第28話『まどかの想い』

 四月八日、月曜日。

 放課後、俺とまどかはAGC本部にやってきた。鍵は開いているのに中には誰一人としていない。

「先輩方はまだ終礼が終わっていないのでしょうか?」

「そうかもしれないな。とりあえず、ソファーにでも座って待とうか」

「そうですね」

 俺とまどかはバッグを机に置いて、ソファーに隣同士になって座る。

「六時間目までありましたから、今日は長かったですね」

「……そうだな。今日から授業が始まったし」

 今日が平和に過ぎただけに、昨日までの数日間がとても長く感じられた。ようやく、高校生活のスタートが切れた感じがする。

 あと、昨日のことがあってか全然眠れなかった。あの後、左手はまどかに治療してもらったけれど、やっぱり夜通しずっと痛くて眠るどころではなかった。今日の授業は先生の自己紹介とかだったので全然楽だったけど、眠気が半端じゃなかった。心地良いソファーに座っていると思わず眠ってしまいそうだ。

「やっぱり、まどかと二人きりだと落ち着くな」

「ど、どういうことでしょうか?」

 まどかは何故か頬を赤くして俺のことを見ている。

「いや……俺、全然女子と話すことに慣れてなくてさ。いや、まどかのことを女子として見てないとかそういうことじゃないぞ。ただ、休み時間になると毎回女子が俺の周りに集まるとかそういう経験が無くて」

 同級生の女子に囲まれるとか初めてのことだし。

 正直、一昨日の朝、クラスメイトがまどかに謝ってくれた後にどういう訳か俺に向かって女子が黄色い悲鳴を上げたとき……逃げ出したかったんだ。ずっと、脚がガクガク震えていたのを覚えている。

「でも、まどかと二人だと心穏やかにできるんだよ。これも……少しだけど一緒に住んでいるからかな」

「篤人さん……」

 まどかは恍惚とした表情をしたまま、ずっと俺から視線を離さない。

「どうしたんだよ。さっきからずっと顔が赤いぞ? 熱でもあるのか?」

「い、いえっ! そういうわけではありません。ええと……嬉しいです。篤人さんにそう言ってもらえるなんて。実は私、篤人さんが他の女子達に囲まれているのを見ていてちょっと寂しい感じになっていたので……」

「後半部分がよく聞こえなかったんだが。『他の女子達に』以降なんだけど」

「な、なんでもありませんよ!」

 そう言いながらも、まどかは嬉しそうにしている。何だろう、今の俺の言葉がそこまで嬉しかったのか?

「そういえば、篤人さん。ななみも無事に三年生に進級して、今日から学校に行けることになりました。後日、篤人さんにお礼を言いたいそうです」

「そうか。それは良かった」

 三月末に事件が起きてななみさんは逮捕されてしまったからな。まあ、いいタイミングで事件を解決できたようだ。

「松本さんのことは何か聞いてるか?」

「ななみや葵ちゃんからメールが来ましたけど、ゴールデンウィークまでには学校に復帰できるそうです」

「ということは後遺症とかは特になかったんだな。良かった」

「そうですね。あと……遥ちゃんは産むことを決意したそうです」

 どうやら、百瀬さんも前向きになれたみたいだ。越水さんが自殺し、彼女も理由の一因であったことにショックを受けていたようだったけど、彼女の強さを信じて正解だったようだ。きっと、立派な母親になれるだろう。

「ななみや遥ちゃん、松本先生がサポートしてくれるそうですけど、私達もできることはやっていきましょう」

「そうだな。俺も彼女の子供の顔を見てみたいし」

「そうですね。私も待ち遠しいです」

 やはり、新たな命が誕生する予定があると嬉しくなってくるな。逮捕された竹内さんもこのことを一つの希望としてこれからの人生を生きていくのだろう。

 そういえば、これからの人生……か。

 俺もAGCに入ってすぐは……まどかの為に入ったという感じだった。最初は今回の事件が解決したらAGCを辞めようと思いながら、事件の捜査をしていた。

「辞めてしまうのですか?」

「えっ?」

 まさか、今……考えていたことを不意に言ってしまっていたのか? まどかが凄く悲しそうな顔をして俺のことを見てくる。

 そういえば、まどか……昨日は事件が解決してとても嬉しそうだったのに、今日になってから急にため息をつくことが多くなった。こうして俺と話しているときは何ともないけれど、授業中とか俺と離れているときはため息をつく場面があった。この際だから、まどかにその理由を訊いてみるか。

「まどか。何だか今日になって元気がないようだけど、何か悩みでもあるのか?」

「そ、それは……」

 やはり、と言っては悪いが、まどかは口を噤んでしまう。

「何を言ったって俺は怒らないから。言ってみな」

 まどかは優しいから、すぐに他人本位に考えてしまう。できるだけ、こちらから言いやすい空気を作らないと。

 その甲斐あってか、まどかはゆっくりと口を開いた。

「篤人さんとはもう、一緒にあの部屋には暮らせないですよね……」

「何を言ってるんだよ。そんなわけ――」

「あるんです! あの部屋に住むことになったのは、堤先輩が考えたマスコミから離れるための緊急の方法であって……いわば、期間限定だったんです。事件が解決したらもう私はあの部屋にいる意味はないんです。それに……篤人さんは大丈夫だと言っていましたけど、やっぱり私の所為で左手に怪我をしてしまったんです。篤人さんはこんな私なんかと一緒にいてはいけないんです」

