影女――その顔は誰のもの

†††

 影女は長い事、そこに立っていた。彼女の主人も霧乃も既にそこにはいない。影は常に主人に付き添っているわけではない。だが、主人はそれを不快に思うどころか、気にも留めていない。彼自身が闇の化身なのだから。あの男はありとあらゆる闇を覗く事が出来る。あの陰陽師の苦悩も、未熟な若者の焦燥も。そして、この影女が抱く怒りと諦め、絶望の淵をいとも簡単にこじ開ける事が出来る。そうして相手を支配する。


物の怪であろうと人であろうとそれは同じ。あの裏切り者の陰陽師は今は、主人に取り入ろうとしているが、果たして長続きするかどうか。


 影女は物の怪だ。そして、物の怪とは人が持つ邪気の集まりによって成される物。彼女自身に記憶などあろう筈もないのだが、それでも時々、頭の奥底で思い出の欠片のような物が見え隠れする。曖昧でバラバラで、しかし純な思い。言えば主人は嘲笑うだろう。だが、どうせ既に見通されている。


 そう、だけども。


「みつけたー」


 ふと耳元で声を掛けられ影はナイフのような目の端で、それを見た。それは少女の姿をしていた。年齢は十四、五才か。長く色素が抜けているかのような真っ白な髪を持っている。黒い霧を思わせる衣を首から下に纏わせている。いや、違う。正確には黒い霧が衣のように体に纏わりついている。


「その顔を引っ込めな。私にとっては一番嫌いな顔だ」影女は冷たい声で突き放すように言うが、少女は堪えた風ではない。


「ごめんなさい。でも、しかたないの。これがわたしのかおだし。なにより、あいつがわたしで、わたしがあいつなのだから。なにしろ、同じ血が流れているのよ?」


 くすくすと含んだように嗤うその声が、影女の中の怒りの感情を増幅させる。そもそも負の感情しかないのだから、怒りを抑えるなどという事も出来はしない。その代わりに、彼女はその怒りを嘲笑へと変換する。


「じゃぁ、お前をここで殺せばあいつも死ぬのかい? そうだったら、これ程嬉しいことはない」


「あら、こわい。だけど、できないでしょう? ごしゅじんさまが、ゆるさないもの」


 影女はいらいらしながら、数人の女の声を混ぜ合わせたかのような耳障りな声を出した。


「で、要件は? 主人の命令が無ければこんな所には来ないだろう? 人形」


 “人形”という言葉に一瞬、少女は顔を歪ませた。物の怪である影女ですら竦んでしまうような醜い顔。しかし、少女が口を開いた時にはその顔は引っ込み、元のからかうような笑みが浮かんでいた。


「おしごと。こんどはもっと、はでにあばれてくれって。そう、おんみょうじどもがおもわずくいつくように」

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