第二章③

 こうして部室を間借りすることになったのはいいけど、書類のほうはまだ手つかずてある。だいたい名称も活動内容もきまってないのだ。 先にそれを決めてからにしなさいと言ったんだけど、ハルヒコにはまた別の考えがあるようだ。


「そんなもんはな、後からついてくるんだよ!」


 ハルヒコは高らかにのたまった。


「まずは部員だよな。最低あと二人はいるよな」


 ってことは何、あの文芸部員も頭数にいれてしまっているの? 長門有希を部室に付属する備品か何かと勘違いしてるんじゃないの?


「安心しろ。すぐに集めるから。適材な人間の心当たりがあるんだ」


 何をどう安心すればいいのだろう。疑問は深まるばかりである。


 ◇ ◆


 次の日、一緒に帰ろうよと言う谷口と国木田に断りを入れて私は、しょうがない、部室へと足を運んだ。

 ハルヒコは「先に行って待ってろ!」と叫ぶや陸上部が是非我が部にと勧誘したのも解るスタートダッシュで教室を飛び出した。足首にブースターでも付いているのかと思いたくなる勢いだ。おそらく新しい部員を確保しに行ったのだろう。とうとう宇宙人の知り合いでも出来たのだろうか。

 通学鞄を肩にかけて私は気乗りのしない足取りで文芸部に向かった。


 ◇ ◆


 部室にはすでに長門有希がいて、昨日とまったく同じ姿勢で読書をしておりデジャブを感じさせた。私が入ってもピクリともしないのも昨日と同じ。よく知らないのだけど、文芸部っていうのは本を読むクラブなの?

 沈黙。


「……何を読んでるの?」


 二人して黙りこくっているのに耐えられなかった私はそう訊いてみた。長門有希は返事の代わりにハードカバーをひょいっと持ち上げて背表紙を私に見せる。睡眠薬みたいな名前のカタカナがゴシック体で躍っていた。SFか何かの小説らしい。


「面白い?」


 長門有希は無気力な仕草で眼鏡のブリッジに指をやって、無気力な声を発した。


「ユニーク」


 どうも訊かれたからとりあえず答えているみたいな感じである。


「どういうところが?」


「ぜんぶ」


「本が好きなんだね」


「わりと」


「そうなんだ……」


「……」


 沈黙。

 帰っていいかな、私。

 テーブルに鞄を置いて余っていたパイプ椅子に腰を下ろそうとしたとき、蹴飛ばされたようにドアが開いた。


「いやわるいわるい! 遅れちまった! 捕まえるのに手間取っちまって!」


 片手を頭の上でかざしてハルヒコが登場した。後ろに回されたもう一方の手が別の人間の腕をつかんでいて、どう見ても無理矢理連れてこられたと思しきその人物共々、ハルヒコはズカズカ部屋に入って何故かドアに錠を施した。ガチャリ、というその音に、不安げに震えた小柄な身体の持ち主は、またしても少年だった。

 しかもまたスゴい美少年だった。 これのどこが「適材な人間」なんだろう。


「なんなんですかー?」


 その美少年も言った。気の毒なことに半泣き状態だ。


「ここどこですか、何でボク連れてこられたんですか、何で、かか鍵を閉めるんですか? いったい何を、」


「黙れ」


 ハルヒコの押し殺した声に少年はビクッとして固まった。


「紹介する。朝比奈みつるだ」


 それだけ言ったきり、ハルヒコは黙り込んだ。もう紹介終わりかよ!

 名状しがたき気詰まりな沈黙が部屋を支配した。ハルヒコはすでに自分の役割を果たしたみたいな顔で立ってるし、長門有希は何一つ反応することなく読書を続けてるし、朝比奈みつるとかいうらしい謎の美少年は今にも泣きそうな顔でおどおどしてるし、誰か何か言ってよと思いながら私はやむを得ず口を開いた。


「どこから拉致してきたの?」


「拉致じゃなくて任意同行だ」


 似たようなもんじゃない。


「二年の教室でぼんやりしているところを捕まえたんだ。俺、休み時間には校舎をすみずみまで歩くようにしてるから、何回か見かけてて覚えてたってわけだ」


 休み時間に絶対教室にいないと思ったらそんなことをしてたのか。いや、そんなことより、


「じゃ、この人は上級生じゃない!」


「それがどうかしたか?」


 不思議そうな顔をしてくる。本当に何とも思っていないらしい。


「まあいいけど……。それはそれとして、ええと、朝比奈先輩ね。なんでまたこの人なの?」


「まあ見てみろよ」


 ハルヒコは指を朝比奈みつる先輩の鼻先に突きつけ彼の小さい肩をすくませて、


「めちゃくちゃ可愛いだろ?」


 アブナイ誘拐犯&ホモのような事を言い出した。と思ったら、


「俺な、萌ってけっこう重要なことだと思うんだよな」


「……ごめん、何て?」


「萌えだよ萌え、いわゆる一つの萌え要素。基本的にな、何かがおかしな事件が起こるような物語にはこういう萌でショタっぽいキャラが一人はいるもんなんだよ!」

 

