最上 啓祐 その3
生徒会長は瞬く間に騒いでいた人を鎮めた。
完全に無音とはいかない。
僕たちは「静かに」と言われても、どこか静かにすることが叶わなくて、どこかで内緒話のように小声で会話するのだ。
けれど、そういうのを差し置いても、生徒会長が話をするのには十分だった。
「パスワードが届いた」
生徒会長はまずは一言、そう伝えた。
ざわめきが大きくなる。
「じゃあ、とっととパスワードを入力しようぜ」
誰かがそんなことを言った。「そうだ、そうだ」と周りが同調する。
「だが、パスワードはふたつあるんだ」
「はあ? どういうことだよ?」
「こっちもそれを知りたいところだ。だが、パスワードはふたつある。そしてそのパスワードには謎があるらしい」
「謎? 謎ってなんだよ?」
「まだ分かってない。だがそれを解き明かせば、どちらが本物か分かるみたいだ」
「はー、面倒くさい」
「そうは言うな。こうなった以上、やるしかない」
「副会長」
「もう準備はできてますよ」
そう言って副会長はいつの間にか僕から奪い取っていたメモ帳を何枚も破いてパスワードを2つの書いていた。
これをみんなに配って、謎解きをするのだろう。
僕は途端に仕切りだした。というかまあ僕が鎮めたら、とか言ったりもしたんだけど、行動的な生徒会長を見たら、なんだかイヤになってやる気をなくしていた。元からあったかどうかは不明だけれど。
こんなに行動力があるのなら、2つの部屋に分かれる前から行動すればいいのに、と思ったのも事実だし、もしかしたら、クラスごとの委員長がいなくなったことで、色んなやっかみがなくなって行動を始めたのかもしれない。
何にせよ、僕はもらった紙を見つめながら、背を壁にもたれかけた。
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このふたつのパスワードのどこに謎が隠されているのだろうか。じっと眺めて……何も思いつかない。
やる気なんてないから、そもそも思考していない。何も考えてないのなら、何も思いつかなくて当然だった。
暇なので、生徒会長たちの会話に耳を傾ける。
「なんでもいい、スマホやガラケーでこの順に打ってみてもいい」
「つか、そもそもスマホとか飛行機乗る前に担任に預けたじゃん」
「ってかあの時の加藤の様子変じゃなかった? 修学旅行ごときでスマホとか預かるってのも変じゃん?」
「じゃあ、加藤はこのこと知ってたってこと?」
「いや、他の先生も様子変だったぞ」
「全員がグル? つーか学校ぐるみ?」
「でも、加藤先生とか他の先生って……ぼくたちが目隠しされたときに……殺されたんじゃ。学校が仕組んだとしたら変じゃない?」
「いや、はっきり見たわけじゃないし、もしかしたらそこまで演技だったとか?」
「はぁ? オレたちにそこまでする理由ってなんだよ?」
「みんな、落ち着け。まずはこの部屋から脱出しよう。生きているかどうか分からない人のことを考えてる暇なんてない」
随分とばっさりと言い捨てたなあ、と感心しながらも、生徒会長は数多くの生徒を働かせて楽をしたいと考えているんじゃないかと思ってしまう。それを証明するように、さっきからパスワードをコピーしているのは副会長の役目で、生徒会長はあれやこれやと口出ししているだけで、何もしていなかった。
他人をうまく利用して、自分は楽をしようとしているのを見抜いた僕はますますやる気を失う。
「サイジョーくんは何もしないの?」
僕を覗き込むようにして、宮沢さんが話しかけてくる。
サイジョーじゃない、と否定しようと思ったけれど、彼女はわざと僕の名前を間違えて、面白がっているのを知っているので、舌打ちだけに留める。
「ひどっ……」と彼女は傷ついたような声を出すけれど、どちらがひどいのか、分かっているのだろうか。
ともかく面倒な人が来たものだ。
「何もしないよ」
そう言って、まるで犬を追い払うように、シッシッと手首を払う。
「そっか、そっか」
そう言って宮沢さんは僕の横に座る。
「じゃ、そのメモ……私に見せてよ」
「副会長にもらえば?」
「あの人、キラーイ。媚びばっかり売ってるし」
そうは見えないが、僕と宮沢さんでは見えてる世界、見える世界が違うのだろう。
他の人が見ている世界をたまに見て見たいと思うこともあるが、代わり映えのしない世界だと絶望するし、全く違うとたぶん嫉妬する。どうしたって、いいことはないので、考えなかったことにする。
僕がしばし思考に没頭していた間に、宮沢さんは僕からメモ用紙を奪い取り、パスワードを見て、
「全然わかんなーい」とものの一秒で思考を放棄していた。まあそうだろう。
「サイジョーくんは何か分かった?」
「何も」
即答すると、宮沢さんは眉間にしわを寄せる。
「少しぐらい考えてもいいんじゃない?」
「キミよりは考えたよ。そのうえで何も分からなかった」
「あっそ。サイジョーくんはパズルとか好きそうだから、解けそうだと思ったのに」
「得意って言った覚えはないけど」
「なんか、見た目」
「テキトーすぎるね」
「そうかな」
いや、そうだろ……呆れすぎてため息を出す。
「なんか相手にするのが面倒くさいって表情してる!」
「事実そうだよ」
「むぅ! ムカ着火ファイヤーだね!」
そういうのが面倒くさいんだよ。
何も言わず、ガン無視してメモ用紙だけ奪い取る。
宮沢さんの相手をするのも面倒なので、少しだけ謎について考えてみる。
いや、謎について考えると、宮沢さんの相手をするってことになるのか?
