第一章⑧
席替えは月に一度といつの間にやら決まったようで、委員長朝倉涼介がハトサブレの缶に四つ折にした紙片のクジを回して来たものを引くと私は中庭に面した窓際後方二番目というなかなかのポジションを獲得した。その後ろ、ラストグリッドについたのが誰かと言うと、なんてことでしょうね、涼宮ハルヒコが虫歯をこらえるような顔で座っていた。
「生徒が続けざまに失踪したりとか、密室になった教室で先生が殺されてたりとかしないもんかね」
「物騒な話ね」
「ミステリ研究会ってのがあったんだよ」
「へぇ。どうだったの?」
「笑わせる。今まで一回も事件らしい事件に出くわさなかったって言うんだぜ。部員もただのミステリ小説オタクばっかで、見た目は子供、頭脳は大人な名探偵みたいな奴もいないし」
「それはそうでしょう」
「超常現象研究会にはちょっと期待してたんだけどな」
「そうですか」
「ただのオカルトマニアの集まりでしかなかったんだよ、どう思う?」
「どうも思わない」
「あー、もう、つまんねー! どうしてこの学校にはもっとマシな部活動がないんだ?」
「ないものはしょうがないでしょう」
「高校にはもっとラディカルなサークルがあると思ってたのに。まるで甲子園を目指す気まんまんで入学したのに野球部がなかったと知らされた野球バカみたいな気分だぜ」
ハルヒコはお百度参りを決意した呪い男のようなワニ目で中空を眺め、北風のようなため息をついた。
気の毒だと思うところなのかな、ここは?
だいたいにおいて、ハルヒコがどんな部活動なら満足するのか、その定義が不明である。本人にも解っていないんじゃないのか? 漠然と「何か面白いことをしてて欲しい」と思っているだけで、その「面白いこと」が何なのか、殺人事件の解決なのか、宇宙人探しなのか、妖魔退散なのか、こいつの中でも定まっていない気がする。
「ないものはしょうがないでしょ」
私は意見してやった。
「結局のところ、人間はそこにあるもので満足しなければならないのよ。言うなれば、それを出来ない人間が、発明やら発見やらをして文明を発達させてきたの。空を飛びたいと思ったから飛行機を作ったし、楽に移動したいと考えたから車や列車を生み出したの。でもそれは一部の人間の才覚や発想によって初めて生じたものなの。天才が、それを可能にしたわけ。凡人たる我々は、人生を凡庸に過ごすのが一番であって。身分不相応な冒険心なんか出さないほうが、」
「うるさい」
ハルヒコは私が気分よく演説しているところを中断させて、あらぬ方角を向いた。実に機嫌が悪そうだ。まあ、それもいつものことだ。
多分、この男は何だっていいんだろう。ツマラナイ現実から遊離した現象ならば。でもそんな現象はそうそうこの世にはない。ていうか、ない。
物理法則万歳! おかげで私たちは平穏無事に暮らしていられる。ハルヒコには悪いけどね。
そう思った。
普通でしょ?
◇ ◆
いったい何がきっかけだったんだろうなぁ。
前途の会話がネタフリだったのかもしれない。
それは突然やって来た。
うららかな日差しに眠気を誘われ、船をこぎこぎ首をカクカクさせていた私のゴムで
「何すんのよ!」
もっもな怒りをもって憤然と振り返った私が見たものは、私の髪をひっつかんで突っ立っている涼宮ハルヒコの――初めて見る――赤道直下の炎天下じみた笑顔だった。もし笑顔に温度が付帯しているなら、熱帯雨林のど真ん中くらいの気温になっているだろう。
「気がついた!」
唾を飛ばすな。
「どうしてこんな簡単なことに気付かなかったんだ俺は!」
ハルヒコは白鳥座のα星くらいの輝きを見せる両眼をまっすぐ私に向けていた。仕方がなく私は尋ねる。
「何に気付いたの?」
「ないんだったら自分で作ればいいんだよ」
「何を」
「部活だよ!」
頭が痛いのは机の角にぶつけただけではなさそうだ。
「そうか。それはよかったわね。ところでそろそろ私の髪を離してくれる」
「なんだ? その反応。もうちょっとおまえも喜べよ、この発見を」
「その発見とやらは後でゆっくり聞いてあげるから。場合によってはヨロコビを分かち合ってもいい。ただ、今は落ち着いて」
「なんのことだ?」
「授業中よ」
ようやくハルヒコは私の髪から手を離した。じんじんする頭を押さえて前に向き直った私は、全クラスメイトの半口あけた顔と、チョーク片手に今にも泣きそうな大学出たての女教師を視界に捕らえた。
私は後ろに早く座れと手で合図し、次いで哀れな英語教師に掌を上に向けて差し出してみせた。
どうぞ、授業の続きを。
なにか呟きつつ、ともかくハルヒコは着席し、女教師は板書の続きに戻り……
新しいクラブを作る?
ふむ。
まさか、私にも一枚噛めと言うんじゃないでしょうね。
痛む後頭部がよからぬ予感を告げていた。
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