今の世界は私たちにとって広く、狭い


 近場の定食屋の暖簾をくぐり、空いている席に対面になって座る。

 腰を下ろした陽彩は深く息を吐いて肩を軽く回した。

 そつなくこなしていたように見えたが、それでもあの量の客を捌くのは流石に堪えたらしい。

 メニューは緋色にあわせてカツ定食をたのんでみた。始めて入った店で勝手がわからなかったのが大きい。

 緋色が特盛りで私が並盛り、大までが定価ワンコインで買えて特盛りギガ盛りになると少しずつ値が嵩張るがそれ以上に盛られてくる量が桁違いになっていくらしい。

 ひとまず料理が運ばれるまで座して待つことにした。 

「いやー、それにしても黒河のおかげで助かったぜ。さすがにあの量を二人じゃ捌ききれないからな」

「でも、結局接客は陽彩に任せきりだし。正直そこまで力になれてるかどうか…」

「喫茶店の長男坊なめんな。あれぐらいの修羅場何度も経験したさ、…料理は絶望的に不得手だけどな」

 喫茶店の息子として些か拙い欠点ではなかろうか。陽彩の将来が少し心配になってしまった。

 そんな感情が表に出たのか苦笑しながら彼は口を開く。

「そんな意外そうな顔すんなよ。俺たちは人間で、カエルでも競走馬でもないんだぜ?」

「なんでいろいろと混ざってるんだ。-てことは家業つく気は毛頭ないってことなのか?」

「まぁな。母ちゃんもそこは勝手にしろって言ってたし、これからも後を任せられる人がいなかった場合は潔くたたむってさ」

「そうか…なんかもったいないな、あんなに繁盛してるし雰囲気も悪くないのに」

「はっは、繁盛してるのは料理の味がいいのと一重に母ちゃんの人柄だな。それ以外の奴がやったってここまでにはならねぇよ」

「そりゃそうだけど、お母さんの代わりに俺が盛り上げてやるぜ!的な想いはないの?」

「ない。つっても将来何をするのかたいして考えてるわけじゃないがな!」

 あっけらかんと、何も疚しいことはないと言い切るほどの快活な声で言ってのける。

 その姿がやけに眩しく見えたのは、それだけ彼が自信に満ち溢れているからか。

 根拠のないことに関してはいただけないが、その自信の持ち方に関しては見習うところがありそうだ。


 やがて二人分の、結構寮が多い料理が運ばれてきてそれぞれ堪能していると、ふと緋色が問いかけてきた。

「それにしても、まさかあそこまで料理ができるとは思わなかったよ」

「突然どうした、藪から棒に。」

「一人暮らししてるから、当たり前なんだろうけどさ。あと少し上達すりゃあ、店で出してるやつと何ら遜色なかったからな。どっかで習ってたのか?」

「まさか。単に普段から作ることが多かっただけだよ。だんだん凝ってきたのは確かだけど」

「…作ってたてのはアレか?父子家庭だとかそういう特殊なやつ?」

 陽彩はさっきのおちゃらけた雰囲気は抜けて、少しだけ真面目な顔を作ってそう聞き返してきた。

「いや、そんなんじゃないよ」

「ん?じゃなんでだ」

「最初は母さんの料理の手伝いから始まって、それから少しでも役に立ちたくて練習した感じかな。体もあまり丈夫じゃなかったし、代わりに作る機会も何度かあったんだよ。」

 それに材料さえアレば外にでなくてもできるということも大きいけど、これは言う必要はないだろう。

 すると陽彩がこちらの顔を伺って、なにやら言葉を吟味しながら話し始める。

「もしかして、黒川がここに来たのはその人に何か…」

「ああ、大丈夫病院には通院しているけど、それとこれとは別だから。ただ母さんからの勧めではあったけどね」

「どういうことだ?」

「まぁ、色々とあるのさ。それより食事時にこんな話も何だしもっと明るい話にしようよ。」

 此処から先はあまり人には聴かせたくない話ではあるので無理やり話題を変えていく。

 陽彩もこちらの意を汲んで別の話題を探し始めた。


「そうだな…ん?まてよ学校だと惣菜パン買ってきてないか?弁当作らないのか」

