相棒――破るべからず、立てた誓い

 一真は眉をひそめて、剣を見下ろした。それから自分の目線の高さまで掲げる。この剣が本物か偽物か見極める術を一真は持っていない。


 が、彼(?)は月や刀真の事を知っている。自分が偽物だから、刀真に会いたくないと思っているわけでは無さそうだ。


「帰りたくないのか?」


「そんな所さ。やつの所には二度と戻りたくないというか、使われるのも嫌だね」


 なぜなのか、理由を聞くべきだろうか。剣と使い手が喧嘩する理由なんて一真には想像も出来ない。だが、この剣と使い手である刀真の性格は確かに対立しやすいのかもしれない。


 剣は喧嘩早いし、刀真は寡黙で真面目、そして自分でも気づいているのか、気付いていないのか、人に辛辣な言葉を投げかける所がある。


 その言葉は決して単なる罵倒ではなく、事実を言っているのだろう。多分。けれど、配慮というのがまるでない。


 だけど、この剣は単なる言葉の行き違いで「帰りたくない」等と言っているのだろうか?


 物の怪と戦うには精神が強くなくてはいけないと刀真は言っていた。剣に精神があるかどうか別として、子供じみた事を言う精神の持ち主がきちんと物の怪と戦えるのだろうか?


「じゃあ。どうするつもりなんだ? 俺はお前を神社にまで届けろって言われているんだけど」


「うーん、神社に行きたくないんだよな。あいつに近づくと思うだけで頭が痛くなる」


 頭どこですか。


 それはともかく、いつまでもここで喋っていたら、あの男がまた意識を取り戻しかねない。一真は男が最初に立っていた場所まで戻ろうとした。


「扉はもう閉まっているぜ。男のポケットに符があるはずだ。乾坤元亭利貞けんこうげんこうりていって書いてある。陰陽師が陽の界に戻る際に扉を開く呪文だ」


「けんこ……なに?」


 言いながら、一真は男の胸元を探った。符は三枚。「これか?」と順に剣に見せ、三回目で「それ」と言われた。


「で、そいつを地面において、切っ先で軽く突け」


 言われた通りにその符を地面に置き、剣を逆手に握りしゃがみ込み、符を突く。


 それが扉を開くきっかけとなる。剣の切っ先を中心として白色の輪が地面に広がり、そこに立っていた一真を、倒れている男を包み込んでいく。


 そして気が付くと元の世界に戻っていた。一真の日常へと。


 行きかう人や道路を走り去っていく車の騒々しい音が唐突に蘇り、鼓膜を刺激する。


 一真は辺りを目線だけで見渡し、それから立ち上がった。振り向くと少し離れた所に叔父の会社があった。先程の戦いが嘘だったかのように辺りは何とも無かった。


 近くを通り過ぎようとした人が不審そうに足を止めた。道端で呆然と突っ立っていたせいか、と一真が歩き去ろうとしたその時、


「うっ」


 足元で呻くような声が聞こえ一真は思わず後ずさった。一真を襲った男が地面に肘を突き立ち上がろうとしていた。


「早い所ずらがろうぜ」


 剣が言った。右手には懐剣状態の剣が未だに握られている。慌てて鞄にしまおうと思ったが、鞄は焼かれてない。


 ここから一番近い所にある鞄は家。学校に残してきたのを狩野が家まで送り届けている筈だ。


「こいつらの視線が、この莫迦に向いている内に早く」


 一真は辺りを見回した。タクシーが一台、道路に客を降ろす為に止まっている。


 徐々に集まりつつある野次馬の輪からそっと抜け出し、一真はタクシーまで走って行った。客が降りたドアとは反対のドアから乗り込む。


「お、お客さん?」ドライバーがびっくりとしたように目を丸くしているのに構わず一真は身を乗り出した。


「お客さんだよ」


そう言って行先の住所を告げる。タクシーが発進し始めると一真は溜めていた息を吐きだし、シートに身を預けた。これで今月の小遣いは全て吹き飛ぶだろうが、構わない。


 あんな怪物をもう一度相手する位なら。破敵の剣に臆病者と罵られても構うものか、と思ったが剣は黙ったままだった。一真の方も目の前にドライバーがいる手前、何か言うわけにはいかない。


