不審――それでも信じられるか
黙って月の部屋まで戻る。丁度、舞香の声が襖越しに聞こえた。
「――ま、一番怖いのって物の怪じゃなくて、やっぱ人間ってことかぁ」
一真の足がふと止まった。人間? 何の話だろう。単なる世間話か。いや、それとも何か違う雰囲気だ。
「兎にも角にも、奴を見つけないといけないわけだけど」と、これは碧の声だ。重くどこか苦しげに聞こえるのは一真の気のせいだろうか。しばしの沈黙。そして続いて聞こえた言葉に一真は耳を疑った。
「霧乃は掴み所のない男ではあったけどね。まさか、それが――」
襖を開け放った。三人の巫女服姿の少女の視線が一真に集中した。いや、正確には違う。
二人の巫女服姿と一人の“半巫女服姿”の少女。二人とはすなわち碧と舞香。一人は――
「か、か、か、か……かずま」
「え? あ、あ、あ……いまのはなし」
口から出た言葉は意味を成さない。
月と一真はしばし見つめ合う。月は自分自身の姿を見られた事に顔を強張らせ、一真はそんな月を見て顔を強張らせる。
やがて、二人とも耳まで顔を赤らめた。まるで息を計っているかのようにぴったりのタイミングだった。
月は丁度制服から着替える所だった。巫女服の白衣びゃくえだけを上に羽織っている。白衣は腰より少し下まで覆っている裾の長い物だった。
しかし、下に穿く筈の緋袴がない。
当然、純白で所々赤みのある桜のような脚と太腿は剥き出しのまま、無防備にさらされている。すぐさま目を逸らせばまだ、釈明の余地はあったかもしれないのに、一真の目は凍り付いていた。その脚に。
ところで、一真が白衣だと思っていたそれは、実は襦袢と呼ばれる物で白衣の下に着る物。わかりやすく言えば下着だ。つまり、一真はシャツ一枚の女の子を見ているも同然なわけで。
「ふむ」と、碧は立ち上がった。
いつもなら見た目にそぐわない俊敏な反応を見せていただろうが、彼女も相当に動揺していたのか、対応が遅れた。未だにぽかんとしている舞香と真っ赤に硬直している月の前に出て、符を一枚中指と人差し指で掴んだまま、九字を切る。
「下衆を喰らえ、水を司る、み――」
「す、すみませんでしたぁあああー!!」
殆ど絶叫に近い謝罪と共に襖を閉じて土下座。碧が何をする気だったのかはわからなかったが、襖の向こうでは何か蛇と獣の鳴き声を混ぜ合わせたようなグルルルという威嚇の声、舞香の「馬鹿! 友達の半裸見られた位で、こんなもんここで出すなよー!! 姉様の式は洒落になんないくらい凶暴なんだから!!」という叫び。襖の影に何が映ってるのかは出来れば見たくない。
結局、五分位、騒動が収まるのを待ち――その間、ずっと土下座状態――着替えが終わるのを待つはめになった。やがて再び襖が開いた。
恐る恐る面を上げると、顔を未だ赤らめている月の姿があった。びくっと震え一真は下がり頭を下げる。
「えー……申し訳ございませんでしたぁ。お許しを」粗相をした戦国時代の家臣か何かみたいねと碧。
「う、仕方ないから、ゆ、許す!」と言い、今度は「つんでれな姫様かお前は」と舞香に突っ込まれた。「仕方ないから」って何が仕方ないのだろう。と、一真は我に返って碧を見た。
「いや、待てよ! そんな事よりも……すみませぇええん!!」そんな事と言った瞬間、碧が符を抜いたので、一真は慌てて謝る。碧は符を、緋色の掛け襟の所に挟み、溜息を吐いた。
「わかってる。あいつ、あなたの友達なのよね? 気持ちは分かる。私だって友達が裏切ったら同じように動揺するだろうし」
「いや、待てって。あいつが? 裏切った? 誰を? そもそも裏切るなんて事あるのか? 裏切ってどこにつくってんだ?」
一真はわけがわからずに矢継早に疑問を投げる。順序立てて質問しなければ、きちんとした答えが返ってくるわけない。それはわかっているが、余りに意味のわからない話だった。
「そうね。人対物の怪って単純な構図ならば、絶対に無さそうな事ね」
碧は自身の右手に目をやった。そこにはアクセサリーか、石の連なったブレスレットがある。碧の髪と同じく翡翠の光沢を放っている。
「まさか、違うのか?」
一真は碧が言わんとしている事に言葉を失った。あれは、物の怪は、負の気から生み出される物で、それと戦う為に陰陽師がいるのではないのか?
