第二章⑨

 それからしばらくして合図があり、


「入っていいぞー」


 少々ためらいがちに部室に戻った私の目が映し出したもの、それはどうしよもないまでに完璧な一人のバニーガールと一人の化け物だった。ハルヒコは置いといて朝比奈先輩は呆れるほど似合っていた。私が落ち込む程に……

 大きく開いた胸元と背中、ハイレグカットから伸びる網タイツに包まれた脚、ひょこひょこ揺れる頭のウサミミと白いカラーとカフスがポイントを高めている。なんのポイントかは私にだって解りはしない。

 運動部と言われてもおかしくない筋肉のついたハルヒコとチビっこくて柔らかそうな身体をした朝比奈先輩の組み合わせは、ある意味目の毒だった。

 うっうっうっと、しゃくりあげている朝比奈先輩に「似合ってますよ」と声をかけるべきか悩んでいるとハルヒコが、


「どうだ?」


 どうだも何も……私はアンタの頭を疑うくらいしか出来ないよ。


「これで注目度もバッチリだ! この格好なら大抵の人間はビラを受け取るだろう。そうだよな!」


「そりゃそんなコスプレした奴が学校で二人もうろついていたら嫌でも目立つからね……。私と長門はいいの?」


「二着しか買えなかったんだよ。フルセットだから高かったんだよ」


「そんなのどこで売ってるのよ? ってか、なんでバニーガールなの?」


「別にいいだろ」


 目線がいつもより高いと思ったら、ご丁寧に黒いハイヒールまで履いている。

 ハルヒコはチラシの詰まった紙袋をつかむと、


「行くぞ、みつる」


 身体の前で腕を組み合わせている朝比奈先輩は、助けを求めるように私を見た。私は朝比奈先輩のバニースタイルをひたすら見ているだけだった。

 ごめんなさい。正直、男の娘たまりません。

 朝比奈先輩は子供のようにぐずりながらテーブルにしがみついていだが、そこはハルヒコのバカ力にかなうはずもなく、間もなく小さな悲鳴とともに引きずるように連れ去られ、二人のバニーは部屋から姿を消した。その光景はホラー映画、パニック映画さながらだった。

 罪悪感にさいなまれつつ私は力無く座ろうとして、


「それ」


 長門有希が床を差していた。目をやるとそこには乱雑に脱ぎ散らかされた二組のブレザーと…あれはパンツ?

 ショートカットの眼鏡男は黙りこくったまま指先をハンガーラックへと向け、そうしてもう用はすんだと言わんばかりに読書に戻る。

 お前がやってくれよ。

 ため息混じりで私は男どもの制服を拾い上げてハンガーに、げっ、まだ体温が残ってる。生々しいー。


 ◇◆◇◆


 三十分後、よれよれになった朝比奈先輩が戻ってきた。うわぁ、本物のウサギみたいに目があかいやあ、なんて言ってる場合じゃない。慌てて私は椅子を譲り、朝比奈先輩はいつかみたいにテーブルに突っ伏して形のいい肩胛骨を揺らし始めた。着替える気力もないらしい。背中が半ば以上も開いているから目のやり場に困る。私はハンガーラックから先輩のブレザーを取って震える白い背にかけてあげた。メソメソ泣く少年とノーリアクションの読書好き、困惑する腰抜け野郎(私のこと)が雰囲気最悪の一室で無言のまますごす時間……。遠くで鳴ってるブラバンの下手くそなラッパと野球部の不明瞭な怒鳴り声がやけによく聞こえた。

 私が今日の晩御飯はなんだろなーとかどうでもいいようなことを考え出した頃になって、ようやくハルヒコが勇ましく帰還した。第一声、


「腹立つーっ!! なんなんだよ、あのバカ教師ども、邪魔なんだよ、邪魔っ!」


 バニー姿で怒っていた。だいたい何が起こったのか解る気もするが、一応訊いてみよう。


「何か問題でもあった?」


「問題外だ! まだ半分しかビラまいてないのに教師が走ってきて、やめろとか言うんだぜ! 何様だよ!」


 お前がな。バニーガール?が二人して学校の門でチラシ配ってたら教師じゃなくとも飛んでくるってーの。


「みつるはワンワン泣きだすし、俺は生活指導室に連行されるし、ハンドボールバカの岡部も来るし」


 生活指導担当の教師も岡部担任もさぞかし目が泳いでいたことだろう。


「とにかく腹が立つ! 今日はこれで終わり、終了!」


 やおらウサミミをむしり取ったハルヒコはそれを床に叩きつけると、バニーの制服を脱ごうとし、私は速やかに部室を後にした。


「いつまで泣いてんだよ! ほら、ちゃっちゃと立って着替える!」


 廊下の壁にもたれて二人の着替えが終わるのを待つ。露出狂というわけではなく、ハルヒコは自分たちの半裸姿が女にどういう影響を与えるかが全く理解できていないのだろう。バニーガールのコスプレも扇情的なところに着目したからではなくて、単に目立つからに違いない。

 まともな恋愛が出来ないはずである。

 少しは私の目くらいは気にかけて欲しいものだ。気疲れすることこの上ない。朝比奈先輩のためにも、そう願わずにはいられない。それにしても……長門も少しは何か言ってよ。

 やがて部室から出てきた朝比奈先輩は滑り止めにすら引っかからず全ての受験に失敗した直後の三浪生のような顔になっていた。かける言葉が見つからないので黙っていたら、


「キョン子ちゃん……」


 深海に沈んだ豪華客船から発せられる亡霊のような声が、


「僕が結婚できなくなるようなことになったら、もらってくれますか………?」


 何と言うべきか。て言うか、先輩も私をその名で呼ぶんですか。

 胸に飛び込んで泣いてくれたりするのかなと不埒なことを一瞬考えたのだけど、先輩は古くなった青菜のようにひしゃげきった面持ちで歩き去っていた。

 ちょっと残念。


 次の日、朝比奈先輩は学校を休んだ。



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