式神――主と対をなす人ならざる者

 栃煌神社は、千年もの昔から続く由緒ある神社だが、これと言って歴史に大きく関与した事もなく、世に名を残すような芸術品もこれと言ったものは無かった。


 鳥居を抜けた先に石の敷き詰められた表参道が真っ直ぐと伸び、その横に神具を収めた倉庫や祓所や手水所などがあるのは他の神社と変わらない。


 だが、明らかに他と違うこともあった。


 敷地内には色とりどりの野花が並び、宵闇の中で真っ白に輝く星々に向かって届けとばかりに、白い花を飾った枝を伸ばすミズキの大木が地面に根を下ろしている。様々な植物がひしめき合うその様は、ここが生命力の流れの最も集中している場所であるという印象を見る者に与えた。


 生きる源であり、活気の噴水。


 無味乾燥な建物が無秩序に打ち建てられた栃煌市の中にそびえたつ本殿は、近代社会へと無言のまま対抗を示しているかのようだった。一真は舞香に案内されながら、神社の様子をしっかりと観察していた。夜も深まり、草木も寝支度を始めたのか、神社には物音一つ立たない沈黙が漂っている。


 仰いだ空には雲が渦巻いては吹かれ流されていく様が見えた。その中心で光る月が圧倒的な存在感を放つ。


 ここに最後に来たのは去年の暮だったが、その時となんら変わりはしない。変わったのは、一真自身の感覚と見方だった。月と再会したあの世界と共通する部分はないか。彼の関心はそこに集中されていた。


 神社の正式な巫女である舞香は、突然訪ねてきた一真に戸惑いながらも、月のいる部屋――宿坊――の方へと案内してくれると言った。


 彼女の反応の仕方が一真には少し気になった。普段の彼女なら、幼馴染にわざわざ会う為だけにやってきた一真を笑う所だ。


「よー? 一真。なんだって、こんな夜に会いに? 会うだけなら明日あえるよ?」


 わざわざ足を止めて舞香は聞いた。来られると迷惑だというよりも、今は少し間が悪いというような口調だった。


「実はもう会っているんだ。さっきな。でも、突然消えちゃってさ」


「あ、会ってる? どこで?」


「それがなぁ、よくわからん。気付いたらいなくなってたし」


 舞香は息を呑んだ。それから何か話そうと口を開きかけたが、結局黙った。


「今、月はちょっとよー……」


「なんだ? 旅の疲れでも出て寝てるのか?」


 突然、舞香の顔が硬直した。とんと軽い足音が後ろに聞こえ、一真は肩をとんとんと叩かれた。

「よ!」


 振り向くとそこには赤毛の月がいた。一真はあんぐり口を開けた。


「ん? どうしたの? 鯉みたいに口開けちゃってさぁ」


 落ち着けと一真は自分自身と目の前にいる少女に対して思った。真っ白な肌に華奢で細い腕と足、背の低いその容姿は紛れも泣く月その人だ。しかし、髪と瞳の色は真紅。着ている物も黒白の狩衣ではなく、緋袴と白い胴着だ。


「あ、君、さっき月が助けた少年だよね? 名前はぁ……ま、いいかぁ」


 どんなに記憶を辿っても、こんな少女には見覚えが無かった。月に姉妹がいるという事も聞いていない。と言っても月の家族構成について詳しく知っているわけではないから、親戚の誰かだろう……いや、待て。今彼女はなんと言った? 混乱する一真の耳に少女は更なる爆弾を投下する。


「私は日向ひなた。月の式神だよ。よろしくねー」


 一真は自分の耳を疑った。待て、今彼女は何と言った? それに月に助けられた事をなぜ知っている? 助けを求めるように後ろに視線を送ると舞香は、お手上げと言うように両手を上げていた。頭を戻すと日向と名乗った“式神”は、にっこりと笑ってもう友達になったかのようなつもりになっている。


 随分と遅れて、一真の求めていた少女の声が神社の本殿から聞こえてきた。


「日向、どこ? あ」


 すっと開いた襖から月が出てきて、驚いたように瞬きした。一真はがっくりと肩を落とした。先程起きた事が現か夢かを見極める為に来たというのに。あれが、陰陽師の存在が本物であると証明されてしまった。


