呪縛――使命にして呪い

†††


 勢いのまま、走って神社の前まで来た一真だが、会って何から話すかという段取りは全然考えて無かった。尤も、話す暇はないかもしれない。彼女に――月に危険が迫っている。


 息切れもあって、石段の前で膝に手をつき、立ち止まる。石段の天辺で、真っ赤な鳥居が尊厳に立って一真を見下ろしているのが、視界の隅に映る。そうして息は整えたものの、月に掛けようと思っていた言葉は整わない。あの短い電話と妹との会話の中で、一真はようやく迷いを断ち切る為の一筋の光が見えた気がした。


 自分が強くなったわけではない。物の怪への恐怖も怒りもある。陰陽師としての強さを持つ刀真や霧乃への嫉妬も。だけど、そんな事がどうでもよくなるような、吹き飛ぶような単純な事実を見付けた。


――それを伝える為にここにいる。


 だが、この気持ちをどうやって伝えたらいい? 事実は単純、だがそれを伝えるのは複雑だ。


 ふと、騒がしい足音が後ろから聞こえて、一真は振り返った。


「ちょっとぉ、待ちなさいって。ヒィヒィ……あんた、こんなに足早かったけ?」


 未来が一真から数メートル離れた位置の所で立ち止まった。全力疾走だったのか、体力のある彼女にしては珍しく息を切らし、肩を上下させていた。一真は驚きながら、未来を見た。


「どうしたんだよ」


「そりゃ、こっちの台詞よ。なんなの? 突然飛び出していっちゃって。花音ちゃんとはなんか、アメリカンホームドラマみたいなやり取りしちゃって。かと思ったら家飛び出して。わけわかんないわよ。神社に行くだろうって予想が外れなくて良かったわ! また、その物の怪とか陰陽師関係の事?」


 捲し立てるように未来は言い上げた。考えてみれば未来は物の怪に襲われただけで、月達とは殆ど話していない。言い知れない恐怖だけが頭にあるに違いない。一真は月や神社の人から物の怪の正体やら、この世界の理みたいな事を聞かされた分、意味が分からずに怖くなるという事はない。


「ごめん、俺もお前に今起きている事を全部説明できる程にはわかってないんだ。だけど、やらなきゃいけない事はわかったからさ」


「やらなきゃいけない事?」


 それは何? と口には出さず表情で問いかけてくる。だが、一真はそれ以上は言わなかった。未来を巻き込むわけにはいかない。


 これは一真の決意であり、その理由も一真が見つけ理解した物だ。


 それを伝え、決意を実行するのは一真一人であるべきだ。


「あぁ。だから、お前は今日は家に帰れ。そして、そうだな。出来ればここ数日の事は忘れろ」


「なぁにを偉そうに」と未来は反発的に頬を膨らませた。が、一真も普段ならその勢いに流されるままだが、今は一歩も譲らない。


「いいから、言われた通りにしてくれ。じゃなきゃ……」


 その視線が未来を通り越して後ろの人影に刺さった。


 そこには一人の少女。


 まるで、最初からそこにいたかのように佇んでいた。


 一真達が来るよりも前から。


 彼らが生まれるよりも前から


 神社がそこに立つよりも前


 遥か昔からそこにいたかのように。


 少女の髪は白く長かった。足元に垂れる程に長い。感情に乏しいが大きくはっきりとした瞳は鮮血のように紅く、その身にまとっているのは黒い衣か。しかし、こんな衣は見た事がない。衣の端が地面と接して、そこから霧のように広がり、煙のように空中に舞いあがり、くるくると蛇のように巻いては広がる。


 ――人間?


