孤独――信じてくれるのはただ一人

†††

 大きく壊れた窓、本棚は地震の後のように傾き、壁に寄りかかって止まっていた。だがそれもかろうじて、だ。


 一真は最初、それが背の低い本棚なのかと思ったが違う。本棚の下の段は焼け焦げて完全に消滅していた。


 その傍に置いてあった机はもっとひどい。四つの脚のうち三本が灰となり、机自体は八つ裂きのばらばらになっており、残った一本がその上に折り重なっている。窓ガラスに至ってはバラバラなどという表現は生ぬるい。粉微塵だった。


「ありゃあ、改めて見ると酷いな。これ」日向が頭を掻きながら呑気な声で言った。一真が青ざめているのを見て、日向はその顔の前でぱたぱたと手を振った。


「心配ないよー、未来ちゃん無事だし。私があいつをブッ飛ばした時はもう魂が抜けたみたいになってたけどねー。今はケーサツと話していると思う。この惨状をどうにか現実の事件とこじつけ……いやさ、説明してるにちがいない」


「無理だろ。強盗にしちゃ激しすぎるし」


 強盗にしては激しすぎるなんて物騒過ぎる言葉を一真はこれまで聞いた事がなかった。


 それでも、警察は何かと結び付けようとするだろう。いや、待てよと一真は思って足元を見つめた。その顔がみるみるうちに青ざめていく。



「や、やべぇ。土足だ!! 指紋もベタベタだろうし、あー!! どうすれば?!」


 現代警察の力を嘗めてはいけない。髪の毛一本からDNA鑑定で人物特定してしまうような集団だ。


 一方の日向は一真がなんでそんなに騒いでいるのか、理解出来ていないようで、五月蠅そうにガラスの無くなった窓の向こうを見ている。パトカーの警報が辺りに響き始めた。


 それを感知して数秒後、窓の向こう、実際にパトカーが永田家の前に到着。降り立ったのは、先日も目にして、名刺まで渡してきたあの警察官だった。それが玄関で誰かと話している。恐らく未来だろう。


「どうしよう! どうしよう!!」と騒ぐ前で日向は「わー、すごーい。あれ、なんでぴかぴか赤く光っているのか知ってる?」等とはしゃいでいる。


 玄関の鍵ががしゃがしゃと音を立て始め、一真は日向の肩に手を当てて真剣な表情で聞いた。


「このままじゃ、俺も月もお前も容疑者として、逮捕されちまうぞ! 何かいい方法はないか?!」


「え、何かって何? そもそも、一真君は何をどうしたいのよ? これ、なんかまずい状況なの?」日向は口を尖がらせて尤もな事を聞いた。


 あー、もう! と一真は小さく唸り、それから単刀直入に頼んだ。


「ここに俺達がいたって証拠を消す事はできないか?」


 すると日向は拍子抜けしたというようにきょとんと瞳を広げた。


「そんなこと。お安い御用だけど?」



†††


 二度も警察の厄介になるとは。それも、常人にはとても解決しようのない――たとえ、警察でも――事で。永田未来は部屋の惨状をどう説明していいものか分からなかったからとりあえず、電話では「家に帰ってきたら部屋が荒らされていた」とだけ告げ、実際に来た警官には「実際に中を見てください」とだけ告げた。昨日世話になった大西徹警官も一緒なのが、事情をさらにややこしくした。


 本当なら今すぐにでもぶっ倒れたい気分だ。日向とかいう式神も殆ど説明らしい説明をしてくれないし、一真とあの月という娘がどうなったかもわからない。


 あの式神は平気だと言っていたが、それが一体どんな気休めになるというのか。かといって普通の女子高生には彼らの安否を確認する術もない。そういえば……昨日はあの変な空間であっても携帯が通じた。後で連絡を入れてみようと、未来は、ぼんやりと身体の空気でも抜けたかのような感覚で思う。


「昨日襲ってきた不審者かな? 君は本当に何も目撃しなかった?」


「本当です。誰もいなかったんです」


 人はいなかった。式神と物の怪はいたが。その二人がやったことだ。だが、その前に一真がいた。窓をぶち破り土足で入ってきた。ここだけ聞くとなんだか一真がダイナミックなストーカーか何かみたいだ。いやいや、そんな事を想像している場合じゃないと未来は顔を険しくした。


 警察を呼んだのはまたしも失策だったか、しかし、道端ならともかく、部屋をあそこまで荒らされたら、家族に隠しきる事も出来ない。いかに彼らを騙しきるか。


 ドアノブを前にして、躊躇する未来だったが、意を決して回す。開ける。

「…………え?」


 一瞬、未来は部屋を間違えたのかと思った。だが、それは紛れもなく未来の部屋だった。灰となった本棚は中の本も含めて、そこにある。砕けた窓ガラスや穴の開いた壁は罅どころか埃一つない。


 床に落ちた筈の電球は天井に吊るされたまま。机の上にあった教科書もぬいぐるみも傷など見えない。まるでそこであった惨状が夢の出来事だったかのようだ。狐か狸にでも化かされたかと、あんぐり口を開ける未来の後ろで、大西が咳払いした。