「人に憑き、狂わせ、呪い殺す。それが物の怪」日向の声が背後から囁くように聞こえ、一真は振り返った。そこには無邪気な瞳は無かった。まるで性格が変わったかのように無表情のまま、彼女は言う。
「人にとっては害にしかならない心の毒。でも、人は愚かだ。使える物は毒ですら使おうとするのだから」日向の言葉をぽかんと聞いていた一真は、次第にその意味を頭の中でゆっくりと噛み砕き始めた。つまり?
「わからないかな? つまりは、物の怪を利用して、特定の人物を呪う輩が世の中にはいるんだよ。陰陽師の中にはね」
日向の言っている事は理解できる。
多分。
物の怪を利用して人を呪う。どうやるのかは、分からないが、もしも物の怪の力を利用する方法があるとして。それを使おうとは思わない悪人がこの世に一体何人いるだろう?
何のために使うか等、その理由は多岐に渡るだろう。思想、信条の為。復讐の為とか単純に気に入らない相手を排除する為とかかもしれない。
一真の頭に浮かぶのはそんな俗っぽい事ばかりで、本当はもっと複雑かあるいは単純な理由もあるかもしれない。考えだしたらきりがない。それよりも。
「今回の『巫女殺し』って事件にも人間が関わっているっていうのか? というか裏切ったって言ったよな。それはつまり、この栃煌神社と対立する組織みたいなのがあるのか?」
四人は押し黙った。それは肯定と取るべきなのか、否定と取るべきなのか。ややあって口を開いたのは月だった。
「私と戦ったあの物の怪『影女』の力は一物の怪の物としては強大過ぎるし、あの再生力はきっと別の術者から供給される霊気で賄っていると思う」
「なんか、よくわかんねーけど……霊気って供給できるもんなの? 他から」
「え、う、うん。そう。供給できるの。びびっと」
月がなんとも形容のし難い擬音で表現してみせる。よくわからんという顔をしてみせると月は、日向に助けを求めた。助けを求められて式神ははぁっとわざとらしく溜息をついた。表情が幾分か和らぐ。
「一真君も護身の太刀を握った時、霊気をわけてもらったでしょ?」
あの時、降って湧いたような力は、月の太刀のおかげなのかと今更のように一真は思った。確かに常人ではありえないような跳躍をした気もする。
「人から人や物に霊気を与えたり、逆に物から人に霊気を与えることもある。突然、普段持っている以上の霊気を与えられると体がついていけなくなることもあるけどね。で、人から物の怪に霊気を分け与える事も出来るわけ」
「で、その影女も他の術者から霊気を供給されて強大な力を得ているだろう、と。その供給源が複数の術者から成り立っているのか、単独の術者がしていることなのかはわからないけど」と碧が引き継いで言った。
「だけど、それがどうして霧乃が裏切ったって事になる?」一真がなおも食い下がって言うと、舞香がぱたぱたと手を振って言った。
「い、いや。まだあいつが裏切ったかどうかはわかんないんだー。だけど、月が影女と戦った時辺りから今まで、あいつは姿を消している。神社の方には何も連絡は来てない」
影女と月を追おうと思った時には忘れていたが、あいつも陰陽師だ。影女が姿を現したのに、何の反応も示さなかったのは確かに不自然と言える。たとえ月が一人で追えるように刀真に頼んでいたとしても、だ。
朝会の時間、確か霧乃は、朝会には参加したくないと言っていた。
あんなもの真面目に参加する必要ないというように。
だけど、それは口実で、他に何か目的があったのか? いや、だけどそれが裏切りの証拠と言えるのか? 別の目的があったのかもしれないじゃないか。
「刀真さんから秘密裏に命令を受けて行動中、とか?」
そうだ。その影女とかいうやつに力を貸している人間を追っている可能性だってあるじゃないか。我ながら合理的な予想と一真は思ったのだが。
「その刀真さんから、『あいつは裏切ったかもしれないから気を付けろ』って注意されたのよ」と碧がその推測をあっさり砕いた。それから自信無さげに付け足す。
