第二章②
授業のチャイムが鳴るや否や私のまたもやポニーテールを万力のようなパワーで握りしめたハルヒコは拉致同然に私を教室から引きずり出してたったかと早足で歩き出した。もうそろそろ髪の毛が抜けそうだよ。
「どこに行くの」
私の当然な疑問に、
「部室っ」
前方をのたりのたり歩いている生徒たちを蹴散らす勢いで歩を進めつつハルヒコは短く答え、後は沈黙を守り通した。せめて私の髪を離せ!
渡り廊下を通り、一階まで降り、いったん外に出て別校舎に入り、また階段を登り、薄暗い廊下の半ばでハルヒコは止まり私も立ち止まった。
目の前にある一枚のドア。
文芸部。
そのようにかかれたプレートが斜めに傾いて貼り付けられている。
「ここ」
ノックもせずにハルヒコはドアを引き、遠慮も何もなく入って行った。勿論私も。
意外に広い。長テーブルとパイプ椅子、それにスチール製の本棚くらいしかないせいだろうか。天井や壁には年代を思わせるひび割れが二、三本はしっており建物自体の老朽化を如実に物語っている。
そんなこの部屋のオマケのように、一人の少年が椅子に腰掛けて分厚いハードカバーを読んでいた。
「これからこの部屋が我々の部室だ!」
両手を広げてハルヒコが重々しく宣言した。その顔は神々しいまでの笑みに彩られていて、私はそういう表情を教室でもずっと見せてればいいのにとか思ったけど言わずにおいた。
「ちょっと待って。どこなの、ここは」
「文化系部の部室棟だ。美術部や吹奏楽部なら美術室や音楽室があるだろ。そういう特別教室を持たないクラブや同好会の部室が集まってるのがこの部室棟。通称、旧館。この部室は文芸部」
「じゃあ、文芸部なんでしょ」
「でも今年の春に三年が卒業して部員ゼロ、新たに誰かが入部しないと休部が決定していた唯一のクラブなんだよ。で、こいつが一年生の新入部員」
「てことは休部になってないじゃないの」
「似たようなもんだ。一人しかいねーんだから」
呆れた野郎だ。こいつは部室を乗っとる気だぞ。私は折りたたみテーブルに本を開いて読書にふける文学部一年生らしきその男の子に視線を振った。
眼鏡をかけた少し髪の長めの少年である。
これだけハルヒコが大騒ぎしているのに顔を上げようともしない。たまに動くのはページを繰る指先だけで残りの部分は微動だにせず、私たちの存在を完璧に無視してのけている。これはこれで変な男だった。
私は声をひそめてハルヒコに囁いた。
「あの人はどうするのよ」
「別にいいって言ってたぞ」
「本当に?」
「昼休みに会ったときに。部室貸してくれって言ったら、どうぞって。本さえ読めればいいらしい。変わってるって言えば変わってるな」
お前が言うな。
私はあらためてその変わり者の文芸部員を観察した。
白い肌に感情の欠落した顔、機械のように動く指。ボブカットを少し長くしたような髪がそれなりに整った顔を覆っている。出来れば眼鏡を外したところもみてみたい感じだ。どこが人形めいた雰囲気が存在感を希薄なものにしていた。身も蓋もない言い方をすれば、早い話がいわゆる神秘的な無表情系ってやつ。
しげしげと眺める私の視線をどう思ったのか、その少年は予備動作なしで面を上げて眼鏡のツルを指で押さえた。
レンズの奥から闇色の瞳が私を見つめる。その目にも、唇にも、まったく何の感情も浮かんでいない。無表情レベル、マックスだ。ハルヒコのものとは違って、最初から何の感情も持たないようなデフォルトの無表情である。
「
と彼は言った。それが名前らしい。聞いた三秒後には忘れてしまいそうな平坦で耳に残らない声だった。
長門有希は瞬きを二回するあいだぶんくらい私を注視すると、それきり興味を失ったようにまた読書に戻った。
「長門さんとやら」私は言った。「こいつはこの部室を何だか解らない部の部室にしようとしてるんだよ、それでもいいの?」
「いい」
長門有希はページから視線を離さずに答える。
「いや、だけど、多分ものすごく迷惑をかけると思うよ」
「別に」
「そのうち追い出されるかも知れないよ?」
「どうぞ」
即答してくるのはいいけど、まるで無感動な応答だなぁ。心の底からどうでもいいと思っている様子である。
「ま、そういうことだから」
ハルヒコが割り込んできた。こっちの声はやたらに弾んでいる。なんとなく、あまりいい予感がしなかった。
「これから放課後、この部屋に集合な。絶対来いよ。来ないと死刑だから」
桜満開の笑みで言われて、私は不承不承ながらうなずいた。
死刑は嫌だったからね。
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