 思わず私は朝比奈みつる先輩を見た。小柄である。ついでに童顔である。なるほど、下手をすれば小学生と間違ってしまいそうでもあった。微妙にウェーブした栗色の髪が柔らかく襟首あたりまで伸びており、子犬のようにこちらを見上げる潤んだ瞳が守ってください光線を発しつつ半開きの唇から覗く白磁の歯が小ぶりの顔に絶妙なハーモニーを醸し出し、女装させて光る玉の付いたステッキでも持たせたらたちどころに魔女っ娘にでも変身しそうな、朝比奈先輩、蕩れ。って私は何を考えてるんだろうね?


「それだけじゃねーんだよ!」


 ハルヒコは自慢げに微笑みながら朝比奈みつる先輩なる上級生の背後に回り、後ろからいきなり抱きついた。


「わひゃああ!」


 叫ぶ朝比奈先輩。お構いなしにハルヒコは身体全体を触り始める。


「どひぇええ!」


「男のくせに、めっちゃ女子みたいに身体柔らかいんだぜ。ショタ顔で女子みたいに身体が柔らかいって、これも萌の重要要所の一つなんだよ!!」


 知らない。てか、そんなの知りたくない。すいませーん、ここに変態がいまーす。


「あー、本当に女子みたいだな」


 しまいにハルヒコはYシャツのしたから手を突っ込もうとしている。もう、ただの変態にしか見えない。


「こんな可愛い子が女の子のはずがない!」


「たたたす助けてえ!」


 顔を真っ赤にして手足をバタつかせる朝比奈先輩だが、いかんせん体格の差はいかんともしがたく、調子に乗ったハルヒコが彼のYシャツを脱がせようとボタンに手をかけたあたりで私は朝比奈先輩の背中にへばりついている痴漢男をひきはがした。


「アホかアンタは」


「でも、本気で女子みたいに柔らかいんだぜ。マジだぞ。お前も触ってみるか?」


 朝比奈先輩は小さく、ひいっ、と悲鳴を漏らした。本当に女子みたい。


「遠慮しとく」


 そう言うしかない。

 驚くべきことに、この間、長門有希は一度も顔をあげることなく読書にふけり続けていた。この人もどうかしている。

 それからふと気が付いて、


「すると何、アンタはこの……朝比奈先輩が可愛いくて小柄で女子みたいだったからという理由なだけでここに連れてきたの?」


「そうだ」


 真性のアホだ、こいつ。


「こういうマスコット的キャラも必要だと思って」


 思わないでよ、そんなこと。

 朝比奈先輩は乱れた制服をパタパタ叩いて直し、上目遣いに私をじっと見た。そんな目で見られても困る。


「みつる、お前他に何かクラブ活動してるか?」


「あの……書道部に……」


「じゃあ、そこ辞めろ。我が部活の邪魔だから」


 どこまでも自分本位なハルヒコだった。

 朝比奈先輩は、飲む毒の種類は青酸カリがいいかストリキニーネがいいかと訊かれた殺人事件の被害者のような顔でうつむき、救いを求めるようにもう一度私を見上げ、次に長門有希の存在に初めて気付いて驚愕に目を見開き、しばらく視線をさまよわせてからトンボのため息のような声で「そっかー……」と呟いて、


「解りました」と言った。


 何が解ったんだろう。


「書道部は辞めてこっちに入部します……」


 可哀想なくらいに悲愴な声である。


「でも文芸部って何をするところなのかよく知らなくて、」


「我が部は文芸部じゃないぞ」


 当たり前のように言うハルヒコ。

 目を丸くする朝比奈先輩に、私はハルヒコに代わって言ってあげた。


「ここの部室は一時的に借りてるんです。先輩が入らされようとしてるのは、そこの涼宮がこれから作る活動内容未定で名所不明の同好会ですよ」


「……えっ……」


「ちなみにあっちで座って本を読んでいるのが本当の文芸部員です」


「はあ……」


 愛くるしい唇をポカンと開ける朝比奈先輩はそれきり言葉を失った。無理もない。


「だいしょうぶだ!」


 無責任なまでの明るい笑顔でハルヒコは朝比奈先輩の小さい肩をどやしつけた。


「名前なら、たった今、考えた」


「……言ってみなさいよ」


 期待値ゼロの私の声が部室に響く。出来ればあまり聞きたくない。そんな私の思いなど頓着するはずもない涼宮ハルヒコは声高らかに命名の雄叫びを上げたのだった。





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