第35話 番外編 山田探偵の日常 その2

 まだ7月に入ったばかりと言うのに、最高気温は30度を超えた。

 そして梅雨も明けきっておらず、湿度が高い。つまり、とても蒸し暑い。


「いやー、それにしても暑いですねえ? 五十嵐さん」


 事務所のソファーで、だらけているのは私の雇い主である山田聡一さん。彼は探偵で、この探偵事務所の所長もしている。


「……そう思うなら、早くエアコンを買い替えてください。古くてちっとも効かないじゃないですか」

 私は山田さんに文句を言った。

 そう、この暑さは事務所の環境、設備が悪いからだ。であるならば、この場所を管理する責任を負っている山田さんに非がある。


「そうですねえ。……あれも長く使ってきましたからねえ。そろそろ買い替え時でしょうか?」

 山田さんは壁のエアコンを見ている。彼はこの事務所で長年探偵をしてきたはずだ。いろいろ思い出があるのかもしれない。

「何か思い入れがあるのですか? なら、修理すれば多少はマシになるのでは」

「いや、いや。思い出と言うほどのモノはありませんよ。……ただ、あれはねえ。別れた妻に買わされた物で、ああ、お金がないときでしたっけ。恥ずかしい話です。かなり値切らされましたよ、……私が。店員さんとエアコンの値段交渉をさせられましたねえ。その後、なんとか格安で買って、この事務所まで運んだんです。あれは夏前で、今日みたいに暑い日でしたね。この事務所って三階にあるでしょ? エレベータもないから。ははは、大変でした」


「そうですか。……いい思い出も無いような品なら、早く処分しましょう。ああ、新しいエアコンを買ったら、古いエアコンの下取りをしてくれる店を探しましょうか?」

「……そうですねえ。お願いできますか?」

「はい、手配します」


 確か、今朝のラジオ番組でエアコンの宣伝をしていた。他社と値段を比べて安ければ、あそこでいいだろう。商品は最新のエアコンだと言うし、日本製なら問題ないはず。エアコンの代金は経費で落ちるにしても、出来るだけ節約して買いたいところね。


 私はしばらく、事務所でエアコン代金を調べて一番安いところに注文を出した。

「所長、手配できました。近日中に、業者が取り換えに来る予定です」


「五十嵐さん、どうもありがとうございます。すみませんねえ、雑用までやってもらっちゃって」

「構いませんよ」


「しかし、お客さんは来ませんねえ?」

 山田さんが、ソファーから立ち上がり背伸びをしながらいう。

 確かに今日はまだ、一人も来客がない。


「まあ、こうも暑いと外に出る気も失せるのかもしれませんね。……所長。そう言えば例の旅行の件はどうなったのですか?」

「避暑地への同行でしたか。ええ、当然ついて行きます。あの人のお使いをしていれば毎月お金を貰えますからねえ。事務所の収入的にも、これは大きいですよ。五十嵐さんも来てもらうつもりですが、いいですかね?」

「はい、問題ありません。しかし、その間この事務所は?」

「当然閉めていくことになりますね。まあ、仕方ありません。夏期休業の張り紙を作っておきましょう。後、事務所のホームページにも告知をしておく必要がありますねえ。……では、私はホームページにその予定を書いておきますので、五十嵐さんは張り紙を作ってくれますか?」

「はい、わかりました」


 避暑地への旅行。山田さんの知り合いのお金持ちは毎年、個人で所有している離島に避暑へ行くらしい。まったく、豪勢なお話。でも、そのお金持ちとの人脈があるおかげで山田さんは余裕のある生活ができている。


 私がパソコンで張り紙の文章を作っていると。


 __チリリリリン

 と、事務所の来客センサーの音がした。

 お客さんが来たみたい。

 予約の電話はなかったから、これは飛び込みの客だ。


 山田さんはソファーに座り、出迎えの準備をする。


 事務所に入ってきたのは、10歳くらいの女の子。


「ようこそ、いらっしゃいました」

 いつもの様に、山田さんが出迎える。基本的に、山田さんは客によって態度を変えない。小さい子供でも、大人でも、同じような物腰の低さで接する。


「どうそ、座ってください。お嬢さん」

「は、はい」

 女の子はおどおどとした様子でソファーに座る。

 私は、奥の部屋からジュースでも持ってこようかな。流石にこの子にコーヒーは合わないだろうから。


「えーと、今日はどうしたのかな? 何か困りごとでも?」

 山田さんが、女の子に聞く。


「じ、実は。家のクウがいなくなっちゃって」

「クウというのはペットのことでしょうかね?」

「は、はい。犬なの。えーと、昨日の夜からいなくなっちゃってて。首輪してたんだけど、古くて外れちゃってて。探しても見つからないの」

 話し出すと、女の子の目には涙がたまってくる。


「そうですか、そうですか。それは、困りましたねえ? いいでしょう、私どもでよかったら力になりますよ」

「本当ですか!? で、でもその。……お金。これだけしかなくて」

 女の子はソファーの前のテーブルに千円札4枚と、小銭数枚を置く。……4780円というところね。


「ええ。お金は、問題ありませんよ。そのお金で探しましょう。ですが、その子の写真も頂けると嬉しいですね。ああ、写真がないなら、携帯の写真データでも構いません。どうですか? 何かありますかね?」

「は、はい! 写真なら携帯に……」


 まったく、この人は。相変わらずのお人よしだ。

 そんな金額で、事務所を空けて、ペット1匹を探すなんて。とても採算が合わない。


 ……でも、そういうところ嫌いじゃないですよ。所長。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る