参拝――栃煌神社
一真の中で記憶が蘇る。まるでその思い出の中の世界に入り込んだかのように、はっきりとした記憶が。
月明かりの下で金色の鶴が、手のひらから手のひらに向かって翼をはためかせて飛んでくる。
月は目の前にいて無邪気に笑っていた気がする。
だが、それまでの間に何があったのか覚えていなかった。これまでは。月の笑みが一真の頭の中で回転して、別の物に変わった。見えるのは鳥居と、急な階段の向こうに建てられた神社。
そう、月に出会うよりも前。一真は一人で神社の中に忍び込んだのだ。祭具の収まった倉庫は静まり返っていた。そこにある物はどれも不気味だった。
符の貼られた人形や刀、何に使うのかもわからない刃物が並び、奥には鏡があった。怖くなって外に戻ろうと思った一真は鏡の中に誰かが映るのを見た。
「見ぃつけた」
誰かの声が倉庫で響いた。
氷水に放りこまれたような突き刺す寒さが肌を襲う。振り向けなかった。
鏡の中の誰かの手が自分の肩に置かれると同時、一真はこの世界に連れてこられた。
そして襲われた。
身の毛もよだつような怪物に。頬の削げた顔、落ち窪んで瞳の消えた眼窩、突き出される手は枯れ木のようだった。掴む手は逃れがたく、恐ろしい程に強かった。その怪物の目を一真は見た。見開かれた黒い目が広がり、一真はその中に吸い込まれていく……。
――叫び声が闇の中に響いた。
「一真!!」
叫び声で、勢いよく飛び起きた一真は、あまりの苦しさに激しく喘いだ。肺の中が空っぽになったかのようだった。そこは、空き地だった。土管がピラミッドを組んで置かれ、辺りは壁で囲われている。立ち入り禁止の看板が寂しくぽつんと立てられている。
誰かが背中をさすり、一真は涙目になりながら振り向いた。そこには未来と警察官が一人彼の顔を心配そうな顔で見下ろしていた。
「良かった。気が付いたようだね」
若い警官はそう言って胸をなで下し、未来は地面にぺたりと腰を下ろした。
「意識がないまま眠っていたから……どうなるかと思った」
一真はまだ混乱したまま、二人の顔を交互に見た。さっきまで月と一緒にいたのに。
「月……?」
「え?」
未来が心配そうに聞き返す。もうここにはいないのだろう。そう判断し、一真は警官に視線を移す。
「俺は、俺達はどうなったんですか?」
警官は尋ねられて肩をすくめた。
「自分に聞かれても困りますな。不審者に追われているという通報を受けて駆け付けてみれば、二人の高校生――君達が、立ち入り禁止のマンション跡地で倒れていた。一体どうしてこんな所で倒れていたのか、事情を聴かせてもらってもいいかな?」
未来と一真は困惑した表情で互いの顔をじっと見つめた。一体なんと説明すればいいのか。自分の記憶と相手の記憶が一致するのかすら互いに自信が無かった。
「えーと、一真。ちょっと確認しておきたいんだけどいい?」
「大丈夫だ。俺も多分同じことを確認したいと思っているから」
しかし、それはこの警官の前では出来ない。そんなことをした途端、たちの悪い悪戯扱いを受けてしまうだろう。そこで、一真は目だけで未来に合図をした。それが伝わったのかどうかわからないまま、警官に『事情』を説明しだした。
「不審者に追われたんです。その電話で言った黒ずくめの男です。で、この立ち入り禁止区域まで逃げてきたんですが、その後、突然誰かに口を塞がれて、それ以降の記憶がありません」
「確かかね?」
警官は未来に振り、未来はこくこくと頷いた。
「その……記憶が曖昧で」
「なるほど、で、どうする? 署の方の被害者相談室で事情聴取をした方がいいと思うけど」
「後日に出来ませんか? その、俺達大分疲れていて」
一真は本心からそう言った。それに、相談室で何を話そうとも犯人が捕まるような事は100%ないと断言出来る。そんな事は実態のない煙に手錠を掛けるようなものだ。
警官は一瞬戸惑ったが、被害者の心情に配慮してか、ポケットから名刺のような物を差し出した。
「じゃあ、今日のところは犯人の特徴をもう少し詳しく話してくれればいい。そして今後、何かあったらここに連絡をくれ」
それは警察署の被害相談室の番号が書かれた紙だった。小奇麗で花の模様が描かれている。安心感を与える為なのだろうが、それがあからさますぎて、一真はあまり好感を持たなかった。そもそも、警察はあまり好きじゃない。
過去に一度だけ警察の厄介になった記憶が蘇り、一真は心中で顔をしかめた。
「あ、はい。そうします」
真っ赤な嘘をつきながら一真はそれを折鶴の入っているのとは逆の胸ポケットにしまった。果たしてさっきの出来事は夢なのだろうか?
