第二章⑤

「コンピュータも欲しいところだな」


 SOS団の設立を宣言して以来、長テーブルとパイプ椅子それに本棚くらいしかなかった文芸部の部室にはやたらと物が増え始めた。

 どこから持ってきたのか、移動式のハンガーラックが部屋の片隅に設置され、給湯ポットと急須、人数分の湯飲みも常備、 今どきMDも付いていないCDラジカセに一層しかない冷蔵庫、カセットコンロ、土鍋、ヤカン、数々の食器は何だろうか、ここで暮らすつもりなのだろうか。

 今、ハルヒコはどこかの教室からガメてきた勉強机の上であぐらをかいて腕を組んでいた。その机にはあろうことか「団長」とマジックで書かれた三角錐まで立っている。


「この情報化時代にパソコンの一つもないなんて、許し難いことだ」


 誰を許さないつもりなのか。

 一応メンバーは揃っていた。相も変わらず長門有希は定位置で土星のマイナー衛星が落ちたとかどうしたとかいうタイトルのハードカバーを読みふけり、来なくてもいいのに生真面目にもちゃんとやって来た朝比奈みつる先輩は所在なげにパイプ椅子に腰掛けている。

 ハルヒコは机から飛び降りると、私に向かって実にいやぁな感じのする笑いを投げかけた。


「と言うわけで、調達に行くぞ」


 狩猟区へ鹿撃ちに行くハンターの目でハルヒコは言った。


「調達って、パソコンを? どこでよ。電気屋でも襲うつもり」


「まさか。もっと手近なところだよ」


 ついてこい、と命令された私と朝比奈先輩を引き連れてハルヒコが向かった先は、二軒となりのコンピュータ研究部だった。

 なるほど。


「これ持ってろ」


 そう言って私にインスタントカメラを渡す。


「いいか? 作戦を言うから、その通りしろよ。タイミングを逃さないように」


 ハルヒコは身を屈め私の耳元でその「作戦」とやらをごにょごにょと呟いた。


「はあー!? そんな無茶苦茶な」


「いいんだよ」


 アンタはいいかも知れないけど。私は不思議そうにこっちを見ている朝比奈先輩を一瞥し、アイコンタクトを図った。

 早く帰ったほうがいいですよ。

 目をパチパチさせている私を朝比奈先輩は怪訝な顔で見て、いかなる理屈か、頬を赤らめた。だめだ、通じてない。

 そんなことをしているうちにハルヒコは平気な顔でコンピュータ研究部のドアをノックもなしに開いた。


「こんちわー! パソコン一式、いただきに来ましたー!」


 間取りは同じだが、こちらの部室はなかなか手狭だった。等間隔で並んだテーブルには何台ものディスプレイとタワー型の本体が載っていて、冷却ファンの回る低い音が室内の空気を振動させている。

 席についてキーボードをカチャカチャと叩いていた四人の男女生徒、何事かと身を乗り出して入り口に立ちふさがるハルヒコを凝視していた。


「部長はどいつだ?」


 笑いつつも横柄にハルヒコが言い、一人が立ち上がって答えた。


「ボクだけど、何の用?」


「用ならさっき言ったろ。一台でいいから、パソコンよこせ」


 コンピュータ研究部部長、なも知れぬ上級生は「何言ってるの、こいつ」という表情で首を振った。


「ダメダメ。ここのパソコンはね、予算だけじゃ足りないから部員の私費を積み立ててようやく買ったものばかりなの。くれと言われてあげるほどウチは機材に恵まれてないの」


「いいじゃねぇーか一個くらい。こんなにあるんだからよ」


「あのねぇ……ところでキミたち誰?」


「SOS団団長、涼宮ハルヒコ。この二人は俺の部下その一と二」


 言うにことかいて部下はないだろう。


「SOS団の名のもとに命じる。四の五の言わずに一台よこせッ!!」


「キミたちが何者かは解らないけど、ダメなものはダメ。自分たちで買えばいいでしょ」


「そこまで言うんだったらこっちにも考えがあるぜ」


 ハルヒコの瞳が不敵な光を放つ。よくない兆候である。

 ぼんやり立っていた朝比奈先輩の背を押してハルヒコは部長へと歩み寄り、いきなりそいつの手首を握りしめたかと思うと、電光石火の早業で部長を朝比奈先輩を張り倒させるように押しつけた。