 異常な状況であるにも関わらず、一真は反射的にそう思った。人間の皮を被った物の怪とは明らかに違う気配をその少女から感じる。その姿、雰囲気はまるで……。


 その分かりづらい気配の為に一真は、警戒が遅れた。


「っ……バカ! 呆けるんじゃない!!」


 天が叫んだ。が、その妙に浮き足立つ調子はまるで、天自身も少女の存在に驚いていたかのような反応だ。


 少女の足元に広がっていた黒い衣が、獲物を前にした猛獣のように、突然素早く波打ち、収束して、襲いかかってきた。


 一真の視線に不審を感じて振り向いた未来目掛けて。


「あ、え?!」


 未来の首と腕と脚にその黒い霧が絡みつき、一瞬のうちに引き倒す。未来は咄嗟に首とその霧の間に腕を挟んだ為に、首が締まる事は無かった。


 だが、その霧は身体に絡みつくと同時に、縄状に変化し締め上げを一層強くした。


 首が締まり、ギリギリギリという関節が締まる不気味な音と未来の口から痛々しい咳が漏れる。間に挟んだ腕ごと首がへし折られかねない強さだった。


「くそ! 止めろ!!」


 一真は激情に任せるままに、破敵之剣、天ノ光を鞄から引き出した。懐剣のその刀身が白銀に輝き、次の瞬間には一本の剣に変化して、力が手から腕へ、そして身体全体の血管の隅々にまで行き渡る。


 天いわく、剣から力を受け取っているだけの状態では、使いこなせているとは言えない。むしろ、剣に使われ振り回されている状態だ、と教わっていた。


 だが、今は例え使われているのだとしても、戦うしかない。


 未来の首を縛る縄を切ろうと、一真は振りかぶった。が、間違って未来の身体にまで傷をつけてしまいそうだ……一瞬の躊躇の後、縄が縛っている部分ではなく、伸びている先に振り下ろす。


 腕を斬られたかのように縄から飛沫が上がって、両断された。縄が緩み、解放された未来がぐたっと地面に横たわる。


「未来!」


 駆け寄り彼女の体を抱き起す。弱弱しく咳き込み、未来は青ざめた顔を一真に向ける。


「あ、ありがと」


 命に別状がない事に、まず一真はホッと息をついた。が、未来の首と手首には締め付けられ紫色に腫れ上がった痕が生々しく残っている。安堵の表情が苦々しく歪む。


 巻き込まないと決めたそのそばから傷つけられていく。一真は「動くなよ」と念を押しながら立ち上がり、襲撃者の少女を睨み据えた。


 そう、少女が見た目通りの年齢であれば、泣いて逃げ出してしまいそうな形相で。しかし、少女はまるで強がりの男の子をからかうように嗤う。


「みぃつけた」


 少女が放った言葉が一真の生気を一瞬にして干上がらせた。


 その言葉。


その声。


 幼い頃に初めて出会い、二度も襲ってきた物の怪の声。その物だった。


「そうそう、その顔」


 あどけない少女の口調で彼女は話した。


「一度目は、何も知らずに忍び込んで物の怪に出会い、二度目は、月のように強くなる為に忍び込み、そして今は……忍び込んできたのは私の方」


 そう、幼き頃の一真が忍び込んだ理由は確かに少女の語る通りだ。


 ここ数日、物の怪と何度も戦ったせいでその時の記憶が一真の頭の中で蘇ってきていた。


 が、記憶のどこかに違和感がある。何か最も重要な部分を抜かしているような、とんでもない物を見落としているような気がする。


「お前は誰なんだ。物の怪なのか?」


 一真は聞いた。あえてそう聞かなくてはならなかった。今、この少女から感じる雰囲気というか、気配が物の怪が放つ物とどこか違う事。


 そして、記憶の中では確かに彼女の声は聞いた筈なのに、彼女自身の姿を見た事が今までに無かった事が引っ掛かった。


「違うわ。心外ね。これでも元は人間だったのに」


 少女は言葉とは裏腹に意地の悪い笑みを口元にたたえていた。一真は愕然とした。今、彼女はなんと言った? 人間だった? 


「そんな馬鹿な」ぽつりと呟く未来を少女は一瞥しつつ、


「勿論、今は違うわ。私が人間だったのは、もう今は昔のことよ」


 少女はにんまりと笑った。同時に彼女の体を纏っている衣が呼応するように辺り一面の大地を呑み込み、どす黒く染め上げていく。一真の足元も、倒れたまま、動けない未来の周りも。立ち上った霧が太陽からの温もりを遮っていく。


