わからないものを知ること

「「…」」

 きまずい。

 これが単にそこまで親しくないだけのクラスメイトだとしたら、ここまでにはならないだろう。

 席が前後の関係で、さらにこちらから意図的に接触を避けている側からすると、こんなマッチングにした店員…いや神様を恨むほどだ。

 普段から少食ぎみではあるけれど、箸を運ぶ早さもさらに遅くなっているのが自分でもわかるくらいだ。

 とっとと残りを平らげて店の中からでていきたいのに緊張と満腹感のせいで胃もたれが…明確な退路がほしい。


 お互い黙りこくったままで、やがて泉さんが頼んだ料理が出てくる。

 運ばれてきたものはどんぶりに装われたキツネうどん。心なしか私が頼んだカツ定食より一回り量がすくないきもする。

 これにするべきだったかと後悔したのは、まさしく後の祭りで、今回は仕方ないと割りきり残りをどうするかで頭を悩ませる。

 そんななかで、5分もかからないうちに泉さんはきつねうどんを平らげて、水で喉を潤している。

 その女子とは思えないほどの豪快なかつ素早い食いっぷりに、思わず手を止めて唖然としてしまった私は悪くないはずだ。

 思わず大食い選手権にでも出るつもりなのかと問い詰めたくなる喰いっぷり。爽快ではあるんだが、こちらからすれば満腹感を増進させることに一役買っているのも拙い、余計箸が進まなくなるではないか。

 これではいつまでたっても食べ終わらない、それが分かっていても一向に手が動かないもどかしさに苛まれる。


 その時だ。

「ねぇ、それ食べないの?」


 向かい合うように座っている泉さんから、突然話しかけられたのは。

 突然話しかけられたのにも驚いたが、やけにものほしそうに残ったカツ定食を見ながら聞いてきたことだ。

 まるで獲物を狙う鷹の目つきでただ一点を凝視するさまは、正直言って鬼気迫るモノを感じさせる。返答次第では私まで取って食われそうなほどだ。

 かといってこのまま黙っていても何されるか分かったものじゃない。

「…食べる?」

 辛うじてそう答えるのが精一杯、いやこれでも称賛ものだと思うの、はい。

 ただ、これがいけなかったのか。ゲーム風に言うなら選択肢を違えてしまったのか。

 -彼女との対話の機会を作ってしまった、ただそれだけが私の最大のターニングポイントになりつつあった-


「いいの!?」

 テーブルの上から身を乗り出し、私に興奮気味にそう伺う彼女は、『YES』と答えたらそのままの勢いで残り物に手を付けそうな勢いだった。わたし含め。

 いや、それならそれで私としても残飯が出なくなるので助かるのだが、あんな目で見られて嫌だと断れる輩はいるのだろうか。

 ともかく、このままお預け状態と言うのもお互いの精神衛生上よくない。サッとカツ定食残りが乗っているお盆を対面、泉さんの席に近づけるように移動させた。

 すると流れるような動きで自らの箸を手に取り、もう片方の手でお米が半分残っている茶碗をしっかり抱え、血に飢えたライオンもかくやと言わんばかりにカツ定食にありつき始めた。

 見てて壮観である、あまりものの残飯候補ではあったが。

 そういえば、彼女はあまり回し飲みとか回し食いにはあまり頓着しない性質のようだ。これを見ていればいやでも理解できるが、羞恥とか女性としての意識が欠けているのだろうきっと。それ以上考えることはよそう。

