……。

 __私は、人間に……


「危ない夜子!!?」

「え、きゃあ!」


 え、え? 何? 私は急に水野くんに押し倒された。……いえ、私を抱いていた夜子が、水野くんに体当たりをされて転んだのね。私も夜子の腕から放り出されて地面に転がった。


 でもなんで急に水野くんが……?


 私は、水野くんを見上げた。


「ぐ、ぐくあ」


 あら?

 水野くんのお腹から包丁が生えてる? え? あれえ? え??


「あー。おしい、邪魔しちゃあダメだよ水野くん? そいつ殺せないじゃーん?」

「サトやんあんた何やってんだ、ぼけええええ!! 水野くんに包丁刺さってるわよ! 夜子を刺しなさいよ、夜子を!」

「ウンウン、わかってるって~。……あー包丁一本しか持ってなかったーアハハ。ねえ、どうしよー?」

「ああ!? じゃあ、さっさと刺さってる包丁引き抜けよ? 使えないわね!!」

「あー成る程ねえ。静子アッタマ良い~」

「全く! ドイツもコイツもムカつく、ムカつくムカつく! 特にそこの女なんて最悪! おい……おい! お前だよ! わかってんのかあ!! 夜子! てめえ私達が楽しくカラオケやってたのに邪魔しやがって! 私たちが先に遊んでたのぉ! それなのに何? チョーシのってんの? ねええええ?!」


 いつの間にか参道に、里美と静子がいた。でも二人の様子は……オカシイ。

 二人は神社まで付いてきて、そして……この場所で……迷ったのかも。


 里美が水野くんに近づく。

「グあ、あ? さとちゃん何を?」

「アハハ、ちょっとごめんねー。包丁抜くからー」

 

 里美が水野くんの腹の包丁を掴む。

「あ? あああああ!? いた? いたいたあいい痛い!!! やめてやめてやめて」

 

 里美は包丁を引き抜こうとしているみたいだけと、……なかなか抜けない。

「アア!! やめ! さとちゃんやめ……て」

「ごめんごめんー、すぐ抜くわ」

 里美は右足で水野くんを勢いよく蹴る。


「ぎゃああ!!!」

「やったー抜けたーヒヒヒヒ」

 水野君の体から血が、血が溢れる。


「サトやん、さっさと夜子を殺せよ!」

「あー、うん。了解りょうかーい、わかってるってー。あはははは」

 里美は血まみれの包丁を持ちながら、ヘラヘラ笑っている。


「水野君!!」

 夜子が倒れている水野君に駆け寄った。

「ねえ、水野君! ねえったら!」

「……あ、ああ。……夜子」 

「大丈夫!?」

「ぐ! うう、痛い。…ヤ…バそう」

「……救急車呼ぶ?」

「……頼む」

 あの夜子が救急車を呼ぼうとしている……ということは、水野君は放っておくと死ぬ。


「ねえねえ? 無視しないでよねぇ!! まーたそうやって二人で楽しそうに! あーむかつく」

 静子が言う。

 

「何言ってるの! 水野君が死んじゃいそうなんだよ?」

 夜子が水野君の傷口を手で押さえながら言う。

「はぁ? 水野君が死ぬ? なんで? 水野君が死ぬわけないじゃん!」

「こんなに血が出てるのに、何言ってるのよ! ねえ二人ともしっかりして! 正気に戻って」

 

「はぁー。見え透いた命乞いね。無駄よ。サトやん、ほら。早く刺してあげて」

「……あれー。ねえ、静子? でも、うーん。水野君怪我してない? 血が出てるよ? あれ大丈夫かなー?」


「だから、里美が水野君を刺したんでしょう!? このままじゃあ水野君死んじゃう!」

 夜子が叫ぶ。


「え? ……あれ? 嘘、ウソ。え、私が刺したの? ……いやー、そんな訳ないっしょ? 私が水野君刺すわけない。私はアンタを殺そうとしてたのよー? なんで水野君が死にそうなの?」

