謀略――血生臭き密談
†††
春の陽が穏やかに大地を撫で、白い雲煙が青い空の中で流れゆく。これ以上にないくらいに穏やかな空模様だったが、地上で起きる惨劇、その中心にいる人物は空などには目もくれず地面を見つめていた。正確には地面に倒れ伏して、消滅間近の物の怪を、だ。
見下ろしている人物――少年の栗色の髪は、大雨の後の草の葉のように絶え間なく汗が伝い端を滑っていく。着込んでいる栃煌高校指定の白いワイシャツは汗で肌と張り付いていた。
ただ、瞳だけは氷海の底のように冷ややかだった。腕には勾陣こうじんという名の金色の蛇が巻き付いていた。
時刻にして三時頃。栃煌高校の敷地内にある森林の中。人の気配は他には無かった。
藤原霧乃は、足元で転がって虫の息になっている猫の姿の物の怪に向かって笑いかけた。
「こんだけの物の怪が束になるってのは、珍しい事じゃんか。お前らは皆々単独で行動するもんだと思っていたんだけどね。個人個人の恨みを晴らすのに他の奴らの手なんて借りないもんだとさ。例えば、お前の場合は、そうだな。捨て猫の怨念が物の怪に変じたとかそんなところかな?」
図星だったらしく、猫の物の怪の口が引き裂けんばかりに開かれ、唸った。猫の愛らしい鳴き声ではなく、断末魔にも似た、憎悪で歪んだ化け物の唸り声。
が、次の瞬間それが叫び声に変わった。その喉笛に勾陣の牙が突き刺さっていた。噛まれたそこが硝酸をぶっかけたかのように溶け、毛と皮膚と肉が鼻を突くような臭いを上げて消滅する。
「勾陣。喉を潰すなよ。話せなくなったら意味がない。いや、そうでもないかな? 案内してくれさえすりゃいいわけだし」
まるで、飼い犬の悪戯を窘めるかのような気軽さだった。彼の周囲には、何十もの物の怪の残骸が転がっていた。人の形だったものもあれば、今この場で生き残っている猫と同様動物だった者もいる。戦いそのものは、もう一時間程前に終わっていたのだが、物の怪の残骸を調べたり、『生け捕り』にした物の怪数体を相手に『尋問』を行ったりしていた為に、これ程の時間が掛かってしまったのだ。
「恨みは分からないでもないけどね。それを口実に怪異を起こされると困るわけよ。世界は変わりない霊気の流れによって保たれている」
物の怪の存在は陽の界にでればそれだけで霊気の流れを乱す。川の流れを狂わせるように、川の水の質を悪質な物に帰るが如く。その乱れはいかに弱い霊力であっても、術者ならば誰しもが感じ取れるものだ。
――ただし、ここ勾陣が創り出した空間において、それは必ずしも当てはまらない。
「さて、話しを戻すけどね。単独で行動するお前らがなーんで、徒党を組んでいるかってことか、なんだけどねー。ま、簡単な話だよね。お前らをまとめる親玉がいるんだろ?」
猫が思わず息を呑んだ。それが何よりも霧乃が立てた予想を証明していた。さて、物の怪はいい意味でも悪い意味でも簡単には死なない。中には心臓を抜かれても死なない奴がいるとかいないとか。しかし、この小物は果たしてそこまで耐えられないだろうな、等と霧乃はあくまでも淡々と考える。
目的の為にならなんでもできる人間というのは、時に嗜虐的な犯罪人以上に質が悪い。
と、霧乃の後ろでふっと人影が差した。
おやっと霧乃は目を細めた。ここには人除けの陣のみならず、気経ちの陣を張っている。
ここの霊気は、陰陽師の使う術が持つ気は勿論のこと、物の怪が常に発している邪気すらも外に漏れる事は無い筈。余程、鼻の利く陰陽師か何かいるのかと、振り返ってみるとそこには影しかなかった。
「影女だ」勾陣の静かな声に霧乃は合点が言ったように掌を拳で打った。