「また会った」


「久しぶりって言ってほしかったな。俺としては」


「なんで?」


 月が首をかしげた。未来のように真っ先に家に行って寝たほうがよっぽど幸せだったかもしれない。一真はちらっとそう思った。


 どうあっても、さっきの夢のような現実は夢で終わらせてくれないらしい。


「さっき質問が途中のまま、どっか行っただろ?」


「一真がいきなり気絶したから。元の世界に戻しただけ」


 一真は続ける言葉を飲み込んだ。月の顔には、そんな表情を浮かべられるのかどうかはともかくとして、冗談めいた感じはまるで無かった。至極真面目、真っ正直にありのままを話しただけだ。


――自分の思い出がトラウマになって気絶してしまうなど、恥ずかしすぎる。


 月はまるで、その思いを読み取ったかのように口を開いた。


「別に恥ずかしがる事じゃない。あの世界は心の中の思いが……」


 月は具体的な説明を考えるように頭を傾けた。


「はっきりと出てきてしまう所だから」


「もっと簡単に言うと、心が形となって出てくる場所なんだよ、陰の世界は」


 日向が横から口を出した。一真は彼女にどう接していいのかわからず、月に向き直る。


「なあ、月。こいつがお前の式神だって言っているんだが」


「事実」 短く答えられて一真は黙った。なんと言って答えればいいのかわからない。確かにさっきは物の怪を見た。しかし、それはあくまでも異世界での事。こうして現実の世界にいる者を式神ですと言われて、はいそうですかと認められる程、一真も馬鹿ではない。


「その証拠みたいなのは?」


「疑り深いね、一真君は」


 日向は腰に手を当てて怒っているような顔になった。だが、これはあくまで怒っているような、だろう。


「じゃあ、見せる」


 告げて、日向は妖艶に微笑んだ。


「え、えー!? よ、待てよ!!」


 驚いて、舞香が止めようと手を伸ばしたが、日向に触れるよるも前に月が叩き落とした。


 その直後、日向の体が眩い光に包まれた。


 その光を色で表すのは不可能だった。白、赤、橙色、様々な色が日向を中心として辺りに放たれている。夜の寒気は一瞬にして散り、昼間の日の光が当たった時の様な暖かさが辺りを包んだ。その中心に居る日向は、神々しい安心感を与える一方で近寄りがたい何か禁忌めいた物を感じさせる。


 そこに存在するものは現の事のようで、しかし人間が感知しえない未知の物のようでもある。


「これでいいかなー? もっと、何か別の事してみる?」


「せんでいいよ! 早く、止めろ! 神主が――刀真さんが気づく!!」


 舞華が月に抑えられたまま、ぶんぶん手を振り、宿坊の方を指差した。


「近所の人が何事かって、駆けつけてくるかも」


 月もこちらは全く動じていない様子で答えた。


「しょうがないなぁ」


 次の瞬間、日向の体から放たれていた光が消えた。同時に日向が放っていた神々しさも消えた。いや、消えたのではないと一真は思った。隠したのだ。圧倒的な力を。能ある鷹が爪を隠すように。


「で、信じてくれたー? 私がとりあえず人ではないことは」


「あ、あぁ。まあ」


 一真はどうにか頷いた。またしても、日向は頬を餅のように膨らませて怒った。


「むう、なんとも反応が薄いなぁ」


「日向、少し黙っていて」


 月が出し抜けに、日向の背中に手をやった。落ち着かせる為の動作だろうと思ったのだが、違った。月の手はまるで水面に入れたかのように、日向の体に吸い込まれていくのを一真は口をあんぐりと開けて眺めた。声をどうすれば出すのかすらも忘れて。