 里美が、水野君と夜子に近づきながら言う。


「ねえーどうして?」

 里美が包丁を振り上げる。

「きゃあ!?」

 振り下ろされた包丁は、夜子の肩に刺さった。


 刺さっていた包丁が抜け、また振り上げられる。

「どうして? どうして? どうして? ねえ、ねえねえねえねえ。ねええーええ?」


「ああああああああああぁ!?」

 夜子が悲鳴を上げる。

 グサグサグサグサグサっと、肉に包丁が刺さる音がする。夜子の肩に、背中に、振り上げられた包丁が、刺さる。


「げほっげほッ。お、おい! サトちゃん、やめて、やめて。夜子が。や、やめろぉおおお!!!」

 今度は水野君が、里美から守るように夜子に覆いかぶさる。


「あれー? 水野君? んー。ねえねえー。ねーええーえ。邪魔だよー? 夜子殺すから邪魔しないでねぇー?」


「さとちゃん。……どうして、こんなこと?」

「ふふふー。実はねー私、……水野君のことが好きなの。きゃあ、言っちゃった! 言っちゃった! だからねー。そいつが邪魔なんだー。ほら、私達の邪魔者でしょ?」

「だ、だから、殺す?」

「うん! 当たり前でしょー?」


「……ゲホッゲホ。……僕は、夜子が好きだ」


「え?」


「僕は、夜子が好きだ」


「ええ? あれー水野君、何言ってるの?」


「僕は、夜子が好きだ。愛してる、結婚したいと思ってる。その、だからごめん。サトちゃんの気持ちには応えられない」


「……うそ?」


「ごめん、嘘じゃない」


「…………………うそだよ。だって私たち子供のころから一緒で、ずっと仲良く遊んできたじゃない? 大人になっても、私水野君のお嫁さんになると思ってた。そうだよね? ……ね?」


「……ごめん」


「……ああ、ああああああ!!?」

 里美は包丁を投げ捨て、両手で髪の毛を掻き乱す。

「……あは、あははははは 何それ何それ? ドウシテそうなるの? 可笑しいじゃない? え? 可笑しくない? ねえ、静子……これって可笑しくない?」

「は? え、何? ……里美? 今何て言ったの水野くんは?」


 里美と静子は、ブツブツと呟いている。二人は急に大人しくなった。


 今のうちだ。


 __夜子、夜子!

 私は夜子に呼び掛けた。

「え、いのり? なに?」

 __何じゃあないわよ! 貴方キズはどう? どっちから


「あ! えと、水野くんからお願い!」

 やっぱり水野くんの方が重症のようね。


 __わかった! 


 私は、水野くんから始めることにした。


 私は、人形……名前の無い人形……貴方の人形……貴方だけの人形……貴方の写し見。

 いいえ違うわ……私は貴方……貴方自身……貴方が人形……貴方だけが人形……私だけの人形。


 呪いによって、現実は反転する。


 __グゥ!


「いのり! 大丈夫!?」

 夜子が私を覗き込みながら聞いてきた。


 __はぁはぁ。大丈夫に見える?

「……ごめん」

 __いいわよ。全く、傷だけじゃなくて痛みも写るなんて不便よねえ?


「うん、でもありがとう」

 水野くんを見ると、お腹のキズがうっすらと塞がっていた。

 ……私は元々、夜子の身代わり人形。だから夜子の姿形をしてる。水野くんの完璧な写し見じゃあないから、なかなか呪いが上手くいかない。


 __お礼を言うのは早いわよ? さあ、次は貴方。

「うん、お願い」


 夜子と、私。いいえ、私が夜子。そう、貴方が私。決まりきった関係で、お馴染みの手続き。すごく馴染みきった境界に浸ると、はいお仕舞い。


 __う!

 肩と背中にズキズキとした痛み。やっぱり、夜子の傷の方が軽いわね。

「ありがとう! もう、痛くない」


 __そう、良かったわね。でも、私はそろそろ限界よ。早く逃げて。


私が夜子にそう言った、その時。


「……声が……聞こえる? え? 願い事?」


 里美がぼんやりとした声で呟いた。


 私はその声を聞いた瞬間、ぞくりと背筋が寒くなる。


 里美は、聞こえてはいけない、聞いてはいけない声を……聞いている!


 __夜子! 早く、ソイツを殺して! 早く!

 「え?」


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