動機――突き動かすもの

 耳から少し受話器を離して一真は顔をしかめた。母は栃煌メゾンという福祉協会に勤めて、よくケアホームや老人ホームの利用者の世話をしたり、外出ヘルパー等をしている。


 そのせいなのか、普段の生活でも元気一杯を心掛けている。


「ごめんね、ただでさえ人手が足りてない上に、ちょっとした事件があってね? ほらほら、リ・ホームで」


 栃煌市にある成人障がい者の為のケアホームの一つだ。前に何度か、ボランティア――とは言葉ばかりで、母によって半ば強引に連れてこられたのだが――をしに行った事がある。


「そこの利用者の夏さんがねー、単独外出中に行方不明になってたのよ」


 その名前は何度も母の口からきいていたし会った事もある。確か、家事も調理も殆ど自分で出来る人だった。ホームにいるよりも外で活動する事が多い人でもあった。


「だからてんやわんやでねー。ごめんね? 連絡も無くて」


「その、夏さんは見つかったの?」一真は少し心配になって聞いた。まぁ、母の口調からして大丈夫なのだろうけど。


「大丈夫大丈夫、昨日の夕方ね、病院から電話が会ってねー」


 それ、大丈夫なの? 心内で突っ込みつつ、その先を待つ。


「なんか、日射病みたいなのに掛かったみたいでね、道端に倒れていた所を親切なおじさんに助けられたみたいなの」


 ん? と一真はある想像が浮かんで、眉を潜めた。


「それが、いなくなってから二日目くらい後ね。もう、皆心臓が止まりそうだったわ。。そうそう、花音は?」


「あー、元気だよ」


「そーう、うん、話したいところだけど、今ちょっとばたついているから、帰ってからね。そう伝えてといて」


「わかったー」


 返事を待たずに電話は切れた。黙ったまま一真は受話器を戻す。


「ああー!! なんで、切っちゃうのよぉ!!」


 電話が来るといつもそうだ。帰ってくれば、いくらでも話は出来るのだから、いいだろとその度に返すのだが、今日は別の事を聞いた。


「なぁ、花音。お前無理とかしてないか?」


「へえ?」


 花音が首を傾げた。藪から棒に、な質問だっただろうかと一真は少し考える。いや、聞いた以上答えを貰わないと気がすまない。


「いつも、家に帰ると一人で留守番とかしてるじゃん。本当なら、友達とかともっと遊んだりとか、習い事したりしたいだろうに」


 だけど、返ってくる言葉がなんとなく怖い。


 憤怒の肯定か、否定か、曖昧に受け流されるか。必死に家の事を手伝ってくれる妹に対して今の質問は失礼だっただろうか。


「あぁ、なんだ。そんな事を気にしてたのかー」


 だからその答えはあまりにも予想を裏切る物で、一真は思わずぽかんと口を開けた。その様子を花音がくすくすと笑う。


「あのねぇ。私が嫌々やってるとでも思った?」


「いや、そんな感じは……時々したけど」


 がくっと花音は頭をテーブルに落とした。傍目にはコミカルな動きに見えるだろう。


「あ、あのね。そりゃあずーっとやっていたら嫌な時だってあるよ。でも、そんなのスポーツだって芸術だって同じでしょ? 楽しい事だけで成り立ってるわけじゃないし」


「まぁ、そうなのかな」


 なんだか説得力のあるようなないような。


「他の人から見たらおかしいって思われるかもしれない。実際、友達とかに変わってるね位は言われた事あるし。だけど、私は家の事手伝うのが大変だとは思っても、嫌いだって思った事はないよ。お母さん達も帰ってくるの遅いけど、いないってわけじゃないし。いつか帰ってくるわけでしょ? だったら悲しくはないなぁ。……それにお母さん帰ってきたら私は思いっきり甘えてるしねー。まぁ、要はね」


 と、どこか得意げな笑顔で花音は言う。


「大変イコール嫌ではないってことかな。私はこの家が好きだから。あ、でもでも、兄貴もちゃんと家の手伝いしなさいよ。私に押し付けずに」


「わ、分かってるよ……すまん」


 ――そうか。


 頭の中で答えを遮っていた靄が晴れ一真は空気の吸い方をやっと思い出したかのような清々しい気持になった。


 一真はようやく、今更のようにわかった。いや、本当なら前からわかっていたのだ。答えは既に出ていた。何故、物の怪とまた戦おうと思っているのか。


 恐ろしくて、逃げ出したいのに。


「なぁ、花音。自分が何が何でもやり遂げないといけない事を続けるにはどうしたらいいと思う?」一真はさりげなく聞いた。それが花音に対する質問でなくなっている事を、一真は気付いた。花音も気づいている。


「さぁ。だけど、私はやると決めたら一生懸命やるようにしてるよ。それしかないな」


 わかっていた。だけど、証言が欲しかった。もう既に好きな事を一生懸命にやっている妹から。何故だか笑い出したい気分だった。ここ数日悩んだり、答えが出せそうで迷った自分が馬鹿だと思えて。


「ハハハ、それしかないよなぁ」


「ホント、なんか悪い物食べた? 私の夕食には絶対ないけどね」


「いや、ごめん。お前の料理は最高だよ」勢いのまま、言ってしまう。が、花音は少女漫画みたいに顔を赤らめたりはしない。代わりに得意げな顔で笑む。


「当然!」


「えーと……あの」と今のいままで黙っていたというか、兄妹の会話の流れに入り込めずにいた未来が恐る恐るという感じで手を上げた。


「私、この場に必要だった、かなぁ?」


「必要です!」


「兄妹息のあった気遣いどうも」


 三人は心の底から笑った。幸せな気持ちだった。こうして楽しい時間がそのまま止まればいいのに。だが、止めるわけにはいかない。


 一真は食べ終わってからっぽの食器をテーブルに置くと立ち上がり、駆け足で二階へと戻り、鞄を取り、来た時と同じ速さで居間に戻った。


「ちょっと、ちょっと、どうしたの?」


「あ、悪い。食器洗っておいて。俺行かなきゃいけない所があるんだ。未来、ゆっくりしていってもいいけど、お前も自分の分は洗えよ!」


「いや待て兄貴!! あんたもちゃんと洗っていけぇええ!」


 叫ぶ妹とぽかんとしている未来を後に、家を出た。


「顔がコロコロ変わって面白いやつだなぁ。お前。なんつー清々しい顔してやがる」


 玄関を出た途端、天のからかうような声が頭に響いた。


「ま、見ていて全然飽きないからいいぜ」


「熱血青年ってのは俺の柄じゃないけどな」


 一真は返しつつ走りだす。


 ――月の待つ神社を目指して。

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