それから、一真は襲ってきた不審者に関する特徴を詳しく話して
聞かせた。未来はぐっと口をつぐんでいる。二人で話して、もしも矛盾が生まれるとまずいからだ。
背丈は一メートル七十、全身は黒いコートを着て、フードで顔は見えなかったが、髪の色は茶色。地面の上を滑るように走り、手にはライターを持っていた。年齢は不明。
「なるほど、情報ありがとうございます。では後日また」
その警官は敬礼すると、もう一人の相棒のいるパトカーの方に戻っていった。二人で事情聴取をしてこなかったのは、幸いだった。
「警察なんかに電話するんじゃなかった」
未来は肩をがっくりと落として言った。
一真は未来に顔を戻し、よくその顔を見た。あの警官が戸惑った理由がわかるような気がする。
いつも整えられている長い髪は汗でべとつき乱れ、白粉を振りかけたように顔が白く、目が血走っていた。
「早く帰って寝たほうがいい」
「え?!」
一真がなぜそんな事を言ったのか察したらしい。未来は鏡を取り出し自分の顔を見つめる。そしてぎょっとした。
「わわわ! すごい顔! いつも以上に!!」
こんな時まで謙遜しなくてもいいのに。一真は思った。それから自分はどうだろうと、その鏡を横から覗いてみた。
「あんたはあんまり酷くないわね」
「いつもが酷いからな」
一真はつい、ぽろりと言ってしまった。確かにどっと疲れたという顔をしている。自分は。だが、恐怖が無かった。何か面倒事に巻き込まれて悩んでいる人みたいな顔だ。
その理由はわかっている。これが初めてではないからという事。そして――
「明日だよな。転校生が来るってのは」
「えぇ? 何の話?」
「転校生だよ。俺達のクラスに来るって、うわさになってただろ」
どうやら記憶が混乱しているらしい。未来は視線をそらして、考え込むように眉を中心によせ、数秒。ぱっと顔を広げた。
「あー!! あんたの幼馴染の陰陽師が来るって。も、もしかして、相談に乗ってくれるかな?」
「陰陽師って職業がまだこの世にあるかどうかはともかく……相談ならもう、すでにしたよ」
未来は大きく開けた口をさらにあんぐり開けた。これ以上驚かすと顎が外れてしまうかもしれない。
「あの物の怪は、彼女が退治したよ」
一真は塀に背中を預け、空を見上げながら言った。すっかり夜になりあの夢と同じような漆黒の闇が広がっている。だが、あの夢と全く同じでもない。よく目を凝らしてみれば雲の影がゆったりと風に吹かれて漂っているし、星の仄かな光がプラネタリウムのように輝いている。
一様ではない風が髪に吹きつけるし、どこか遠くで車の音や犬の遠吠え。焼き芋屋の親父の掛け声が響いている。
夜がこれ程に賑やかであると彼は初めて知った。あの警察官は一真達の両親に事件の事を話しただろうか? 一応、学校と名前は聞かれて、言っておいたが……。
「た、退治ってどんな風に?」
「普通に。手に持った刀で物の怪を一刀両断」
普通の物の怪退治というのが何なのか一真には想像もつかないが。未来はまだ、混乱から立ち直れないように呆然としている。
聞いただけではまるで、嘘のような、まともな人間だったらまず嘘と断言するような事だろう。
しかし、未来もまた、一真と同じように非現実的な世界で非現実的な存在に追われ、危うく殺されかけた。その為、未来は否定も肯定も出来ない。
「あの物の怪の正体だけどな。人の中にある憎しみが具現したもんなんだってさ」
「ごめん、一真落ち着いて?」
「それ、今日言われるの二回目。言うなよ、俺も大してわかってないんだから。言われた事をそのまま言っているだけだぜ」
未来は何か理解しがたい物を振り払うように頭を振った。
「もう帰る? 明日起きてみたらそんな事はなかったみたいになってるかもしれないし」
「そうはならないと思うが、帰るか」
二人は逃げるようにその場から立ち去り、公園の方へと戻る。そこを突っ切れば、近道になるのだが、未来はあえて、周りの道路を使い、迂回した。後に続く一真はあえて聞くような真似はしなかった。
