峰岸 佑太 その3

「これでいいんだろ?」

 オレは黒ずくめの男に問いかけると、男は満足そうに頷いた。

 鉄骨を渡りきりパスワードを確認したオレは、黒ずくめの男にある提案をされた。

「ワタシの提案に乗るつもりはありませんか?」と。

「……どんな提案だ?」

 オレは男に臆せず、タメ口だった。

「『怠惰』の部屋に電話でパスワードを伝えるときにあることをしてほしいのです」

「あること……面白いことだろうな?」

 オレはその時点で少し乗り気だった。

「ええ、楽しめると思います」

「けど、却下だ」

「あなたにメリットがないから?」

「よぉく分かってるじゃねぇか」

「とはいえワタシが今からそのメリットを言うこともあなたは気づいているんでしょう?」

 半笑いしていたオレの表情に気づいたのか、男が言う。

「そうだ」

「ならば、さっさとメリットを言いましょうか……きっとあなたがありがたがることだと思いますよ」

 オレがありがたがること? 面白い。ニヤリと笑ってオレは答える。「聞こうか」

「あなたがこちらに連れてきたいと思う人間をこちらに二名ほど、連れてきてあげます」

 オレはそれを聞いてキョトンとしてしまった。

 いや、しかし確かにありがたい。そして面白い。さっきから口角が緩みっぱなしだ。

 誰を助けるか、一人は決まっているとして、あと一人は誰にするか。その枠を争わせるのも面白い。

 そうやって、歓喜に沸く向こう側を眺めていると、壁にもたれかかる女に視線が向く。

 あの女は……。

「その提案に乗ろう。オレは何をすればいい?」

「あちら側にあったパスワードとこちら側にあるパスワード、その両方を伝えてください」

「それだけでいいのか?」

「ええ、それだけでいいです。それだけでとっても面白いことになりますから」

 まああっちは『怠惰』の部屋だからな、だいたい察しはつくが、それでもオレはその提案通りにパスワードを伝え――そして今に至る。

「伝えたぞ」

「ええ、ありがとうございます。それでは今度はワタシの番ですね……こちらにつれてきたい人はどなたですか?」

「まずは小川。鉄骨の近くにいるひょろいやつだ」

「あの方ですね」

 男は何の迷いもなく、小川を指さす。まるでオレたち全員の名前を知っているようだった。それを確認しようと思ったわけでもないが、オレは

「それともうひとりは、繁山だ」

 とだけ答えた。

「繁山さんですね」

 男はそうとだけ言って、鉄骨の上の走り出す。繁山が男か女か、どんな特徴があるのかどうか、何も聞いてなどこなかった。

 やっぱりこの男はオレたちの名前を知っている。そのことに何か意味があるのか、と問われれば分からない。けれどそこには気持ち悪さだけがあった。

 オレたちが知らないこの男がオレたちのことを知っている。

 初対面の人に性癖やらスリーサイズやらを言い当たられた、まるでそんな気持ち悪さだ。

 男はまたもやたやすく鉄骨を渡る。熟練された動きだ。

 そうしてオレが見ているなか、小川と、そして繁山を連れてまたこっちへと渡ってくる。

「んだよ、離せよ。なんなんだよ。どういうことだよ」

 お姫様だっこでこっちに連れてこられた繁山が顔を真っ赤にしてオレを責め立てる。体勢が恥ずかしかったのだろう。オレが指定した訳じゃないんだ。怒るなよ。

「ギッシーがここに連れてくるように頼んだの?」

「いや、提案してきたのはあっちの男。オレは言われた提案をのんだだけだ」

「提案?」

 小川がかわいらしげに首をかしげる。

「ああ、パスワードをふたつ向こうに伝えた。その代わり、オレは二人をこっちに連れてこれる権利を得たんだよ」

「そ、それで、アタシを選んだってのか? ふざけんじゃねぇよ。どうして? 今のアタシとあんたに接点なんてなかっただろ」

「今はなくても昔はあっただろ。それに他にこっちに連れてきたい奴らなんていなかった」

「でも、それじゃあアタシはずるいじゃないか。なんの『努力』もせずにこっちに渡って・・・・・・」

「いえ、努力はしておりますよ」

 そう言ったのは黒ずくめの男だった。

「してねぇよ。なんの努力をしてたって言うんだよ」

「少なくとも、接点があったというのは努力の賜物ではありませんか? 昔同じクラスだったけど一度もしゃべってない、そんな人間を誰が覚える努力をするでしょうか。

 この方があなたを覚えていた。それは何にせよ接点があった。接点ができるようにあなたが努力をした、そういうことじゃありませんか?」

「……くそっ、そんなの知るかよ」

 それだけ言って繁山が押し黙る。

 気にくわないが、黒尽くめの男の言葉には一理ある。オレと繁山に接点があったからこそ、オレはこいつをこっちに連れてきた。それに、まあ小川のためでもあるだろうし。

「でさ、ギッシー。結局、鉄骨の風の仕組みはなんだったの?」

「それを説明する前に、面白いことを言わせろ」