ややこしいので考えない。宮沢さんと話をしないだけでも謎を考えているほうが楽だった。
まずは生徒会長が言っていた、スマホやガラケーを使った方法について考えてみるが、即却下。たぶんそれはないだろう。そもそも僕たちはスマホやガラケーのボタンがどれに対応しているか思いだせるだろうか。この位置はここにあるっていうのを感覚で覚えているから、素早く押せるのあって、現物がないのに分かるはずもない。
それにパスワードを伝えてきたのは、峰岸だ。峰岸にはパスワードに含まれた謎が分かっているようだったが、だとしたら峰岸はスマホやガラケーなんかを使って、謎を導き出したのか? たぶん違う。そんなものなくてもシンプルに導き出せるはずなのだ。
僕が次に考えたのは、パスワードが子音を表しているという線。けど、そこで手詰まり。
そもそも子音だけでは何も分かりもしないし、母音に該当する「a、i、u、e、o」のいずれかがどちらにも含まれているのだ。
ふたつのパスワードを組み合わせたところで、どうにかなるようにも思えない。
けれど逆から読むというほど単純でもないようだ。
どうにも手詰まり感があって、僕はメモ用紙から視線を外す。
謎解きをしろと言われたほかの生徒も、飽きてきたのか雑談を始めており、粘っているのはガリ勉の真中や自称雑学王の真北だった。とはいえ生徒会長が期待しているのは真中だろう。真北は自称雑学王なだけで、大した雑学を持っていない。中二病と同意義だ。雑学王という設定で自己を保っているだけに過ぎない。
僕が視線をメモ用紙から外しているのを気づいたのか、「もーらい」と宮沢さんが僕の手からメモ用紙を奪う。
「あっ、おい!」
奪い返そうと、一瞬、動き出すがすぐに停止。別に取られてムキになることもない。
手詰まりになった以上、僕が何かを考えたところで現状を打破できるとは思えない。
メモ用紙を宮沢さんは眺め、また、すぐに諦める。僕以上に努力が実らないタイプだ。
「で結局、サイジョーくんは何か分かった?」
「何も。でもこの手のものってあんまり複雑になってないと思うけどね」
「なんでそう思うの?」
「いやなんとなく、けどたとえば推理小説のトリックとかで、なんか難しい法則とか使われても実感わかないというか解けるわけないって思うんだよね。いや、それはそれで面白いから否定はしないけど」
「つまりどういうこと?」
「なんていうかさ、電力の求め方って中学生で習うじゃない?」
「えーと、電流×電圧だっけ?」
「うん。で僕たちの中学じゃそれだけで終わりだったりするけどさ、例えば工業高校とかだと、電力の求め方を電流×電圧以外の方法で求めたりするわけ。オームの法則の、電流=電圧×抵抗を使って」
「やばい……サイジョーくんの言ってることさっぱりわかんない」
「つまりさ、その電流×電圧以外の方法ってのを習わなかったら、それ以上知ろうとはしないだろ。大学受験に出てくるかはビミョーだけど」
「ようは……電力=電流×電圧ってのを知ってれば、解ける……みたいな感じなの?」
「うん、まあそういうこと」
そこまで話してから僕は宮沢さんとまともに話していたことに気づいた。
「で、それが何か関係あるんだっけ?」
「だから、なんていうかそのぐらい単純だってこと。まあ単純だから分からないってパターンも往々にしてあるけれど」
「なるほど、じゃ私も付き合ってあげる」
「何がなるほどか説明して欲しい」
「いや、サイジョーくんって結構頭いい部類でしょ。でガンコ」
失礼なやつ。
「そして私はバカ。だから脳みそ柔らか。ということは単純なことにも気づくかもしれないよ?」
ニコリと笑うが、逆に僕はマジかよって顔が引きつっていた。これ、巻き込まれるパターンか。
「はいはい、じゃあ頑張って」
「一緒にやんの」
強引に顔を近づけてくる。さっきからコロンか何かの臭いが漂ってきて、気持ち悪い。中世時代ぐらいの糞便を垂れ流していたのをごまかすために強烈な匂いの香水をつけていたご婦人みたいだ。