 確かに、まどかが俺の住む部屋に引っ越してきたとき……堤先輩の指示でここに来たと説明していた。そして、俺の左手に傷ができたのも、きっかけとしてはまどかが竹内さんにナイフで刺される危険があったからだ。まどかの言うことは間違っている……とは言い切れない。

 しかし、今のまどかの話には決定的なものが欠けていた。

「まどかはどうしたいんだ?」

「えっ?」

「今の話は優しいまどからしい内容だ。でも、まどかの本心が入っていない。人のことを考えられることはいいことだと思うけど、まどかは……もっと、我が儘になってもいいんじゃないかって思う。俺はまどかの我が儘な言葉を聞きたい」

 まあ、既に彼女の本音だと分かる手がかりは幾つも見つけている。今朝になってからのため息だったり、今も目に浮かべている涙だったり。

 だから、まどかが何を言いたいのかは察している。でも、その内容は……彼女から言ってくれなければ意味はないと思う。

 その時が来るのを待っていると、まどかは涙を流しながら言う。

「この先もずっと篤人さんと一緒に暮らしたいんです! 篤人さんがいないと不安で仕方なくて! もう、これで篤人さんと一緒にいられる時間が少なくなると思うと……それだけで不安になってしまって。他の女の子と話すだけでも寂しく感じて。篤人さん、離れないでください。お願いですから側にいてください……」

「それがまどかの本音なんだな」

「……はい」

 まどかは静かに頷いた。

 いざ、聞いてみると……途中から恥ずかしくなってくるな。良かった、他に誰もいないときで。

 俺はゆっくりとまどかのことを抱きしめる。何故か、まどかを抱きしめる時っていつも彼女が泣いているときなんだよな。

「事件を捜査する前に、約束したじゃないか。まどかを守るって。お前が必要とするなら俺はずっと側にいてやるって。AGCにだってずっといる」

「篤人、さん……」

「いや、約束なんて関係ないか。俺はお前を守りたいし、お前が嫌じゃなきゃ……側にいてやりたいし」

 まどかを見ていると、俺の妹のように思えてくるんだよな。まどかが悪いってわけじゃないんだけど、守ってやりたいって自然と思えてくるようなそんな魅力が彼女には詰まっているんだ。

 あと、AGCにはこのまま在籍するつもりだ。誰かを助けられるのであれば、俺もその役に立ちたい。

 少し体を離して、至近距離でまどかの顔を見る。

 透き通った瞳に、潤った弾力のありそうな唇。彼女の口から放たれる息が、俺の鼻腔をくすぐってくる。こうして見てみると、凄く可愛くて……艶やかな女子なんだな。

「俺はまどかと一緒に暮らしたいな」

「……あうっ。こんな顔の近い状態で言われると妙に恥ずかしいです……」

「あははっ、そうか。恥じらうまどかも可愛いぞ」

「ふええっ」

 おおっ、見る見るうちにまどかの顔が赤くなっていくぞ。抱いているせいか、まどかの心臓の鼓動が早くなっているのが分かる。

「あ、篤人さん!」

「どうした? 何か急にかしこまった感じになって」

「ええと、ですね……わ、私……す……す……す、す、すすす……」

「す?」

「す、末永く一緒にあの部屋で暮らしていきましょうね! 篤人さん!」

 と、まどかは凄く喜んだ感じで言ってきた。

 今のは、まどかにとって『これからよろしくね!』と言っているのかな。だったら、俺もその返事をしないといけないな。

「ああ、これから三年間よろしくな」

「えっ? さ、三年間?」

「だって、今住んでいるのは城崎学院の寮だから。それに、これから高校生活が始まるわけだから三年間よろしくって言ったんだけど……おかしかったか?」

「い、いえ……おかしくはないんですが……」

 まどかは笑ってはいるが、俺の返事に気に食わなかったように思える。三年間じゃ嫌だったのかな。

 まどかが至近距離の俺にさえ聞こえないような小さな声で何か呟いた後、段々と彼女の体からもやもやと桃色のオーラが出てくる。こいつ、どうして俺に自分の能力を伝送しているんだ?