 見知った風景はすっかり消えていた。


「そう、大体ね、今から千年昔の事よ。」


 外の喧騒すらも遮断したその霧の中で、凍るような沈黙が広がる。


「千……年?」


 未来がぽかんと口を開けて聞き返した。身体に受けた痛みすらも忘れてしまっているみたいだった。


「ち、聞くな! 一真!!」


 天の切羽詰まった声が、一真だけに聞こえ――




「あら、ちゃんと聞いた方がいいわ」


――しかし、使い手にしか聞こえない筈の、破敵之剣の声が少女にも聞こえ、少女は、はっきりと答えた。


「どういうことだ……」


 一真は震える声で、少女にではなく、天の方に視線を落とす。破敵之剣の声は、使い手にしか聞こえない。初めて握った時、天はそう言った。実際、未来には天の声は聞こえていないようで、一人で勝手に話し、憤る一真の事を不気味がっている。


「三皇五帝、北極五星の印、間違いない。そのつるぎ、私が使っていた物のうちの一つよ」


 作ってきたお菓子の中の隠し味を打ち明けるかのように、少女の声は弾んでいた。


「これは陰陽師の物の筈だ……」


 抑えようとした声が震える。何を言っても彼女の言葉を否定するどころか、制止にすら届かない。


「そうね。だから、私は陰陽師だったのよ」


 愕然とする一真に少女は告げた。


「あなたが言いたい事はわかるわ。女では陰陽師にはなれない。そう、それが仕来たりだものね」


「わからない。一体、お前は何を言っているんだ」


 ただ、身を守るように剣を構えるしかない一真に、少女は無防備に、無警戒に、腕を広げ一真の周りをゆったりと歩く。


「一真さん、そいつから聞いて知っているのでしょう?」


 一真の肩が震えた。自分の名前を知っている。ということは、やはりあの時神社の祭具殿で聞いた声とこの目の前にいる少女は同一なのか。


「かつて起きた戦の事。陰陽師の手による陰陽師同士、それを抱える貴族同士の殺し合い。その影響で溢れた魑魅魍魎共」


 話してくれた。確かに。少女は黙ったまま何も語らない。こちらが認めるまで黙っている魂胆か。仕方なく一真は頷いた。


「そいつらは封印されていたんだろ。だけど最近結界が解けて」


 答えつつも、一真は少女の言わんとしている事が掴めずに困惑していた。その事件と彼女が「人間」でなくなった事が関係しているのか? 


「お前もそいつらの中の一人ってわけか? 人間を辞めて物の怪の側についたから陰陽師に封じられたのか?」


 突然、少女は狂ったかのように哄笑し始めた。女性的な甲高く姦しい響きと獣の咆哮を喉の中で掻き混ぜたかのような耳障りな声。


「聞いた? ねぇ、聞いた?」


 笑いと笑いの合間に言葉を入れつつ、少女は腹を抱えながら笑う。それから、再び上げた白い髪の中に宿る瞳に浮かんでいるのは、怨嗟。


「あなた、物の怪がどこに封じられていたか知ってる?」


「京の地下……だったか」


 正確な事は知らない。天はもはや止めようともせず、黙したままだった。


「そう。そこにはね、ここの世界。陽でも陰でもない全く別の世界が広がっているの」


 お伽噺を読み聞かせるかのように、ゆっくりと少女は告げる。


「彼の世、黄泉の国、冥界の地、呼び方はなんとでもいいわ。人や獣、草花は勿論、この世に存在する者全てが恐れる世界。物の怪ですらも例外ではない」


 何だ、それは。一真は身体を強張らせたまま、動けない。相手からの攻撃があれば。


 襲って来さえすれば、迷うことなくこの剣を、新たな力を振れるのに。なぜ、一真はこんなわけのわからない話を黙って聞かなければならないのだろう。


 此方の気を引いて隙を突こうとしているのだと、ただ、それだけなのだ、だから油断をするな、隙を突いてくる瞬間を狙って反撃しろと、一真は自分に言い聞かせる。


 が、その隙を突いてくる瞬間はいつまで経っても来ない。


「ねぇ。この世にいる者はだれも彼も恐れるようなそんな場しょに、おんみょうじどもはどうやって物の怪を封じたとおもう?」


 幼女のような声と物の怪の声が、入れ替わりながら話す。壊れたCDのように不安定で、しかし力に満ち溢れていて、儚さも弱さも感じさせない。少女は自分自身を指差して言う。