 しかし後顧の憂いも無くなった、ならばここから立ち去ろうと席から腰を持ち上げ-。

「待って」

 -ようとしたら出鼻をくじかれてしまった。

 その言葉とともに、泉さんが私のシャツを掴む。

 その握力たるや絶対にどこにも行かせないぞという意思表示でもあるのか、とてもではないが私には振りほどけそうにないほど強固なものだった。

 …それはきっと私の腕力が貧弱だからというわけではない、彼女の腕力が異常なだけのはずだ、きっとメイビー。

「…もちろんそのカツ定食の分は僕が払うよ?」

「そんなの当り前じゃない。」

 では何なのか。

 どうあがいても裾から手を話してくれない。逆に服のほうが根負けして伸びるなり破けるなりしそうなので、おとなしく元いた席におちつくことに。

 一体どうしてこうなった。あ、自分のせいか。


「えっと、それで何の用かな」

 手短に、単刀直入に要件を聞いてみた。

 何かしら私に言うことでもあるのは間違いないから、私の方から伺ってみたのだけど、それがもし教室で無視を続けていることへの恨みつらみだったら、正直心が折れる自信がある。

 こちらにも非があるから言い返すことはできないし、どちらかと言うと豆腐メンタルなのだ。

 そんな私を前に件の少女は、うつむきブツブツと口を動かしている。

 これは大声で罵られる前に戦略的撤退をした方がいいのかもしれない。

 そう思い、気持ち腰を席から浮かせていつでも勘定だけ置いて逃げれる準備を始めたとき。


「あり…が…とう」

「-え?今なんて」

「だから、ありがとう。ご飯おごってくれて」

「え、あ、それは…」

 どうしようか、返答に困ってしまった。

 まさかお礼を言われるとは思わなかったのと、その御礼の要因が、まさか昼の食べ残しそうだったカツ定食だったからだ。

 だってあのカツ定食は出されてから結構時間が立っていたし、冷めて美味しさも半減して、何より私が食べた後だぞ?言ってしまえば残飯予備軍だ、ちょっと罪悪感が。

 いやまて、考えるより返事をするべきか。

「ああ、うん残すよりかは良かったしむしろありがとう?」

「なんでそっちが頭を下げてるのよ。しかも疑問符まで付けて、変なの。」

 こちらも動転してて言葉を選べなかったが、まさかお礼を言ったら表情を変えずに変なの呼ばわりされるとは思わなかった。

 むしろあんたのほうが変だと反射的に口に出したくなるのをこらえて、今度は言葉を選んで言い返した。


「別にいいだろう。で、要はお礼を言いたかっただけ?なら先においとまさせてもらうけど」

 夕刻の仕事にはまだ時間には余裕がある、けどゆっくり町並みを見まわっていけばちょうどいい時間になるはずだ。

 気持ち急かすつもりでそう言ったはずなのに、彼女は考える素振りを見せてから

「あ、じゃぁちょっといい?」

 とあくまでマイペースに持ちかけた。

「いや、もう結構居座ってるし」

 まだ用があったことには驚いた。だけどここで折れたらまた引きずる。だから抵抗を試みたものの

「問題ないわよ、そういうのは店員がなにか言うまでなら居座り続けたって。それになんか言われたら私の連れだって言い張ればいいの」

 まだ入ったばかりだし、と豪語する泉さんだがまるでこちらの意を考える気が無い。

 彼女が周りに馴染めない理由が少しだけわかった気がする。

 と言うか、もっと陰鬱とした感じだったと思うのに、存外にサバサバしている粗野なイメージは逆に保管されているけど。

「というわけでひとまず座りなよ。その体勢はつかれるでしょ?」

 彼女の中ではもう私が話を訊くことは決定事項のようだし、もめるのも店の人に迷惑がかかる。

 結局こちらが折れて彼女の話を訊くことにした。


「聞きたいことがあるの」

 そんな言葉で泉さんは出だしを飾る。しかしそこから先はどうにも言葉が出ないようだ。

「あ、じゃぁこっちから一ついいかな?」

 もどかしさもあってあえてそう言うと「いいよ」と短く了承の返事が帰ってくる。