「私達姉妹も影女の存在を感知してたけど神社の守護を命ぜられていて、ここを動けなかった。だから霧乃がその時、どこで何をしていたかなんて、わからないけど」
「だったら、わからないんじゃないか。あいつが裏切ったかどうかなんて」
そう弁護して気が付く。一真は霧乃の事を信じていたいのだ。理屈とかに限らず。あいつが裏切った等という事を信じるのは耐えられない。
大体、また刀真か。なんで皆彼の言う事を鵜呑みにするんだか。もしも、彼が間違っていたらどうするつもりだ。
「そうね。だから、私と舞香とでこれから捜索するつもり。案外、どっかでお菓子でも食い歩いているかもしれない。あいつ適当だから。もしも、そうだったら蛟みずちの餌にするけど」
その可能性を全く考えてないという顔ではなかった。さらりと恐ろしい事も言ってのける。ミズチが何なのか一真には分からない。きっとさっきの蛇みたいなやつの事だろう。
「だから、話はこれまで。まだここにいて月と話でもしてる? 月はまだもう少し休んでいた方がいいし」
「いや、ごめん。俺も用事があるんだ……けど、霧乃のやつを探すの手伝えるなら手伝うぞ。あいつが行きそうなところは――」
「あいつが行きそうな所なら私達にもわかってるってー」舞香が言った。言外に「ついてくんな」と言っている気がした。
このままにはしておけない。碧達の言う事が本当ならば。だけど、あいつはいつも何考えているかわからない。真面目だったかと思えばふざけてるなんてことも何度か経験している。
だから、大丈夫だ。一真は自分に言い聞かせる。
「……わかったよ」と一真は立ち上がった。碧と舞香が先に部屋を出る。その後に続こうとした一真の制服の袖が引っ張られた。
「月?」
「私の……な……だった」語尾が途切れ、月の口の中でごにょごにょと転がされる。怪訝な顔で一真は月を見やった。
「あー、月?」
すると月は意を決し真剣そのもので直球に聞いてきた。
「私の生脚どうだった?」
「へぇえ!?」
素っ頓狂な声がどこからともなく……と思ったら、それは自分自身の声だった。自分の耳か、その先の神経がおかしくなったのかとすら疑う。
廊下の方で少女二人が盛大にこける凄まじい音が響いた。日向はぽかんと魂が抜け落ちたみたいな顔で月を見ている。が、それも束の間。その視線が質問された側である一真に向けられる。多分、こけた二人も聞き耳立ててるに違いない。どうしろと? 最高でした! とでも答えろと? 正直な所をそのまま伝えていいものだろうか。いや、何を考えているんだ。一真の頭はパニック状態だった。
「あの、何を仰っているのか……いや、でも」思わず敬語になってしまう。するとどうしたわけか、それまで真面目腐った顔だった月の顔が破顔した。
「冗談」
「……嘘」一真がぽかんと呟くと、月はフフフと小悪魔みたいに笑い頷く。
「なんか、重苦しい空気のまま終わりそうだから。そういう時は冗談を言うといいって聞いた」
「誰に教わったんだ。そんな事……まぁ、確かに重苦しい空気で終わりそうだったけどさ」と一真はふうっと息を吐いた。
今日一日で色々な事がありすぎた。自分の中で物の怪が巣食っているという事実、友だと思っていた人間が自分の仲間を裏切ったかもしれないという事実。特に前者の方が、今は彼の心に重く伸し掛かっていた。
月の事を思っているのならば、自分は彼女に近づいてはいけない存在なのだろうか?
彼女の事を傍で守りたいと思う。だけど、彼女の敵が自分の身体の中にいるのならば……。
「月――」
「また、明日ね」月は言った。ただ、それだけだった。
「あぁ、またな」
一真もそう返して笑んだ。口元にまで出かかった疑問は頭の隅に仕舞い込む。
考えれば考える程わからなくなるその疑問。しかし、これ以上月に負担を掛けたくはなかった。
鳥居を抜け、石段を駆け、そうして一真は後ろを振り返った。年に来る回数は片手で数えられる程度だったのに。それから、一真は行くべき道を見据え歩き出す。行かなくては。博人が待っている。
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