「あ! 月のケチー! ちょっと力を見せただけなのに!!」


 恨みがましい言葉と共に、日向の体は薄っすらと霧のように薄くなり、声は木霊のようにぼやけて、はっきりと聞き取れなくなった。


「話が進まないから」


 自分の髪と同じ真っ赤な舌を思いっきり出しながら日向は消えた。彼女の体のあったところには一枚の札があり、それを月が握っている。


「日向が私の姿に似ていたのは、式神にする過程で、私自身の髪の一部を使ったから」


「まあ、いいよ……俺としては、さっきの出来事が夢じゃなかったってのを確認したかっただけだからさ」


 そう言って一真は元着た道を戻ろうとした。これ以上ここにいると頭がどうにかなってしまいそうだ。


「そう。でも、ちょうどいい私の話を聞いて」と月は静かに言った。一真の足はなぜだかは自分でもわからないが、止まった。


「なんだって?」


 振り向くと月の顔がそこにあった。確かにそれは月の顔だ。だが、幼い頃にはなかった影がある。何が彼女をそうさせたのか。答えは物の怪だろう。そう思うと、一真の中に別の恐怖が浮かんだ。月の顔からあの天真爛漫な表情が消えてしまうのでは、という。


「うん……わかったよ。そこまで言うなら」


 全くコロコロ変わる弱い意思だと自分を嘲笑いつつ、一真はしぶしぶ頷いた。


「ま、まあ、じゃあここで話もなんだから、月の部屋に行こうよ」


 舞香がようやく提案し、四人は本殿の斜め右にある宿坊へと向かった。神社といえば、勿論巫女だけでなく、神主がいる。というよりも神主がトップの人物だと言っていい。


 栃煌神社には、春日かすが刀真とうまという月の父親に当たる神主がいた。十年前は。しかし、月と共に京都の清明神社の方に移ってしまった為、舞香とその父である吉備真二きびのしんじが管理を任されている。吉備家は大昔から何代も続く陰陽師の家系で、約三百年程程前に春日家と協力してこの栃煌神社を建てたのだという。


 同じ陰陽師同士ならば、別段不思議な事でもないだろう。だが両家には決定的な違いがあった。春日家が官人陰陽師という国に仕える国家公務員のような陰陽師であったのに対して、吉備家は隠れ陰陽師という、元々官人陰陽師だったが何かのきっかけで辞めるもしくは辞めさせられた陰陽師の家系だった。


 隠れ陰陽師は民間で呪術や占いを行い、民衆からは支持を得たが本職の陰陽師には忌み嫌われたし、隠れ陰陽師の方でも官人陰陽師を――主に嫉妬心から――鬱陶しく思っていた。というのが、一真が霧乃から聞いた話だ。


 無論、そういう区別があったのは何百年も昔の事だし、現代では陰陽師の存在そのものが希少だ。


 二つの家がどういう経緯で協力して神社を建てたのか興味深いと霧乃は言っていたが、一真の好奇心はそこまで刺激されなかった。


 それに特に複雑な事情があるようにも思えなかった。舞香と月が話している様子を見ているとそう思える。彼女らは再会できた事を心から喜び、お互いの住んでいた町の事、自分がどう成長していたかについて話していた。


「それにしても、月はおしとやかというか、口数が少なくなったよなー」


「舞香は相変わらずというか、ますますおてんばになって行ってる気が」


「いやいや、見た目はそうだけどよー。これでも真の陰陽師に近づいたつもりよ? 受験戦争という修行を得てね」


 得意げに胸を張る舞香の横で、一真は顔を伏せて呟いた。


「けど、ぎりぎりだって聞いたぞ」


 その呟きは不自然にそして舞香にとっては都合良く吹いた風によってかき消された。舞香がちらっと横目で、後ろにいる一真を見て口元に人差し指と中指を当てた。その指と指の間にはいつの間にか一枚の符が握られている。


 神社の宿坊は元々修行者のみが使える寝床だったが、いつの頃からか観光に来る人の為の宿泊施設のようになっている。


 観光客目当てで旅館を開く神社もある程だという。この煌月神社は旅館ではないが、一般人でも金を払えば泊まれる。長い木造の床と柱と天井が続き、部屋は襖で仕切られている。


 大黒柱が太くがっしりとしている為に地震や台風で崩れる心配はないが、仕切りが薄い為、部屋で何か話をしたり音を立てると隣にすぐに伝わってしまうのが欠点だった。


「父さん達は呼ぶかー?」四人が一番奥にある部屋に入り、他に誰もいない事を確認した時、舞香が月に聞いた。


「いい。さっき忙しそうにしてたし。どうせ、後で話す」


 月は隣に誰もいない事を確認するように首を傾けながら答えた。


「それで、話ってのは?」


 さっきの出来事が単なる夢じゃないという確認が取れればそれでよかった。その気持ちに嘘は無いが、月の事が心配なのも事実だった。だが、だからどうなる? という自問の声が脳裏で響いた。彼女が心配だから、自分はどうするのだと。


