第26話『真実を告げる③』

 そろそろこの事件の本当の姿を示すときがきたようだ。

「竹内さん、あなたは必死に誰かが殺意を抱いて越水さんを殺したと言っていますが、返り討ちに遭ったという可能性を捨てるんですか? 一昨日、あなたに話を聞いたときそのことについても触れたはずです」

「返り討ちなんてあり得ないわ。だって、彼が誰かを殺すほど恨むなんてこと……」

「それこそあり得ない、ですか。しかし、血の付いた白衣の袖には誰かにとても強い力で握られたと思われる皺がありました」

「それでも! 私は断固として返り討ちはなかったって断言するわ」

「そうですか……」

 ここまで、誰かが越水さんを恨んで殺したことを主張してくるとは。こうなったら、正面から事件の真実を明らかにするしかないみたいだな。今から話すことは堤先輩や霧嶋刑事も知らないことだ。

「竹内さん、あなたは気づいていましたか? 俺は今日になってから一切、越水さんが亡くなった事件のことを『殺人事件』とは言っていないんです」

「で、でも……ななみちゃんが逮捕された事件のこととかは……」

「ええ、それらのことについては確かに殺人事件と言いました。でも、それは警察の公式見解や、ななみさんと松本さんの勘違いの上で話しただけです。俺は、真犯人が関わった事件について殺人事件と言わなかったんです」

 そう、だったらもう導かれる真実はたった一つしかないだろう?

 越水さんが事件当時、凶器のナイフを持っていた可能性があった。

 竹内さんが彼の死に対して本気で悲しんでおり、罪悪感や恨みの感情は全くない。そこから行き着く結論は唯一つ。


「越水さんは自殺したんですよ」


 自殺。

 この結論であれば、全ての物事が一つに繋がる。

「自殺……」

「はい。だから、俺は……あなたが越水さんを殺した決定的な証拠は出すことはできません。そして、越水さんを殺害した動機を示すこともできません。何故なら、致命傷になった傷が……竹内さんが故意に刺した傷ではない可能性があるからです」

 きっと、竹内さんは……現場に来たときナイフを持った越水さんと会ったんだ。彼女は彼が自殺するとすぐに分かり、必死に止めようとした。その際に、彼女は越水さんの着る白衣の袖を必死に掴んだ。

 だが、二人がもみ合っている中で、ナイフが誤って越水さんに刺さってしまう。数カ所ナイフで刺されていたことから、竹内さんは越水さんに刺さったナイフを引き抜いて何度も刺したんだ。

 やっぱり、誰もが信じられないという表情をしている。堤先輩や霧嶋刑事でさえ驚きを隠せていない。暫くの間、誰も口を開くことができなかった。

「でも、篤人さん……どうして、越水先生は自殺しなければならなかったのですか?」

 沈黙を破ったのは、まどかのそんな一言だった。

「それはきっと、自ら中止した新薬開発プロジェクトと、百瀬さんの妊娠が彼を襲ったからだろう」

 俺は百瀬さんのことを見る。彼女の目には涙が浮かぶ。

 百瀬さんにとって、越水さんが自殺したことでさえ辛いのにその原因が自分にあることはとてつもなく辛いことだろう。しかし、このことを伝えなければ、彼女はきっと未来には踏み出すことはできない。

「百瀬さん、今から俺が話すことに逃げないでほしい。泣いてもいいから、全てを聞くんだ。ななみさんは絶対に彼女から離れないでほしい」

「……分かりました、成瀬さん」

 そう答えたのはななみさんの方だった。ななみさんも十分悲しいはずだろうが、百瀬さんを気遣ってか必死に笑顔を作っていた。

 実際に俺も、このことを言うのに躊躇いがあった。でも、どんなことでも語られないことが一番残酷なことだ。だから、俺は話す。

「ここからは俺の想像も含みます。去年の暮れ、越水さんは勤務する中学校の生徒との間に子供を作ってしまいます。もちろん、その生徒とは百瀬さんのことです。彼は新たな命ができた喜びもあってか、三月になって彼女が妊娠の事実を伝えてもそのことについて真剣に関心を向けていました」

