相違――様々な思惑

「フフフ、ふふふ、なんで? 分からない? 何をのぞんでもけっして適わないのに、なんで?」


 人としての体が肉塊に呑まれる。黒い霧に包まれた身体は既に人としての原型を留めていなかった。沙夜の腕と同じように皮膚のない胴体、下に生えた足は二本ではなく、四本。蜘蛛の巣のように細く張り巡らされた文様と、蜥蜴のような鱗がびっしりと覆っていた。


 ただ、白髪とその根本の顔面の一部だけが、結界に護られたかのように白さを人としての誇りを保っている。しかし、それを人間と呼ぶのは無理だった。


「沙夜! あなたには一緒にいたいって思う人はいなかったのか?!」


 一真はその変貌する様を見ていられずに叫ぶ。だが、返ってくるのは獣と人の声を混ぜた笑いだけ。そして目の前に立つ勾陣が動いた。


「無駄だ、そいつはもはや物の怪。人の言葉は通じん!」


 咢を開きつつ、一気に距離を詰めてくる。一真は横に跳んだ。そこでかわし切ったと思った。だが、その一瞬の安堵の間に、天が警告してくる。


「馬鹿! まだ、終わってない!!」


 ぞわっと嫌な予感が身体に押し寄せ、一真は上に跳んだ。直後、首を殆ど直角に曲げた勾陣の巨大な頭が一真がたった今いた場所を駆け抜けて行った。しかもそれで終わりではない。斜め下方で勾陣がぐるっと向きを変えた。


 殺気に溢れた巨大な双眸が一真を睨む。先日に戦った騰蛇とは比べものにならない。


――来る! だけど、空中じゃ身動きが――


「空を蹴れ!!」


 天が叫び、一真は殆どやけくそ気味に言われた通りに何もない筈の空間を蹴る。途端、身体が宙を駆けた。勾陣目がけて。


「うわああっつ!?」


 大口を広げて突っ込んでくる勾陣のすぐ横を通り抜け、一真は絶叫を上げた。驚きで剣で斬りかかるチャンスを逸し、そのまま着地し、地面を転がって距離を取る。


――くそ、恐れるな、これじゃいつまで経っても霧乃の所まで行けない。


 タンっという小刻みのいい音が横から聞こえた。続いて、ズンという重々しい音。それは少女達が空に舞い上がった音、始まりを告げる音だった。


 陰陽少女と物の怪の少女の戦いを。



――るううああああっ


「はぁああああ!!」


 月と沙夜の叫びが交差し、剣と腕がぶつかり合う。


 沙夜の背中を黒い霧が覆い、瞬間、紫色の毒々しい光を放つ蝶の羽が生まれた。羽ばたき舞い上がるは、瘴気を含んだ鱗粉だ。風に乗って月を押し包み溶かし殺そうと集まり、巨大な掌へと変じる。


「護身の太刀、黒陰月影、百の病を癒せん」


 その手が掴むよりも前に月が唱え、太刀を大きく九字を切るように振った。護身の太刀が鈴のような音を鳴らして銀白の光の波動を放出する。


 瘴気の鱗粉が当たった瞬間、そこから光に浄化されて元の黒い霧へと還元されていく。


――沙夜は?


 月がその姿を求めて、視線を巡らし、見つけた。神社の石段の前。そこにぽつりと立って、笑っている。石段の向こうを指差していた。そう、月は気が付いている。神社では今、碧達が戦っていることを。


 恐らく、沙夜や影女達に味方している物の怪どもと、だ。或いは影女をけしかけてきた術者か。どちらにせよ強大な勢力と戦っている気配が伝わってくる。


 沙夜の挑発的な笑みが「行かなくていいのか?」と問いかけてくる。だが、月は碧達を信頼していた。彼女達は簡単にやられない。現に今、碧の式神である鮫の咆哮と物の怪の悲鳴が月の耳に届いている。簡単に倒せはしないだろうが。決して負けない。


 一真の方へと意識を向けると、彼は勾陣を相手に睨みあっていた。それだけでも大した事だ。だが、それがいつまでも続くとは思えない。早く決着をつけなければ。


 更に斬りかかろうと足を沈めこむ月の足元から一本の腕が生えた。


――影女!


