第23話『宿した命』

 三十分後。午後九時十五分。

 俺はまどかとななみさんと一緒に、病院のロビーで百瀬さんが来るのを待っていた。堤先輩、宮永先輩、上杉先輩は手術室の前で待ってもらうことにした。

 入り口の方を見ていると、自動扉が開く。そこには桃色のスカートと白いTシャツというシンプルな服装をした百瀬さんが中に入ってくるのが見えた。

「遥ちゃん!」

「ななみちゃん!」

 百瀬さんはななみさんの姿を見つけるや否や、ななみさんの所まで一直線で走り熱い抱擁を交わす。百瀬さんの涙に思わず俺も泣きそうになってしまう。

「ななみちゃんが犯人じゃないって信じてたよ」

「……ごめん。私、松本先生が犯人だと思って自分が犯人だと思い込んでもらうように細工しちゃったの。でも、松本先生が誰かに刺されちゃって……」

「えっ!」

「でも、何とか一命は取り留めたって。全部、刑事さんから訊いたの」

「そっか。それなら良かった……」

 百瀬さんは抱擁を終わらせ、俺の前に立つ。

 今一度、彼女の全身を見ているが……普通の中学生の体つきだ。まだまだ思春期の彼女のお腹に妊娠三ヶ月の子供がいるなんて信じられない。

「そんなにじっくりと見ないでくれませんか? 恥ずかしいので」

「……ごめん。でも、初めて会ったときには全然気づかなかったよ。君のお腹にまさか新たな命を宿していたなんて」

 百瀬さんは一瞬俯いたが、すぐに俺の方を向いて微笑んだ。

「松本先生からですか? それとも、ななみちゃんから?」

「松本さんからだ。君も知っているだろうけど、事件当日……現場で松本さんは君の妊娠診断書を見つけてそのまま持ち帰ったんだ」

「翌日に先生からそのことで電話がかかってきました」

「ああ、そのことも松本さんから聞いたよ」

「……そうですか」

 俺の脳裏に『酷』という文字がよぎった。

 百瀬さんは普通の中学生では味わうことのない経験をしている。妊娠。そして、子供を作った相手が誰かによって殺されてしまったこと。ただでさえ不安定な精神状態なのに、真実を見つけたいという俺の勝手な欲望に付き合わせてしまっていいのだろうか。

 なかなか本題へと踏み出せない。すると、

「……たった一度のことだったんです」

 百瀬さんが口を開き、そう切り出した。

「私は越水先生のことが好きでした。去年の冬休み、一度だけデートをすることになったんです。その時に松本先生との間に子供ができないと悩んでいました。私は先生の力になりたいと思いました。そして、気づけば……お互いを欲していました」

「それで、百瀬さんと越水さんは……」

「ええ、成瀬さんの言う通りです。あの時の痛みや温もりは今でも忘れられません。一度だけだから大丈夫だろう。私はそんな甘い考えを抱いていました」

 だが、その時の行いは……百瀬さんの体に変化をもたらしてしまうのか。

「三月の初め頃です。突然、吐き気に襲われました。一度治まったかと思えば、また吐き気に襲われる。それが二、三日続いたのでもしかしてと思い、産婦人科に行きました。その時に妊娠の事実が分かったんです」

「現場にあった封筒の中に入っていた診断書で一番古かったのは三月の上旬だった。百瀬さんは病院に行く度に越水さんに診断書を届けていたのかな?」

「はい。実験室で越水先生と一緒に診断書を見ました。そして、実験室から出るときは絶対にまたな、って言ってくれたんです。だから、妊娠にも前向きになれました。三月中旬になってななみちゃんにも言いました」

「うん、その頃だったと思うよ。そのことは他の人には迂闊に言っちゃいけないことだから、友達の中でも私と遥ちゃんだけの秘密にしてた」

 百瀬さんはまだ妊娠のことを周囲の人間に明かせてはいなかったけど、妊娠そのものについては前向きだったわけか。

「私の家族も最初は驚いて越水先生を訴えるつもりでしたが、私が必死になってお願いして訴えることは無しになりました」

 百瀬さんの家族も一定の理解をしたのか。中学生の娘が通っている学校の教師との間に子供が出来たとなれば、訴えたい気持ちも分かるかもしれない。ましてや、その教師は婚約者になると思われる恋人が既にいたわけだから。そして、未来ある娘の運命をたった一度の行為で狂わせてしまったわけだから。

 百瀬さんが妊娠のことに前向きなのを知って、ようやく俺の訊きたいことが言える勇気が出た。

「事件当日、百瀬さんは越水さんに妊娠診断書を届けているよね。やっぱり、その時もそれまでと一緒で定期的に産婦人科に行って、越水さんに届けていたのかな」

「……いえ、あの日だけは違いました。一週間以上空いて、そろそろ行こうかと思っていたんですけど、あの日は越水先生から電話がかかってきたんです。産婦人科に行って妊娠診断書をもらってきてくれって」

「そういうことって初めてだった?」

「ええ、初めてでした。できるだけ早い方がいいだろうと思って、産婦人科で診断書を発行してもらって、十一時半くらいに越水先生のいる実験室へ行きました。その時、先生は何かの採点をしているようでした」

 多分、それは梅津君の特別課題だと思う。膨大な量だったらしいし、必死に採点している姿が想像できる。

「私は越水先生に診断書を届けました。越水先生も採点で忙しそうだったので、すぐに実験室を出ました」

「その時に何か変わったことはあったかな」

「そうですね。強いて言えば、いつもは帰り際に『またな』って言うのに、事件当日だけは『じゃあな』って言ったんです。でも……まさか、その何時間後かに亡くなってしまうなんて。だから、先生のじゃあなって言葉が今でも忘れることができないです」

「……そう、か」

 どうやら、俺は本当に事件の真相に辿り着いたみたいだ。今までの俺の考えを全てひっくり返すような、とても悲しいたった一つの真実に。

「百瀬さん。一つ……俺からお願いしていいかな」

「なんでしょうか?」

「明日、俺は真犯人に対して真実を話す。百瀬さんにも聞いて欲しい。これは、君と君のお腹の中にいる子供の未来のためだ。とても辛いことだとは思うけど頑張れるか?」

 そう、この事件は百瀬さんにも関わることだ。彼女にも是非、真実を知ってほしい。希望を持って未来へ進むためには真実を知る他にない。

 百瀬さんは真剣な表情をして一つ頷く。

「分かりました。私も……立ち会います」

「うん、その決断を俺は尊重するよ。夜遅いのに、今日はどうもありがとう。明日のことはまた後で連絡するから」

「分かりました。では、おやすみなさい」

 百瀬さんは一度頭を下げると、病院から出て行った。

「ここに来たときには青いオーラだったのに、今は白いオーラも出ていました。そういえば、篤人さん。真相が分かったんですか?」

「ああ、色々とな」

 後は警察の人達を信じることにしよう。俺達にできることは全てやった。松本さんの手術が終わるのを待つことにするか。

 覚悟しろよ、真犯人。

 明日、全てを明らかにして……お前に自分の罪を認めさせる。

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