 車内にはラジオのニュースの声だけが響く。


『続きまして、たった今入ってきたニュースです。今日、午後三時半頃、栃煌市内で、意識不明の女性が倒れているのが発見され――』


 巫女殺しの被害に会った人だ。一真は思って、息を呑んだ。


「なんか、最近物騒だねぇ。推理小説の事件みたいじゃないですか。少女の失踪、意識不明の女性が倒れてたり」


 タクシードライバーが憂鬱そうな声を上げ、一真は「えぇ」と頷いた。


「推理小説だとさ、こういう不可解な事件って実は繋がっているって事が多いけど、現実はどうなんだろうねー?」


「さぁ、でも」と一真は窓の向こうを見た。丁度、栃煌神社が見えた所だ。見えたと思ったら過ぎ去っていく。


――私を目にする者はみな同じ。疲れた、休みたい、自由になりたい。そんな甘い幻想を抱いている可哀想な者達


 影女はそう言っていた。そして、月すらも取り込もうとした。その最悪の事態だけは避ける事が出来たが……。


 救えなかった人達の事を彼らはどう思うのだろう。割り切ってでも進むのだろうか。


「何かしらの共通点はあるんじゃないですかね」


 あっという間に過ぎ去っていく風景を眺めながら一真は答えた。

 やがて、タクシーは沖家の前に止まった。代金4300円。銀行から下ろしたばかりの小遣いと同額だった。払った後は文字通りの文無し。やれやれと一真は首を振った。


 致し方ない。懐剣一本手にしたまま走って逃げるなど狂気の沙汰だ。男に捕まらなくとも警察に捕まる。


 ドアを開こうとして、一真は気が付いた。家の鍵もまた鞄の中だ。今度からポーチでも買おうかと思いつつ、ベルを鳴らした。


『はい、どちらさ……なんだ、兄ちゃんかぁ』


「なんだって、なんだと思ったんだよ」


『さっき兄ちゃんの友達来てたよ。鞄届けてくれた』


 言いつつ、声が引っ込む。数秒して玄関ドアの窓に妹の人影が見え、ドアが開いた。その前に一真は庭に懐剣を投げ入れて隠した。投げる直前「あ、おい!?」とかいう声が聞こえた気もするが、無視する。


「んで? まーた、月さん?」


 狩野が喋ったか、家に誰かが連絡を入れたらしい。花音は腰に手を当てて探るようなジトっとした目で見つめてくる。他の男が見れば可愛いと思うだろう動作も実の兄である一真には鬱陶しくしか感じない。


 とはいえ、五月蠅いなと払いのけるのは良心が許さない。ただでさえ、花音はいつも家では一人でさみしい思いをしている筈なのだから。


「そんなとこだよ」


ドアを閉め、靴を脱ぎつつ一真は答える。すると探るような目つきだった妹の瞳に熱心さがこもった。イヤな予感がする。


「二人きりでいちゃつきながらお弁当を食べていたってのはホント?!」


 一真はずっこけ、靴は宙を舞った。どうにか肘を床板に立てて一真は顔を上げる。後ろで靴が落ちる空しい音が立った。


「あの、お前ら俺に何の恨みがあるわけ?」


「え? 違うの? 残念」


 花音がきょとんとした表情で言うと、あっさりと居間の方へと引っ込んでいく。どうせ、クラスのお調子者、狩野辺りが変な噂を流したのだろう。


 このままだと、この辺り一帯に根も葉もどころか、種すらもないような噂が立ちかねない。


「あ、でも一緒にお弁当食べたのはホントだよね?! で、持病で倒れた月さんを神社に運んだって」


 戻ってきた花音がひょこっと首を出して聞いた。


「やかましい。もう何も聞いてくれるな……」一真は顔を右手で覆い、左手でしっしっと払う。不満そうな顔で花音は再び引っ込んだ。


 散らかった靴を直し、それから居間へと向かった。窓を開け放ち、庭へと出る。庭と言っても目の前が隣家の壁、横にばかり広い。植木鉢とそこに咲く花がいくつかあるが、イギリスにあるような庭のような優美さもないし、和風の諸行無常な趣ともほど遠い。


 庭用に置かれたサンダルを履き、一真が辺りを見回すと投げ込まれた懐剣が花瓶と花瓶の間に転がっていた。


 それを拾い上げ土をパンパンと払う。剣が心外そうな声を上げた。


「なんだよ、俺をガラクタみたいに扱いやがって」


「刃物片手に帰ってくるとかどんなホラーだよ」


 一真は静かな声で返しつつ、懐剣を抱えて急ぎ足で居間へと戻る。妹が部屋にいるのを確認してから、階段を二段飛ばしに駆け、一気に自室まで運んだ。


 自室の机の上には学校に置いてきた鞄と弁当箱の入った袋が置かれていた。花音がそのままにしておいたという事は、弁当箱は自分で洗えという事なのだろう。


 面倒だな、と思いつつ、一真は机の上からそれらを床に降ろす。代わりに懐剣を置いた。


「さて、と」


 呼吸を一拍おいて、何を話すべきか頭でまとめる。


「なんで、神社に戻りたくないんだ? お前は」


「神社っつーか、刀真のところに、だな」剣は答えた。


「どっちだっていいさ。刀真さんは神社にいるんだから。で、なんで刀真さんの所に帰りたくないんだ?」


 破敵の剣はどこについているのかもわからない口を重々しく開いた。


「奴が俺を裏切ったからさ。簡単に言えば奴は俺に立てた誓いを破った……違うな、果たせなかった」


「誓い?」


「そう、誓い。奴は彼女――蒼あおいを守ると約束した」


 唄うように繰り返す剣を、一真はまじまじと見た。蒼、それは月の母の名前だ。そして刀真の妻。


「あいつが彼女と夫婦めおととなった時にな。だが、奴はその誓いを果たせなかった。破敵の剣を持つ物は誓いは必ず守らなければならない。剣と使い手は誓いを通して力を共有するからだ。あぁ、お前の場合は、俺が一方的に力を貸しただけだぞ」


 一真が疑問を差し込むよりも前に剣がつけ加える。


 つまり、先程の戦いは一真が剣を使って勝利したというよりも、剣が一真という使い手を通して敵を倒したという事だろうか。


 護身の太刀を使って物の怪と戦った後、刀真も言っていた。「お前自身の力ではない」と。だけど、それならどうすれば、自分の力で戦ったと言えるのだろうか。

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