「未だそこまで余裕がなくてね、それに食が細いからパン一、二個でたりるし」

「お前食べなさすぎ。だからそんなひょろい体のまんまなんだよ。」

「別にいいだろ?これまでもそれが原因で倒れたこと無いんだし。」

「いいやダメだね。そんなんじゃお前とつるむ俺も軟弱に見られちまう。ほら俺の分も食え」

「あ、ちょっ!」

 私が静止をする間もなく陽彩は自らのご飯を私の茶碗によそっていく。最終的にはスポ根マンガにでも出てきそうな山盛りご飯に様変わりしていた。

「こんなに食えるわけ無いじゃん!」

「大丈夫大丈夫。もし食えなかったら俺が食ってやるって。」

 自らの山盛りご飯を見て、少し気が遠くなりながらも抗議した私に、面白そうに茶化す陽彩。

 だけどこんな昼も悪くない、最近こういうのが増えてきていることに心が満たされていくのを感じた。



 それがいくらか続くと、何かが振動する音が聞こえて緋色はふと手元に視線を移す。

 すると、ガタッと大きな物音をたて椅子から立ち上がった。

「どうした?未だ時間に余裕があるはずだけど…」

「あー、いや、うん。確かにそっちは問題ないんだ。ただこれから個人的に入り用が入ってな。すまん先に抜けさせてもらうわ、代金はおいとくから!」

 それだけ矢継ぎ早に言うと、言葉の通り財布から紙幣を取りだし机に乱雑において、慌てた様子で店から出ていこうとする。

 よほど大事な用事なのだろうか、それにしても忙しないやつだ。と思いながら置かれていった紙幣に目をやると、明らかに料金が多いのに気づいた。

 しかしそれを伝えようと思った頃には、陽彩は遠く彼方へと旅立っていて、あとには私と二食分の紙幣が取り残されるのみ。

「本当に、忙しないやつだ。…夕方に返せばいいか」

 とひとりごちながら、目の前の料理を堪能することに。

 これから夕方までどう時間を潰すか考えながらゆっくりと箸を進めていくのだった。



 そして残されたのは、やけに大盛りだったご飯と、カツと味噌汁。

 あれからなんとか元あった量まで戻すことに成功したが、正直ここからが地獄だった。

 普段からあまり食わない、言ってしまえば少食ぎみな私だと、思ったように箸が進まない。

 未だ半分も残っていると言うのに、腹八分目に達しそうな勢いだ。

 この店自体が学生向けとして『低価格、圧倒的ボリューム!』と掲げるにたるコストパフォーマンスである。…個人的にはもう少し減らしても満足するのだけど。

 と、言うわけで四苦八苦しながら料理を口に運ぶ作業に入ることに

 そんなときである。

「すいませーん。」

「はい、なんでしょうか」

 ふと、店員から声をかけられ、一旦箸をおいた。

 なにか問題でも起こったのか、申し訳なさそうに頭を下げている。

「ご覧の通り店内の席がほぼ埋まっている状況でして…相席よろしいでしょうか?」

 その言葉の通り、店内は程よく繁盛していて、ちらほらと席はすいていたが、カウンター席はすべて埋まっていた。

 必然的に、待ってもらうか相席にするかの二択でしかない。

 相手方が相席でもいいと了承しているので、あとは私の答え次第なのだが-

「ええ、いいですよ。それとスイマセン食べるの遅くて」

 深く考えずに首を縦にふった。

 店員はホッと胸を撫で下ろしながら、「いえ、こちらこそスイマセン」と残して席から離れていく。待たせている客にを呼びにいったのだろう。

 その人次第ではあるだろうけど、もし話しかけたら乗っていこう。なにもなかったら黙ったままでもいいかと軽い気持ちで構えていた。


 しかし、その心構えは脆く崩れ去ることになる。

 何故なら―


「―あっ」

「…え。」

 私の目の前に相席してもらうと言って通されたのが、今頭痛の種のひとつである泉さんだったから。


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