第16話『事件捜査-Laboratory Side- ②』
昼休みが終わったためか、研究所の廊下は閑散としていた。
現在は通常の業務をしているため、研究室などの中には入ることはできず、廊下で説明を受けている。事件捜査をしている身としてはそっちの方が好都合だ。
「さすがは香織ね」
と、耳元で紗希ちゃんに囁かれる。
ちなみに、紗希ちゃんはさっきからずっと「へえ」とか「そうなんだ」とか、適当に相槌をしているだけ。
小関さんの説明は分かり易いし、色々と化学の勉強になる。けれども、どうにかして越水さんに関わる仕事内容を訊き出せないだろうか。
そう思っていると、小関さんは突然歩みを止める。
「このまま歩きながら研究所を案内するのも何ですし、これから応接室にでも行きましょうか。私ばかり話していてもつまらないでしょう」
小関さんがそんなことを言ってくる。
これは不意に巡ってきたチャンスだ。逃すわけにはいかない。
「はい、色々と訊きたいこともあるので……そうしてもらえると嬉しいです」
「そうですか。では、応接室でお茶でも飲みながら話しましょうか」
「ありがとうございます」
初対面なのにここまで親切にしてくれるなんて。小関さんは良い人だ。
そういえば、まだ訊いてないけど小関さんは越水さんとどういう関係なのだろう? これまでの話からして結構付き合いのある人だとは思うけど。応接室でそのことも訊いてみることにしよう。
僕と紗希ちゃんは小関さんにより、応接室に通される。
応接室はAGC本部と同じくらいの広さだ。部屋の中心にテーブルがあり、その四方には大小二つずつ計四つのソファーがある。
「そちらのソファーにお掛けになってください。今から、お二人に緑茶を持ってきますので」
「ありがとうございます」
小関さんは応接室を後にした。
僕と紗希ちゃんは長いソファーで隣同士に座る。
「何とかここまで来れたわね」
「紗希ちゃんは適当に相槌を打っていただけでしょ」
「だ、だって……む、難しくてよく分からなかったんだもん」
別にあれは中学生でも分かるような話だったんだけど。紗希ちゃんってここまで理科が苦手だったっけ?
でも、紗希ちゃんの言う通りだ。僕達が質問できる場までやっと来れた。ここからが本来の活動だ。まずは小関さんと越水さんの関係を知ってから、越水さんがこの研究所で何をしていたのかを訊いていくつもりだ。
「それにしても……大丈夫かしら。あの子達……」
「何だかんだで心配なんだね」
「べ、別に……心配なのはまどかだけよ。成瀬のことなんてこれっぽっちも……」
「でも、あの子達って言っていたけど?」
僕がそう指摘すると、紗希ちゃんの顔がかあっ、と赤くなる。
「そ、それは成瀬じゃなくて奏先輩のことで……」
「堤先輩をあの子呼ばわりするなんて。後で報告しておこうかな?」
「な、何でそうなるのよ!」
「あははっ、冗談だよ。それに、本人が目の前にいないわけだし、素直に言えばいいじゃない。成瀬君のことも心配なんだって」
「……香織のいじわる」
怒るどころかしゅんとなっちゃったよ。ちょっとからかい過ぎたかな。
「ごめんごめん」
「……別に良いわよ。先輩として心配しているのは本当だし」
「そっか。……僕も同じだよ」
紗希ちゃんももっと自分の気持ちを素直に言えれば、友達がもっと増える気がするんだけど。見た目は可愛いわけだし。
それにしても、依然と汐らしくなっているのは何故だろう。
「まどかってそれなりに胸があるのよね……」
「唐突に何を言うかと思えば……」
胸の大きさは女子にとって一番気にすることなのだろう。僕が言っては失礼だけど、紗希ちゃんの胸はお世辞でも大きいとは言えない。制服の上からでは何とか膨らみが分かるくらいだ。
「うううっ、奏先輩には敵わないのは仕方ないとして、新入りに負けるなんて……」
「僕は何てコメントを返せばいいのか分からないよ」
「それに、このままだといずれ香織に負けちゃうかも……」
「一生胸は膨らまないし、それ以前に僕は男の子だよっ!」
うううっ、僕だって男の子らしく振舞っているつもりなのに。童顔だし、声変わりだって一度もしてないし、体毛だって全然生えてないし、筋力だってないからせめても態度では男の子っぽくしているつもりなんだけど。
「ね、ねえ……紗希ちゃん」
「なに?」
「僕って男らしい? それとも女らしい?」
「女らしいに決まってるじゃない! 女々しくなくて女らしい!」
「即答でしかも力強く言ってくれたね……」
馬鹿にしてくれてもいいから、女々しいと言って欲しかったよ。女らしいってことは端から男らしく見られてないってことじゃ……。
「って、泣かないでよ! 別に香織のことを気持ち悪いって思ってないから! 香織は顔も声も可愛いしあたしよりも頭が良いから……モテると思うわ! だ、男子からっ!」
「最後の一言は余計だよ!」
紗希ちゃんは悪気があって言っているわけじゃない。それは僕にも分かっている。それでも、男の子としての僕を否定されたような気がした。
「ご、ごめん……そこまで泣くとは思ってなくて……」
さすがに紗希ちゃんも僕の頭を優しく撫でてくれる。ていうか、気づかない間にそこまで泣いちゃってたんだ、僕。