 さっと横に飛び退る月の目の前で、影女は頭を上げ、腕を地面に立てて身体を引きずり出す。


「あたしを忘れて貰っては困るねぇ。さぁ、これで二対一。いくらあんたといえども勝ち目ないだろう?」


「母様を今度こそ返して」


 月は答え太刀を構える。倒せるかどうかなどという不安はない。この二人を倒してもまだ、霧乃が。それにこの物の怪達を焚き付けた術者がいる。


――そう、沙夜の言う通り。私にはどこまで言っても戦いしかない。だけど。


 ふと、沙夜の目を見る。濁りきり、闇に堕ちた瞳。一真が来るのが、気持ちを打ち明けてくれるのが遅かったら、自分もこうなっていたかもしれない。


 或いは、母と同じく影女に取り込まれるか。だけど、例えそうなったとしても一真は助けにきてくれただろう。何故だか、そんな予感がする。


――沙夜、私はあなた達を倒すんじゃない。助け出してみせる。


 影女と沙夜が同時に動く。影女の繰り出す剣を前に進みながら受け、かわし、進む。沙夜の両側に立っていた鬼の物の怪の胴をすれ違い様に斬る。その後ろから突っ込んできた鬼の頭に符を一枚貼り付けると同時に、身体を回しながら蹴る。符が赤く光り、鬼は周りにいた物の怪を巻き添えにして吹き飛ぶ。二、三丁上がりだ。


 安堵の息を吐くまもなく、その爆炎を突き抜けて、沙夜の腕が飛び出してきた。咄嗟に月は後ろへと飛ぶ。が、その腕が突然、左右に裂けた。中から覗く黒い穴に赤々とした光が満ちる。


「月!」太刀月影が手の中で叫ぶ。


 殆ど何も考えずに反射的に首を振った。光線が、顔のすぐ横を掠めて飛んでいき、逃げ切れなかった髪の端を焼き焦がす。避けるのとほぼ同時に月は太刀を振った。だが、これも腕を斬り落とすには至らず、その指の先の爪を掠めただけだった。


 そうして、沙夜に意識を集中すると今度はいつの間にか背後へと移動した影女が剣を振りかざす。月は振り向かず、気配だけで位置を察し、太刀を振り挙げた。


 途端、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響いた。


――キィイイイイイ


影女の持つ剣が放つ邪気と月の護身の太刀が放つ浄化の霊気がぶつかり合い、何十もの鈴が鳴りあうようなざわめきが辺りに広がる。


 剣を持たない方の手で影女は月の頬に触れた。冷たく悍ましい感触に月は顔をしかめた。


「ほら、月。こちらにおいで?」


 影女が母の声で誘う。月は歯を食いしばり、その言葉に耐えた。


――この人は母様の顔を借りて、自分の中の感情を言わせているだけ。本当はとても臆病……。


気を抜けば薄れそうになる意識の中、何かが頭上を飛び越える。


「ぎぃあああああ!!」


影女の甘い声が叫び声に変わった。上からの剣の圧力が緩み、月は身体を回し、ほぼ同時に影女の胴を斬りあげた。


「これで二対二だ」


 低く、安定のある声が辺りにいる者達の耳にそれぞれ聞こえ、様々な反応が表情となって返る。


「父様……」


 月がぽつりと呟く。刀真はちらっとそちらを見、それから再び視線を戻す。目の前へと。


「私の妻だ。返して貰うぞ」


 胴を斬り飛ばされ地面に転がる影女に太刀を突き付け刀真は告げる。


「月、お前は下がっていろ。どちらも私だけで封殺する。やっと見つけたのだ」


――封殺する。

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