払拭――迷い無き瞳
†††
「気が付いたのは刀真さんだね。いやはや、流石は策士だ」
あっさりと茶化すように霧乃は答えた。まるで他人事のように。そのことに一真は頭がカッと熱くなる。私服姿の霧乃は上はカジュアルなシャツで下はジーパン。いつだか一緒に遊びに行った時と同じ姿だ。それが余計に一真の気持ちを逆撫でする。
その横にはあの金色の蛇勾陣がいた。ただし、最初に会った時よりも数十倍は大きい。人間など一撃で引き千切ってしまいそうな程に巨大な牙が口から覗いている。
「それじゃあ、やっぱりお前は裏切り者なのか」
「俺はね、こういう事があるからお前には無関係でいて貰いたかったんだよ。首を突っ込まなければまだ友人でいられたのに」
霧乃の飄々とした口調に憂いがちらっとよぎる。そんな事で怯むとでも思っているのか。
一真は口を噤んだまま、一歩前に出た。月を守るように。それを認めて軽く溜息をつき霧乃は、懐から一枚の符を繰り出した。
複雑に折り重なるそれは何かの服のようにも見えた。それを指に挟んだまま九字を切る。途端、霧乃の身体が眩い光に包まれた。
「俺を相手にしようって? 剣すらまともに使えないというのに」
「その剣を手配してくれたのはお前なんだよな。なんで、そんな事をした」
「あの剣を追う者は多い。奪われるという危険も多いが、彼にさえ渡せば少なくとも栃煌の陰陽師連中に渡る事だけは無い筈と思ったのさ。あの時はそれが一番だと思った。まさか、お前に渡るとは」
なぜ、そんな回りくどい事を? 一真は少し疑問に思った。確かに叔父が一真に破敵之剣を見せる事はあっても、渡す確率は極めて低い。
叔父自身がこの剣をかなり価値のある物と認めていたからだ。だが、何かの拍子で渡すかもしれない事をどうして霧乃は考慮しなかった?
一真に渡れば後々、この剣が陰陽師側に渡ってしまうかもしれないのに?
その思考を遮るように勾陣が動いた。月を守る一真のように、霧乃を守るように前へと動く。
「何にせよ、全て遅い。殺すなよ、勾陣。人質としてあいつの心を揺さぶるくらいの役には立つ」
「はいはい、御意御意と」
軽い口調で勾陣は答えつつ近づいてくる。同時に影女と沙夜の二人が動いていた。そちらに月が向き直る。
「一真!」
「大丈夫だ! おまえはやることがあるだろうが!」
叫び返す一真に月は躊躇うような視線を向ける。が、一真は知っている。彼女が助けを求めている事を。決して物の怪と同化しているわけではないことを。物の怪の体の中からこちらを見ていることを。
「蒼さんは、お前の母さんは、ずっとお前の事を見ている。お前の助けを求めている!! こっちは俺に任せろ!」
「……わかった!」
弾かれたようにうなづく月。とはいえ、決して容易ではない。
影女は月の母である蒼を取り込んでいる。どこからか、霊力を供給しているため、どれ程の攻撃を受けても回復してしまう。
そして、沙夜の方は――、
「ねぇ、一体何の為にあなたはそんなに苦しい思いをするの? 成し遂げた所で虚しい思いしか残らないのに?」
沙夜の周りを渦巻いていた霧が空中で分岐し、地上に降り注ぐ。立ち上がったそれらは一本の角と二本の巨大な牙を持つ鬼だった。それらが月を威嚇するように口を開け吼える。口の中は細かく小さな歯がびっしりと生えていた。
それだけではない。沙夜の両腕に黒い霧が絡みつき、巨大な鉤爪を持つ巨大な腕へと変化する。粘液のまとわりつくそれは皮膚らしき物が見当たらず、間近でみると肉塊が脈打っているようにも見える。
黒い霧は更に沙夜の足にもまとわりつき、身体を上っていく。
「そこにいる男なんて殺そうと思えば百回だってころすことができる。そして、あなたは何度も何度も失う度にくるしむのよ。それから、陰陽寮の愚かどもに使い捨てにされてしぬの。物の怪を寄せる血と身体を贄と捧げて。あなたはそんな事の為に生まれてきたの?」
陰陽師の側にいる事を、人の身を捨てない事を嘲笑うように、沙夜の顔が歪んでいく。
「私といっしょにいこう? 同じ血を持つ女どうし。失うことはけっしてなくなるわ。物の怪を有無を言わせずに斬り倒すのではなく、彼らと同じ側へ」
闇の奥深くにまで誘う甘い声。
それを正面から受け止めた月の瞳には迷いは無かった。
「一真がいる」
「わからない娘ね、ころしてしまえば」
「一緒にいたいって言った」
――そう、そして一緒にいたいと月も返した。
「だから、私は絶対に一人にはならない。一真が傍にいてくれるから」
――だから、絶対に一人にはさせない。
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