 正直今まで接点といえば席が隣であるくらいしか無いはずだ。…以前陽彩たちが言っていた戯言のような展開にでもならない限りは。

 その辺りは私としてもはっきりさせておきたいところなので思い切って聞いてみることにした。

「もしかしてどこかであったことがある?」

「あるわけ無いじゃない、ナンパのつもり?」

「イエナンデモナイデス」

 やはり何の関係もないようだ。あまりに辛辣な返事に若干心に傷を追いながらもしかし一つだけ前進したということでよしとしよう。

 後は泉さんからの質問を訊くだけなのだけど、彼女は未だに口をまごつかせ質問の内容に悩んでいるようだった。

 それでも腹の底から絞るように小さな声で、弱々しく声を出す。

「昔、犬を飼ってたりしない?」

 ずいぶんとほんわかな質問にちょっと拍子抜けしたのは秘密だ。

 しかし質問した泉さんは真面目な表情でこちらを見つめてくる。

「え、犬?好きなの?」

「いいから答えて」

 一度だけ茶化してみたが、何か様子がおかしい。

 仕方なく、本当のことを話さすことにした。

「いや、飼ったことはないよ。可愛いから飼ってみたいとは思うけど、いまはマンションだからなぁ」

「今のことでも、カワイイ不細工のことを聞いてるわけじゃないの。本当に飼ってなかったの?」

「しつこいけど、経験はないよ。一度だけ飼おうかどうか悩んだ時期があったけど」

「それ詳しく!」

 また勢いに任せてこちらに顔を近づけてくる泉さん。

 一体何が彼女をそうさせるのか疑問に感じたものの、この状況からいち早く抜け出したいがためにその時の記憶を掘り起こしながら語っていった。

「-まだ最近のことなんだけど、ここに来る前、東京にいた頃に捨て犬を見つけたんだ。つい情が移っちゃって家の方で飼っていいいかどうかで揉めたんだよ。で両親からOKもらった時には元いた場所にはいなくて、誰かに先に拾われたたか…最悪-」

 それ以上はあまり考えたくはなかった。

 そんな中泉さんはそれだけ聞くと、自分の席に腰を落ち着けてからブツブツと何か考えことを始める。

 その様子が少し怖いと感じてしまった。

 だから、続けていらぬこともうっかり口からついてでた。

「中途半端に構うっていうのが一番いけないことなのに、きっと恨まれてるだろうなぁ」

「…まぁ、辻褄は合うかしら。でも-」

「ヘ?」

「こっちの話」

 それ以上の追求をしても無駄と、右手を突き出し意思表示をすると、彼女はまた口を閉ざしてしまった。

 さすがにそろそろ店を出たいのだけど、まだなにか言いたいことでもあるのだろうか、泉さんは口を開いては閉じてを繰り返すのでどうにも切り出すタイミングが掴めない。

 やがて、深く息を吐いて、長い髪の毛を乱暴にかきあげながら


「-ううん、今は別にいいや。今日はありがとう。」

 とまた一度礼を言って、今度は彼女の方から席を離れようとしていた。

「え、結局何の質問だったのさ?さすがに不気味なんだけど-」

「気にせず忘れなさいな、それが懸命な判断ってやつね」

 やはりこちらの事情など解する余地なく、泉さんはてきぱきと身支度を済ませていく。

 そしていざ席を立ち、先に店を出ていこうとするところでくるりとこちらに振り向いた。

「ああ、それと多分そのわんころは貴方のことを恨んじゃないないと思うわ。きっとね」

「ヘ?」

 なんでそんなこと、お前がわかるんだ。とか、結局あの質問の意味は?なんて口に出そうとはしたものの、あまり関わるのもどうかと思い、言葉を発するのをためらう。

 その間に彼女は言いたいことだけ言って勝手に店の外へと消えていった。


「ほんとに、何だったんだ。一体」

 残された私はそうひとりごつので精一杯で、かすかな既視感と、得体のしれない不安に苛まれるのだった。




 ちなみに、夕飯からの仕事の手伝いはギリギリに到着してしまったことと、店の好意とお互いの利益の一致によりアルバイトとして雇われることになったのは余談である。

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