第一章⑥

 きっかけ、なんていうのは大抵どうってことのないものなんだろうけど、まさしくこれがきっかけになったんだろうなぁ。

 だいたいハルヒコは授業中以外に教室にいたためしがないから何か話そうと思うとそれは朝のホームルーム前くらいしか時間がないわけで、たまたま私がハルヒコの前の席にいただけってこともあって何気なく話しかけるには絶好のポジションにいたことは否定出来ない。

 しかし、ハルヒコがまともな返答をよこしたことは驚きだ。てっきり「うるさいバカ黙れどうでもいいだろ、んなこと」と言われるものだとばかり思っていたからね。思っていながら話しかけた私もどうかしてるけど。

 だからハルヒコが翌日、法則通りなら三つ編みで登場するところを長かった黒髪をバッサリ切って登場したときには、けっこう私は動揺した。

 肩をこえ背中にまで届こうかと伸ばしていた髪がミディアムヘヤくらいにまで切られていて、凄く似合っていたんだけど、それにしたって私が指摘した次の日に短くするっていうのも短絡的にすぎない? ねえ。

 そのことを尋ねるとハルヒコは、


「別に」


 相変わらず不機嫌そうに言うのみで格別な感想を漏らすわけもなく、髪を切った理由を教えてくれるわけもなかった。

 だろうと思ったけどさ。


 ◇ ◆


「全部のクラブに入ってみたってのは本当なの?」


 あれ以来、ホームルーム前のわずかな時間にハルヒコと話すのは日課になりつつあった。話しかけない限りハルヒコは何のアクションも起こさない上、昨日のテレビドラマとか今日の天気とかハルヒコ的「死ぬほどどうでもいい話」にはノーリアクションなので、話題には毎回気をつかう。


「どこか面白そうな部があったら教えてよ。参考にするからさ」


「ない」


 ハルヒコは即答した。


「全然ない」


 駄目押ししてハルヒコは蝶の羽ばたきのような吐息を漏らした。ため息のつもりだろうか。そういえば蝶の小さな羽ばたきによって、遠く離れた国に竜巻がおきるとかなんとかいうのをテレビで見た覚えがあるけど、名前なんて言ったっけ? まーいいや。


「高校に入れば少しはマシかと思ったけど、これじゃ義務教育時代と何も変わらないな。入る高校間違えたかな」


 何を基準に学校選びをしているのだろう。


「運動系も文化系も本当にもうまったく普通。これだけあれば少しは変なクラブがあってもよさそうなのに」


 何をもって変だとか普通だとかを決定するの?


「俺が、気に入るようなクラブが変、そうでないのは全然普通、決まってるだろ」


 あっそう、決まっているんだ。初めて知った。


「ふん」


 そっぽを向き、この日の会話、終了。


 ◇ ◆


 また別の日は、


「ちょっと小耳に挟んだんだけどさ」


「どうせロクでもないことだろ」


「付き合う女全部振ったって本当?」


「何でおまえにそんなことを言わなくちゃいけないんだよ」


 前髪をハラリと払い、ハルヒコは真っ黒な瞳で私を睨みつけた。まったく、無表情でいないときは怒った顔ばっかりだな。


「出どころは谷口だろ? 高校に来てまであのアホ女と同じクラスなんて、ひょっとしたらストーカーか、あいつ」


「それはない」と思う。まあ、確かにアホだけど。


「何を聞いたか知らねえけど、まあいい、多分全部本当だから」


「一人くらいまともに付き合おうとか思う奴がいなかったの」


「全然ダメ」


 どうやらこいつの口癖は「全然」のようだ。


「どいつもこいつもアホらしいほどまともな奴だった。日曜日に駅前に待ち合わせ、行く場所は判で押したみたいに映画館か遊園地かスポーツ観戦、ファーストフードで昼御飯食べて、うろうろしてお茶飲んで、じゃあまた明日ね、ってそれしかないのかよ?」

 

 それのどこが悪いのだと思ったけど、口に出すのはやめておいた。ハルヒコがダメだと言うからにはそれはすべからくダメなのだろう。てか、だったらアンタがデートコース考えなさいよ。何で彼女の方が考えてるの。


「あと告白がほとんど電話だったのは何なんだよ、あれ。そういう大事なことは面と向かって言えよ!」


 虫でも見るような目つきを前にして重大な――少なくとも本人にとっては――打ち明けごとをする気になれなかっただろう女子の気分をトレースしながら一応私は同意しておいた。


「まあ、そうかな、私ならラブレターとかで学校裏に呼び出して言うかな」


「そんなことはどうでもいいんだよ!」


 どっちなんだよ。


「問題はな、くだらない女しかこの世に存在しないのかどうなのかってことだよ。本当中学時代はずっとイライラしっぱなしだった」


 今もでしょうが。


「じゃ、どんな女の子ならよかったの? あ、やっぱりアレか、宇宙人とか?」


「宇宙人、もしくはそれに準じる何かだな。とにかく普通の人間でなければ女だろうが男だろうが男の娘だろうが」


 どうしてそんなに人間以外の存在にこだわるのだろう。私がそう言うと、ハルヒコはあからさまにバカを見る目をして言い放った。


「そっちのほうが面白いじゃねえか!」


 それは……そうかもしれない。


 私だってハルヒコの意見に否やはない。転校生の美少年の右手が実は宇宙人であったりして欲しい。今、近くの席から私とハルヒコをチラチラうかがっているアホの谷口の正体が未来から来たロボットかなにかであったりしたらとても面白いと思うし、やはりこっちを向いてなぜか微笑んでいる朝倉涼介が超能力者だったら学園生活はもうちょっと楽しくなると思う。

 だけど。そんなことはまずあり得ない。宇宙人や未来人や超能力者がいるなんてことがあり得ないし、たとえいたとしてもホイホイ私たちの前に登場することも、だいたい何の関係もない私の前にやってきて「いやあワタクシ、その正体は宇宙人とかでして」と自己紹介してくれるわけないでしょーが。


「だからだよ!」


 ハルヒコは椅子を蹴倒して叫んだ。教室に揃っていた全員が振り替える。


「だから俺は、こうして一生懸命、」


「遅れてすまない!」


 息せき切って明朗快活岡部体育教師が駆け込んできて、拳を握りしめて立ち上がった姿勢で天井を睨んでいるハルヒコとそのハルヒコを一斉に振り替えって見ている一同を目にして、ギョッと立ちすくんだ。


「あー……ホームルーム、始めるぞ」


 すとんとハルヒコは腰を下ろし、机の角を熱心に眺め始める。ふう。

 私も前を向き、他の連中も前を向き、岡部教諭はよたよたと壇上に登り、咳払いを一つ。


「遅れてすまない。あー……ホームルーム、始めるぞ」


最初から言い直し、いつもの日常が復活した。おそらくこんな日常こそがハルヒコの最も忌むべきものなんだろうな。

 でも人生ってそんなもんでしょ?

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