第27話『真実を告げる④』

 竹内さんは一連の事件の真犯人であることを認めた。

「……成瀬君の言う通りよ。私ですら致命傷が彼と争ったときに誤って刺さってしまった傷なのか、それとも……私が何度も刺したときにできた傷なのか分からない。だから、私は無実であると言い通せる自信があった。成瀬君たちはずっと『殺人事件』の真犯人を追っていたから」

 越水さんが自殺しようとしたなんて想像付かないだろう、と思ったんだな。だから、俺が真実を話す前、あそこまで勝気な表情をしていたんだ。

 俺も、昨日の夜……百瀬さんが事件当日、越水さんと別れるときに「じゃあな」と言われたことを聞くまでは、自殺の可能性は全然考えていなかった。返り討ちの可能性はずっと考えていたけれど。

「自殺であれ殺人であれ、どちらにしても竹内さんが事件当時……現場にいたことを認めてもらう必要がありました。梅津君の特別課題の件も、越水さんが自殺することを考えていれば、事件当日の朝……あなたに『今日中に採点を終わらせて、麻美に頼んで課題を返してもらう』と言った可能性はありましたからね」

「いや……越水先生は言ってなかったよ、そんなこと。だから、成瀬君の話術に上手く乗せられて、事件に関わったことを認めちゃったんだと思う。さすがね、成瀬君」

「……ナイフで越水さんを刺したとしても、彼の自殺の決意が事件の発端であれば……竹内さんには恨みなどの感情は抱かないと思いました」

 そこで、まどかに竹内さんの心の変化を訊こうと思っていたのだが……まどかはそれが分かっていたように、重要な場面に俺が訊く前に言ってくれた。彼女の能力には正直、助かった。

「ですが、昨日……松本さんがナイフで刺された件もありました。ここで俺は思ったんです。真犯人が本当に殺そうと思っていたのは、松本さんだったんじゃないかって」

「……その通り。私は越水先輩を殺すつもりは全くなかった。本当に殺そうと思ったのは麻美、あなたよ。だから、昨日……あなたをナイフで刺したの」

 竹内さんはまどかの持つタブレットに視線を向ける。

「本当にあなたが邪魔だった。友人だと思っていたのは先輩と付き合う前まで。あなたは私の好きな人を奪い取ったのよ! 憎くてたまらなかった……」

 今の一言が今回の事件の動機だったわけか。

 人を好きになるというのは、全ての物事への原動力になる。それが、愛する人間の命を守ることでも、憎む人間の命を奪うことでも。今回の一連の事件を通して、俺はひしひしと感じた。

「高校に入学して、彼を初めて見たときから好きだった。何時か、彼と一緒になりたいと思って、同じ大学に入るために勉強も頑張って、同じ理科の教員になって、宝来製薬の研究員にもなったのに。麻美とは大学進学の時に別の道を歩んだから、もう……彼と付き合うまで秒読みだと思っていた」

「長い間、越水さんに好意を抱いていたから……余計に麻美さんに奪われたと思い込んでしまったわけですか」

「思い込みなんかじゃない!」

 竹内さんは俺の声をかき消すかのように叫ぶ。

「麻美はたった一度の告白で彼を奪った。どうして、私じゃなくて麻美なのよ。頭なんかそんなに良くなくて、天然で、匂いフェチで……私の方が全て勝っているのに。麻美が先輩と付き合い始めた瞬間、麻美を殺そうって思ったの。麻美を殺して、穴の空いた先輩の心を……私が埋めてあげようって計画だった」

 とてつもなく、卑劣な計画だ。人の死を自分の幸せに利用しようとしたってことじゃないか。俺も段々と怒りがこみ上げてきた。

「麻美も死んで、ななみちゃんも逮捕されたままなら良かったのになぁ。そうすれば、私の計画は成功したのに。ほんと、AGCは邪魔だった。特に……初めて会ったときから成瀬君には警戒してた。堤さんが話を聞いているときの君の目は……まるで私の心を全て見透かしてやるって感じだった。帰るとき、君の後をつけたらいきなり『誰だ!』ってこっちに振り返るんだもん。焦っちゃったよ、まったく」

 あの時、不意に叫んでしまったのは……竹内さんが後ろにいたからなのか。もしかしたら、俺の防衛本能が彼女の邪気を感じ取ったのかもしれない。

 つうか、酷すぎるだろ。自分が罪を逃れるためなら、例え冤罪でもななみさんが捕まっていればいいなんて。

「良かったね、遥ちゃん。現場にあった妊娠診断書は麻美のものだって思ってたの。だから、先輩が亡くなっても麻美を殺す気持ちは尚更強まった。やっぱり、中身は確認しておくべきだったよ。まさか、遥ちゃんが彼との子供を妊娠してたなんてね」