勘弁して欲しい。においのも適度ってものがある。度を越すと途端に臭いになるのだ。
こいつと長話したくない理由の第二位ぐらいがこの臭いでもある。
「まずは逆にしてみます!」
そう宣言して、宮沢さんはパスワードを逆に書いてみる。
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「次はダブった文字を取り除きます!」
gy
aq
「この四文字を組み合わせると『gyaq』! なんとギャップになるのですよ」
「いや、なんないから」
ドヤッとこっちを見つめてくる宮沢さんに僕はそう言ってあげる。ギャップのつづりは確か『gap』だ。
ただ、文字を取り除くのを躊躇いもなくやったのは少し感心してしまった。僕も思いついてなかったわけじゃないけれど、その手の問題には必ずもう一文何が加えられている。「たぬき」と書いてあれば「た」を抜きにするみたいに。それがないから除外していたのだ。
けど、手詰まりの今やってみる価値はあるのかもしれない。
いや……、
そこまで来て僕に一瞬の閃きがあった。このパスワード自体が何か意味を持つのだとしたら……文字を取り除くのではなく、並び替えるほうが正しいのかもしれない、と。
そしてたぶんきっとそれは簡単なものなんじゃないのか、と思ったりもする。当然、一箇所だけを入れ替える、とかではなく。けれど分かりやすい部分を入れ替えているような……例えば、宮沢さんがやったようにダブっている部分をずらす、とか。そんな感じで。いや、ダブっている部分だと数が多すぎるか、例えばふたつのパスワードを比較してみて……
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そこで僕はあることに気づく。正解には至らないが核心に迫ったような気がした。
「よしじゃあ、次は、書いてある文字を一文字ずつずらしてみよう。えーとRの次は、T? でYの次はX?」
いや……、
「宮沢さん、少し黙っててくれる?」
「もしかして、何か分かった感じ?」
「分かりそうだから黙っててほしい。ちなみにYの次はZだから」
「うげー、この方法やめー。そもそもMNLの辺りがわけわからないもん」
「だから静かに!」
「はーい! あ、生徒会長を呼んだほうがいいよね?」
なんでそうなる。呼ばなくていい、と言う前に宮沢さんは生徒会長の下に走っていく。
宮沢さんには正直ついていけない。テキトーに絡んで、テキトーに興味を失って、テキトーに迷惑を振りまいていくのだ。心底うんざりする。
けれどこれでようやく静かになって、自分の考えをまとめることができる。
そうして自分の考えが核心に迫ったことが分かり、それが分かるとまるで洪水のように答えが流れ込んできた。
「何か分かったようだな」
同時に、生徒会長がやってくる。副会長に真中や真北も一緒だ。
「あ、はい。たぶん、正しいパスワードはrthereseqcuaurteerだと思います」
「どういうことだ。説明しろ」
「つまりですね」
僕はパスワードの謎を説明していく。
「なるほど。確かに、もうひとつのパスワードの答えがそれだとすると、そのパスワードが正しいように思えるが、なんなんだ、その答えはどういう意味だ?」
「直訳すると4分の3が助かる、ですか」
「意味が分かりませんね」
「でもまあ、入力するしかない。こちらが正しいのだろうからな」
「で、誰が入力するの? やっぱり謎を解いたサイジョーくん?」
「いや、面倒くさいしパス。そもそも謎を解くつもりなんてなかったよ」
「そうか。なら自分が入力しよう」
そう言って生徒会長がパスワードをゆっくりと入力し始める。
それを見て、僕はほくそ笑んだ。
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