「すみません、お待たせしてしまって。ポットにお湯が入っていなくて……って、どうかされましたか?」
湯気の出ているカップが二つ乗っているお盆を持った小関さんが戻ってきた。は、恥ずかしい……泣いているのを見られちゃったよ。
「ちょっと、越水先生が亡くなってしまったことに……」
「ああ、そうでしたか。僕も、彼の死に心が悼みます」
何とか上手くごまかせたみたいだ。女らしいと言われて泣いてしまうなんて、本当に僕は女らしいのかもしれない。
僕はハンカチで涙を拭い、越水さんの淹れたお茶を飲む。
さて、一息ついたところで本題に入るとしましょうか。
「そういえば、小関さんと越水先生の関係を聞いていませんでした。こうして僕達に案内をしてくださっているということは、かなり近い関係では?」
「彼は僕よりも四つ下です。でも、彼は技術的にも人間的にも優秀な人で、僕もそんな彼のことを尊敬していました。彼がリーダーを務めたプロジェクトのメンバーとして働いていたこともありましたし」
「ということは、越水先生の死は研究所にとって……」
「大きな損失だった、と言えますね」
どうやら、研究者としての越水さんはかなり優秀だったみたいだ。
「何故、彼が殺されなければならなかったのか……僕には分かりません。彼の勤める中学校の生徒が逮捕されたそうですが、こうして君達みたいに彼によって化学へ興味を持ってここに来てくれる生徒もいる。彼に何があったのか知りたいくらいです」
そう言う小関さんの手は強く握り締められ、震えていた。きっと、彼は越水さんの死に対して悲しみと怒りの念を抱いているんだろう。
「す、すみません。彼のことを思い出すと彼を殺した犯人が許せなくて……」
「僕達も同じです」
「……そうですか。彼の関わった仕事については一通り知っていますし、研究所での彼のことで訊きたいことがあれば何でもどうぞ」
小関さんにとって、越水さんは相当信頼できる人物だったようだ。
小関さんは越水さんの上司だ。越水さんのことについて訊くなら絶好の機会じゃないだろうか。彼の対人関係は良好らしいし、何を訊くべきか。
とりあえず、越水さんの仕事内容のことでも訊いてみることにしようかな。
「この研究所では新薬開発のための研究が行われていると聞きました。越水先生もやはり新薬の研究をされていたんですか?」
「ええ、そうですよ。でも、新薬の開発もすぐにできるものでもありませんし、僕も関わったプロジェクトは数えるほどしかありません」
「小関さんの関わったプロジェクトはさっき言ったように、越水先生がリーダーを?」
「最初こそは別の方がリーダーを務めたプロジェクトのメンバーでしたが、技術の上達の早さや発想の良さが認められて、すぐに彼は僕達を追い抜きました。入社して三年目くらいにはもう彼がリーダーのプロジェクトが始まりましたから」
「普通はもっと遅いものなんですか?」
「ええ、僕なんて一度もプロジェクトのリーダーをやらせてもらったことがないです。だからって、後輩の越水君を恨んでいるわけじゃありません。彼は先輩の僕さえも素直に凄いと思えるような優秀な研究者でしたから」
小関さんは微笑んでいた。おそらく、今の言葉は彼の本心に間違いないだろう。
「じゃあ、越水先生が生前最後に取り組んでいた仕事内容は何ですか?」
「そ、それは……」
今まで快活に話していた小関さんが急に口を噤む。それに、彼の表情も曇り始める。何かあったのだろうか?
「先生が最後にどんな仕事を取り組んでいたのか凄く興味があるんです」
小関さんが答えやすいように訊いてみるけど、彼は一向に口を開こうとしない。
この様子だと、越水さんが最後に取り組んだプロジェクト……それを漏らしたら小関さんや研究所全体に不利益になる可能性は高そうだ。
「何か危険な薬品の開発とか?」
向こうが何も言おうとしないなら、こっちから攻めないと。
すると、さっそくその効果があったようだ。小関さんの口が開き始める。
「危険と言えば間違いではないのですが……で、でも……先月になって中止になったことです。君達に教える必要なんてありません」
先月に中止になったということは、事件の起こった日の近くに中止になった可能性もある。もしかしたら、事件に関与しているかもしれない。
「でも、越水先生は今研究していることを特別に話してくれると言ってくれました。お願いします、教えてくれませんか?」
僕と紗希ちゃんは深く頭を下げる。
これで言ってくれなかったら、もう打つ手はない。僕達は警察のように何か権限を持っているわけじゃないし。
「……彼の意志はそうだったかもしれませんが、君達が訊いている相手は僕です。僕が話せないと言ったら話せないんです。君達の熱意に対しては本当に申し訳ありません。あのプロジェクトの内容は所内機密レベルのものですから」
小関さんは淡々と言う。
越水さんの最後の仕事は所内機密レベルだったのか。そんなものが中止になったなんて尚更怪しいけど、無理に訊き出そうとすれば今後一切訊き出せなくなるかもしれない。どうする、今日はもう帰った方がいいのか?