 百瀬さんの妊娠は衝撃的なことだったが、越水さんもそのことに前向きだった。妊娠について話していた百瀬さんはとても嬉しそうだったから。

 そう、彼女の妊娠だけでは自殺をする意思はまだ生まれなかった。

「ただ、越水さんが自殺しようと思ったきっかけは唐突に訪れました。それは、彼自身が中止を決めた新薬開発プロジェクトについてです。越水さんや小関さんが一生懸命になって開発の研究をする背景では、ある犯罪グループが犯罪目的に利用するために多額の資金を提供していました。そして、この開発プロジェクトを提案したのは、竹内さん……あなたです」

「まさか、竹内先生がその犯罪グループに……?」

「ああ、関わっていた可能性は高いだろうな。ただ、竹内さんが犯罪グループに関わっていただけなら、自殺はなかったかもしれない。しかし、彼は……何らかの形であることを知ってしまったんだ」

「それって、何なのですか? 篤人さん」

 今回の事件は幾つものの背景が複雑に絡まっていたが、越水さんの知ってしまったことを考えれば、それらの背景は一つに繋がる。

「研究をすれば新薬のサンプルができるはずです。竹内さんはそのサンプルを松本さんに投与するつもりだったつもりだったんです」

「じゃあ、もしかして……」

「そう、竹内さんは……薬を使って松本さんを殺害しようと考えたんですよ。それを越水さんは知ってしまったんです」

 そう、越水さんは竹内さんに婚約者である松本さんが殺される計画を知ったから、自殺を決意したんだ。

「ということは、篤人さん。昨日、松本先生をナイフで刺した犯人は竹内先生だったということですか?」

「ああ、そうだ」

「でも、篤人さんの言う新薬のサンプルは使っていません」

「松本さんは亡くなった越水さんの婚約者だ。そんな彼女が得体の知れない薬で殺されたとなれば、研究所の方にも疑いがかかる可能性が高い。新薬開発プロジェクトは亡くなった越水さんが中止させたから、警察がそのことについて調べているはず。その研究のサンプルを使って殺したことがばれれば、一気に自分に疑いがかかることになり、犯罪グループがプロジェクトに関わっていることまで明らかになってしまう危険があった」

 それに、ナイフを使えば……俺達に学校側の人間が犯行に及んだと思い込ませることができるようになる。竹内さんは分かってなかったと思うが、松本さんは百瀬さんの妊娠診断書を俺達に渡した直後に刺されたから、百瀬さんに疑いをかけることもできる。

 何にせよ、竹内さんは松本さんを殺そうとしていた。動機はおそらく、越水さんに好意を抱いていたからだろう。

「話を戻しましょう。竹内さんが松本さんを殺そうとしていると知った瞬間、彼の心には深い傷が刻まれました。自分は命を救うための薬を研究しているのに、気づかぬ間に命を奪おうとする集団の目的に加担してしまった。ましてや、その実験台となるのが何よりも愛する松本さんだということに、越水さんは耐え切れなくなったのでしょう」

 竹内さんは……涙を流しながら黙ったままだ。果たして、俺の話していることが彼女に届いているのだろうか。

「そして、それまでは前向きだった百瀬さんの妊娠についても、罪の意識を持ってしまうようになりました。十四歳の女の子と切っても切れない関係を持つことは、犯罪として見られることがほとんどです。それよりも、松本さんという大切な恋人がいるのに、別の女性と子供を作ってしまったんです。その相手が結婚できる年齢であれば、婚約することで解決できますが、百瀬さんはまだ十四歳なのでそれができない。なので、百瀬さんの未来を自分が狂わせてしまったと思ったんです」

 越水さんは自殺するかどうか色々と悩み、事件当日にようやく自殺を決意した。彼は自殺の準備をするために色々なことをしたはずだ。

 その真実を知るにはある人物に話を聞かなければならない。

「小関さん、あなたは越水さんが自殺をしたということを知っていたはずです。事件当日の昼過ぎに『佐藤弘』という架空の研究者として鏡浜東中学校に訪れたのは、あなたですよね?」

 小関さんは事件当日、正午から午後二時過ぎまで研究所を離れている。佐藤弘という人間が学校に訪れたのは午後一時過ぎで、出たのは午後一時十五分。研究所と中学校は電車を使えば二十分ほどで着くから、彼が二時間の間に学校へ訪れることは可能だ。