「ふぎゃあ!」


「ふあぇ!?」


 パシャリ。

 二種類の悲鳴をBGMに聞きながら私はインスタントカメラのシャッターを切った。

 逃げようとする朝比奈先輩と部長氏の身体を手で押さえつけるようにして、朝比奈先輩の男子にしては小柄な身体に密着させる。


「キョン子、もう一枚撮れ」


 不本意ながら私はシャッターボタンを押すのだった。すみません、朝比奈先輩。と、なも知らない部長。――あの日見たコンピ研部長の名前を私達はまだ知らない。――部長は何とかハルヒコの魔の手から逃れ、その場から逃げるように跳びすさった。


「何をするのよぉ!」


 紅潮したその顔面の前で、ハルヒコは優雅に指を振った。


「ちちち。お前の逆セクハラ現場はバッチリ撮らせてもらった。この写真を学校中にばらまかれたくなかったら、とっととパソコンをよこせ」


「そんなバカな!」


 ツインテを激しく揺らしながら抗議する部長。その気持ちはよく解る。


「キミが無理矢理やらせたんでしょうが! ボクは無実だよ!」


「いったい何人がお前の言葉に耳を貸すんだろうなぁ」


 見ると朝比奈先輩は床にへたり込んでいた。もう、本当に女の子にしか見えない。驚きを通り越してもはや虚脱の境地である。

 なおも部長は抗弁する。


「ここにいる部員たちが証人になってくれる! それはボクの意思じゃない!」


 唖然と大口を開けて石化していた三人のコンピューター研部員たちが、我に返ったようにうなずいた。


「そうだぁ」

「部長は悪くないわ」


しかしそんな気の抜けたシュプレヒコールが通用するハルヒコではなかった。


「部員全員が変態でグルになってこいつを輪姦したんだって言いふらしてやるぞ!」


 私と朝比奈先輩を含む全員の顔が青ざめた。いくらなんでもそれはないでしょ。


「すすす涼宮くんっ……」


 足にすがりつく朝比奈先輩の手を軽く蹴飛ばして、ハルヒコは傲然と胸を反らした。


「どうなんだ、よこすのか、よこさないのか!」


 赤から青へ目まぐるしく変色していた部長の顔はとうとう土気色になった。

 ついに彼女は陥落した。


「好きなものを持っていきなさいよ……」


 倒れ込むように椅子に背を投げ出した部長に他の部員たちが駆け寄った。


「部長!」

「しっかりしてください!」

「気を確かに!」


 糸の切れたマリオネットの動きで部長は首をうなだれた。ハルヒコの片棒をかついでいる私ではあるが、同情を禁じ得ない。


「最新機種はどれだ?」


 どこまでも冷徹な男である。


「な、なんでそんなことを教えなくちゃならないのよ」


 怒る部員の言葉もなんのその、ハルヒコは無言で私が持つカメラを指さした。


「くっ! それよ!」


 そいつが指したタワー型のメーカー名と型番を覗き込みつつハルヒコはブレザーのポケットから紙切れを取り出した。


「昨日、パソコンショップに寄って店員にここ最近出た機種を一覧にしてもらったんだよなぁ。これは載ってないみたいだが?」

 

 あまりの周到さに慄然とする。

 ハルヒコはテーブルをぬって確認して回り、その中の一台を指名した。


「これをよこせ」


「待って! それは先月購入したばかりの……!」


「カメラカメラ」


「……持っていきなさいよ! 泥棒!」


 まさしく泥棒だ。返す言葉もない。

 ハルヒコの要求はとどまるところを知らない。各ケーブルを引っこ抜かせたハルヒコはディスプレイから何からいっさいがっさいを文芸部室に運ばせたあげく配線し直すように求め、さらにインターネットを使用出来るようにLANケーブルを二つの部屋の間に引かせ、ついで学校のドメインからネットに接続出来るようにすることを押しつけ、そのすべてをコンピューター研部員にやらせた。盗人猛々しいとはこのことだろう。


「朝比奈先輩」


 すっかり手持ちぶさたになってしまった私は両手で顔を覆ってうずくまる小さな身体に、


「とりあえず帰りましょう?」


「ぅぅぅぅ……」


 しくしく泣いている朝比奈先輩を介添えして立たせた。朝比奈先輩が女の子じゃなくて本当に良かった。まぁ、ハルヒコが女だったら平気な顔して押し倒されてるだろうけど。泣きやまない朝比奈先輩を宥めながら、パソコンを使って何をするつもりなのかと私は考えた。

 まぁ、ほどなく明らかになったのだけど。

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