 鉄骨に挑戦する人間はもういない。けれど小川と繁山があっちに連れて行かれた時点で、ちょっとだけ察している人間もいるかもしれない。

 だからこそ、オレは言う。

「そっちにいたら、死ぬぞ」

 もちろん、こっちが死ぬ場合もあるが……『怠惰』側がきちんと謎を解けば、それはないだろう。

 オレの言葉を信用していないのか、鉄骨の挑戦は始まらない。

 いや、A組の委員長がなにやら話している。オレの吹き出す風の法則でも検討しようと言っているのかもしれない。

 残っている奴らの中にある種の知識があれば、解けるかもしれないが、きっと無理だろう。

「峰岸、なんのつもりだよ」

「オレは事実を言ったまでだ、パスワードの謎が分からなければオレの言っている意味なんて、お前には分からないだろうがな」

「パスワード? パスワードにも謎があるってのか」

 繁山はそこでようやくこちら側のパスワードの存在に気づき、そのパスワードとにらめっこし始める。

「あるに決まっている。言うつもりはないがな」

「ギッシー、それより早く吹き出す風がどういう法則だったのか教えてよ」

「分かった。とりあえずそのメモ用紙をよこせ」

 そう言ってオレは小川からメモ用紙を奪い取った。


1・・・・・・・

・2・・・・・・

33・・・・・・

・・4・・・・・

5・5・・・・・

666・・・・・

・・・7・・・・


「まずはこれを見てくれ」

「これは?」

「風の吹き出す位置を簡略化して書いたものだ。数字が風の吹き出した位置、『・(中黒)』が穴の位置だ」

「うーん、これでも何がなにやら分からないよ」

「まずはこれを反転させる」

・・・・・・・1

・・・・・・2・

・・・・・・33

・・・・・4・・

・・・・・5・5

・・・・・666

・・・・7・・・


「これでどうだ?」

「うーん、なんなんだろう。だめだ、降参」

「まあ、これは書き方に問題があったと言わざるを得ないな。書き方はお前に任せて、オレがこういう風に整理したのがそもそも間違っていた」

「じゃあ数字はなしにして、×にしてみる、とか?」


・・・・・・・×

・・・・・・×・

・・・・・・××

・・・・・×・・

・・・・・×・×

・・・・・×××

・・・・×・・・


「あー、駄目だ。何にも見えてこない」

「もう答えを言ってしまうが、これは2進数だよ。『・』を0に『×』を1に変えてみろ」

「2進数? なにそれ、おいしいの?」

「おいしくはないだろうな。まあとにかくやってみろよ」


00000001

00000010

00000011

00000101

00000111

00001000


「でこれがどうなるの?」

「これは風の吹き出る場所と順番を示しているんだ」


「風の出る場所はこの『1』ってのは分かるけど、順番は? これだけじゃ、『00000010』が2番目って分からないよね?」

「いや、それが分かるんだよ。2進数を10進数に直せば、何番目か判明する」

「あー分かんないよ、ギッシー。そもそも2進数ってところから分かんないよ」

「だろうな。だから説明は省く。わからんやつにわからんこと言ってもしょうがないからな。とにかくだ、2進数を10進数に直す場合、数値の右側から一の位は2の0乗、次は2の1乗、2の2乗、と繰り上がって乗算していけばいい」

「なるほど! つまりどういうこと?」

「……まあ分からないだろうな」

 オレはメモ帳にこう書き連ねる。


00000001=1×2の0乗=1

00000010=1×2の1乗=2

00000011=1×2の1乗+1×2の0乗=3


「どうだ?」

「うーん、ピンとこない」

「まあ理解できない人にはできないだろうからな」

 小川には理解できないだろうと踏んでいた。説明損だとは思わない。

 オレのように気づいたほうが珍しいのだ。

「でもまあ、それに気づいたからギッシーはクリアできたんだよね?」

「まあそういうことだ」

「これで助かったってことでいいのかなあ」

「断定はできない。どうなるかは『怠惰』なやつらに期待するしかないな」

 そう言ってオレは鉄骨を見つめる。どういう法則だと気がついたのか分からないが、誰かが渡り始めて、そして死んだ。

 あの鉄骨では慎重になりすぎてはならない。1個目と2個目の風が吹き出したら、立ち止まってはいけなかった。

 今思えば黒づくめの男が、躊躇いもなく走って渡ったのはヒントだったのだ。慎重になってはいけない、躊躇ってはいけないという、そういうヒントだったのだ。

 たぶん、誰もそれに気づいていない。もちろん、言う必要なんてないだろう。

 あらゆる『努力』をする部屋、たぶん、それがこの部屋の真実だ。

 さて、『怠惰』の人間が『努力』してくれるのを待つとしよう。


『怠惰』の部屋残り102人

『努力』の部屋残り27人

残り129人

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