「……否定する必要はもうないようですね」

「では、あなたは事件当日、越水さんに……」

 小関さんはスーツのポケットから黒いUSBメモリを取り出し、俺達に見せた。あれが事件当日に越水さんに呼ばれた理由なのか。

「そうです。事件の起こる数日前、僕のデスクの中に一つの封筒が入っていました。その中には『佐藤弘』と書かれた研究所のメンバーカードと、いずれそれを使うときが来ると書かれていた越水君からの手紙が入っていました。事件当日の昼前、越水君から中学校に来るように連絡を受けました。そして、中学校に行くと、中止になったはずの新薬開発プロジェクトの研究データが入ったこのUSBメモリを受け取りました。そして、彼から……今、成瀬さんが言ったことと同じことを言われたのです」

 つまり、小関さんは知っていたわけか。竹内さんが薬品のサンプルを使って松本さんを殺そうとしていることを。

「彼からはとにかく、このことを竹内君の耳に入れてはいけないと言われました。自殺する前に、彼女に新薬の開発について糾弾すると言っていました。殺される可能性もあるとも言っていましたね。なので、彼女が改心するか、逮捕されるまでは絶対に受け取ったデータは隠し通すように指示されました。実際に彼が殺され、それは竹内君の仕業かと思いきや、彼の勤める中学校に通う生徒さんが逮捕されたと知って……」

 小関さんの顔が真っ青になっていく。

「だから、僕と紗希ちゃんが研究所に訪れたとき、新薬開発プロジェクトの内容について話すことを頑なに嫌がっていたんですね」

「ええ。中止になったと言い通すべきだと思って……」

 下手に内容を関係のない人間に話すべきではない、と思ったのか。そして、俺が越水さんの自殺の真相を明らかにしたから、隠す必要はなくなったんだな。

「松本さんが刺されたと聞いて、自分を悔やみました。僕が真実を話せば、松本さんは警察から保護され、危険な目に遭うことはなかったはずですから」

 本当に申し訳なかった、と小関さんはまどかの持つタブレットの向こうにいる松本さんに深く頭を下げた。

 これで、越水さんが自殺しようとしたことは決定的になったわけだ。

「越水さんは事件当日になっても、もしかしたら百瀬さんは妊娠していないかもという淡い希望を持っていました。なので、彼は百瀬さんに産婦人科へ行き、診断書を自分のところへ持ってくるように指示しました。ですが、実際には診断書に……はっきりと妊娠の事実が書かれていた。この時に、越水さんは本当に自殺しようと決めたんです」

「だから、事件当日は遥ちゃんに向かって『じゃあな』と言ったんですね」

「そうだ。そして、自殺の決意をしてから最後に遣り残したことを始めます。もちろん、まずは小関さんに中止になった新薬開発のデータを託すことです。そして、それが終わると彼は色々なことをしました。松本さんと竹内さんに最後の会話をするためにメールを送ったり、梅津君の特別課題の採点を行ったり。もちろん、ななみさんとの約束を断るメールを送ることも」

 だから、午後二時過ぎから……色々なメールが送られたんだ。そして、梅津君の特別課題を松本さんに任せようとしたのも、もうすぐ自殺してしまうから。

「そして、午後三時。竹内さんが現場にやってきたときに、越水さんはナイフを持ったまま彼女と争い……その結果、誤って自分にナイフが刺さってしまった。その後、竹内さんが数回、越水さんのことをナイフで刺した。これが、今回の事件の真実です。いかがでしょうか、竹内さん」

 これが、AGCの考えだ。俺の言うべきことは全て言ったつもりだ。

 俺が話したことに宮永先輩のように驚く人もいれば、百瀬さんや松本さんのように涙を流し続ける人もいた。今回の事件は単純な殺人事件ではなく、複雑な心情の中で起こった自殺だったのだから。

 竹内さんの罪は殺人であるとは言い切れない。しかし、越水さんにナイフで数回刺したことは確かだ。

「……今でも、彼の生温かい血を思い出すわ」

 竹内さんはただ一言そう言った。

「今の一言は、自分が犯人であることを認めたと考えていいですか?」

「ええ……」

 どうやら、もう俺が話す必要はなくなったみたいだ。

 動機については竹内さんが自ら話すと信じることにしよう。

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