「で? どこらへんが荒らされたのかな? あらかじめ言っておくが、悪戯で警官を呼び寄せるのは犯罪だからね?」


 未来は顔中に物の怪に出会った時とはまた別の種類の嫌な汗を浮かべた。


 言い訳を考える必要がある。さっき考えたのとはまた別の言い訳が。


†††


「だ・か・らー、霊力を使えばあれくらい簡単に“還元”が利くんだって。一真君はほんと、頭固いなぁ」


「固くていいよ! なんなんだ、その便利すぎる能力!!」


 警官達に気付かれるよりも先に飛び立った一真と月を肩に抱えた日向は神社の前でぎゃあぎゃあと言い合っていた。日向が掛けた呪文が無ければ三人はかなり目立ったことだろう。


 未来の部屋の惨状は、日向が即興で唱えた呪文によってあっという間に元に戻ってしまっていた。


 霊力の攻撃で破壊された者は霊力を注ぐ事で元に戻る。これを還元と言うらしい。だったら、命とかもその術で元に戻るのだろうか。


「そうでもないよ! 魂みたいなのは、形しかない物と違って、一度身体を抜けると元には戻らないからね! 例えば心臓を、霊力の攻撃で撃たれたとするよ。心臓自体と撃ち抜かれた肉と肌と骨は霊力で還元出来る。撃ち抜かれる前の状態には出来る。少なくとも形だけはね。だけど、心臓を撃たれた時点で死んだそいつの魂を元に戻す事はできないの」


 でもやっぱり、便利だろと一真は思う。未来の部屋の中の物という物が一瞬にして元に戻ってしまったのだから。だが、それ以上言うのは止めた。


「大体、そんな能力があるなら警察呼ぶ必要も無かっただろ」


「言ったでしょ。もう、物の怪を倒した時の未来ちゃんは魂が抜けたみたいになっててね。何かする事与えないとそのまま、ぶっ倒れかね無かったし」


 日向の言葉に一真は遅まきながら、先程の取り乱した状態の未来を思い出した。


 理解の及ばない物、自分の力ではどうしようもない物を相手にして。その脅威が去った後の未来の安堵感はどれ程の物だったろう、文字通り魂が抜けるくらいの脱力感があったんじゃないか。


 いや、もしかしたらその脅威を払った日向に対しても畏怖の感情を持ったかもしれない。日向もまた、未来をどうにでも出来る――そんなことはしないと思うが――程の力を持っていたのだから。


 そして、あれが普通の反応なのだと、一真は思う。至極人間らしい反応。

 それに引き替え自分はどうだ? 一番最初に物の怪と相対した時こそ、一真は恐怖のまま、逃げ出した。だが、さっきは。


 一真は怒りのまま、物の怪と戦った。それを撃退した刀真にも怒りのまま殴り掛かった。普通なら恐怖で竦みあがっても仕方がないのに。力があるか、ないかだけの違いだけじゃない。もしかしたら自分は半分物の怪と化しているんじゃないか?


 だが、それを日向に聞く事は出来なかった。それこそ、本当の恐怖だ。自分が何か得体の知れない怪物に変貌していくかもしれないというのは。


 月を抱えたまま横を歩く日向は長い事無言だった。長い階段を物ともせず鳥居を潜り、真っ先に月の部屋へと向かう。途中で会った碧と舞香には事の次第を手短に話した。


「月は大丈夫なのかよ!? なぁ!」


 舞香が今にも泣き出しそうな顔で聞いてくる。その後ろからついてくる碧も取り乱しこそしないものの、顔が固かった。


 一真と出会うのは久しぶりだったが、挨拶など出来る空気でもなかった。


「大丈夫だよ。月はタフなんだし。しばらく寝てれば回復するよ」


 日向はむしろ面倒そうにそう返していた。一真は安堵した。その言葉通り、月は無事なのだろう。ふと横を見ると碧が額に皺を寄せて自分の顔を見ていた。


「で、またあなたですか。昔からいつもいつも問題ばかり起こして」


 棘のあるというよりも、刃で抉るような口調に思わず一真はこの場から逃げ出したくなる。


「月に危害を加えるような事はしてないよ。むしろ、月は一真がいなかったら死んでいたかもしれないし」


 日向が振り向きもせずにそう言った。碧は怪訝な顔を一真に向けた。だが、一真は頷きを返す気にもなれなかった。やはり、皆自分の事を恐れているのだ。だから、不信の目を向けてくる。


 彼女を守ったのはいつだって自分だというのに。十年前はその為に物の怪に身体を蝕まれた。今は身体の中に巣食う物の怪の力をも利用して、敵と戦った。


 一真の失望と不信の気持ちを悟ったのか、碧はすまなそうな顔になった。


「ごめんなさい。少し取り乱してしまったみたい。月はこれまでどんな敵にも負けた事が無かったから。それに、月は私の友達でもあるから」


 一真は少し彼女に同情した。が、それでも表情を崩さなかった。日向は肩越しに一真の顔を見て、ふっと笑った。「許してやりなよ」と言外に言われているような気がする。不思議だ。なんだか、自分の方が大人げないみたいじゃないか。


「あぁ、あぁ、いいよ、いいよ」怒っていた自分が馬鹿みたいに思えて一真は鷹揚に手を振って返した。


 ただ、心の中では未だに黒い穴のような物が浮かんで消えない。これから何度も、さっき碧が向けたような視線を感じるのだと思うと。


 真実を知った者の中では月だけが彼を信頼してくれた。一真を物の怪との戦いに巻き込もうとしなかったのは、自分や仲間に被害がかかるからではなく、何よりも一真の為を思ってやってくれたのだと、思う。

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