「こうでもしないと、私の気持ちを分かってくれないんですか? 篤人さんだったらすぐに私の気持ちも解明してくれると思ったのですが……」

 まどかにそう言われて、すぐにオーラの色を確認する。やっぱり桃色だ。

「あ、ああ……俺に抱かれて興奮しているのか。ごめん、抱きしめたのはまどかの側にいてやるんだ、っていう決意表明の一つの方法であって……」

「……もう私、我慢できません。篤人さん、ごめんなさい!」

 と言うと、俺はソファーの上でまどかに押し倒された。

 どうしたんだ? あの大人しくて優しいまどかがこんなことをするなんて。いや、ごめんなさいと言っているあたり優しいんだろうけど。

 というか、それよりもまどかの体が俺に押しつけられている。二つの柔らかい感触が俺の胸部から伝わってくる。

「篤人さん……」

「まどかっ! 一度、深呼吸でもしてみないか!」

「できれば篤人さんの吐く息を全て吸ってみたいです……」

 吐く息を全て自分の物にするってことは、つまり……く、口づけじゃないか!

 恥ずかしながらもまどかがそんなことを言うなんて。きっと、何かのきっかけで正気でなくなってしまったのだろう。

 どうにかしてこの状況を打破しないと。こんなところを誰かに見られたら、何か誤解されることになるぞ。

「まどか、落ち着け! 俺達は良きクラスメイトであり、良きAGCの仲間であり、良き同居者じゃないか! 正気に戻ってくれ!」

 俺は左手の痛みを堪えながら必死にまどかの体を引き離そうとするが、まどかも必死になって俺に体重をかけてきて離れようとしない。

 それよりも、まどかの可愛らしい喘ぎ声や甘い匂い、何よりも包み込むような彼女の温もりが俺の理性を徐々に失わせていく。

 だが、その時である。

 俺は不意にまどかの体を持ち上げ、逆に俺がまどかを押し倒す格好になった。ここに来て防衛本能が発揮されたのか。

「篤人さん……」

「……まどか。お前の望むことはここでするようなものじゃない。家でも二人きりになれるだろう? その時にゆっくりとすればいいさ」

 何を言い出すんだ?

「それに、俺達はまだまだそういうことをする関係じゃないだろう。出会ったばかりで知らないことも多い。お互いのことを知っていって、心の距離を縮めて……その時になったら、満足するまで求め合おうじゃないか」

「は、はい……」

 おいおい、まどかを正気に戻すんじゃないのかよ。俺の防衛本能……今までこんな風に発揮されたことはなかったぞ。

「うん、積極的なまどかは嫌いじゃないけど、素直で優しいまどかの方が俺は好きだな。そうだ、一緒に住む証として……」

 そう言うと、俺は……右手の人差し指を自分の唇に当て、その後すぐにまどかの唇にそっと触れた。

 何をやっているんだよ、防衛本能の奴。さっきまでのまどかの行動を考えれば、彼女の欲を満たすためにこうするのも一つの手段かもしれないけど、後々のことを考えると物凄く破壊力のある爆弾を埋め込んでしまった感じだぞ。

 というか、本心では俺にとってまどかはさっき言った通り良きクラスメイトであり、良きAGCの仲間であり、良き同居人という感覚しかない。それをどうにかして伝えたいのだけれど、防衛本能を発揮した俺を前にしたまどかは、

「篤人さん、かっこいいです……」

 まるで俺に心酔してしまったように、恍惚とした表情で俺のことを見つめる。くそ、防衛本能による話術にはまってしまったというのか?

「そうですよね。まずは篤人さんのことを知っていかないと……」

「ちょっと待て。今のは全部、防衛本能が働いたから言っちゃったことで、本心では別にまどかのことを変に求めようとは……」

「大丈夫です、ちゃんと分かっています。でも、篤人さんが私を求めるのであれば……私はそれを受け入れるつもりですから」

「別にそんなつもりじゃなくていいから!」

 どうしてまどかは俺にそんなことを言ってくるんだ。まさか、これからも一緒に住んでいいと言った俺に対するお礼のつもりなのか? いやいや、そんなわけはないと思うんだけどな。

 まどかは「い、言っちゃった……」と、俺から視線を逸らしている。もう、何が何だか分からなくなってきたぞ。

 とにかく、この状態ではまずいので俺は体を起こす。

「何にせよ、これからもよろしくな。まどか。二人きりだけど、高校生らしく健全に過ごしていこう」

「……そうですね。篤人さん」

 そうだ、俺達は高校生になったばかりの人間だ。男女二人きりだけど、健全な高校生活を送っていかないと。

 まどかも体を起こしたときには、いつもの雰囲気に戻っていた。

「さっきはすみませんでした。私、篤人さんと二人きりだったせいで気持ちが舞い上がっちゃったみたいで……」

「別に気にしないでくれ。きっと、これからの生活で二人きりにも慣れるだろうから」

 やっぱり、さっきまでのまどかは気を乱していただけのようだ。彼女の今の一言に俺は安心した。

 そして、タイミング良く扉が開き、

「遅くなっちゃってごめんね」

 と言う堤先輩の声が聞こえる。その直後に、扉から堤先輩、宮永先輩、上杉先輩の三人がそれぞれバッグとスーパーのレジ袋らしき物を持って入ってきた。

「どうしたんですか、その袋……」

「ああ、これね。お菓子やジュースを買ってきたの。事件を解決したお祝いでもぱっとやりましょう!」

 どうやら、今日の活動は楽しいことで終われそうだ。それが何よりも嬉しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る