 その迷いから、一真は月の顔を直視できなかった。


 外でくるくると吹く風とその間で舞うミズナの葉のダンスに視線を向けたが、月が遮るように襖を閉めた。大事な話をしているのにテレビに目を向ける子供を叱る母親のようだった。


 一真は畳の上に座った。その目の前に月が、その彼女の少し後ろの方に舞香が腰を下ろした。


「まさか、怪異があったすぐ後に真っ直ぐ神社に来るとは思わなかった」


「あれが単なる夢なのか、現実なのかきちんと確かめたかったからさ。悲しいことに現実だってわかったけど」


「そこまでわかったなら、最後まで私達の話を聞いた方がいいよ」


 警鐘を発する月の声は少しの戯れも含まれていなかった。その不意打ちのように見せた危機感に満ちた言葉に一真は思わず顔を硬直させた。月としては単に集中して話を聞いて欲しかっただけの事のようで、黒い瞳を穏やかに閃かせてゆっくりとした口調で続ける。


「十年前は、私達もお互い幼かったし、私の家の事は全然知らないと思うんだけど、私の家は大昔、桓武天皇の御世、都が長岡に移された頃から続く陰陽師の家系なの。私の父は若い頃は晴明神社に勤めていて、様々な怪異解決……一真が見たあの物の怪の退治を生業としていた。二十年前にとある怪異でこっちの栃煌市に来た時に母と出会って結婚してからはしばらくはこちらで過ごし、五年後には私が生まれた」


 淀みなく喋る月は圧倒された。


――本当に陰陽師なんだな……。


 そう実感させるだけの、自信と力強さが彼女にはある。この十年でどんな事をしていたのかは分からないが、月は確実に、自分とは違う世界を生きていたのだということは分かる。


「明日、説明することになるだろうと思って紙に説明する事を全部書いておいた」


 月が早口でそう言い、一真は「へ?」と口を開け、舞香は難解な原理を解き明かした科学者みたいな表情で納得した。


「そっかぁ! いやねー変だと思ったんだよ! 月がこんなぺらぺらと話せる筈がないってさー」


 とても失礼な発言だが、妙に共感できる。十年前に月と話した時の事はよく覚えている。言葉足らずの五才児だった一真ですら、口下手だというのが分かる程、月の話し方はぎこちなく、進みが悪かった。


 彼女自身もそれを大いに自覚していたらしく、最初は一言二言話すだけで、あとは無言ということもしばしあった。


 それが彼女が無愛想だからではないと知っていた一真は積極的に話した――思い出すととてつもなく恥ずかしい。その頃のビデオを撮った者がいなくて本当に良かった。


 月はむっと頬を膨らまして舞香をにらんだが、すぐに一真に向き直った。


「えっと、どこまで話したっけ。私が生まれた後……二番目に言う事はなんだっけ?」


「俺が知るわけないだろ……。てか、話す番号を決めていたのか」


 まるで、演説か何かみたいだ。そこまで念入りに準備されて話されているのだと思うとこちらも緊張してしまう。


「あ、そうそう。私が生まれて育って一真とも出会って色々あったけど」


「出た。月の魔法の言葉『色々あって』」


「黙ってて」


 舞香がくすくすと笑った。それに呼応するように怒る月。紅潮するその白い肌は西に沈む夕日のような美しさを放っていた。とても綺麗だが、一真の唇は知らず知らずのうちに緩みもう少しでニヤッと笑いそうになった。この少女をもっとからかいたい、その反応を楽しみたいという衝動に駆られる。


「私達一家は晴明神社のある京都に移った。そこで私は修行を続け、それからもう偶にしかこっちには戻ってこない予定だったんだけど」


「ここで何かが起きているのか?」


 先ほど感じた愉悦が一気に吹き飛び、一真は身を乗り出して聞いた。


 危機感からではあったが同時に疑問も感じた。一真達が遭った災難はあくまでも、この思い出の折り紙のせいであって、これが無ければ物の怪にも陰陽師が戦っている場面に出くわすことも無かった。

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