「わたしの人間だったころの体ね。とても、おもしろい構造をしていたのよ。そして、オンミョウジ共にとっては、とても都合のよく出来た躯カラダ」


「どんな……」繰り出した疑問の言葉はカラカラに干からびていてはっきりとしない。が、少女にはしっかりと聞こえたようだった。フフフと言う笑い声と獣の唸りが同時に口から漏れる。


「それはね、夜を支配する神の加護或いは呪いが掛かっているということ。私の血筋、とりわけ女に産まれた者に色濃く現れる特性と言ったところかしら」


 自分の特性であるにも関わらず、まるで他人事。いや、物であるかのようにその言い方はぞんざいで、吐き捨てるようでもあった。


「ひとつは、生まれながらにして強力な霊力を持っていること。ふたつめ、オンミョウジ共が注目した特性――それは、物の怪の存在を惹きよせること」


「物の怪を引き寄せる?」


 一真は理解をどうにか追いつかせようと、鸚鵡返しに言う。


「そう。陰陽師どもは、その特性を夜の神が授けた加護による力だと呼んでいるわ。一体どこが加護なんだか。詰まる所、この力の使い道はひとつ」


――色香で物の怪を引き寄せ、圧倒的な力で封殺する。


「そして、私はね。血筋の中で誰よりもこの二番目の特性が抜きん出ていたのよ。さぁて、これでもうわかったと思うわ。陰陽師達が私に何をしたのか。させたのか」


「天」


 一真は昨日、相棒になったばかりの得物に問いかけた。


「そいつの言っている事は大方当たりだ」


「大方ってどこがだよ。どこからどこまで。どこがどう違うって?」


 一真はたまらずに詰問した。感情を抑えられない。


「あれは、お前自身も覚悟を決めての事だった筈だろう。それ以外の道が無かったから。お前は」


「だから、許されるとあなたは言いたいの、そういう事? わたしをえさにもののけたちをめいかいまでおびきよせ、此の世と彼の世の扉に結界を張る。その事を最初にわたしにていあんしたの、あなたでしょう?」


 信じられない。一真は剣を見下ろした。


――力の使い方を教えてやる。


 この剣は確かに一真にそう言った。それを一真は何の疑いもなく受け入れてしまった。馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。こいつが口にしている事とは別の事を考えているかもしれないと、ちらっとでも考えるべきだったのに。


 力を欲していて、丁度その時、都合よく、偶さか受け取った剣が力を貸してくれる。そんな神話みたいな話があるわけがないと、頭を働かすべきだったのに。


「あなたには感謝しているのよ、一真さん。憶えている? あなたに初めて声を掛けた時の事」


 問う少女と一真の距離は、殆ど肌が触れそうな程に近い。


「栃煌神社の祭具殿にあった鏡ね。あれが何かご存じ? あれはね、此の世と彼の世を繋ぐ霊具。誰かが覗く事で力を発揮する物なの。誰にも覗かれないように封印の符がはられていたのを、私が彼の世の方から力を送ってなんとか、剥がし落とした。だけど、そこでよわったのよ。封印は解いたのに、だれかが、覗かない限り、此の世と繋がることはないもの」


 何度も、何度も記憶の中に現れたその光景。鏡を覗いた途端に聞こえる声。現れた物の怪達……。


「俺のせいか? 俺のせいで……」


「あぁ、そんなに気に病む事ではないわ。言ったでしょう? 私がこの世界に戻って来れたのは、京都にある方の封印が解き放たれたからよ。ここでの事はほんの余興に過ぎないわ」


 見下すように、少女はわざとらしい憐みを込めて笑う。



「鏡は私の声を彼の世から此の世に届ける事は出来た。だけど、所詮、にんげんが作った紛い物ね。声しか届かない。だから、同じように封じられていた物の怪を目覚めさせて、神社を破壊するつもりだったのだけど。一度目は力が足りなくて一匹。二度目にあなたが覗きに来た時には、物の怪を全員起こす事には成功したものの、全部あの娘に倒されてしまったし、鏡は私の力に耐え切れずに割れてしまった。フフフ、古の物の怪を相手に戦い、倒せてしまうなんて」


 少女は一拍、呼吸を整えるように息を吸ってから言う。


「――流石私と同じ血の者というべきなのかしらね」

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