「……私は、越水先生を奪ったつもりはありません!」

「遥ちゃんがそう言ってもね、こっちが奪われたと思えば奪ったのと一緒なのよ! あなたにもすぐ、麻美と同じようにしてあげるから……」

 その瞬間、竹内さんはスーツのポケットから折りたたみナイフを取り出した。

 松本さんと同じようにする……そういうことだったのか。百瀬さんの命を奪うか、彼女の中にいる新たな命を奪うか。

「小関さんのメールが新薬開発プロジェクトのことでも万が一、こっちに都合の悪いことがあったときには、その時はこれを使って彼を刺し殺すつもりだったわ」

「竹内君、君は……」

「私はあなたの子供の病気なんてどうでも良かった。でも、その病気を治せる特効薬を開発しませんかって先輩に言えば、先輩の私に対する好感度が上がると思ってね」

「まさか、そんな……」

「犯罪グループのことを最初は知らなかった。でも、多額のお金になる話なら悪くないと思ったから、メンバーの一人がパイプ役になっていても黙認したわけ。でも、その人が私も関係していると暴露しようとしたら殺そうと思った」

「竹内さんが犯罪グループと関係していることは時間の問題です。その研究員は既に警察に勾留され、ある種鉄壁とも言える守りがあるわけですから」

「……そう。だったら、最後の計画を実行しなくちゃね。私にはもう時間がないから」

 それが百瀬さんを殺そうってことなのか。絶対に思い通りにさせない。

 百瀬さんはななみさんと離れないようにしている。早くここから逃がさないと、二人に何らかの危害が及ぶことになるぞ。

「きっと、遥ちゃんを殺そうとしているって思っているでしょ。成瀬君」

「それ以外に……何があるんですか!」

 越水さんと付き合っていた松本さんか? それとも、新薬開発のデータを隠し通した小関さんか?

 俺が二人のことを見ていると、竹内さんは狂ったように笑い飛ばす。

「今となっては麻美や小関さんなんてどうでもいい存在よ。まず私が殺したいのは、あなた達に決まっているじゃない。AGCとかいうふざけた団体」

「何だって……?」

「正確に言えば、AGCのメンバー……栗橋まどかちゃん、あなたよ。あなたがななみちゃんの無実を証明したいってことを思わなければ何事もなく収まるはずだったのに。あなたのせいで全てが狂った! だから……その罪の代償として命を捧げなさい!」

 その瞬間、竹内さんは折りたたみナイフの刃を出し、まどかの所へ全力で走り始める。

 逃げろ、なんて言う余裕はなかった。それよりも、防衛本能を含める全ての本能が俺を走らせていた。

 俺は急いでまどかと竹内さんの間に入り、

「……っ!」

 左手で竹内さんの持つ折りたたみナイフの刃を掴んだ。その所為か、全身に痛みが迸って左手から血が落ちる。

「篤人さん!」

「……大丈夫だ。左手を切っただけさ……」

「で、でも……私のせいで……」

 まどかは泣きそうになっていた。タブレットの向こうで見ている麻美さんも。

「このくらいの痛み、どうってことない。それよりも、俺がまどかを守れなくて、お前が傷ついたときの方がよっぽど辛い。約束しただろう、俺はお前を守るって。だから、まどかが自分の所為だって思う必要なんて何一つないんだ」

 俺は竹内さんの方に振り返り彼女の持つ折りたたみナイフを振り落とす。そして、痛みに耐えながら、両手で彼女のスーツの袖を握りしめる。

「まどかが妹の無実を願うことは間違ってるのか! その思いを尊重して事件の捜査をしたAGCが間違ってるのか!」

「当たり前じゃない! 高校生が事件捜査なんて言語道断だわ! そんなことは警察に任せて、あなた達は大人しくしてればいいのよ! あなたが身をもって証明してくれたじゃない。高校生が捜査をすればこうなるってことが!」

 竹内さんは俺が手に怪我をしたことをさも当然かのように言って、笑っている。その微笑みに、この上なく腹が立つ。

「……俺だって、つい最近までそう思ってたよ。事件捜査なんて高校生のやるべき事じゃない。警察がやればいいって」

「そう、だったら……」

「でも、真実を見つけることに警察も高校生も関係ない! どんな些細な事件でも色々な人が何らかの形で傷を負っている。まどかと出会って、俺は……事件の真相を見つけることで彼女の心を救いたいと思ったんだ。人を助けることは人にしかできない。その助ける人は……どんな人だっていいはずだ!」

 それを教えてくれたのは、まどかやAGCの先輩達だ。人を救いたいという真摯な気持ちがあれば、高校生である俺達でもたくさんの人が信頼してくれることを。

「ところで、あなたは……越水さんのことを愛しているんですか?」

「当たり前じゃない。だから――」

「笑わせるなよ」

 竹内さんには……現実を知ってもらった方がいい。もう、これで終わらせよう。

「だったらどうして、越水さんにナイフが刺さったとき……あなたは彼を助けようとしなかったんだ! ましてや、ナイフで数回刺して彼の死を決定づけた。愛しているということは、どんな状況であっても相手に生きて欲しいと願うことじゃないのか! それができずに越水さんが亡くなった瞬間、あなたの計画は失敗したんだ。あなたは越水さんを愛しているんじゃない。独占したかっただけだ。自分の欲を満たすために」