「あぁ。なるほど。良かったな、お前。仲間の生き残りがいて」と霧乃は倒れ伏している猫を見た。……が、力尽きたらしくそこには、数本の猫の毛と煙草の残り火のように揺れる黒い邪気だけが残されていた。霧乃はさして気にせず肩を竦めた。
「ま、いいや。おい、お前。お前の親玉の所に案内してくれよ」
「親玉? 馬鹿にしてんじゃないよ。私が親玉さ。ここで坊やが容赦なく殺した連中の」
影からうっすらとか細い女性の声が聞こえた。勾陣が用心深く霧乃の腕から地面にするすると降り立った。
「いやいやいやいや、そんな人望、もとい物の怪望が君にあるとは思えないな。人型の物の怪ばかりならまだしも、猫だの鳥だの犬だのの物の怪まで、いたんだぜ? そいつらをまとめるだけの力はないだろう?」
「ま、そいつは認めようじゃない」
白を通そうと粘るかなと霧乃は思ったが、意外にもあっさりと物の怪は引いた。親玉の事を信じているのだろうか。
「ふん、で? 何をする気だい。その『親玉』に出会って」
「そうだねー。物の怪を束ねて従えるような奴だからね。さぞかし強いだろう?」
影女は何も言わなかった。当惑しているのかもしれない。あるいは、霧乃が、他の野蛮で愚かな人間のように、殺す為に『親玉』を追っていると思ったのかもしれない。
「強いか弱いか等、些細な問題だ。そうは思わないかね」
不意に聞こえた穏やかなバリトン、風が喋ったのかと錯覚するほどに静かな声だった。しかし、弱さは微塵も感じられない。
「ま、そういう見方もあるでしょうけど」と、霧乃はまるで最初からその男がそこにいたかのように返した。そうして振り向くと、まるで最初からそこにいたかのように一人の男が立っていた。春も半ばだというのに、黒いコート。顔はフードで隠されていた。
「俺みたいな未熟者には分かりやすい物差しなんですよ。力の強い弱いは……ところで、あなたはこいつらの『親玉』……で、あなたは人間ですね」
「『親玉』というのは将棋で言う所の玉かね? だが、私は駒ではなくプレイヤーだ。彼らは私の磐の上で踊っていた駒に過ぎない。後者については、見ればわかるだろう」
男は霧乃の反応に、驚きもせずに答えた。フードの奥で瞳が黄色に光る。
「人間かどうかは見ればわかる、か。まぁ、普通はそうですね」
好奇心に満ちた目でその黄色い瞳を見返す。二人の間には殺気立った雰囲気はないが、穏やかとも言えない。理解しがたい空気が流れていた。後ろで控える影女は黙ったまま、そのやり取りを見守っている。まるで池の水から這い上がるように、影の中から女の顔が浮かび、二人のやり取りを覗いていた。
「何を求めているのか、単刀直入に言って貰おうか」
言葉とは裏腹に口調は変わらぬ落着きを保っている。
霧乃は笑った。
「何かを求めているわけじゃない。俺は貴方が今、求めている人間ですよ」
水を打ったように辺りは静かになった。遠くの方で響く生徒の声が、どこか現実味に欠けて、聞こえてくる。
男はゆっくりとフードを跳ね上げた。その中にある顔を見ても霧乃は動じない。それは今までに何度も見た事のある顔だったからだけではない。
「成程」男は呟き、黄色い瞳で霧乃を見下ろした。ぞっとするような顔だった。
しかし、霧乃は笑みを絶やさない。暑さで上げた以外の汗も出る事は無かった。その度胸に感心したのか、あるいは求めていた人物に出会えて喜んでいるのか、男は薄らとした笑みを浮かべた。そして告げた。
「歓迎するよ」
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