強力――使い手を求める者
†††
叔父博人の会社――霊文社は、電車で六つ隣の場所にある。霊文社近くの道路は夕日に赤々と焦がすように照らされていた。無尽蔵とも思える程に、来ては流れてゆく車や至る所に建っている工場の煙突がもたらす廃棄ガスと春の風が混ざり合い、生暖かい空気が一真の肌を打った。
目の前に広がる風景も風にも一真は殆ど注意を振り向けていなかった。周りの喧騒にもだ。たった一つ気を散らす物があるとすれば、家でまたも一人で留守番する事になった花音の事だ。気にしていないと妹は言っていたが、それが気を張った答えであることは兄である一真にはわかっていた。
だが、その罪悪感すらも、頭の隅に追いやられてしまう。一人で黙って歩いていると、どうしても今日知った事実が頭を擡げる。
自分はもう、何年もずっと陰陽師に監視されていた。心の中に、物の怪が棲みついていたが為に……。
心に手を当てるとおぞましい感覚が心臓を駆け巡るような気がした。血管を這い上り、頭蓋骨をこじ開け、直接頭の中に言葉を冷風のように吹きかける。
――月に近づいてはならない。わかるだろう? お前は怪物なのだから
「うるさい」
頭を自身の拳で殴る。ゴンという激しい音が鳴った。周りを歩いていた人々が、一真に不審そうな目を向け、それから避けるように間隔を開ける。
そうこうする内に霊文社が見えてきた。十階建のビルだが、周りにも同じ位の高さのビルが並んでいる為、あまり目立たない。一真はその中へと迷うことなく入る。もう、何度か来ているので間違える事はない。進んですぐ左手にある受付カウンターに訊ねると、そこにいた女の人によって、十階の広間まで案内された。エレベーターの扉が開くとそこに叔父の博人と長身の男が並んで何か話しているのが見える。
二人はそこで何か議論しているようだった。というよりも、長身の男が一方的に喋り、それに博人が愛想のいい答えを返しているだけのようにも見える。
「社長」と受付の社員が声を掛けた。二人とも、一真達の存在に初めて気が付いたようにこちらを向いた。
「あぁ。一真。待っていたよ」解放されたというように博人は微笑んだ。それを男はあざとく睨みつける。が、博人はそれにはまるで気が付かない振りをし、男には目もくれずに社員に言う。
「君、彼をお送りしてあげてくれ」
「沖社長……」男が非難めいた視線を送るが取り合わない。
「もう、いいだろう? 話は済んだ。あの物品は決して君の手には渡らない」
もしかして、これから受け取る物の事についてかな。一真ははたと思い当った。すると博人の目が一瞬だが、一真を見た。
余計な事は言わないでくれよ。目で訴えかけられているような気がして、だから一真は口を噤んだ。
「では、こちらへどうぞ」言われて、男はちらっと一真を見たが、結局その言葉に従い、出て行った。エレベーターが完全に下まで降りていくのを確認してから、博人は安堵のあるいは呆れの溜息をつく。
「中々、しつこいものだ。話す相手を選べればいいのだが、そうはいかないのが辛いところだな」一人ごちるように言う。一真はどう、反応していいのかわからなかったので、黙って頷いた。
「なんだか疲れているようだね? また、神社の人と何かあったのかな?」
「いいえ。そういうわけじゃないですけど」
話して信じて貰えるような事ではない。それにこうして二人で並ぶと自分が大人になったような満足感があった。自分の悩みをめそめそと話す気にはなれない。
「まぁ、それはともかくとして、これから私が話すのはその栃煌神社に関する物だ」
オフィスの方へと案内され椅子を勧められ座った。博人の個室と言ってもいいそこは、彼自身の人柄を示すように、ずらりと綺麗に並んだ本棚、客と話す為のテーブルと椅子以外に業務用の机が窓際に置かれている。自身の功績を壁に貼るとか、趣味の本を置いておくとかいう事もなく、つまりは仕事に使う物以外の無駄がそこには一切無かった。
博人が隣の部屋から何かを持ってきた。その何かは懐剣の形をしていた。
「これが何か知っているかね?」
目の前のテーブルにそれを置き、自身も椅子に座りながら博人は尋ねた。一真は首を横に振った。だが、それはどこか見覚えのある物でもあった。それもつい最近見かけた物、手にした物にそっくりだ。
「これが歴史的遺産ですか?」
およそ五十センチ程しかない刃と刃と同じくらいの長さの柄の剣を見やりつつ、一真は聞いた。
刀身は黒くつやがあり、錆どころか一点の埃も見当たらない。
「そうだ。いや、正確には遺産の片割れというべきかな。これの名前は破敵の剣と言う。聞いたことは?」
一真は静かに首を振った。歴史の資料集とかを読むのは好きだが、そんな名前は聞いた事も無かった。剣と言えば、三種の神器の一つである草薙の剣くらいが、頭にある程度だ。
「だろうと思った。歴史で教えるような物ではないからね」
だが、片割れと言われてなんとなく思い当る節がある。月が持っていたのが護身の太刀。そしてこれが破敵の剣。
「実はこの剣には兄弟がいてね。名を護身の太刀という。どちらも、古の陰陽師達が鋳造したものと言われている」