 それが、全てだ。

 そして、越水さんは麻美さんと百瀬さんを愛していたんだ。だけど、愛しすぎたが故に自分の起こした罪に絶えかねて自殺した。愛する人を殺す薬を作った罪と、中学生の未来を狂わせてしまい婚約者を裏切ってしまった罪。

「松本さんや百瀬さん、俺達を殺しても越水さんは生き返らない。それが……現実なんですよ」

「……私は、もう……」

「そして、竹内さんが亡くなっても同じことです。あなたのすべきことは……自分の罪を償うことだと思います。それは、生きているから価値のあることだと思います。自殺して償おうなんて俺達が絶対に許しません。……霧嶋刑事でも誰でも構いません。彼女のスーツのポケットを調べてください。見つかっていない残りの薬品のサンプルが入っているはずですから」

 俺の言葉に反応した霧嶋刑事が、俺達の所までやってきて竹内さんのスーツのポケットを調べていく。

 すると、予想通り液体の入った小瓶と注射器が幾つも出てきた。小瓶に入っている液体こそが新薬のサンプルだろう。

「こんなにたくさんあるってことは、もしかしたら……事件の真実が暴かれることも覚悟していたみたいだな。薬のサンプルとナイフを使って、ここにいる全員を皆殺しにしようと考えていたのかもしれない」

「……そうかもしれませんね」

「お前等の中の誰でもいい、このサンプルとさっきのナイフを鑑識に回すんだ」

 霧嶋刑事は薬のサンプルと注射器を一人の部下に渡した。そして、彼のズボンのポケットからは手錠が取り出される。

 俺は竹内さんの両手を霧嶋刑事に委ねた。

「竹内由佳。越水直樹さんの殺害の疑いと、松本麻美さんと成瀬篤人君に対する殺人未遂の罪で逮捕する」

 そして、竹内さんの両手には手錠が掛けられた。その瞬間に響いた音が、一連の事件の終わりを告げるようであった。

 竹内さんは霧嶋刑事によって、中学校の校門前に駐車しているパトカーに連れて行かれそうになる。そこに、

『待ってください!』

 タブレットの向こうから、松本さんが二人を呼び止める。

『由佳に……言いたいことがあるんです。お願いします』

「……いいだろう」

 竹内さんはタブレットの向こうにいる松本さんと顔を合わせる。

『……本当にごめんね、由佳。私、由佳がそこまで直樹さんのことが好きだったなんて気づいてあげられなくて……』

 松本さんは自分のできる範囲で精一杯頭を下げる。

 その後、少しの静寂の時を経てから、

「……どうして越水先輩があなたと付き合ったのか分かった気がする」

 と、竹内さんはぼそっと呟いた。

「一つ、麻美には絶対に勝てないところがあったのを忘れてた。あなたは……とても優しい心を持ってるわ。どんなことがあっても、前を向かおうとする姿勢に……越水先輩は惹かれたんじゃないかな」

『由佳……』

「……羨ましかったのかもね。素直に先輩と愛し合えた麻美に……」

『そんなことないよ。私、由佳の言う通り、全然頭なんて良くなくて、直樹さんの研究の事なんてあまり理解できてなかったよ。これだったら私なんかよりも、由佳みたいな人の方が絶対に合うって……』

「そんなことないわよ。だって、事件が起こる直前……先輩、言ってたから。麻美を殺すことだけは絶対に止めてくれって。嫌だって言ったら、自殺する前にお前を殺してしまうかもしれないって。本気で愛してなければ、そんなこと言えるわけないよ」

 竹内さんはそう言うと……穏やかに笑った。

「麻美、遥ちゃんを支えてあげて。彼の命は……彼女の中に生きているんだから。私が言えるようなことじゃないと思うけど……」

 竹内さんの言う通りだ。越水さんの命は……百瀬さんとの間で作られた新たな命へと受け継がれている。

『……分かった』

「うん、これで安心した。何時か、私の償いが終わったときには……先輩の子供に会ってみたいな。それを目標に私は生きていくことにするわ」

 ようやく、竹内さんの心も……救われたか。

 事件の真実を暴くことは被害者側だけではなく、加害者側の心も救えるんじゃないかと思っている。竹内さんも今言ったとおり、何時か更正したときには……松本さんや百瀬さん、そして彼女と越水さんとの子供と再会するだろう。

「成瀬君」

「なんですか?」

「……ありがとう」

「俺は……自分のやりたいことをしただけです。それに、まどかやAGCの仲間がいなければ成し得なかったことですから」

「……そう。あと、まどかちゃんを守ってあげてね」

「はい。最初からそのつもりです」

「……成瀬君なら安心できるわね。じゃあ、刑事さん。お願いします」

 そして、竹内さんは霧嶋刑事に連れられてパトカーに乗り、中学校を後にした。誰もが無言で彼女の姿を見届けたのだった。

 こうして、一人の教師、そして研究者が亡くなった事件は幕を閉じたのだった。

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