分岐点にさしかかり二人は足を止めた。
「じゃあ、な。また明日」
「え、ええ。そう、ね。その陰陽師については……今頭痛いから、明日また聞く。出来ればその娘も交えて」
そう言って二人は分かれた。一真は一人、闇に覆われた道を歩く。
ふと思いついて携帯を手に取り、素早い手つきで操作していく。ダークブルーのそれは、高校入学に際して買った物で、説明書は特に読まずにボタンを押すうちに操作に慣れた。
「もしもし」
『どちらさまー?』
ぼんやりとしたどこか浮世離れした声が携帯のスピーカーから聞こえてきた。
沖花音。沖一真の正真正銘血の繋がった妹だ。
「電話の着信音でわかるだろ。わかれよ」
自宅の電話には家族から連絡があった場合は、親族名が機械的な女性の声で告げられるよう設定されている。それに、画面にも誰から連絡されたか表示される筈だが。
「で、今日母さんは?」
「夜勤入るって。お父さんはー……今度の日曜まで帰ってこないよ。ラッキーだね、兄ちゃん」
まったくもってその通りだ。一真は思ったが言葉にはしなかった。
「そっか、それが聞ければいい。帰るのがもう少し遅くなりそうだ」
そして、返事も聞かずに一真は電話を切った。その足の先は自分の住んでいる家では勿論ない。
公園を出て、真っ直ぐに突っ切るとそのまま家に戻ることになるそこを左へと曲がり、傾斜の激しい坂を一真は上った。過去の記憶に頼るまでもなく、一真はその場所を知っていたが、足を一歩踏み出すその度に、幼少期の思い出が次から次へと噴き出していった。
通りには今は閉まっているが駄菓子屋、蕎麦屋、畳屋に花屋、そろばん教室が並んでいる。閑散としているように見えるが、町の祭りの時は、大都市でやるような物にもひけを取らない活気の良さがある。それに月を連れ出してきて、案内した事があったが、途中から月に引っ張りまわされ、どっちが案内役なのかもわからなくなった。
心だけがその時間で止まったかのような感覚が駆け巡ったが、一真はそれを振り切った。過去にいつまでも執着するな。自分にそう言い聞かせ、石段に足を踏み入れた。鳥居をくぐり、その先にあるのは栃煌とちおう神社。かつて月が住んでいた場所であり、今、彼女はここに戻ってきている筈の場所でもある。
「おっ?」
神社が見えた瞬間、そんな間の抜けた声に出迎えられた。黒い髪を左右に二つ橙色の布きれで結い、白の胴着と緋袴を身に着けた巫女。月ではないその少女が一真の顔を見て驚いたように近づいてくる。
――
月の友達だ。そして、さっき見た光景が真実ならば……、彼女も何かを知っている筈だ。
「なー。どうしたんだよ? 珍しい顔だな。賽銭だな? 賽銭箱ならそこにあるぞ」
「舞香、神社に滅多に来ないやつが、賽銭の為に参拝するなんてことはまずもってありえないから」
一真は鋭くそう言ってから、ふと周りを見た。正月になるとアルバイトで来るその場限りの巫女が多くいるのだが、今は正規の巫女、つまりは舞香しかいない。一真の視線はどこかに月の影が見えないかとあちらこちらに忙しく移っていく。
「しょうがねぇやつだ。ほれ、賽銭箱持ってきたぞ」
そう言いながら、舞香はばっと一真の鼻先に賽銭箱を突き付けた。体の大きさが一真の半分しかなく、箱に隠れて顔が見えない。
「人の話を聞けよ、チビ助。人を探しに来たんだ」
一真は呆れながらも賽銭箱に入れた。ポケットに偶々入っていたビー玉を。駄菓子屋で一週間前に買ったソーダ―のビンの奥にあったものだ。
「人~? 神主なら今留守だよ。どこほっつき歩いているか知らないけど、うぉい、これはごみ箱じゃないよ、賽銭箱だよ! 何、入れてんだ!!」
賽銭を強要するのが悪い。一真は構わず、ボケを挟む余地もないくらいの早口で質問を続ける。
「春日月だ。今日帰ってきてるだろ?」
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