やはり、そうか。しかし、月が持っている物がそんな逸品だったとは。軽々しく触れちゃいけないものだったかもしれないと今更のように一真は考えた。だが、後悔は決してしない。
「ということは、栃煌神社とも関係が?」
「そうだ。もう一方の片割れである護身の太刀はあそこが管理していると聞く。これを返せば揃うだろう」
その言葉はとても真摯な物に聞こえたし、そうするべきなのだろうとは思う。これがあれば、月は更に強くなるかもしれない。あの影女を倒せる程に。そうなったら、月はいよいよ、天上の先、厚い厚い雲の上の人間になってしまうだろう。一真は足元に及ばないどころか、足元すら見えなくなる。
月は守ってもらう必要すら無くなる。それは一真の望みのようで、違う。それともこれはエゴなのだろうか。
「でも、叔父さんはそれでいいんですか? こんなレアアイテムを手放して。記事のネタになるよ?」
博人は人のいい笑みに僅かな後悔をにじませた。破壊の剣を知識欲のある、しかしどこか恐れるように見つめる。
「こういう仕事を長くしているとね。信じられんかもしれないが、奇怪な事に何度も遭う。それが、こういうオカルトアイテムによるものなのか、それとも、人間の悪戯か、はたまた、ただの思い込みなのかはわからないが」
一真は黙ったまま、叔父と同じように破敵の剣に視線を落とした。つまり、この破敵の剣はそれほどに厄介な物という事か。
「今回手に入れた破敵の剣は特にその傾向が強いね。これを面白半分に振った社員が次の日に寝込んでしまったり、不慮の事故で入院したりとね」
信じて欲しいのか、欲しくないのか、意図してしてかせずか、その口調は芝居がかって聞こえる。
「私はこの類の品は栃煌神社に預けるようにしている。それが、私が彼らに嫌われてしまう要因の一つでもあるかもしれないな。呪われた物品だけ送り込まれてくるわけだからね」
軽口を叩いているらしいが、一真はその言葉を半分も聞いていなかった。
――ふざけた気持ちで握れば呪われる。だけど、そうではない人間が握ったらどうなるのだろう?
――俺は? 覚悟を試すくらいならなんでもない。何日か寝込む程度なら……。
「一真?」
いやにはっきりと聞こえ、一真は我に返った。肩を掴んでいる博人の腕にまず目が行き、それから博人の心配そうな顔が飛び込んできた。
「あ、すみません」
「やはり、大丈夫か? いや、それとも私の無駄話が長すぎたかな?」
「いえ、そんなことは。これ」と一真は肩を掴まれたまま、テーブルの上の剣を指差した。
「神社に届ける。それだけでいいんですよね?」
「あぁ、そうだ。正直な所、他の社員もあてにはならなくて途方にくれてた所だ。皆、すっかりあの歴史学者どもに怖気づいている」
一体、どうしてそんな事になっているのか、普段なら注意を向けられただろうが、今の一真にはそんな余裕も無かった。さっさと用事を済ましたい。そうしなければ、いつまでも剣の事を考えてしまいそうだった。
「わかりました。任せて」
一真が承諾すると博人は心の底からほっとした表情になった。
「手間を取らせて申し訳ない。じゃあ頼んだよ」
オフィスを出、一階まで降りるとあの男をまた見かけた。受付の女の人に向かってなにやら詰め寄っているようにも見える。
「社長に会う必要はない。ともかく、あれを渡しさえすればいいのだ」
その男の言う『あれ』が博人に渡された鞄の中にある。早足で男の傍を駆け抜けようとする。男は受付員に詰め寄るのに忙しく、一真にはまるで注意を振り向けていなかったように見える。
「おい、君」
背後から声を掛けられ、一真は足を止めてちらっと後ろを振り返る。男は振り向きもしない。
「君だな。持っているのは」
黙ったまま一真は走り出していた。
「!? ちょ、待て!」
その反応が意外だったのか、男は間抜けな声を上げ、慌てて走り出した。一真としてはむしろ、男の反応の方が意外だ。びびって動けなくなるとでも思ったのか?
「待てって言っているだろうが!!」
建物の外に出た瞬間、男が再び叫んだ。途端、辺りが沈黙に包まれた。
車の音も、人の声も、風も消えていた。一真は足を止めた。逃げ回っても陰の界から抜け出す事は出来ない。振り向くと男がどうだ? と得意顔で笑っていた。その手には一枚の符が握られ、そこにびっしりと文字が書かれている。
スーツ姿の男は手に持った符をぽいっと無造作に捨てながら、近づいてくる。
「そいつ、渡してくれないかなぁ」
「これはお前の物なのか?」
一真は聞いた。どうも、この男物の怪という感じがしなかった。
「違うぜ。だが、俺が一番うまくそいつを使える。なぜなら、俺は強ぇえからな」
なんだ、こいつただの馬鹿か。言っている事が小物過ぎる事が自分で分からないのか。なんか身を引いている一真の反応を、何を勘違いしたのか男は笑った。
「怖いかぁ? そうだよなぁ!」
「いんや、全然」
男はがくっと前のめりになってこけた。がばっと頭を起こした。元気のいいことだ。
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