紗希ちゃんの様子を見てみると……あっ、これはまずい。紗希ちゃんは不機嫌な表情をしながら激しく貧乏ゆすりをしている。
「紗希ちゃん、ちょっと落ち――」
「小関さん」
「な、なんでしょう?」
「あたし達は越水さんが生前……最後にどんな仕事をしたのか知りたいんです。そのためだけにここへ来たと言っても過言ではないくらいなんです」
「だから、さっきも言ったように本当に申し訳ありませんが――」
「その越水さんが亡くなったのよ!」
ああ、スイッチが入っちゃったよ……。僕の恐れていたことが起こってしまった。
紗希ちゃんはテーブルを激しく叩くとソファーから立ち上がり、
「中止になったプロジェクトが事件のきっかけになったかもしれないじゃない! もしかして、小関さん……所内機密って言っておきながら、本当は他に言えない理由があるんじゃないの? 自分が犯人じゃないなら言えるはずでしょ!」
今まで溜まっていた鬱憤を全て晴らすかのように、小関さんに罵声を浴びせる。これじゃ喧嘩を吹っかけるのと同じだよ。
当然、今の紗希ちゃんの態度に温厚な小関さんも表情を強張らせる。
「突然何なんですか。所内機密のプロジェクトの内容を高校生に話せるわけがないでしょう。それに、動機とか犯人とか……君達、もしかして……」
「そうよ。あたし達は越水さんが殺された事件について調べてるの。今、あたしの後輩の妹が彼を殺した犯人として逮捕されていることは知ってるわよね」
「知っていますよ。彼女が犯人で決まりでしょう。どうして君達が事件捜査なんて……」
「彼女が犯人じゃないって信じてるからよ!」
「警察が犯人として逮捕したんですよ。それなら、彼女が犯人で確定でしょう? 高校生が警察まがいのことをするなんて信じられないですね……」
「つべこべ言わずに、さっさと越水さんの最後の仕事について説明しなさいよ! あなたは犯人じゃないんでしょう! 後ろめたいことがなければ、所内機密の事なんて関係なしに……」
「言えませんよ。それを言えば、僕は研究所から解雇される羽目になります。その責任を君達は取ってくれるんですか?」
「そ、それは……」
今の小関さんの言葉に、さすがに紗希ちゃんも何も言えなくなったか。紗希ちゃんは目を潤ませながら悔しそうな表情でソファーに座る。
それにしても、今回の紗希ちゃんの暴走は一段と凄かったな。
でも、紗希ちゃんのおかげで分かった。越水さんが最後に取り組んでいたプロジェクトが事件に関与しているということが。もしかしたら、そのプロジェクトの内容が真犯人に結びつくかもしれない可能性があるということも。
所内機密のことを漏らしたら小関さんの首が飛ぶ? そんなこと、中身を言いたくないために思いついた脅し文句に過ぎない。
ここは男の子である僕がどうにかしないと。
「小関さん、彼女の失礼な態度……本当に申し訳ありませんでした。ほら、紗希ちゃんも頭を下げる」
僕は左手で紗希ちゃんの頭を下ろしながら頭を下げる。
「いえ、分かってくれれば――」
「僕が謝ったのは彼女が失礼な態度を取ったことにすぎません」
「どういうことでしょうか?」
一瞬見せた微笑みがすぐに怒りに変わる。
「僕達は真剣に越水さんが殺された事件の真相を見つけようとしています。小関さんの先ほどからの態度を見れば、越水さんが生前最後に取り組んだプロジェクトが事件に関与しているのは明らかです。中止になったプロジェクトは何の価値もありません。それを所内機密だと言い張って僕達に言わないことは矛盾していませんか?」
「それでも、僕は――」
「僕は彼女の考えと同じです。それでもプロジェクトのことを言わないのであれば……僕達はあなたを真犯人として疑うつもりです」
ふとしたきっかけで激昂してしまう紗希ちゃんには頭を抱えるけれど、彼女の考えは間違っていない。それに、今の状況を考えれば僕も紗希ちゃんに同意だ。
「小関さんが解雇されることなんてありません。そのプロジェクトは既に中止になってしまっているんですから。犯罪目的だったのなら話は別ですが……」
「それでも、僕は話しませんよ。それにしても、僕は見事に騙されました。彼の教え子でなければプロジェクトのことを話さない僕を事件の真犯人扱いするとは君達は本当に酷い高校生ですよ。警察がすべきことを高校生がすべきじゃ――」
「その警察が教えてくれと言っても、あなたは隠すつもりですか?」
だ、誰だ? 男の人の声だったけど。
入り口の方を見ると、そこには灰色のスーツを着た黒髪の男性が立っていた。
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